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閑話
十日目
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虹の翼プロジェクト年次報告書。
不老不死研究の変遷。
中央医療研究所の歴史と展望。
机の上にうず高く積まれた本の横に、シウは突っ伏した。胸の奥が鉛のように重くて吐きそうだ。それでも、今までの情報を頭の中でなんとか整理する。
ゼンの身体の不思議な傷跡。
左足薬指の奇妙に切断された跡。
⸺マリーがあとで返してくれる
すぐ近くの机の木目を見ながら、唇を噛み締めた。
「奇跡なんて、どこにも無かったのね……」
知りたくなかった。
しかし、これはシウが知るべきことだった。
今さら、シウに何かできることはあるだろうか。
(結局私も、ゼンさんを利用している。同類だ)
シウがどう頑張っても、目の前の風景が歪むのだった。
◇
陽射しは穏やかで。
特に不穏な気配もなく。
シウはなかなか戻ってこないし。
手元の本は、選択をミスってゼンには難しい。
四拍子そろったため、ゼンは子供用の図書館で、膝に開きっばなしの本を乗せたままベンチでうとうとしていた。
ふと射す影に、目をこすりながら顔をあげて驚愕した。
すぐそこにシウが立っていた。
ぼろぼろ泣いている。
(なんで!? …………………………俺が寝てたから!?)
慌てて立ち上がったはずみに、膝の上の本が落ちる。本を拾いながら、シウにどう声をかけようか、ゼンはおろおろした。
ちゃんと本を読まなくて失望させてしまったのか。
ちゃんと護衛の仕事をしてなくて落胆させてしまったのか。
どちらもありそうだし、どちらにしてもゼンのせいだ。
「シウ、ごめん」
しどろもどろのゼンに、シウは首を振る。そのはずみでまた、シウの目から涙がこぼれた。
「ゼンさんは、何も悪くないです」
その言葉に、ゼンはなおさら混乱しながら、とりあえずシウを抱きしめる。
遠くでちびっこが、あーあみたいな雰囲気でゼンの方を指さしてくるものだから、ゼンも少し泣きたくなった。
◇
家に帰っても、シウはひどく落ち込んでいて、ずっとゼンにしがみついて離れなかった。理由は、何度聞いても教えてくれない。
家に帰る前、「少し計画を変更します」と言って、シウはなぜかマリーの診療所を訪れた。それも、シウの落ち込みの一因かもしれない。ゼンはシウに言われて診療室の外で待っていたので、マリーとシウの間でどんなやり取りがあったかはわからない。何か不穏な空気があればすぐに飛び込もうと身構えていたがそんなことはなく、静かなものだった。それでも、部屋から出てきたシウはかなり怖い顔をしていて、ゼンはまたも内心おろおろした。
とりあえず、腰にシウをしがみつかせたまま、ゼンはキッチンで湯を沸かす。戸棚から茶葉を出し、シウのために茶を淹れる。
ぐすぐすしているシウを椅子に座らせようとするも離れないので、ゼンが椅子に座って、シウを膝に乗せた。
シウが涙をふきふき茶を口に運ぶのを、ゼンは緊張した面持ちで眺める。
一口飲んで、シウは叫んだ。
「このお茶、パーエンブランドのファーストフラッシュじゃないですか!」
ゼンはびくつき、膝の上のシウは軽く跳ねた。シウは跳ねつつも、ぱっとゼンの膝の上から降りて、すぐに戸棚の茶葉を取り出す。
「戸棚じゃなくて、ちゃんと氷冷機構の手前の方に置いとかないと! ああっ、袋の口がちょっと開いてる!」
これは緊急事態とばかりに、シウはきゅっと袋の口をしめ、空気を抜く。さきほどの涙はどこへやら、お茶の袋のラベルをじっくり読み、茶葉を目を細めて眺め、冷暗所に仕舞う。
「管理方法はともかく、こんなに良いお茶を置いてるとか、さすが甘いものが好きなだけありますね。これ、私も大好きなんですよ」
「うん、知ってる」
アステリズムで試食している時に、シウがゼンにお茶を淹れてくれたことがあった。その時に、パーエンブランドという名をシウが口にしていたのだ。ゼンはその足で、首都の紅茶店に行き、同じ物を買い求めた。いつものように高級そうな店頭で門前払いされかけたので、ダメ元で黒バッジを見せたところ、どうぞどうぞと奥のVIPルームに案内され、あれこれ飲まされた挙句、「うちで一番いいやつです!」と出てきたものが、さきほどの茶葉だった。
お茶を淹れてくれるシウの手つきを思い出しながら練習を重ね、それなりに上手に入れられるようになるまで数週間かかったのが懐かしい。あの時には、まさかシウに茶をふるまう機会があるとは夢にも思っていなかった。
