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エピローグ
一年後
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その店は、シルクスタの首都ドーマの郊外、カノープスの街近郊にオープンした。
こじゃれた店構えに、甘い香りが立ち込める。店頭に置かれたチラシには、アクムリアの伝統的な菓子をアレンジした珍しいスイーツの絵と説明が書かれていた。
オープン前から漂う良い匂いに、近隣住民の期待は募りに募っていた。オープン初日には、予想通り長蛇の列。久しぶりの他国の品ということで、首都からも大勢の人がやってくる盛況ぶりだった。
それもそのはず、あの”血の満月”と呼ばれるクーデター勃発から一年。シルクスタは他国との国交を絶っていたからだ。輸入品は途絶え、国内の治安も荒れ、嗜好品どころではなかった。だから田舎とはいえ、他国由来の店がオープンしたことは、再び平和が訪れた象徴と捉えられた。
かつて”シルクスタの英雄”と呼ばれた男が引き起こしたとされるクーデター”血の満月”。
貴族たちの集会場。
中央医療研究所。
そして、コロッセオ。
発端は、この三ヶ所に突如として現れた三体の魔獣である。一夜のうちに現れた魔獣達により、この三ヶ所は完全に蹂躙された。
集会場の魔獣だけは、国立騎士団が多大な犠牲を払い、なんとか制圧した。残る二体は手に負えず、そのまま放置された。
二体の魔獣によりシルクスタの首都は恐慌状態に陥った。多くの人が避難したが、魔獣の出現が深夜だったこともあり、少なくない犠牲が出た。このまま、魔獣に首都が破壊しつくされるのを誰もが覚悟したその時。
かつて英雄と呼ばれた男が現れる。なんなく二体の魔獣を倒した彼の傍らには、ある男がいた。かつて、何度もクーデターを起こしながらも失敗し、戦犯として監獄に収容されていた男だ。民衆からはリベリオンと呼ばれていた。
血まみれの英雄の傍らで、リベリオンは朗々と声を張り上げた。
これは、彼の意思であると。
今こそ、貴族による共和制を打倒するときなのだと。
今こそ、民衆は立ち上がるべきなのだと。
奴隷あがりの彼が、貴族からの圧政から国民を解放すると聞いて、国内各地で大規模なデモが起こった。
首都の魔獣事件により、弱体化していた政権が瓦解するのは時間の問題だった。
そして現在、シルクスタは真の共和制国家としての体制を整えつつある。英雄を、あくまでサポートしていると主張しているリベリオンの手によって。
たった一年で、平和が訪れたのはあの英雄のおかげだと誰もが口にした。
ただ、血のクーデター以来、彼 はほとんど公の場に姿を現すことはなかったが。
一年ぶりの他国製の嗜好品を求める長蛇の列を捌くため、例の菓子屋は特別に開店初日は夜遅くまで営業した。在庫はたっぷりある。店は特別ボーナスの奮発を決め、店員は張り切り、その活気にまた行列が増え、夜遅くまで営業は続いた。
夜もふけ、さすがに来客も途絶えた頃。警備員のオットーは、立ちっぱなしで疲れた腰を、うんしょと伸ばした。さすがにそろそろ店じまいだろう。だが、長年の警備員としての経験から、閉店間際も気が抜けないことをオットーは知っていた。
最後のひと踏ん張りとばかり、入り口横で来客に圧をかけすぎないよう、鋭い視線を向ける。
ぬっと、暗がりから不審な影が現れたのはその時だった。灯りに照らされた靴は泥だらけで、服は埃にまみれている。オットーは、やれやれとため息をついた。ここカノープスの街は、冒険者とかいう粗野な連中が多い。
あまりに小汚いのをやんわりと追い返すのはオットーの大事な仕事だった。
「お客さん、すいませんけどもう⸺」
閉店なんで。
そう続ける前に、オットーはさっと懐に手を伸ばした。その金の瞳に見覚えがあったからだ。相手の男も、オットーに見覚えがあったのだろう、すぐさま踵を返す。
オットーは、取り出した笛を勢い良く吹いた。夜霧を裂く笛の音が鳴り響きこだまする。
「シウさん! ターゲットが来ましたっ!」
