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7 賢者の功績
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精霊が去った後、国内では作物が育たなくなった。魚や肉は捕れない。飲み水を得るためには、桶を背負って川に行くしかなかった。そして、さらに国民を苦しめたのは、雨や雪などの気候変化だった。
ブルーデン公爵家のアスランは、帝国の農業技術を取り入れ、作物の育て方を農民に教えた。また、水路を作って、国民の生活を向上させた。今まで精霊に頼るだけだった国民は、賢者アスランの知恵により、大災害を生き延びることができたのだ。
「アスラン様……」
私は読み終えた書物を閉じた。
聖女ファンのマリリンに持って来させた本だ。
精霊王の死という大災害の時代には、国が混乱のただ中にあったため、記された書物は少ない。
でも、マリリンの両親は、希少なこれらの書物を買いあさって、借金を作った。守銭奴のマリリンでさえ、困窮してもそれらを売ろうとはしない。筋金入りの聖女大好き家族だ。
「いいですよねー。賢者アスラン様! 聖女様との悲恋。泣けますよー。アスラン様は聖女様一筋で、結婚もせず、家督を弟に譲って精霊界を探す旅に出たんですよ」
私のつぶやきを聞いて、マリリンは興奮気味に話しかけてくる。
「読みました? 賢者アスランの農業改革のページ! せっかく作った肥料をね、臭いからって嫌がる農民を、アスラン様が叱責なさるんです。『聖女様はお前たちのために生贄になったと言うのに、たい肥に触るぐらいがなんだ!』って」
アスラン様が私のことを……。
懐かしい哀しみで胸が熱くなる。
私の願いを聞いてくれたんだ。国民のために、知識を使ってくれた。大好きなアスラン様……。
「ほんと、信じられませんよね。昔の農民って、種をまいたら勝手に作物が生えてきて、それを収穫するだけが仕事だったなんて。土を耕すことや、水やりさえしなかったんですよ」
ぷんぷんと怒りながら、マリリンはテーブルを拭く。
そうね。私たちは全てを精霊に頼っていたわ。
だって知らなかったのよ。他の国の人たちみたいに、精霊がいない暮らしを。
作物は勝手に生えてくるし、飲み水はいつでも樽に補充される。ワインや果実酒ですらも、精霊が作って入れてくれる。
川に網を掛ければ、勝手に魚が入ってくる。森に罠を仕掛ければ、必ず獲物がかかる。
病気やケガをしても、精霊に願うだけで治してもらえる。
天気でさえも。雨が降るのは、夜中だけ。精霊の力で、気候はいつも安定して、春のひだまりのような毎日。
箱庭の中で甘やかされた優しい生活。それが私が愛した国だった。
でも、今は違う。結界はひびが入っているし、精霊はもうこの国を出て行った。
「みんな聖女様と賢者様のことを忘れてるんですよ。今の生活があるのは、お二方のおかげなのに。最近の王族は、貴族の力に押されて弱体化してますからね。あっと、失礼」
私が王女なのを思い出してか、マリリンは頭を軽く下げた。
本当に、メイド失格ね。
でも、マリリンはなかなか役に立ってくれた。
商店を経営するマリリンの父は、闇のオークションの関係者にも知り合いがいて、治癒石を高値で売ってくれたのだ。おかげで私は王女らしい装いができるようになった。
なんでも今の人間界には、治癒の魔法はないそうだ。魔物の素材から作るポーションか、医術でしか治療できないらしい。以前のように、精霊教会で祈れば、勝手に精霊が治してくれることはないのだ。
だから、私の作る治癒石は希少品として、信じられないほどの高値で売れた。
でも、どうしよう。
治癒石を大量に作って売れば、この国の莫大な借金を返せるの?
そうしたら、国民が奴隷にされることはなくなるの?
私は、王女として国民を守る義務があるから……。
だけど……。
歴史書を読むと、それが正しいことなのか分からなくなってくる。
国民を守るために、私の神聖力を使う。
それは……。
治癒石を作れるのは、私だけだ。
じゃあ、私が死んだ後はどうなるの?
国王の目は青紫。純粋な紫じゃない。
今のこの国に、王族は私と国王しかいない。
だとしたら、今後、私の子供にしか紫の目の聖女は生まれない。
……神聖力を受け継がせるために、私が子供を産むの?
