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17. 五日目昼②

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 歩いているうちに、いつのまにか市場のはしっこまできていた。屋台は綺麗にとぎれており、そこから先は石畳やレンガ造りの家屋が並ぶ。屋根越しに、コロッセオの煤けた壁が見えた。

「寄り道していいですか」

 シウが向かったのは、ゼンもよく通った菓子屋”アステリズム”だった。賑わっていた面影はなく、扉には木の板がばってんの形にうちつけられており、閉店を知らせる紙が貼ってあった。

「安心してください。ゼンさんには、私が完全新作オーダーメイドのほっぺた落っこちるくらいのミグノンを手作りしますから。材料も買い込みましたし!」

 シウは閉店した店に背を向け、もう未練はないというように歩き出した。完全新作オーダーメイドの響きにときめきながら、シウに手を引っ張られながら、ゼンも後を追う。

 コロッセオからは建物越しに割れんばかりの歓声が聞こえてくる。ちょうど試合の決着がついたらしい。歓声に混じってブーイングが聞こえる。徐々にブーイングは大きくなり、歓声を打ち消した。
 
 興味なさそうにずんずん歩くシウの横で、ゼンは足を止めた。ちょうどコロッセオの正面に差し掛かったところだった。噴水があり、その前には銅像が立っている。
 剣を構えて防具をつけた勇ましい剣闘士の銅像だ。その銅像の前に置かれた金属製のプレートは、キラキラと昼下がりの日差しをはねかえしており、錆のひとつも見当たらない。
 
「ゼンさん?」

 遠い目をして銅像を見つめるゼンを、シウは見あげる。シウはコロッセオが好きではなかった。ここには、良い思い出が無い。
 貴族たちが、己の利権のため、娯楽のため、権威を見せつけるために作り上げた忌まわしく残酷な遊戯場。それがシウのコロッセオに対するイメージだった。

「どう思う」

 ゼンの視線の先にある銅像は、伝説的な記録を残した剣闘士をモチーフにしている。ここ数年のうちに建てられた新しい銅像だ。
 シウは、その男についてさして興味はなく、教養の一貫として習っただけだった。聞き流していた知識をなんとか掘り起こす。
 
 コロッセオでは、剣闘士の一対一の戦いが行われ、どちらかが死ぬまで戦う。稀に敗者が生き残ることがあり、その場合は観客は敗者に対して判定を行う。素晴らしい戦いならば歓声を、見苦しい戦いならばブーイングを。ブーイングならばその場で敗者は処刑される。
 
 剣闘士の多くは奴隷である。彼らは、娯楽のために戦い、消費されていく。ただし、彼らにもひとつだけ希望がある。もし、戦い生き残ることができたのならば、解放奴隷となり剣闘士を辞めることができるのだ。
 
 シルクスタ開国以来、誰も為しえなかったその偉業を、ただ一人成し遂げた男がいた。つい、数年前のことだ。十七歳になるまでの七年間で記録を達成し、見事、奴隷から解放されたのだ。
 
 その勇猛さ、強靭さ、幸運さは、たいそう称えられ、パレードやら勲章授与やらが行われた。その国民的人気ぶりは大層なもので、本が出たり歌がつくられたり、異常なまでに盛りあがった。そのおかげで、下火になりかけていたコロッセオの人気が再燃するほどだった。
 その剣闘士には、奴隷からの解放だけでなく、ずいぶんと高い身分が報酬として与えられたとも聞く。
 この銅像は、その男を称えて、数年前に建てられたものだ。

 シウは、溜息をついて顔をそむけた。
 石畳にうつる銅像の影に向かって、冷たい声で言い放つ。

「作り話でしょう。よくあることです。娯楽に火をつけるための捏造。誇大広告みたいなものです。誰が得をしたか考えればすぐわかります」

 コロッセオからは、まだブーイングが聞こえている。すぐにそれは、歓声に変わった。見苦しい戦い方をした勝者が、処刑されたのだ。
 シウが、繋いでいたゼンの手をぐっと握る。

「七年間って、十歳からってことでしょう?そのころから、少なくとも三日に一度は、命のやり取りをさせられていたことになります。その話が本当なら、そんな非道が為される場所なんて、この世界に必要ない。いつか私がぶっ潰してやりますよ。ほんと、ばかばかしい」

 むっとしながら言い放ったシウの耳に、小さな笑い声が聞こえた。くすくすと、おかしさをこらえきれないというように、口に手を当てて笑っているのはゼンだった。
 びっくりして固まるシウを、ゼンは引き寄せて抱きしめる。シウの顔を隠している布をずらし、唇を重ねた。

(こんなとこで!?)

 あたりはまだ明るく、人通りも多い。銅像の前なんてかなり目立つポイントだ。
 
 慌てるシウに構わず、無理やりゼンはシウに口づける。深くはないが、今までで一番情熱的なキスだった。先程の蜜漬けフルーツの甘い匂いがふわりと香る。近くのベンチに座っていたおじいさんが、持っていた新聞をばさりと落っことした。

(いきなりゼンさん、どうしちゃったの)

 困惑と、恥ずかしさで、シウはくらくらした。立っていられず、膝から力が抜けるも、ゼンは離してくれない。
 いつも寡黙なはずのゼンが、キスを通して雄弁に何かを伝えてくる。それが何かわからなくて、シウはうまく受け止めきれない。半分、抱えられるみたいにして、執拗に唇を塞がれる。
 ぱさりと、シウの顔を覆っていたフードが外れて、キスしているのが公衆の面前に晒された。

 きゃっみたいな、女性の小さな悲鳴が聞こえたのは気のせいだと思いたい。

 どれだけそうしていただろうか。
 永遠にも思える針のむしろから解放された頃には、シウは酸欠と羞恥で死にそうだった。荒く息をつき、新鮮な空気を求めてあえぐシウを、ゼンは抱きしめる。痛いほど強い抱擁。
 
「俺も、そう思う」

 耳元で、小さく呟く声がした。
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