オットーの叫びと同時に、けたたましいベルの音が鳴り響く。火災報知器もかくやという鳴り響きようだ。
「あいつです!」
オットーが指し示す方向に、店の上に設置されていたライトがぐるりと動き、サーチライトよろしく男を照らした。
男は、眩しそうにライトに手をかざすも、変わらずライトは男を照らす。たまらず逃げる男を、ライトが追尾する。
『残念ながらその光は、魔力を使わない特別製の灯りです。さあ、ズコット隊、練習の成果を見せるときです!』
まるで拡声器をつかったような女性の声があたりに響くと同時に、大量の人影が現れた。
一体、どこにいたのか。
茂みの影。
建物の入り口。
通りの向こう。
とにかく、いろんなところから人が出てきた。みんな手に手に、投網や縄など捕獲道具を持っている。
『彼らはうちの大事な従業員なので、殺したら怒ります!』
ピシッと言われて、男は腰に伸ばした手を慌てて引っ込め、全力で走り出した。
それを、雄叫びを上げながら追う従業員たち。
『そこ、路地に逃げ込みました』
『そこはフォーメーションBで』
『北からも追い詰めてください』
一体、どこから情報を得ているのか。
的確な指示を下す声に従い、従業員たちはたちまち男を追い詰めていく。
逃げ場のなくなった男が、まるでビルの壁を走るかのごとく華麗に追手を飛び越える。
男が着地したその瞬間、地面にぽっかり穴があいた。そのまま、男は落っこちる。中は泥になっていて、男は足をとられてもう、逃げることはできない。泥の中で尻もちをつく。
『グッドです! やはり落とし穴は基本にして最強ですね』
まわりの従業員たちが、歓声をあげながらハイタッチした。みんな、口々に「追加ボーナス! 追加ボーナス!」と叫んでいる。
男が悔しげに見上げる穴の上に、一人の女性が現れた。動きやすそうな菫色のワンピースを着て、店のエプロンを身に着けている。
「シウ……」
「お久しぶりです、ゼンさん。ようこそ、いらっしゃいませ」
にっこりと、シウは一年ぶりの再会に微笑んだ。
「いろいろ試しましたが、正攻法では会えないとわかりましたので、罠をかけさせていただきました」
「俺のことは忘れ……シウっ!?」
ゼンの言葉が終わる前に、シウはぴょんと穴の中にとびこんだ。慌ててゼンは立ち上がり、シウを抱きとめる。ぬかるみに足をとられ、こらえきれずにまた尻もちをついた。
「やっと、捕まえました」
「シウ、汚れる」
「わかってます。私が仕掛けた罠ですから」
くびに抱きついてくるシウをそっと抱きしめながら、ゼンは静かに首を振る。
シウの頬に飛んだ泥を指で拭い、言葉を探す。
真っ直ぐに見つめてくる琥珀色の瞳に耐えきれず、思わず目を伏せた。
「俺は、シウを幸せにはできない」
シウは、しばらく黙ったあと後、くすくす笑い出した。ゆっくりと、ゼンの髪を撫でる。
「ゼンさんは、私を幸せにする必要なんてないですよ。私は、自分の幸せは、自分で掴むタイプですから。男性に与えられる幸せなんて興味無いです」
ひとしきり髪の感触を楽しんだあと、ゼンの頬を挟み込んで金の瞳を覗き込む。まっすぐ見つめてくる琥珀色の視線にやはり耐えきれず、ゼンはまた目を逸らした。
「俺は、シウにふさわしくない」
「私が、ゼンさんがいいんです」
「見た目だってこんなだし」
「傷跡を気にしてるんですか? 私はこれも含めて素敵だと思ってます」
困ったようにハの字になる眉を、シウは指で伸ばす。
「俺は学も教養も無い」
「それと賢さはまた別です。それに、教養なら私が持ってるので大丈夫ですよ」
「字だって、まともに読めないんだ」
「知ってます。読みたければ、私が読んであげます」
「ええっと、家もぼろぼろだし?」
「温泉付きで素敵ですけど。というか、あえて家がぼろぼろなだけで、財力も地位も名声も、めちゃくちゃありますよね?」
もう言うことがなくて、ゼンは悩んでしまった。
他に、自分のデメリットはないだろうか。
しばらく悩み、はっと気づく。
「そう、俺は人間じゃないと思う」
