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今日は休ませてください
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杏樹がついに倒れてしまったのは、それからさらに一週間ほどが経った日のことだった。
ここ数日の記憶にある食事は、栄養ドリンクやバー状の栄養食品くらいで。目まぐるしく過ごしながら迎えた朝、顔を洗おうと洗面所に向かう途中で目の前が真っ暗になった。倒れたのだと気づいたのは、壱星に抱きとめられてからだった。
「杏樹くん!?」
「あ……あれ? すみません、ちょっと目まいがしたみたいです」
「目まいって……」
「ごめんなさい、今離れます」
壱星がいなかったら、床に頭を打ちつけていたかもしれない。ゾッとする、助かった。
だがありがたさと共に、申し訳なさに苛まれる。壱星の手を煩わせてしまった。一刻も早く離れようと手を突っ張るが、参った、力が入らない。
「あ、あれ?」
困惑していると、支えてくれている壱星の腕に力がこめられた。あっと思う間もなく、次の瞬間には抱き上げられてしまった。横抱きにされていて、気が動転する。
「あ、あの、平気なので下ろしてください!」
「下ろしたら会社に行くつもりだよね?」
「それはもちろんです。行かないと」
「却下だ」
「そんな……だって、休むなんてできません」
「杏樹くん」
美しい瞳が鋭く光って、杏樹をまっすぐに見下ろしてくる。どうにか腕から下りようとあがいていたが、その光だけで封じられてしまった。思わず息を飲み、ほとんど音になっていない声で返事をする。
「……は、い」
「気づいてないみたいだけど、熱があるみたいだ。こうしてるだけで、結構熱い」
「っ、え? 熱?」
「だから、な? 今は俺の勝手に付き合ってほしい。杏樹くんの部屋、入らせてもらうね」
それまでは動けていたのに、体温計で数値を突きつけられるとどうしてドッと辛くなるのだろう。
あのまま壱星にベッドへ寝かせられ、布団をかけられたと思ったら、有無を言わさず体温計を脇の下に挟まれてしまった。間もなくピピッと音がして、表示されたのは“38.3℃”。みるみる体が重たくなって、呼吸すら熱いことにようやく気がつく。
「今日は休まないと駄目だよ」
「……はい、そうします」
「うん、いい子だね」
いい子、だなんて。仕事に行かなければならないのに体調を崩して、それに自分ですら気がつけなかったのだ。全く褒められるところなんてないのに。その言葉がみるみる沁みこんできて、まぶたがじわりと熱くなる。
まさか涙が出るのだろうか。ぎゅっとくちびるを強く噛んで堪える。情けないからなのか、壱星のあたたかさに当てられたからなのか。涙の理由がよく分からない。
こっそり鼻をすする。せまい喉に無理やりごくんと息を通し、ごまかすように
「え、っと。電話しなきゃ」
と呟く。スマートフォンはどこにあったっけ。布団の中でポケットを探ろうとしたら、壱星が通勤用のバッグから取り出してと渡してくれた。
壱星に支えられながら、半身を起こす。この時間では、会社にかけてもまだ誰も出ない。気が重いが仕方ない、広田に連絡を入れようと着信履歴から彼の名前をタップした。5コールの後、不機嫌そうな声が応答する。
『なに?』
「あ、朝から失礼します、鈴原です。すみません、実は熱が出てしまいまして」
『はあ? で? まさか休むって言うんじゃねえだろうな』
「えっと……」
休むと決めたはずなのに、広田の威圧的な態度に言葉が詰まる。なにも言えないでいると、手の中から突然スマートフォンが消えてしまった。驚いて顔を上げれば、壱星の手元にそれはあって。口元に人差し指を当てた壱星が、「シー」とくちびるの形だけで言ってウインクをしてきた。
『おい、鈴原なに黙ってんだよ。急に休むとか許さねえからな!』
電話の向こうの広田は、そんなことは知る由もなく怒鳴っている。スピーカーにしているわけでもないのに、杏樹にもはっきりと聞こえてくる。