茶葉の救出が終わったシウは、またゼンの膝の上に戻ってきて、ゼンの顔をじっと見る。じんわりと琥珀色の瞳がまた潤み始めた。涙はひっこんだのかと思ったが、そうでもなかったようだ。
(もしかして俺が、泣かせてるのかな)
不安な気持ちを押さえ込み、シウの頭をなで、もう一度お茶をすすめた。少しでも落ち着くように、背中を撫でておく。
お茶を飲み終わる頃には少し落ち着いたのか、シウはぼんやりとカップの底を見つめている。そして、おもむろに切り出した。
「ゼンさんは、この国が好きですか。ここでずっと暮らしたいですか」
ゼンは小さく首を振る。
すでに自由の身であるゼンがこの国にいるのは、シウがいるからだ。この国自体は、むしろ嫌いだった。
わかりました、と小さくつぶやき、シウはゼンの方に向き直る。ゼンの頬を両手で挟み込み、思い詰めたように金の瞳をまっすぐのぞき込む。
(泣いたあとでも、シウはかわいいな)
シウの手のひらの温かさや、その瞳に映る自身の影に、ゼンはいつものように見惚れた。ふいにキスしたくなるのを、ぐっと堪える。
そんな、浮ついたゼンの気持ちは、シウの次の台詞で吹き飛んだ。
「私の本当の婚約者になって、私のそばに生涯いてくれませんか。婚約者がいやなら、一緒にアクムリアに来てくれるだけでもいいです。ゼンさんの生活は、私が保障しますから」
一瞬、言葉の意味がよくわからなくて、きょとんとした後、時間差でシウが何を言っているのか、ようやくゼンは理解した。
シウの申し出は、ゼンにとって強烈に魅力的だった。
何度も夢想したといっても過言ではない。
(本当に、シウとずっと一緒にいられる……?)
昨日読んだ本を思い出す。
めでたしめでたし。二人末永く幸せに暮らしました。
末永く、幸せに。
ゼンはシウがいるだけで嬉しい。きっとそれが幸せなのだろう。
ふと、疑問が湧いた。
(じゃあ、シウは? シウの幸せって、なんだろう)
ゼンの思考を遮って、玄関の扉をダンダンと叩く音がした。
「ちわあっす! 隊長、仕事の時間ですよ……って、シウさん泣いてる!? なにごと!」
ヒバが、がちゃりと扉を開けて入ってくる。ノックはしたものの、躊躇なく扉を開けるところは変わらない。
ヒバの出現に、慌ててゼンの膝から降りようとするシウをゼンは抱きしめた。引き寄せたシウの肩に、顔を埋める。正直、ゼンは魔獣狩りよりシウと一緒に過ごしたい。今日はどこにも行きたくなかった。
「隊長……? もう前から三日経ってますけど、もしかしてまたなんか殺して鬱憤払ってました?」
ちらりと、ヒバがシウを見る。シウしか眼中にないゼンより、よっぽどコミュニケーション可能だ。
ヒバの問いかけに、シウは首を振る。この三日間、シウが知る限り、ゼンは誰も殺していない。
「私は今日はお留守番してるので、あとでまたお返事聞かせてくださいね」
しがみついてくるゼンの髪を撫で、シウは耳元で囁く。
「もし、私と一緒に来てくれるなら、魔獣狩りのメンバーの方にもお別れの挨拶しないと。ね?」
シウに促されて、しぶしぶゼンは顔を上げた。
◇
魔獣狩りもつつがなく終わり、現場は戦闘後の高揚感と、ひと仕事終えた達成感に包まれている。
解散直前、全員が集まったタイミングで、勢いよく手をあげたのはヒバだった。
「そろそろ故郷に帰るので、俺は今日で最後になります」
お世話になりましたあ!と頭を下げるヒバに労いの拍手が湧き上がる。
他に申し伝えはありませんかーという言葉に、ゼンが手をあげた。滅多に発言しない、と言うかこんな事務連絡の場など今まで興味ゼロだった組織トップの挙手に、場はざわめいた。
さらに続くゼンの言葉に、驚愕のどよめきに変わる。
「俺も、今日で最後にする」
あちらこちらから、野太い悲鳴があがる。
「聞いてませんよー!」
「隊長いなくなったら、魔獣倒せませんよ!?」
「いきなりとか無責任な!」
その言葉の多くは、ゼンを責めるものだった。その声を無視して、ゼンは踵を返す。ゼンとしては、言っただけ偉いくらいに思っていたが、彼らにとっては違ったらしい。
「ちょっと待ってください!」
今まで、場を取り仕切っていた男がゼンの前に立ちはだかる。苦虫を噛み潰したように表情は険しい。
「みんな、あなたがいるからここで戦ってるんですよ。あなたがいなくなったら、この先どうすればいいんですか」
ゼンは、静かにため息をついた。
望まぬ責任も。
不要な羨望も。
ゼンにとっては心の底からどうでもよかった。
この場の誰一人として、ゼンは求めていない。
ゼンが欲しいのは、シウただ一人。
「ヒバ、俺の後ろに下がれ」
それだけいうと、ゼンは腰の刀に手をかける。