嫌だ!
吐きそうなほどの嫌悪感を感じた。
アスラン様以外との子なんて。
今の自分の婚約者を思い浮かべる。
アスラン様と同じ青銀の髪、紺碧の瞳。顔立ちも似ている。
でも、違う!
中身はぜんぜん似ていない。
アスラン様は、あんなに卑しい目つきをしない!
あんなバカみたいな笑い方をしない!
あんなふうに、汚い言葉を使わない!
顔形が似ているからこそ、その違いがはっきり分かる。
気持ち悪い。
人形姫だった私を罵り、暴力をふるったこと。
許せない。
アスラン様を汚さないで。
私は治癒石のことを黙っておくことにした。
少しの間だけ、様子をみてみよう。100年後のこの国のことを何も知らないから。
少しだけ考える時間をちょうだい。
「あ! 王女様、そろそろお茶会の時間ですよ」
物思いに沈んでいると、マリリンに声を掛けられた。
お茶会といっても、出席者は私と婚約者だけ。
月に数回設けられている交流の場だ。
「急がなくてもいいわ。どうせ遅れて来るもの」
アスラン様の弟が継いだブルーデン公爵家の子孫のアーサーは、私との婚約を嫌がっている。でも、この婚約は解消されないだろう。ブルーデン公爵家はアーサーを王配にして、この国を手に入れたいのだ。彼はその駒でしかない。
でもね、いくら私が気に入らないからって、暴力と暴言は許せないわ。
跡が残るほどの怪我はしていないけれど、痛みは全て覚えている。同じだけのことをやり返したい。
ただ……。
似ているから。アスラン様に。
似ているのは姿だけで、全くの別人と分かっていても。
アスラン様を感じられる人だから……。
記憶をなくした私は、彼に会うことを喜んでいた。
私は、粗末な白いワンピースに着替える。
しばらくは人形姫のままで、彼を観察しようか。
どうせ結婚しなければいけないなら、姿かたちだけでも似ている人がマシ?
ううん。吐きたくなるほど嫌だ。
「じゃあ、私は掃除の仕事に行く時間なんで。王女様は一人でお茶会の場所に行けますか?」
マリリンが申し訳なさそうに問いかける。
今までも、侍女がいなくて、一人で行ってたもの。大丈夫よ。
私は机の上の本を手に取り、中庭にゆっくり向かった。
ブルーデン公爵家のアスランは、帝国の農業技術を取り入れ、作物の育て方を農民に教えた。また、水路を作って、国民の生活を向上させた。今まで精霊に頼るだけだった国民は、賢者アスランの知恵により、大災害を生き延びることができたのだ。
「アスラン様……」
私は読み終えた書物を閉じた。
聖女ファンのマリリンに持って来させた本だ。
精霊王の死という大災害の時代には、国が混乱のただ中にあったため、記された書物は少ない。
でも、マリリンの両親は、希少なこれらの書物を買いあさって、借金を作った。守銭奴のマリリンでさえ、困窮してもそれらを売ろうとはしない。筋金入りの聖女大好き家族だ。
「いいですよねー。賢者アスラン様! 聖女様との悲恋。泣けますよー。アスラン様は聖女様一筋で、結婚もせず、家督を弟に譲って精霊界を探す旅に出たんですよ」
私のつぶやきを聞いて、マリリンは興奮気味に話しかけてくる。
「読みました? 賢者アスランの農業改革のページ! せっかく作った肥料をね、臭いからって嫌がる農民を、アスラン様が叱責なさるんです。『聖女様はお前たちのために生贄になったと言うのに、たい肥に触るぐらいがなんだ!』って」
アスラン様が私のことを……。
懐かしい哀しみで胸が熱くなる。
私の願いを聞いてくれたんだ。国民のために、知識を使ってくれた。大好きなアスラン様……。
「ほんと、信じられませんよね。昔の農民って、種をまいたら勝手に作物が生えてきて、それを収穫するだけが仕事だったなんて。土を耕すことや、水やりさえしなかったんですよ」
ぷんぷんと怒りながら、マリリンはテーブルを拭く。
そうね。私たちは全てを精霊に頼っていたわ。
だって知らなかったのよ。他の国の人たちみたいに、精霊がいない暮らしを。
作物は勝手に生えてくるし、飲み水はいつでも樽に補充される。ワインや果実酒ですらも、精霊が作って入れてくれる。