ここ数日の記憶にある食事は、栄養ドリンクやバー状の栄養食品くらいで。目まぐるしく過ごしながら迎えた朝、顔を洗おうと洗面所に向かう途中で目の前が真っ暗になった。倒れたのだと気づいたのは、壱星に抱きとめられてからだった。
「杏樹くん!?」
「あ……あれ? すみません、ちょっと目まいがしたみたいです」
「目まいって……」
「ごめんなさい、今離れます」
壱星がいなかったら、床に頭を打ちつけていたかもしれない。ゾッとする、助かった。
だがありがたさと共に、申し訳なさに苛まれる。壱星の手を煩わせてしまった。一刻も早く離れようと手を突っ張るが、参った、力が入らない。
「あ、あれ?」
困惑していると、支えてくれている壱星の腕に力がこめられた。あっと思う間もなく、次の瞬間には抱き上げられてしまった。横抱きにされていて、気が動転する。
「あ、あの、平気なので下ろしてください!」
「下ろしたら会社に行くつもりだよね?」
「それはもちろんです。行かないと」
「却下だ」
「そんな……だって、休むなんてできません」
「杏樹くん」
美しい瞳が鋭く光って、杏樹をまっすぐに見下ろしてくる。どうにか腕から下りようとあがいていたが、その光だけで封じられてしまった。思わず息を飲み、ほとんど音になっていない声で返事をする。
「……は、い」
「気づいてないみたいだけど、熱があるみたいだ。こうしてるだけで、結構熱い」
「っ、え? 熱?」
「だから、な? 今は俺の勝手に付き合ってほしい。杏樹くんの部屋、入らせてもらうね」
それまでは動けていたのに、体温計で数値を突きつけられるとどうしてドッと辛くなるのだろう。
あのまま壱星にベッドへ寝かせられ、布団をかけられたと思ったら、有無を言わさず体温計を脇の下に挟まれてしまった。間もなくピピッと音がして、表示されたのは“38.3℃”。みるみる体が重たくなって、呼吸すら熱いことにようやく気がつく。
「今日は休まないと駄目だよ」
「……はい、そうします」
「うん、いい子だね」
いい子、だなんて。仕事に行かなければならないのに体調を崩して、それに自分ですら気がつけなかったのだ。全く褒められるところなんてないのに。その言葉がみるみる沁みこんできて、まぶたがじわりと熱くなる。
まさか涙が出るのだろうか。ぎゅっとくちびるを強く噛んで堪える。情けないからなのか、壱星のあたたかさに当てられたからなのか。涙の理由がよく分からない。
こっそり鼻をすする。せまい喉に無理やりごくんと息を通し、ごまかすように
「え、っと。電話しなきゃ」
と呟く。スマートフォンはどこにあったっけ。布団の中でポケットを探ろうとしたら、壱星が通勤用のバッグから取り出してと渡してくれた。
壱星に支えられながら、半身を起こす。この時間では、会社にかけてもまだ誰も出ない。気が重いが仕方ない、広田に連絡を入れようと着信履歴から彼の名前をタップした。5コールの後、不機嫌そうな声が応答する。
『なに?』
「あ、朝から失礼します、鈴原です。すみません、実は熱が出てしまいまして」
『はあ? で? まさか休むって言うんじゃねえだろうな』
「えっと……」
休むと決めたはずなのに、広田の威圧的な態度に言葉が詰まる。なにも言えないでいると、手の中から突然スマートフォンが消えてしまった。驚いて顔を上げれば、壱星の手元にそれはあって。口元に人差し指を当てた壱星が、「シー」とくちびるの形だけで言ってウインクをしてきた。
『おい、鈴原なに黙ってんだよ。急に休むとか許さねえからな!』
電話の向こうの広田は、そんなことは知る由もなく怒鳴っている。スピーカーにしているわけでもないのに、杏樹にもはっきりと聞こえてくる。
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𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄
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