底冷えのする殺気があたりを重く包む。
一瞬にして、あたりが緊迫に包まれた。
改めてその場にいた者たちは思い出した。
今まで味方だと思っていた男。
なんなく魔獣を屠ってきた男。
彼が、人間を殺すプロ中のプロだということを。
「ちょ、ちょ、ちょっと待ってくださいよ! 隊長、変なこと考えてないっすよね!?」
蛙に睨まれた蛇のように誰も動けないその中で、唯一、ゼンの前に飛び出して両手を広げたのはヒバだった。
ゼンは殺気を向けた相手を必ず殺す。そのことを、ヒバはよく知っていた。殺しについては、判断も実行も異様に早いのだ。
「下がれ、ヒバ。お前だけは殺さない」
ぎろりと金の瞳で睨まれて、ヒバは震え上がりながらも声を張り上げる。絶対にゼンに殺されないという確信が、ヒバを支えていた。つまり、今この場を無難におさめることができるのはヒバだけだ。頭をフル回転させて、ゼンに刺さる言葉を探す。
「こんな、こんなふうに人を殺しちゃったら、シウさんがどう思うか、考えたことありますか!? あの子は普通の子ですよ!」
ヒバの渾身の一言は、見事にゼンに刺さった。というか、シウを出して刺さらないはずがない。
シウがどう思っているか。
それについては、ゼンは今まであまり深く考えていなかった。
それほどまでに、ゼンにとって人を殺すことは日常だったから。
なんの感傷もなく、それが必要だったから、作業として殺してきた。
「普通の人間は、隊長みたいには人を殺さないんですよ!」
ゼンは今まで、シウの前で人を殺した時のことを思い出す。
そのたびに、彼女は暗い瞳をしていなかったか。
ゆっくりと首を振り、抜きかけた刀を鞘に納める。
(シウに、今すぐ会いたい)
強烈に焦がれる想いが胸を焼く。
戦闘後の高揚感も相まって、今すぐ彼女の肌に触れたい。
シウが、ゼンを受け入れてくれることを確かめたかった。
殺気を引っ込めたゼンに、その場にいた者はみな胸をなでおろした。中には座り込む者もいる。
彼らには目をくれず、ヒバだけをちらりと見て、ゼンはその場をあとにした。
◇
荒く息を吐きながら、家の扉を開ける。シウの姿が見えなくて、一瞬焦った。荒々しく奥の部屋の戸を開けると、待ちくたびれたのかシウがうたた寝をしていた。もう風呂は済ませたらしい。寝間着を着て、すやすや寝息をたてている。
「シウ、ただいま。帰ったよ」
声をかけても、起きる気配はない。
とにかく彼女に触れたかった。
その服を脱がせて、白い肌に指を埋めたい。
伸ばした手が魔獣の血で汚れていることに気づき、ゼンは慌ててひっこめる。
かろうじて残っている理性をフル稼働させて風呂にはいると、身体を拭くのもそこそこに、裸にバスタオルを羽織り、すぐにシウのもとへ行く。
「ん……シウ、シウ」
眠る少女に覆いかぶさり、可憐な唇に何度も口づける。すぐにキスは深さを増した。
しかし、なかなかシウは目覚めない。時間的には随分と深夜だ。眠りが深いのかもしれない。
キスしながら、服の上からおっぱいを揉みしだく。シウの頬に、こめかみに、夢中でキスして、ふと気づいた。
シウの目尻がまだずいぶんと腫れている。きっと、ゼンがいない間も、たくさん泣いて、泣き疲れて寝てしまったのだろう。
一度大きく深呼吸して、ゼンは自分の左腕にきつく噛みついた。その痛みに意識を集中しながら、シウから少し離れる。ポタポタ落ちる血を気にも留めず、震える手で服を着た。
シウの横にごろりと横になり、眠る身体を抱きしめる。先ほどのように欲望はこめないよう細心の注意を払う。ふーふー息を吐いてなんとか興奮を抑えようとするも、一度起き上がった熱はなかなか鎮まらない。
(我慢……シウが好きなら、たぶん、ここは我慢が正解)
腕の中の重みが、暖かさが、柔らかさが、魅力的で仕方ない。組み伏せて、思う存分むさぼりたくなるのを必死で堪えた。
震える声で、眠るシウに向けて言葉を紡ぐ。後でまた、シウが起きたら伝えられるよう、何度も練習する。朝一番に、ちゃんと返事をするつもりだった。
「シウが望むなら、俺はなるべく人も殺さない。こうやって我慢もできる。だから、俺をシウのそばに⸺」
何度、練習してもうまく言えない。大事なところでどうしても詰まる。
そうこうしているうちに、少しずつ興奮もおさまり、睡魔がやってきた。
眠りに落ちる寸前、ふと、ヒバの言葉を思い出した。
⸺普通の人間は、隊長みたいには人を殺さないんですよ
(普通じゃない俺に、シウをちゃんと幸せにできるんだろうか)
よぎる不安を、なんとか心の奥底に押さえ込んだ。
◇
肌に触れる感触と、ひそやかな水音にゼンの意識が浮上する。身体の上にのる温かな重みが心地よくて抱きしめる。
