密教僧・空海 魔都平安を疾る

カズ

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その六 最澄、登場!

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十一月も半ば。昼過ぎ。険峻な山がある。その山の中に思いのほか広い平地が見える。そこに寺が立っていた。
お堂、塔、宿坊・・・等が数多く存在している。山奥に1000に迫る数の仏教建築物があるのだ。
凛とした空気が漂う。これは単に気温が低いという以上の空気の透明感が漂っている。
余談であるが、奈良時代の寺院は、「鎮護仏教」であり、「国家を護る」ことを主としたものであった。そのため、奈良の都・「平城京」の中に寺院は建てられていた。
桓武帝は、巨大な政治力を持つ奈良の仏教勢力から逃れるため、京都に都を移した。それが「平安京」である。
したがって、「平安京」の中には寺はない。この寺が山の中に立つという事は、すなわち平安時代になり建てられた寺という事になろう。
仏教建築物が立ち並ぶ、境内を4人の僧侶が歩いている。三人の僧が一人の僧の前を歩いている。
境内には数多くの僧がおり、様々に動いている。何万という木々から木の葉が落葉してくる。それを掃除する者。水を運ぶ者。中堂、講堂を吹き清める者等々。それらの者達が、この四人の僧が近づいて来ると、手を止め、合掌し、腰から体を折り、深々と頭を下げる。
前を行く三人の僧は軽く会釈をするが、後ろの一人の僧は前を向き静々とただ歩いていく。
この僧侶、目を閉じている。目が見えないのか、閉じているだけなのかは分からないが、目を閉じたままで歩いているのだ。
そして、この僧は驚くほどに美麗な容貌をしている。雪のように穢れのない白い肌。高くまっすぐな形良い鼻。口紅でも塗ったかのような真っ赤な唇。閉じられた目に濃く長いまつげが覆いかぶさる。
何とも艶やかな、咲き誇る大輪の牡丹のような僧である。
一つの堂の前に来て、四人は立ち止まった。三人が美麗な僧を見る。ゆっくりとこの美しき僧の目が開き始めた。大きなキラキラと光る黒い瞳。並はずれた知性と知力を感じずにはおられない美しい目が現れた。
「開けよ」
この僧が言った。外見よりもはるかに男性的で太い声である。
「はっ」
三人の僧が堂の戸を開け始める。
「急ぎなさい」
「はっ」
僧たちの動きが速くなった。

ガラ ガラ ガラ
ギシ ギシ ギシ

堂の戸が開く。ただ中は暗くて良くは見えない。美麗な僧がすっと中に入り、三人が後に続いた。暗さに目が慣れてきた。畳十畳ほどの広さはあろうか。その中央部に一人の僧が倒れていた。
美麗な僧が倒れている僧に近寄り、膝を折り、顔を近づける。
「死んではいません。すぐに運び出し、介抱を。円良、円忍が行いなさい」
「はっ」
二人の僧が同時に返事を返し、動く。小気味よい。無駄な動きは一切ない。
そして二人は倒れていた僧侶を板に乗せ、運び出して行った。
「円覚は何日目でしたか?」
美麗な僧が残った一人の僧に尋ねた。どこかコンピュータが話すような、感情というものが欠落しているようにも聞こえる声である。
「五日目でした」
「ここを乗り切れば、違う景色が現れたのですがね。五日目が山なのです」
「・・・最澄様、この四無行を成し遂げた人間は、私が知るかぎりでは一人しかおりません。それは、最澄様、あなた様だけです」
「最澄」。言うまでもない空海と並ぶ日本仏教界のもう一人の巨星である。
仏教勢力から都を遠ざけた桓武帝が絶大な信頼を寄せた。
最澄の開いた比叡山延暦寺は、都の北東に置かれた。これは偶然ではない。古来、北東の方角は、鬼門と呼ばれ、「悪い気」の通り道と考えられた。「邪気」から都を守ることの出来る唯一の人間。それが最澄なのである。
美麗な僧、「最澄」は首を少しかしげ、僧を見た。
「良純(りょうじゅん)、あなたは何が言いたいのです?」
良純は最澄を見つめ、意を決したかのように口を開いた。
「最澄様、四無行などは普通の人間には到底無理な行なのではないでしょうか?最澄様のような特別な人間だけが出来る行であれば、これ以上続けても、成就できる者など出てこないのではないでしょうか?」
「四無行」。
九日間、断食、断水、不眠、不臥を行う行である。
人間は「水」と「睡眠」が行えれば、2週間は「食べなく」とも生きていけるというが、「水」がなけれ四、五日で死んでしまう。
また、三日間徹夜すると、幻覚や錯覚などを生じるようになり、精神に障害をもたらすことにもなりかねない。
「四無行」とは、「人間の生きる力」を越えた荒行なのである。
「良純、私はただの凡夫にすぎませぬ。ただの凡夫でも仏に成ることが出来る、それこそが私が学んだ天台法華宗。良純、凡夫が仏と成るにはどうすればよいか?分かりますか?」
「・・・それは、それは修行あるのみかと」
「そうです。それしかないのです。苦しみ悩む衆生を仏にいざなうのは天台法華宗を修める我ら務め。我らが範を示さなくてどうします。僧が修行から逃げてどうして衆生を救えます?」
最澄は目を閉じている。目を閉じ静かに語っている。もし、仏像が語るとすれば、まさにこのようになるのではないか。
「申し訳ございません。私が間違っておりました。これからもどうかお導き下さい、最澄様」
良純は深々と頭を下げた。
「円覚が目を覚ましたら、こう伝えてください。『次にまた励め。修行に終わりはない』と」
そう言い残し、最澄は目を閉じたまま、静々と本堂に向かって歩いて行ったのである。
良純は合掌し、深々と頭を下げた。
「最澄様が直に、お言葉をかけてくだされば、円覚もどれほどに救われるだろうか・・・」
良純は、心の中でそう思いながら、最澄の後姿を見送ったのである。