「知ってます。魔族が混ざってるんでしょ? ちょっとかっこいいですよね」
「えっ」
そこまで詳しくは、ゼンはしらなかった。死なないから普通と違うな、くらいにしか思っていなかった。魔族混ざっててもいいとか、もう何を言ってもシウには効かない気がする。
うーんうーんと、と考えに考え。
最後にひとつだけ、一番大事なことを思い出した。
「俺は、シウを汚してしまう」
その言葉に、初めてシウは俯いた。俯いて、唇を噛みながら、静かに呟いた。
「ゼンさんは、汚れた私はいやですか。だから、私を避けたんですか。もう、私のことは嫌いになったんですか」
思わず、ゼンはシウを強く抱きしめた。そんなわけない。そんなわけないけれど、シウにそう思われても仕方がないことを、ゼンはした。なんだか彼女を抱えていなければ、泥に沈みそうなくらいに、身体が重い。
「仕方がない人ですね。ほら、元気出して?」
囁いたシウが、ゼンの口に何かを押し当てる。口に含んだそれは、甘い飴だった。それは、過去、初めてゼンがシウに会った日の味と似ていた。
「私が、あなたがいいんです。あなたさえ嫌じゃなければ、誰に連れて行かれても、必ず追いかけて、迎えに行って、あなたを幸せにしたいんです。私はもう、昔みたいに無力じゃないんですよ」
うつむくゼンの頬を、シウは拭ってちょっともちあげる。にっこりと微笑みかけて、唇を重ねた。
一年ぶりのひどく甘いキス。最初はシウから重ねていたが、すぐにゼンからシウを求める。甘さがなくなるまで唇を重ねてから、ようやく離した。
「シウ、ずっと、会いたかった」
絞り出すように、ゼンが呟く。
泥にまみれながら、シウの瞳を真っ直ぐに見つめて、必死に言葉を紡ぐ。
言う機会など無いと知りながらも、無意識に何度も練習した言葉だった。
「シウが望むなら、俺はなるべく人も殺さない。なんでも我慢する。だから、俺のそばに生涯いてほしい」
しがみつくように、抱きしめてくるゼンの頭を、シウはぽんぽんと優しく撫でる。よく言えました、と言うように。
【完】
こじゃれた店構えに、甘い香りが立ち込める。店頭に置かれたチラシには、アクムリアの伝統的な菓子をアレンジした珍しいスイーツの絵と説明が書かれていた。
オープン前から漂う良い匂いに、近隣住民の期待は募りに募っていた。オープン初日には、予想通り長蛇の列。久しぶりの他国の品ということで、首都からも大勢の人がやってくる盛況ぶりだった。
それもそのはず、あの”血の満月”と呼ばれるクーデター勃発から一年。シルクスタは他国との国交を絶っていたからだ。輸入品は途絶え、国内の治安も荒れ、嗜好品どころではなかった。だから田舎とはいえ、他国由来の店がオープンしたことは、再び平和が訪れた象徴と捉えられた。
かつて”シルクスタの英雄”と呼ばれた男が引き起こしたとされるクーデター”血の満月”。
貴族たちの集会場。
中央医療研究所。
そして、コロッセオ。
発端は、この三ヶ所に突如として現れた三体の魔獣である。一夜のうちに現れた魔獣達により、この三ヶ所は完全に蹂躙された。
集会場の魔獣だけは、国立騎士団が多大な犠牲を払い、なんとか制圧した。残る二体は手に負えず、そのまま放置された。
二体の魔獣によりシルクスタの首都は恐慌状態に陥った。多くの人が避難したが、魔獣の出現が深夜だったこともあり、少なくない犠牲が出た。このまま、魔獣に首都が破壊しつくされるのを誰もが覚悟したその時。
かつて英雄と呼ばれた男が現れる。なんなく二体の魔獣を倒した彼の傍らには、ある男がいた。かつて、何度もクーデターを起こしながらも失敗し、戦犯として監獄に収容されていた男だ。民衆からはリベリオンと呼ばれていた。
血まみれの英雄の傍らで、リベリオンは朗々と声を張り上げた。
これは、彼の意思であると。
今こそ、貴族による共和制を打倒するときなのだと。
今こそ、民衆は立ち上がるべきなのだと。
奴隷あがりの彼が、貴族からの圧政から国民を解放すると聞いて、国内各地で大規模なデモが起こった。
首都の魔獣事件により、弱体化していた政権が瓦解するのは時間の問題だった。
