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Prologue

この物語が紡がれる前に

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 空には、黒い雲が厚く塗りたくられ。
 ところどころから、白い稲光を亀裂が走るように地に落とす。

 一方、稲光が落ちた大地には、毒々しい色合いの真っ赤な薔薇が蠢いていた。
 一輪であれば、その花言葉のとおりに“愛情”を感じられる美しさであったかもしれない。
 しかし、蠢く薔薇は、見渡す限りの大地を燃えるような赤と深い緑で埋め尽くしている。
 さらに、薔薇のすき間に覗く瓦礫の数々は、元はこの地に存在していた都市の残骸であった。

 いまもその棘によって瓦礫を刻み続けている薔薇の海を見て、“わぁ、きれいねぇ”なんてのたまうのは、どこかの薔薇狂いの少女だけだろう。

『リリエラ、あなたはが憎い?』

 黒い空と薔薇の大地の中間に。
 白いドレスを着た金髪碧眼の少女と、白銀の鱗を身にまとう美しいドラゴンが浮かんでいる。
 どちらも、この地獄を思わせるような光景には不釣り合いで。
 特に、少女のたたえる微笑みは、天女が降臨したかと錯覚してもおかしくない美しさだった。
 よく考えれば、ドラゴンはともかく人間にしか見えない少女が宙に浮いているのはおかしい。
 いやはや、もしかしたら本当に天女なのかもしれないが。

 問いかけたのは、その天女の少女だ。

「当たり前なのじゃ、あやつ、ママを裏切りおって……!」

 白いドラゴンが、怒りに声を震わせる。
 ただ、その声音は少女のような、可愛らしいものであった。
 まあ、そんな可愛い声でも“怒っている”と感じさせるのだから、このドラゴンの怒りは相当なものなのだろう。

『あまり怒らないであげてね』

 少女は、その細く小さな手でドラゴンの鼻先をよしよしと撫でる。
 ドラゴンはなにか言いたそうにしていたが、撫でられることを優先したようだった。

『ここまでは決められていた物語だから、仕方がなかったの』

「……なにを言っているのか、わからないのじゃ」

 少女が手を離すと、それが嫌であるかのようにドラゴンは首を振った。
 それと同時、いつの間にか、地に蠢いていた薔薇のうちの数本がその蔓を空高く伸ばしていて。
 しゅるしゅると、滑らかな少女の脚に巻きついた。

 薔薇の棘が、少女を捕らえて逃さないと固持するように、その脚に深く食い込む。
 
「っ! ママ、わらわだったら薔薇なんていくらでも根絶やしにできるのじゃ、だからっ……!」

『やめなさい。けっきょくアロリーロが倒せなければ、目に見える薔薇を駆除したところで意味がないのはわかるでしょう』

 刺々しい薔薇に脚を引かれる少女よりも、ドラゴンの方が痛みに耐えるような表情を浮かべていた。
 少女の指摘に対して、さらに深く顔をゆがめる。
 そして、少女に食い込む薔薇を見ていられないと、視線を逸らすのだ。

『それに、この世界を壊しちゃダメ。あなたは、それこそみんなの光にならなくてはいけないのだから』

 ゆっくりと、少女の身体は沼に沈むような速度で地に近づいていく。
 少女は、抗わない。
 それが運命であると受け入れているのだろう。

「ママを救えなくて、なにが光なのじゃ……? これから、わらわはどんな顔をして生きていけばいいのじゃ……」

 ドラゴンは、受け入れられないままに、抗えない。
 自分が無力であることを、嘆くばかりだ。

『リリエラ、ここで死ぬことは許さないわ』

 少女の強い口調に、顔を上げるドラゴン。
 すでに、少女は地表の近くまで下りてしまっている。
 その身体を味わうため、周囲の薔薇は我先にと少女に群がっていた。

『ここからが、始まり――』

 少女は、自身を飲み込もうとする薔薇には目もくれずに、ドラゴンを見上げて言葉を紡ぐ。

『――もうすぐ、数多の光がこの世界を訪れる。私の光よ、あなたは彼らを導いて。そして、あなた自身も紡ぎなさい、あなたの物語を』

 やがて全身を覆い尽くした薔薇は、さらに深く、深く地の底まで少女を連れ去っていく。

『NPCであることは関係ない。人間、魔物、そして天使に悪魔、そこにプレイヤーが加わって、みんなが思い思いの物語を描いていく……きっと楽しいでしょうね、

 もうとっくに少女の姿は見えなくなっていたが、その朗々とした語りは聞こえていた。
 少女が消えていった先を睨みつけながら、ドラゴンはつぶやく。

「……わらわは、強くなって、いつかママを取り戻すのじゃ」

 消え入りそうに小さく、しかし決意のこもった声音だった。
 これが、リリエラ・ホーリードラゴンの物語の一ページとなるのだろう。

『それがあなたの物語ならば、好きにしなさい。でもね、リリエラ――』

 ふいに、世界の全てが白く塗りつぶされる。
 赤い薔薇も緑の蔓も黒い雲も、白いドラゴンも。

 等しく、白に。
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