川に網を掛ければ、勝手に魚が入ってくる。森に罠を仕掛ければ、必ず獲物がかかる。
病気やケガをしても、精霊に願うだけで治してもらえる。
天気でさえも。雨が降るのは、夜中だけ。精霊の力で、気候はいつも安定して、春のひだまりのような毎日。
箱庭の中で甘やかされた優しい生活。それが私が愛した国だった。
でも、今は違う。結界はひびが入っているし、精霊はもうこの国を出て行った。
「みんな聖女様と賢者様のことを忘れてるんですよ。今の生活があるのは、お二方のおかげなのに。最近の王族は、貴族の力に押されて弱体化してますからね。あっと、失礼」
私が王女なのを思い出してか、マリリンは頭を軽く下げた。
本当に、メイド失格ね。
でも、マリリンはなかなか役に立ってくれた。
商店を経営するマリリンの父は、闇のオークションの関係者にも知り合いがいて、治癒石を高値で売ってくれたのだ。おかげで私は王女らしい装いができるようになった。
なんでも今の人間界には、治癒の魔法はないそうだ。魔物の素材から作るポーションか、医術でしか治療できないらしい。以前のように、精霊教会で祈れば、勝手に精霊が治してくれることはないのだ。
だから、私の作る治癒石は希少品として、信じられないほどの高値で売れた。
でも、どうしよう。
治癒石を大量に作って売れば、この国の莫大な借金を返せるの?
そうしたら、国民が奴隷にされることはなくなるの?
私は、王女として国民を守る義務があるから……。
だけど……。
歴史書を読むと、それが正しいことなのか分からなくなってくる。
国民を守るために、私の神聖力を使う。
それは……。
治癒石を作れるのは、私だけだ。
じゃあ、私が死んだ後はどうなるの?
国王の目は青紫。純粋な紫じゃない。
今のこの国に、王族は私と国王しかいない。
だとしたら、今後、私の子供にしか紫の目の聖女は生まれない。
……神聖力を受け継がせるために、私が子供を産むの?
嫌だ!
吐きそうなほどの嫌悪感を感じた。
アスラン様以外との子なんて。
今の自分の婚約者を思い浮かべる。
アスラン様と同じ青銀の髪、紺碧の瞳。顔立ちも似ている。
でも、違う!
中身はぜんぜん似ていない。
アスラン様は、あんなに卑しい目つきをしない!
あんなバカみたいな笑い方をしない!
あんなふうに、汚い言葉を使わない!
顔形が似ているからこそ、その違いがはっきり分かる。
気持ち悪い。
人形姫だった私を罵り、暴力をふるったこと。
許せない。
アスラン様を汚さないで。
私は治癒石のことを黙っておくことにした。
少しの間だけ、様子をみてみよう。100年後のこの国のことを何も知らないから。
少しだけ考える時間をちょうだい。
「あ! 王女様、そろそろお茶会の時間ですよ」
物思いに沈んでいると、マリリンに声を掛けられた。
お茶会といっても、出席者は私と婚約者だけ。
月に数回設けられている交流の場だ。
「急がなくてもいいわ。どうせ遅れて来るもの」
アスラン様の弟が継いだブルーデン公爵家の子孫のアーサーは、私との婚約を嫌がっている。でも、この婚約は解消されないだろう。ブルーデン公爵家はアーサーを王配にして、この国を手に入れたいのだ。彼はその駒でしかない。
でもね、いくら私が気に入らないからって、暴力と暴言は許せないわ。
跡が残るほどの怪我はしていないけれど、痛みは全て覚えている。同じだけのことをやり返したい。
ただ……。
似ているから。アスラン様に。
似ているのは姿だけで、全くの別人と分かっていても。
アスラン様を感じられる人だから……。
記憶をなくした私は、彼に会うことを喜んでいた。
私は、粗末な白いワンピースに着替える。
しばらくは人形姫のままで、彼を観察しようか。
どうせ結婚しなければいけないなら、姿かたちだけでも似ている人がマシ?
ううん。吐きたくなるほど嫌だ。
「じゃあ、私は掃除の仕事に行く時間なんで。王女様は一人でお茶会の場所に行けますか?」
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