目を開ければ、すぐそこに琥珀色の瞳があった。半分ねぼけた頭で、唇に触れる柔らかい気持ちよさに目を細める。
「おはようございます、ゼンさん」
唇をゼンのそれに押し当てたまま、シウが朝の挨拶をしてくる。
「おはよ……んん」
ゼンが挨拶の言葉を言い終える前に、シウはまた唇を重ねた。仰向けのゼンはの上にまたがり、蕩けた瞳でゼンの唇を啄んでいく。
(幸せすぎて泣きそう)
こっそり感動に震えつつ、ゼンはシウのキスに応える。くわえて、下からシウのおっぱいを服の上から両手で揉んだ。揉みあげるたびに、鼻にかかった吐息が唇の合間から漏れる。腹の上で少しシウが腰を揺らす振動が、ゼンの欲望を刺激した。
「昨日は、寝ちゃってごめんなさい。もしかして我慢してくれてました?」
返事の代わりに、服の上からシウの乳首を探り当て、親指でくりくり刺激する。
「あ……ん……気持ちいい。もっとしてほしいです」
シウの胸元のボタンを外せば、あらわになった白い肌が眩しい。柔らかなふくらみに触れ、その尖端を指でつまんだ。
「や……力が抜けちゃう」
屈んだシウの肩を引き寄せ、頬張るようにおっぱいを甘く噛む。乳首をつまんで揺らしながら、膨らみの麓に赤い跡をいくつも刻んだ。
「だめ、です。ドレス着たときに、見えちゃう」
おっぱいを咥えたまま、ゼンはシウの身体を抱きかかえるようにして身体を起こし、ぐるりと体勢を入れ替えた。シウの足を左右に開き、その間に身体を押し込んで、すでに硬くなった己の欲望を押し当てる。
軽く何度もふくらみを揺らすようにキスしたあと、その谷間、外側から見えるかどうかギリギリのところに、わざと派手に跡をつけた。
「もう、だめだって言ったのに、なんでつけちゃうんですか」
すみませんの気持ちを込めて、シウの唇にキスする。たどるように頬に、耳に、耳たぶに唇を押し当てた。
「シウが俺のだってわかるように」
真っ赤に染まる耳に、もう一度キスして、シウの服をすべて脱がせる。ゼン自身ももどかしげに服をすべて脱ぎ、身体をぴったりくっつけてシウを抱きしめる。唇も、胸も、腹も、太ももも、すべて隙間なくくっつけ、全身でシウの存在を感じる。
体重をかけすぎないよう気をつけながら、少し身体をずらして太ももの間に、固く勃ちあがったものを挟み込む。
揺らすたびに、少しずつ水音が増していく。少し角度を変えてゆっくりとシウの入り口に押し当てれば、唇の下からくぐもった声がした。
「今日も、いっぱい、なかにください」
ねだられるままに、すでに潤いきったシウの中に挿れる。相変わらずきつく絞め上げられると同時に、蘇る昨夜の昂りが身を苛み、思わず乱暴に真奥を突いた。
「やあっ……あんっ……それ、好き」
気持ちよさそうなシウの声に合わせて、何度も彼女の身体を堪能する。きつく震える奥をこじあけて、シウのなかに己の欲望を放つ。ここ毎日、ゼンは彼女の中をあふれるほど満たしていた。
肩で息をしながら、こつんと額を、シウのそれにあてる。潤みきった琥珀色の瞳を覗き込む頬を両手で挟み込んで、目尻を親指で撫でた。
「ゼン、さん……?」
気だるげに見上げてくる瞳の愛おしさに、知らず笑みが溢れる。
「シウ、かわいい。好き」
「私も、大好きです」
シウの返事に初めて、ゼンは心の声を口にしていたことに気づいた。慣れない恥ずかしさに顔が熱くなり、どうしていいかわからず、とりあえずシウをきつく抱きしめた。
不老不死研究の変遷。
中央医療研究所の歴史と展望。
机の上にうず高く積まれた本の横に、シウは突っ伏した。胸の奥が鉛のように重くて吐きそうだ。それでも、今までの情報を頭の中でなんとか整理する。
ゼンの身体の不思議な傷跡。
左足薬指の奇妙に切断された跡。
⸺マリーがあとで返してくれる
すぐ近くの机の木目を見ながら、唇を噛み締めた。
「奇跡なんて、どこにも無かったのね……」
知りたくなかった。
しかし、これはシウが知るべきことだった。
今さら、シウに何かできることはあるだろうか。
(結局私も、ゼンさんを利用している。同類だ)
シウがどう頑張っても、目の前の風景が歪むのだった。
◇
陽射しは穏やかで。
特に不穏な気配もなく。
シウはなかなか戻ってこないし。
手元の本は、選択をミスってゼンには難しい。
四拍子そろったため、ゼンは子供用の図書館で、膝に開きっばなしの本を乗せたままベンチでうとうとしていた。
ふと射す影に、目をこすりながら顔をあげて驚愕した。
すぐそこにシウが立っていた。
ぼろぼろ泣いている。
(なんで!? …………………………俺が寝てたから!?)