そして現在、シルクスタは真の共和制国家としての体制を整えつつある。英雄を、あくまでサポートしていると主張しているリベリオンの手によって。
たった一年で、平和が訪れたのはあの英雄のおかげだと誰もが口にした。
ただ、血のクーデター以来、彼 はほとんど公の場に姿を現すことはなかったが。
一年ぶりの他国製の嗜好品を求める長蛇の列を捌くため、例の菓子屋は特別に開店初日は夜遅くまで営業した。在庫はたっぷりある。店は特別ボーナスの奮発を決め、店員は張り切り、その活気にまた行列が増え、夜遅くまで営業は続いた。
夜もふけ、さすがに来客も途絶えた頃。警備員のオットーは、立ちっぱなしで疲れた腰を、うんしょと伸ばした。さすがにそろそろ店じまいだろう。だが、長年の警備員としての経験から、閉店間際も気が抜けないことをオットーは知っていた。
最後のひと踏ん張りとばかり、入り口横で来客に圧をかけすぎないよう、鋭い視線を向ける。
ぬっと、暗がりから不審な影が現れたのはその時だった。灯りに照らされた靴は泥だらけで、服は埃にまみれている。オットーは、やれやれとため息をついた。ここカノープスの街は、冒険者とかいう粗野な連中が多い。
あまりに小汚いのをやんわりと追い返すのはオットーの大事な仕事だった。
「お客さん、すいませんけどもう⸺」
閉店なんで。
そう続ける前に、オットーはさっと懐に手を伸ばした。その金の瞳に見覚えがあったからだ。相手の男も、オットーに見覚えがあったのだろう、すぐさま踵を返す。
オットーは、取り出した笛を勢い良く吹いた。夜霧を裂く笛の音が鳴り響きこだまする。
「シウさん! ターゲットが来ましたっ!」
オットーの叫びと同時に、けたたましいベルの音が鳴り響く。火災報知器もかくやという鳴り響きようだ。
「あいつです!」
オットーが指し示す方向に、店の上に設置されていたライトがぐるりと動き、サーチライトよろしく男を照らした。
男は、眩しそうにライトに手をかざすも、変わらずライトは男を照らす。たまらず逃げる男を、ライトが追尾する。
『残念ながらその光は、魔力を使わない特別製の灯りです。さあ、ズコット隊、練習の成果を見せるときです!』
まるで拡声器をつかったような女性の声があたりに響くと同時に、大量の人影が現れた。
一体、どこにいたのか。
茂みの影。
建物の入り口。
通りの向こう。
とにかく、いろんなところから人が出てきた。みんな手に手に、投網や縄など捕獲道具を持っている。
『彼らはうちの大事な従業員なので、殺したら怒ります!』
ピシッと言われて、男は腰に伸ばした手を慌てて引っ込め、全力で走り出した。
それを、雄叫びを上げながら追う従業員たち。
『そこ、路地に逃げ込みました』
『そこはフォーメーションBで』
『北からも追い詰めてください』
一体、どこから情報を得ているのか。
的確な指示を下す声に従い、従業員たちはたちまち男を追い詰めていく。
逃げ場のなくなった男が、まるでビルの壁を走るかのごとく華麗に追手を飛び越える。
男が着地したその瞬間、地面にぽっかり穴があいた。そのまま、男は落っこちる。中は泥になっていて、男は足をとられてもう、逃げることはできない。泥の中で尻もちをつく。
『グッドです! やはり落とし穴は基本にして最強ですね』
まわりの従業員たちが、歓声をあげながらハイタッチした。みんな、口々に「追加ボーナス! 追加ボーナス!」と叫んでいる。
男が悔しげに見上げる穴の上に、一人の女性が現れた。動きやすそうな菫色のワンピースを着て、店のエプロンを身に着けている。
「シウ……」
「お久しぶりです、ゼンさん。ようこそ、いらっしゃいませ」
にっこりと、シウは一年ぶりの再会に微笑んだ。
「いろいろ試しましたが、正攻法では会えないとわかりましたので、罠をかけさせていただきました」
「俺のことは忘れ……シウっ!?」
ゼンの言葉が終わる前に、シウはぴょんと穴の中にとびこんだ。慌ててゼンは立ち上がり、シウを抱きとめる。ぬかるみに足をとられ、こらえきれずにまた尻もちをついた。
「やっと、捕まえました」
