上 下
50 / 50
エピローグ

一年後

しおりを挟む
 その店は、シルクスタの首都ドーマの郊外、カノープスの街近郊にオープンした。

 こじゃれた店構えに、甘い香りが立ち込める。店頭に置かれたチラシには、アクムリアの伝統的な菓子をアレンジした珍しいスイーツの絵と説明が書かれていた。

 オープン前から漂う良い匂いに、近隣住民の期待は募りに募っていた。オープン初日には、予想通り長蛇の列。久しぶりの他国の品ということで、首都からも大勢の人がやってくる盛況ぶりだった。



 それもそのはず、あの”血の満月”と呼ばれるクーデター勃発から一年。シルクスタは他国との国交を絶っていたからだ。輸入品は途絶え、国内の治安も荒れ、嗜好品どころではなかった。だから田舎とはいえ、他国由来の店がオープンしたことは、再び平和が訪れた象徴と捉えられた。
 
 かつて”シルクスタの英雄”と呼ばれた男が引き起こしたとされるクーデター”血の満月”。
 貴族たちの集会場。
 中央医療研究所。
 そして、コロッセオ。
 発端は、この三ヶ所に突如として現れた三体の魔獣である。一夜のうちに現れた魔獣達により、この三ヶ所は完全に蹂躙された。
 集会場の魔獣だけは、国立騎士団が多大な犠牲を払い、なんとか制圧した。残る二体は手に負えず、そのまま放置された。
 二体の魔獣によりシルクスタの首都は恐慌状態に陥った。多くの人が避難したが、魔獣の出現が深夜だったこともあり、少なくない犠牲が出た。このまま、魔獣に首都が破壊しつくされるのを誰もが覚悟したその時。
 かつて英雄と呼ばれた男が現れる。なんなく二体の魔獣を倒した彼の傍らには、ある男がいた。かつて、何度もクーデターを起こしながらも失敗し、戦犯として監獄に収容されていた男だ。民衆からはリベリオン叛逆に希望を持つ者と呼ばれていた。
 血まみれの英雄の傍らで、リベリオンは朗々と声を張り上げた。
 これは、英雄の意思であると。
 今こそ、貴族による共和制を打倒するときなのだと。
 今こそ、民衆は立ち上がるべきなのだと。
 
 奴隷あがりの彼が、貴族からの圧政から国民を解放すると聞いて、国内各地で大規模なデモが起こった。
 首都の魔獣事件により、弱体化していた政権が瓦解するのは時間の問題だった。
 そして現在、シルクスタは真の共和制国家としての体制を整えつつある。英雄を、あくまでサポートしていると主張しているリベリオンの手によって。
 たった一年で、平和が訪れたのはあの英雄のおかげだと誰もが口にした。
 ただ、血のクーデター以来、英雄 はほとんど公の場に姿を現すことはなかったが。


 
 一年ぶりの他国製の嗜好品を求める長蛇の列を捌くため、例の菓子屋は特別に開店初日は夜遅くまで営業した。在庫はたっぷりある。店は特別ボーナスの奮発を決め、店員は張り切り、その活気にまた行列が増え、夜遅くまで営業は続いた。

 夜もふけ、さすがに来客も途絶えた頃。警備員のオットーは、立ちっぱなしで疲れた腰を、うんしょと伸ばした。さすがにそろそろ店じまいだろう。だが、長年の警備員としての経験から、閉店間際も気が抜けないことをオットーは知っていた。
 最後のひと踏ん張りとばかり、入り口横で来客に圧をかけすぎないよう、鋭い視線を向ける。

 ぬっと、暗がりから不審な影が現れたのはその時だった。灯りに照らされた靴は泥だらけで、服は埃にまみれている。オットーは、やれやれとため息をついた。ここカノープスの街は、冒険者とかいう粗野な連中が多い。
 あまりに小汚いのをやんわりと追い返すのはオットーの大事な仕事だった。

「お客さん、すいませんけどもう⸺」

 閉店なんで。
 そう続ける前に、オットーはさっと懐に手を伸ばした。その金の瞳に見覚えがあったからだ。相手の男も、オットーに見覚えがあったのだろう、すぐさま踵を返す。