慌てて立ち上がったはずみに、膝の上の本が落ちる。本を拾いながら、シウにどう声をかけようか、ゼンはおろおろした。
ちゃんと本を読まなくて失望させてしまったのか。
ちゃんと護衛の仕事をしてなくて落胆させてしまったのか。
どちらもありそうだし、どちらにしてもゼンのせいだ。
「シウ、ごめん」
しどろもどろのゼンに、シウは首を振る。そのはずみでまた、シウの目から涙がこぼれた。
「ゼンさんは、何も悪くないです」
その言葉に、ゼンはなおさら混乱しながら、とりあえずシウを抱きしめる。
遠くでちびっこが、あーあみたいな雰囲気でゼンの方を指さしてくるものだから、ゼンも少し泣きたくなった。
◇
家に帰っても、シウはひどく落ち込んでいて、ずっとゼンにしがみついて離れなかった。理由は、何度聞いても教えてくれない。
家に帰る前、「少し計画を変更します」と言って、シウはなぜかマリーの診療所を訪れた。それも、シウの落ち込みの一因かもしれない。ゼンはシウに言われて診療室の外で待っていたので、マリーとシウの間でどんなやり取りがあったかはわからない。何か不穏な空気があればすぐに飛び込もうと身構えていたがそんなことはなく、静かなものだった。それでも、部屋から出てきたシウはかなり怖い顔をしていて、ゼンはまたも内心おろおろした。
とりあえず、腰にシウをしがみつかせたまま、ゼンはキッチンで湯を沸かす。戸棚から茶葉を出し、シウのために茶を淹れる。
ぐすぐすしているシウを椅子に座らせようとするも離れないので、ゼンが椅子に座って、シウを膝に乗せた。
シウが涙をふきふき茶を口に運ぶのを、ゼンは緊張した面持ちで眺める。
一口飲んで、シウは叫んだ。
「このお茶、パーエンブランドのファーストフラッシュじゃないですか!」
ゼンはびくつき、膝の上のシウは軽く跳ねた。シウは跳ねつつも、ぱっとゼンの膝の上から降りて、すぐに戸棚の茶葉を取り出す。
「戸棚じゃなくて、ちゃんと氷冷機構の手前の方に置いとかないと! ああっ、袋の口がちょっと開いてる!」
これは緊急事態とばかりに、シウはきゅっと袋の口をしめ、空気を抜く。さきほどの涙はどこへやら、お茶の袋のラベルをじっくり読み、茶葉を目を細めて眺め、冷暗所に仕舞う。
「管理方法はともかく、こんなに良いお茶を置いてるとか、さすが甘いものが好きなだけありますね。これ、私も大好きなんですよ」
「うん、知ってる」
アステリズムで試食している時に、シウがゼンにお茶を淹れてくれたことがあった。その時に、パーエンブランドという名をシウが口にしていたのだ。ゼンはその足で、首都の紅茶店に行き、同じ物を買い求めた。いつものように高級そうな店頭で門前払いされかけたので、ダメ元で黒バッジを見せたところ、どうぞどうぞと奥のVIPルームに案内され、あれこれ飲まされた挙句、「うちで一番いいやつです!」と出てきたものが、さきほどの茶葉だった。
お茶を淹れてくれるシウの手つきを思い出しながら練習を重ね、それなりに上手に入れられるようになるまで数週間かかったのが懐かしい。あの時には、まさかシウに茶をふるまう機会があるとは夢にも思っていなかった。
茶葉の救出が終わったシウは、またゼンの膝の上に戻ってきて、ゼンの顔をじっと見る。じんわりと琥珀色の瞳がまた潤み始めた。涙はひっこんだのかと思ったが、そうでもなかったようだ。
(もしかして俺が、泣かせてるのかな)
不安な気持ちを押さえ込み、シウの頭をなで、もう一度お茶をすすめた。少しでも落ち着くように、背中を撫でておく。
お茶を飲み終わる頃には少し落ち着いたのか、シウはぼんやりとカップの底を見つめている。そして、おもむろに切り出した。
「ゼンさんは、この国が好きですか。ここでずっと暮らしたいですか」
ゼンは小さく首を振る。
すでに自由の身であるゼンがこの国にいるのは、シウがいるからだ。この国自体は、むしろ嫌いだった。
わかりました、と小さくつぶやき、シウはゼンの方に向き直る。ゼンの頬を両手で挟み込み、思い詰めたように金の瞳をまっすぐのぞき込む。
