【R18】万聖節前夜~悪魔が人間の男の子を拾ったと思ったら、実は天使でした

てへぺろ

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10.狂宴のあと

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 早朝のまぶしさに照らされた狂宴の跡。
 すでに淫蕩な熱は遠く、冷えてこびりついた体液の跡や、全裸で転がる人間達が朝靄けぶる中に散在する。一匹の蝿が耳障りな羽音とともに、色褪せた残滓に止まり羽を震わせた。

 間の抜けた静寂の中、腰が抜けたようにへたりこんで、ルカは目をまんまるにして目の前の人物を見上げる。

 そこには、さっきまで一緒にいた人間の男の子の代わりに、彼の面影をわずかに残す天使が一人、たたずんでいた。年齢は人間でいえば二十代前半くらいだろうか。あの黒髪の男の子よりずっと年上に見える。

 ふわふわした短い蜂蜜色の髪を、夜の冷たさを残す風が静かに揺らす。澄み切った浅瀬の海を思わせる鮮やかなエメラルドの瞳は、狂乱のなごりを不機嫌そうに見つめていた。

「セ、フィ?」

 小さく震えるルカの声に、ぱっと天使が振り向く。弾みで真っ白な翼が小さく空を掻き、清廉な花の蜜を思わせる香りがルカの頬を撫でた。

 軽蔑の色すら浮かべて宴の跡を眺めていた瞳は、ルカを捉えた途端、微笑みに変わる。まるで百合の蕾が、早暁そうぎょうの淡い光とともに目の前で花開いたようだった。

「怪我はない?あいつにいろいろ触られて嫌だっただろう?もう大丈夫」

 声音は多少違うが、親しみをこめた話し方は一晩ともに過ごしたセフィと同じものだった。微笑みながらなんの迷いもなく、ルカに向かって手を差し出してくる。

 間違いなくこの天使は、あのセフィで。

 黒髪の人間のセフィなんて、本当はどこにもいなかったのだと、ルカは知った。

 その途端、胸を占めたのは恐怖。
 悪魔の魂に、本能に、消えない傷痕さながらにべったりと刷り込まれた天使への畏怖がわきあがる。

 ルカは立ち上がることも、逃げることも、目の前に差し出された手をとることもできず、ただ小さく震えるばかりだった。

「ルカ……?」

 名前を呼ばれて思わず首を振り、震えた身体をひきずるように後ずさる。

 セフィが何か言おうと口を開けたのと、朝靄を断つ鋭い擦過音がしたのは同時だった。

「ルカ、危ない!」

 一歩踏み出したセフィが金色の弓をひと振りすれば、金属音とともに黄金の矢が地面に転がり、淡く砂粒のようなきらめきを残して消える。

「セフィ!無事でよかった、足元にまだ悪魔が一匹……って、んん?」

 天井の大穴からふわりと翼をはためかせて降りてきたのは、赤い髪の天使だった。くるくると縮れた短い髪は神秘的な夕焼けを思わせる。身体はセフィよりもひとまわり大きく、軍神のごとき筋肉が逞しい。

「天界の門を早めに開けてもらって迎えに来たんだが。どういう状況だ?なぜその悪魔を殺さない」

 深く炒ったヘーゼルナッツを思わせる瞳をいぶかしげに細めて、警戒しながらルカに近づいてくる。
 二人目の天使の値踏みするような視線に、ルカは身を縮めた。

「いや、サマエル、この子は⸺」
「あぁ、あざむきの罪を負わせているのか。なるほどな。さっさと処理して帰ろう」

 サマエルと呼ばれた天使は、勝手に一人で納得してうなづくと、優雅な所作で片手を前に差し出す。くるりと上に向けた手のひらに小さく弾みながら現れたのは、茶色い革表紙のぶ厚い本。本は勝手に開き、パラパラとられて、あるページでぴたりと止まる。
 開いた紙が淡く光るとともに、ふわりとサマエルのローブの裾が風もないのに持ち上がった。

 刹那、地面から現れる乳白色に輝く鎖。金属音を響かせながら次々に立ち現れ、ルカの首に、腕に、腰に巻きつく。

「……っ……!」

 逃れようと羽根を開くルカをやすやすと絡め取り、固い地面に引き戻す。ぎちりと食い込む鎖が締めつけるたびに、ルカの身体から力が抜け、頭の奥が痺れたように朦朧とする。首を締められているからか、声も出せず呼吸すらも苦しい。

「ちがう、そうじゃない、そうじゃなくて」

 ルカの間近で、しどろもどろにつぶやくセフィの声とともに、絡みつく鎖がガチャガチャと乱雑に打ち合う音。冷たい鎖の合間に触れる温かい手の感触は、鎖を解こうとしてくれているのだろうか。

「ん、なにか違ったか?このまま裁きの場に持ってくんだろ?」

 裁きの場、という単語はルカを震え上がらせるのに十分だった。かつて習った、最も忌避すべき最期。悪魔が断罪される裁きの場では、死ぬよりもひどい目にあう。

「この子は……。えっと、そう!俺が使役しようと思って!!」
「はあっ!?おまえ、グリモワールなんて扱えるんだっけ?」
「魔導書とかじゃなくて」

 天使二人の話し声を遠くに聞きながら、徐々にルカの視界が暗くなる。
 きっと今、ルカが意識を失えば、次に目覚めるのは裁きの場の無慈悲な冷たさだろう。教本に描かれていた苦しむ悪魔を、ぐるりと囲む天使の絵を思い出す。恐怖と絶望の中で目覚めるのだけは勘弁。そう思いながら間近に迫る地面の硬さからなんとか遠ざかろうと足掻あがく。

「……飼う感じなのか?……精気の変換効率が……普通の悪魔なんてつかいみち……」
「飼うとかそんなんじゃ……」

 地面の代わりに何か暖かくてふわふわしたものがルカの頬に触れる。その心地よさになおさら意識に闇が忍び寄る。

 断続的な天使たちの話し声はいつしか聞こえなくなり、ふつりとルカの意識も緊張も途切れた。
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