 オットーは、取り出した笛を勢い良く吹いた。夜霧を裂く笛の音が鳴り響きこだまする。

「シウさん! ターゲットが来ましたっ!」

 オットーの叫びと同時に、けたたましいベルの音が鳴り響く。火災報知器もかくやという鳴り響きようだ。

「あいつです!」

 オットーが指し示す方向に、店の上に設置されていたライトがぐるりと動き、サーチライトよろしく男を照らした。
 男は、眩しそうにライトに手をかざすも、変わらずライトは男を照らす。たまらず逃げる男を、ライトが追尾する。

『残念ながらその光は、魔力を使わない特別製の灯りです。さあ、ズコット隊、練習の成果を見せるときです!』

 まるで拡声器をつかったような女性の声があたりに響くと同時に、大量の人影が現れた。
 
 一体、どこにいたのか。
 茂みの影。
 建物の入り口。
 通りの向こう。
 とにかく、いろんなところから人が出てきた。みんな手に手に、投網や縄など捕獲道具を持っている。

『彼らはうちの大事な従業員なので、殺したら怒ります!』

 ピシッと言われて、男は腰に伸ばした手を慌てて引っ込め、全力で走り出した。
 それを、雄叫びを上げながら追う従業員たち。

『そこ、路地に逃げ込みました』
『そこはフォーメーションBで』
『北からも追い詰めてください』

 一体、どこから情報を得ているのか。
 的確な指示を下す声に従い、従業員たちはたちまち男を追い詰めていく。

 逃げ場のなくなった男が、まるでビルの壁を走るかのごとく華麗に追手を飛び越える。
 男が着地したその瞬間、地面にぽっかり穴があいた。そのまま、男は落っこちる。中は泥になっていて、男は足をとられてもう、逃げることはできない。泥の中で尻もちをつく。

『グッドです! やはり落とし穴は基本にして最強ですね』

 まわりの従業員たちが、歓声をあげながらハイタッチした。みんな、口々に「追加ボーナス! 追加ボーナス!」と叫んでいる。

 男が悔しげに見上げる穴の上に、一人の女性が現れた。動きやすそうな菫色のワンピースを着て、店のエプロンを身に着けている。

「シウ……」
「お久しぶりです、ゼンさん。ようこそ、いらっしゃいませ」

 にっこりと、シウは一年ぶりの再会に微笑んだ。
 
「いろいろ試しましたが、正攻法では会えないとわかりましたので、罠をかけさせていただきました」
「俺のことは忘れ……シウっ!?」

 ゼンの言葉が終わる前に、シウはぴょんと穴の中にとびこんだ。慌ててゼンは立ち上がり、シウを抱きとめる。ぬかるみに足をとられ、こらえきれずにまた尻もちをついた。

「やっと、捕まえました」
「シウ、汚れる」
「わかってます。私が仕掛けた罠ですから」

 くびに抱きついてくるシウをそっと抱きしめながら、ゼンは静かに首を振る。
 シウの頬に飛んだ泥を指で拭い、言葉を探す。
 真っ直ぐに見つめてくる琥珀色の瞳に耐えきれず、思わず目を伏せた。
 