(泣いたあとでも、シウはかわいいな)
シウの手のひらの温かさや、その瞳に映る自身の影に、ゼンはいつものように見惚れた。ふいにキスしたくなるのを、ぐっと堪える。
そんな、浮ついたゼンの気持ちは、シウの次の台詞で吹き飛んだ。
「私の本当の婚約者になって、私のそばに生涯いてくれませんか。婚約者がいやなら、一緒にアクムリアに来てくれるだけでもいいです。ゼンさんの生活は、私が保障しますから」
一瞬、言葉の意味がよくわからなくて、きょとんとした後、時間差でシウが何を言っているのか、ようやくゼンは理解した。
シウの申し出は、ゼンにとって強烈に魅力的だった。
何度も夢想したといっても過言ではない。
(本当に、シウとずっと一緒にいられる……?)
昨日読んだ本を思い出す。
めでたしめでたし。二人末永く幸せに暮らしました。
末永く、幸せに。
ゼンはシウがいるだけで嬉しい。きっとそれが幸せなのだろう。
ふと、疑問が湧いた。
(じゃあ、シウは? シウの幸せって、なんだろう)
ゼンの思考を遮って、玄関の扉をダンダンと叩く音がした。
「ちわあっす! 隊長、仕事の時間ですよ……って、シウさん泣いてる!? なにごと!」
ヒバが、がちゃりと扉を開けて入ってくる。ノックはしたものの、躊躇なく扉を開けるところは変わらない。
ヒバの出現に、慌ててゼンの膝から降りようとするシウをゼンは抱きしめた。引き寄せたシウの肩に、顔を埋める。正直、ゼンは魔獣狩りよりシウと一緒に過ごしたい。今日はどこにも行きたくなかった。
「隊長……? もう前から三日経ってますけど、もしかしてまたなんか殺して鬱憤払ってました?」
ちらりと、ヒバがシウを見る。シウしか眼中にないゼンより、よっぽどコミュニケーション可能だ。
ヒバの問いかけに、シウは首を振る。この三日間、シウが知る限り、ゼンは誰も殺していない。
「私は今日はお留守番してるので、あとでまたお返事聞かせてくださいね」
しがみついてくるゼンの髪を撫で、シウは耳元で囁く。
「もし、私と一緒に来てくれるなら、魔獣狩りのメンバーの方にもお別れの挨拶しないと。ね?」
シウに促されて、しぶしぶゼンは顔を上げた。
◇
魔獣狩りもつつがなく終わり、現場は戦闘後の高揚感と、ひと仕事終えた達成感に包まれている。
解散直前、全員が集まったタイミングで、勢いよく手をあげたのはヒバだった。
「そろそろ故郷に帰るので、俺は今日で最後になります」
お世話になりましたあ!と頭を下げるヒバに労いの拍手が湧き上がる。
他に申し伝えはありませんかーという言葉に、ゼンが手をあげた。滅多に発言しない、と言うかこんな事務連絡の場など今まで興味ゼロだった組織トップの挙手に、場はざわめいた。
さらに続くゼンの言葉に、驚愕のどよめきに変わる。
「俺も、今日で最後にする」
あちらこちらから、野太い悲鳴があがる。
「聞いてませんよー!」
「隊長いなくなったら、魔獣倒せませんよ!?」
「いきなりとか無責任な!」
その言葉の多くは、ゼンを責めるものだった。その声を無視して、ゼンは踵を返す。ゼンとしては、言っただけ偉いくらいに思っていたが、彼らにとっては違ったらしい。
「ちょっと待ってください!」
今まで、場を取り仕切っていた男がゼンの前に立ちはだかる。苦虫を噛み潰したように表情は険しい。
「みんな、あなたがいるからここで戦ってるんですよ。あなたがいなくなったら、この先どうすればいいんですか」
ゼンは、静かにため息をついた。
望まぬ責任も。
不要な羨望も。
ゼンにとっては心の底からどうでもよかった。
この場の誰一人として、ゼンは求めていない。
ゼンが欲しいのは、シウただ一人。
「ヒバ、俺の後ろに下がれ」
それだけいうと、ゼンは腰の刀に手をかける。
底冷えのする殺気があたりを重く包む。
一瞬にして、あたりが緊迫に包まれた。
改めてその場にいた者たちは思い出した。
今まで味方だと思っていた男。
なんなく魔獣を屠ってきた男。