十一月も後半の高雄山寺。朝の勤行を終えた空海は、ぶすっとした顔をしている。空海の前に田村麻呂がいる。
「俺は僧侶だ。化け物の始末屋ではない。お前、近頃勘違いをしていないか」
ぶすっとしたまま空海は言う。
「そりゃあそうだ。お前は僧侶だ。この世で唯一の正当な密教の伝承者様さ。間違いない。化け物の始末屋などではない。俺はよーく分かっている」
田村麻呂は顔色一つ変えずに答える。
「ならば、こんな話を俺に持ってくるなよ。俺は忙しいし、化け物相手に死ぬような思いをするのはもうご免だ」
「今回は、お前に化け物退治を頼みに来たわけではない。お前から頼んでくれと言っているだけだろうに」
最近、近くの森に化け物が出て、少なからず人々が殺されたり、大けがをしているという。この前は若い二人の男女が襲われた。
「その源三という男はどうなったんだ?」
空海が聞く。
「ひどい有様だったようだぜ。頭が潰されていたそうだ。踏みつぶされたのだろうな」
空海は目を閉じ、念仏を唱える。
「女は生きているのだろう?何と言っているのだ?」
念仏を唱え終わり、空海が尋ねる。
「それは無理だ。その女、しょうという女は、命は助かったが、心が殺された。一日中、ぼーっとして座っているだけだそうだ。ほとんど食べることもないらしい」
 空海は眉をひそめる。
「俺は百人近くの兵を引き連れ、その森に入ったが、化け物は出てこなかった。隠れてしまったのさ。そこで俺は考えた」
「ほーう、聞かせてもらおうか、お前の考えとやらを。坂上田村麻呂はどんな妙案をお持ちなのかな?」
「大人数だから、警戒して出てこない。ならば、少数で森に入ればいい」
田村麻呂は空海を見つめる。
「おい、俺とお前で森に入り、化け物を誘い出すなんて言うんじゃないだろうな?俺は嫌だぜ」
「それはない。俺とお前が森の中を歩いていたら、不自然すぎる。化け物だっておかしいと思うさ」
「なるほどな、お前も分かってきたじゃないか。で誰が行くんだ、その森へ」
「ついこの前は、若い男と女が襲われた。若い男は兵から探してくる。問題は女だ。化け物が襲ってくるのを承知で、森に行くことの出来る女性(にょしょう)。強く、度胸のある女性。俺は一人しか知らん」
「おい、まさかその女ってのは・・・」
「やお殿しかいないだろう。そして、やお殿に頼めるのは、空海、おまえしかいない。空海、よろしく頼む」
「俺は嫌だぜ、そんなことは」
 大きな声を出す空海を田村麻呂は多少意地悪く見つめていた。
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