「シウ、汚れる」
「わかってます。私が仕掛けた罠ですから」
くびに抱きついてくるシウをそっと抱きしめながら、ゼンは静かに首を振る。
シウの頬に飛んだ泥を指で拭い、言葉を探す。
真っ直ぐに見つめてくる琥珀色の瞳に耐えきれず、思わず目を伏せた。
「俺は、シウを幸せにはできない」
シウは、しばらく黙ったあと後、くすくす笑い出した。ゆっくりと、ゼンの髪を撫でる。
「ゼンさんは、私を幸せにする必要なんてないですよ。私は、自分の幸せは、自分で掴むタイプですから。男性に与えられる幸せなんて興味無いです」
ひとしきり髪の感触を楽しんだあと、ゼンの頬を挟み込んで金の瞳を覗き込む。まっすぐ見つめてくる琥珀色の視線にやはり耐えきれず、ゼンはまた目を逸らした。
「俺は、シウにふさわしくない」
「私が、ゼンさんがいいんです」
「見た目だってこんなだし」
「傷跡を気にしてるんですか? 私はこれも含めて素敵だと思ってます」
困ったようにハの字になる眉を、シウは指で伸ばす。
「俺は学も教養も無い」
「それと賢さはまた別です。それに、教養なら私が持ってるので大丈夫ですよ」
「字だって、まともに読めないんだ」
「知ってます。読みたければ、私が読んであげます」
「ええっと、家もぼろぼろだし?」
「温泉付きで素敵ですけど。というか、あえて家がぼろぼろなだけで、財力も地位も名声も、めちゃくちゃありますよね?」
もう言うことがなくて、ゼンは悩んでしまった。
他に、自分のデメリットはないだろうか。
しばらく悩み、はっと気づく。
「そう、俺は人間じゃないと思う」
「知ってます。魔族が混ざってるんでしょ? ちょっとかっこいいですよね」
「えっ」
そこまで詳しくは、ゼンはしらなかった。死なないから普通と違うな、くらいにしか思っていなかった。魔族混ざっててもいいとか、もう何を言ってもシウには効かない気がする。
うーんうーんと、と考えに考え。
最後にひとつだけ、一番大事なことを思い出した。
「俺は、シウを汚してしまう」
その言葉に、初めてシウは俯いた。俯いて、唇を噛みながら、静かに呟いた。
「ゼンさんは、汚れた私はいやですか。だから、私を避けたんですか。もう、私のことは嫌いになったんですか」
思わず、ゼンはシウを強く抱きしめた。そんなわけない。そんなわけないけれど、シウにそう思われても仕方がないことを、ゼンはした。なんだか彼女を抱えていなければ、泥に沈みそうなくらいに、身体が重い。
「仕方がない人ですね。ほら、元気出して?」
囁いたシウが、ゼンの口に何かを押し当てる。口に含んだそれは、甘い飴だった。それは、過去、初めてゼンがシウに会った日の味と似ていた。
「私が、あなたがいいんです。あなたさえ嫌じゃなければ、誰に連れて行かれても、必ず追いかけて、迎えに行って、あなたを幸せにしたいんです。私はもう、昔みたいに無力じゃないんですよ」
うつむくゼンの頬を、シウは拭ってちょっともちあげる。にっこりと微笑みかけて、唇を重ねた。
一年ぶりのひどく甘いキス。最初はシウから重ねていたが、すぐにゼンからシウを求める。甘さがなくなるまで唇を重ねてから、ようやく離した。
「シウ、ずっと、会いたかった」
絞り出すように、ゼンが呟く。
泥にまみれながら、シウの瞳を真っ直ぐに見つめて、必死に言葉を紡ぐ。
言う機会など無いと知りながらも、無意識に何度も練習した言葉だった。
「シウが望むなら、俺はなるべく人も殺さない。なんでも我慢する。だから、俺のそばに生涯いてほしい」
しがみつくように、抱きしめてくるゼンの頭を、シウはぽんぽんと優しく撫でる。よく言えました、と言うように。
【完】
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素敵なお話をありがとうございます
もうひとつの所も読みました
どちらの終わりも最高でした
また読み返したくなるお話でした
背後注意ですが(´>∀<`)ゝ
ご感想、ありがとうございます!
もうひとつの結末にもご感想いただけて、とても嬉しいです!