彼が、人間を殺すプロ中のプロだということを。
「ちょ、ちょ、ちょっと待ってくださいよ! 隊長、変なこと考えてないっすよね!?」
蛙に睨まれた蛇のように誰も動けないその中で、唯一、ゼンの前に飛び出して両手を広げたのはヒバだった。
ゼンは殺気を向けた相手を必ず殺す。そのことを、ヒバはよく知っていた。殺しについては、判断も実行も異様に早いのだ。
「下がれ、ヒバ。お前だけは殺さない」
ぎろりと金の瞳で睨まれて、ヒバは震え上がりながらも声を張り上げる。絶対にゼンに殺されないという確信が、ヒバを支えていた。つまり、今この場を無難におさめることができるのはヒバだけだ。頭をフル回転させて、ゼンに刺さる言葉を探す。
「こんな、こんなふうに人を殺しちゃったら、シウさんがどう思うか、考えたことありますか!? あの子は普通の子ですよ!」
ヒバの渾身の一言は、見事にゼンに刺さった。というか、シウを出して刺さらないはずがない。
シウがどう思っているか。
それについては、ゼンは今まであまり深く考えていなかった。
それほどまでに、ゼンにとって人を殺すことは日常だったから。
なんの感傷もなく、それが必要だったから、作業として殺してきた。
「普通の人間は、隊長みたいには人を殺さないんですよ!」
ゼンは今まで、シウの前で人を殺した時のことを思い出す。
そのたびに、彼女は暗い瞳をしていなかったか。
ゆっくりと首を振り、抜きかけた刀を鞘に納める。
(シウに、今すぐ会いたい)
強烈に焦がれる想いが胸を焼く。
戦闘後の高揚感も相まって、今すぐ彼女の肌に触れたい。
シウが、ゼンを受け入れてくれることを確かめたかった。
殺気を引っ込めたゼンに、その場にいた者はみな胸をなでおろした。中には座り込む者もいる。
彼らには目をくれず、ヒバだけをちらりと見て、ゼンはその場をあとにした。
◇
荒く息を吐きながら、家の扉を開ける。シウの姿が見えなくて、一瞬焦った。荒々しく奥の部屋の戸を開けると、待ちくたびれたのかシウがうたた寝をしていた。もう風呂は済ませたらしい。寝間着を着て、すやすや寝息をたてている。
「シウ、ただいま。帰ったよ」
声をかけても、起きる気配はない。
とにかく彼女に触れたかった。
その服を脱がせて、白い肌に指を埋めたい。
伸ばした手が魔獣の血で汚れていることに気づき、ゼンは慌ててひっこめる。
かろうじて残っている理性をフル稼働させて風呂にはいると、身体を拭くのもそこそこに、裸にバスタオルを羽織り、すぐにシウのもとへ行く。
「ん……シウ、シウ」
眠る少女に覆いかぶさり、可憐な唇に何度も口づける。すぐにキスは深さを増した。
しかし、なかなかシウは目覚めない。時間的には随分と深夜だ。眠りが深いのかもしれない。
キスしながら、服の上からおっぱいを揉みしだく。シウの頬に、こめかみに、夢中でキスして、ふと気づいた。
シウの目尻がまだずいぶんと腫れている。きっと、ゼンがいない間も、たくさん泣いて、泣き疲れて寝てしまったのだろう。
一度大きく深呼吸して、ゼンは自分の左腕にきつく噛みついた。その痛みに意識を集中しながら、シウから少し離れる。ポタポタ落ちる血を気にも留めず、震える手で服を着た。
シウの横にごろりと横になり、眠る身体を抱きしめる。先ほどのように欲望はこめないよう細心の注意を払う。ふーふー息を吐いてなんとか興奮を抑えようとするも、一度起き上がった熱はなかなか鎮まらない。
(我慢……シウが好きなら、たぶん、ここは我慢が正解)
腕の中の重みが、暖かさが、柔らかさが、魅力的で仕方ない。組み伏せて、思う存分むさぼりたくなるのを必死で堪えた。
震える声で、眠るシウに向けて言葉を紡ぐ。後でまた、シウが起きたら伝えられるよう、何度も練習する。朝一番に、ちゃんと返事をするつもりだった。
「シウが望むなら、俺はなるべく人も殺さない。こうやって我慢もできる。だから、俺をシウのそばに⸺」
何度、練習してもうまく言えない。大事なところでどうしても詰まる。