「俺は、シウを幸せにはできない」

 シウは、しばらく黙ったあと後、くすくす笑い出した。ゆっくりと、ゼンの髪を撫でる。

「ゼンさんは、私を幸せにする必要なんてないですよ。私は、自分の幸せは、自分で掴むタイプですから。男性に与えられる幸せなんて興味無いです」

 ひとしきり髪の感触を楽しんだあと、ゼンの頬を挟み込んで金の瞳を覗き込む。まっすぐ見つめてくる琥珀色の視線にやはり耐えきれず、ゼンはまた目を逸らした。

「俺は、シウにふさわしくない」
「私が、ゼンさんがいいんです」
「見た目だってこんなだし」
「傷跡を気にしてるんですか? 私はこれも含めて素敵だと思ってます」

 困ったようにハの字になる眉を、シウは指で伸ばす。

「俺は学も教養も無い」
「それと賢さはまた別です。それに、教養なら私が持ってるので大丈夫ですよ」
 
「字だって、まともに読めないんだ」
「知ってます。読みたければ、私が読んであげます」
 
「ええっと、家もぼろぼろだし?」
「温泉付きで素敵ですけど。というか、あえて家がぼろぼろなだけで、財力も地位も名声も、めちゃくちゃありますよね?」

 もう言うことがなくて、ゼンは悩んでしまった。
 他に、自分のデメリットはないだろうか。
 しばらく悩み、はっと気づく。

「そう、俺は人間じゃないと思う」
「知ってます。魔族が混ざってるんでしょ? ちょっとかっこいいですよね」
「えっ」

 そこまで詳しくは、ゼンはしらなかった。死なないから普通と違うな、くらいにしか思っていなかった。魔族混ざっててもいいとか、もう何を言ってもシウには効かない気がする。

 うーんうーんと、と考えに考え。
 最後にひとつだけ、一番大事なことを思い出した。

「俺は、シウを汚してしまう」

 その言葉に、初めてシウは俯いた。俯いて、唇を噛みながら、静かに呟いた。

「ゼンさんは、汚れた私はいやですか。だから、私を避けたんですか。もう、私のことは嫌いになったんですか」
 
 思わず、ゼンはシウを強く抱きしめた。そんなわけない。そんなわけないけれど、シウにそう思われても仕方がないことを、ゼンはした。なんだか彼女を抱えていなければ、泥に沈みそうなくらいに、身体が重い。

「仕方がない人ですね。ほら、元気出して?」

 囁いたシウが、ゼンの口に何かを押し当てる。口に含んだそれは、甘い飴だった。それは、過去、初めてゼンがシウに会った日の味と似ていた。

「私が、あなたがいいんです。あなたさえ嫌じゃなければ、誰に連れて行かれても、必ず追いかけて、迎えに行って、あなたを幸せにしたいんです。私はもう、昔みたいに無力じゃないんですよ」

 うつむくゼンの頬を、シウは拭ってちょっともちあげる。にっこりと微笑みかけて、唇を重ねた。
 一年ぶりのひどく甘いキス。最初はシウから重ねていたが、すぐにゼンからシウを求める。甘さがなくなるまで唇を重ねてから、ようやく離した。
 
「シウ、ずっと、会いたかった」

 絞り出すように、ゼンが呟く。
 泥にまみれながら、シウの瞳を真っ直ぐに見つめて、必死に言葉を紡ぐ。
 言う機会など無いと知りながらも、無意識に何度も練習した言葉だった。

「シウが望むなら、俺はなるべく人も殺さない。なんでも我慢する。だから、俺のそばに生涯いてほしい」

 しがみつくように、抱きしめてくるゼンの頭を、シウはぽんぽんと優しく撫でる。よく言えました、と言うように。

【完】
しおりを挟む

この作品の感想を投稿する

みんなの感想(1件)

アキコ
2023.04.28 アキコ

素敵なお話をありがとうございます
もうひとつの所も読みました
どちらの終わりも最高でした
また読み返したくなるお話でした
背後注意ですが(´>∀<`)ゝ

てへぺろ
2023.04.29 てへぺろ

ご感想、ありがとうございます!
もうひとつの結末にもご感想いただけて、とても嬉しいです!

解除
1 / 5

この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!

悩む獣の恋乞い綺譚

BL / 完結 24h.ポイント:383pt お気に入り:70

淫乱お姉さん♂と甘々セックスするだけ

BL / 完結 24h.ポイント:1,093pt お気に入り:10

山に捨てられた元伯爵令嬢、隣国の王弟殿下に拾われる

恋愛 / 完結 24h.ポイント:511pt お気に入り:2,467

子供を産めない妻はいらないようです

恋愛 / 完結 24h.ポイント:9,876pt お気に入り:276

【完結】シンデレラの姉は眠れる森の騎士と偽装結婚する

恋愛 / 完結 24h.ポイント:28pt お気に入り:369

王妃となったアンゼリカ

恋愛 / 連載中 24h.ポイント:128,747pt お気に入り:7,872

処理中です...
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。

このユーザをミュートしますか?

※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。