そうこうしているうちに、少しずつ興奮もおさまり、睡魔がやってきた。
眠りに落ちる寸前、ふと、ヒバの言葉を思い出した。
⸺普通の人間は、隊長みたいには人を殺さないんですよ
(普通じゃない俺に、シウをちゃんと幸せにできるんだろうか)
よぎる不安を、なんとか心の奥底に押さえ込んだ。
◇
肌に触れる感触と、ひそやかな水音にゼンの意識が浮上する。身体の上にのる温かな重みが心地よくて抱きしめる。
目を開ければ、すぐそこに琥珀色の瞳があった。半分ねぼけた頭で、唇に触れる柔らかい気持ちよさに目を細める。
「おはようございます、ゼンさん」
唇をゼンのそれに押し当てたまま、シウが朝の挨拶をしてくる。
「おはよ……んん」
ゼンが挨拶の言葉を言い終える前に、シウはまた唇を重ねた。仰向けのゼンはの上にまたがり、蕩けた瞳でゼンの唇を啄んでいく。
(幸せすぎて泣きそう)
こっそり感動に震えつつ、ゼンはシウのキスに応える。くわえて、下からシウのおっぱいを服の上から両手で揉んだ。揉みあげるたびに、鼻にかかった吐息が唇の合間から漏れる。腹の上で少しシウが腰を揺らす振動が、ゼンの欲望を刺激した。
「昨日は、寝ちゃってごめんなさい。もしかして我慢してくれてました?」
返事の代わりに、服の上からシウの乳首を探り当て、親指でくりくり刺激する。
「あ……ん……気持ちいい。もっとしてほしいです」
シウの胸元のボタンを外せば、あらわになった白い肌が眩しい。柔らかなふくらみに触れ、その尖端を指でつまんだ。
「や……力が抜けちゃう」
屈んだシウの肩を引き寄せ、頬張るようにおっぱいを甘く噛む。乳首をつまんで揺らしながら、膨らみの麓に赤い跡をいくつも刻んだ。
「だめ、です。ドレス着たときに、見えちゃう」
おっぱいを咥えたまま、ゼンはシウの身体を抱きかかえるようにして身体を起こし、ぐるりと体勢を入れ替えた。シウの足を左右に開き、その間に身体を押し込んで、すでに硬くなった己の欲望を押し当てる。
軽く何度もふくらみを揺らすようにキスしたあと、その谷間、外側から見えるかどうかギリギリのところに、わざと派手に跡をつけた。
「もう、だめだって言ったのに、なんでつけちゃうんですか」
すみませんの気持ちを込めて、シウの唇にキスする。たどるように頬に、耳に、耳たぶに唇を押し当てた。
「シウが俺のだってわかるように」
真っ赤に染まる耳に、もう一度キスして、シウの服をすべて脱がせる。ゼン自身ももどかしげに服をすべて脱ぎ、身体をぴったりくっつけてシウを抱きしめる。唇も、胸も、腹も、太ももも、すべて隙間なくくっつけ、全身でシウの存在を感じる。
体重をかけすぎないよう気をつけながら、少し身体をずらして太ももの間に、固く勃ちあがったものを挟み込む。
揺らすたびに、少しずつ水音が増していく。少し角度を変えてゆっくりとシウの入り口に押し当てれば、唇の下からくぐもった声がした。
「今日も、いっぱい、なかにください」
ねだられるままに、すでに潤いきったシウの中に挿れる。相変わらずきつく絞め上げられると同時に、蘇る昨夜の昂りが身を苛み、思わず乱暴に真奥を突いた。
「やあっ……あんっ……それ、好き」
気持ちよさそうなシウの声に合わせて、何度も彼女の身体を堪能する。きつく震える奥をこじあけて、シウのなかに己の欲望を放つ。ここ毎日、ゼンは彼女の中をあふれるほど満たしていた。
肩で息をしながら、こつんと額を、シウのそれにあてる。潤みきった琥珀色の瞳を覗き込む頬を両手で挟み込んで、目尻を親指で撫でた。
「ゼン、さん……?」
気だるげに見上げてくる瞳の愛おしさに、知らず笑みが溢れる。
「シウ、かわいい。好き」
「私も、大好きです」
シウの返事に初めて、ゼンは心の声を口にしていたことに気づいた。慣れない恥ずかしさに顔が熱くなり、どうしていいかわからず、とりあえずシウをきつく抱きしめた。
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