密教僧・空海 魔都平安を疾る

カズ

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その七 鏡よ、鏡

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もうすぐに夜が明ける時刻か。師走の時期、太陽は簡単には顔を見せない。とすれば、今は明け六つ(朝の6時)くらいであろう。
一人の老婆が、家の前に立ち、中に入って行く。途端、凄まじい血臭が鼻についた。鼻の中、目の中、口の中まで血が染みこむような濃さだ。
「ひーっ!何なんだい、これは!何が起こったんだよっ!」
老婆の叫び声が響き渡る。
家の奥から足音が聞こえ、誰かが近づいて来る。一人だ。老婆は大きく目を開き、立ちすくむしかできない。
「今帰ってきたか。仕事だったのか?この寒いのにご苦労な事だな」
童観丸、いや「童観丸だった者」が立っている。
「何者だっ!ここで何をしてんだっ!」
「どうやら童顔丸と言う男らしいが、それはどうでもいいかな。この男ともう一人がお前の家に盗みに入ったので、俺が始末しておいた。奥に一人死んでいるから、後で片付けておくんだな」
童顔丸は相変わらずの上から目線だ。
「お前、頭がおかしいんじゃないか?婆さんだと思って見くびってるんだろう。あたしは呪術師だ。人を呪い殺すのが商売。土下座して謝りな。命だけなら助けてやるよ」
老婆がニヤリとほほ笑む。
「ほーう、少しは芝居っ気が着いたな。この場でそれだけの事ができれば、意気地のない者には通じるだろう」
「ケッ」
老婆がなにやら呪を唱えだした。目を炯炯と光らせ、じっと童観丸を見つめる。老婆が右手を伸ばし、手のひらを広げた。そこには「ムカデのようなもの」が乗っている。5cmほどで無数の足をいやらしく動かしている。背には二十ほどの小さな人の目がついている。
「ほれ、お前に投げてやる」
そう言って老婆が童観丸に投げつけた。
童観丸はうっすらと笑みを浮かべ立っている。
「お前の背中に回ったよ。もぞもぞと動き出した。次は腹に食いつく。はおらまだまだいるんだよっ」
そう言うと老婆は次々と腕を振っていく。何もない、空の手を。
「顔だ!目が危ないよ。首にもいるな。そのうち、かみ切るよっ、あははは、いい気味だ!いい気味だねぇ」
童観丸は首を小さく傾け、じっと老婆を見据え、淡々と話しだす。
「うーん、芝居っ気はついたが、肝心の呪詛はちっとも成長しておらんな。まだまだだ。修行をさぼっておったのだろう。口先三寸で善男善女を丸め込んできたのだろうな」
「何だって!お前、何者なんだい!」
童観丸が右手を老婆に差し出し、手のひらを開けた。そこには先ほど老婆が投げつけた「ムカデのようなもの」が、禍々しく蠢いている。
童顔丸が老婆の足下に無造作に投げつけた。
「のうもぼたや・のうもたらまや・のうもそうきゃ・たにやた ・ごごごごごご・のうがれいれい・だばれいれい・ごやごや ・・・・・・ばらしやとにば・さんまんていのう・なしやそにしやそ ・のうまくはたなん・そわか」
これはまさしく孔雀明王呪。だが空海が唱えるそれとはどこか違う。抑揚や全体のリズム、これは孔雀明王呪であり、孔雀明王呪ではないものだ。
「えっ、これは、これはどこかで聞いたことがあるよっ」
老婆の顔に狼狽と恐怖が走る。

モゾモゾモゾ
モゾモゾモゾ

足下にいた「ムカデ」が立ち上がり出した。5cmほどの大きさだったものが、1mほどに巨大化した。しかも四匹となり、老婆を四方から囲んでいる。
「動!」
童観丸がそう言った途端、四方から「巨大なムカデ」が老婆に襲いかかった。
「これは幻!現身ではないよっ。こんなものにあたしが引っかかるとでも思ったかっ」
そう叫ぶ老婆に「ムカデ」達が容赦なく襲いかかる。噛みつき、爪を立てていく。
「痛いっ。痛いっ。・・・本当に噛みつきやがったっ!痛い、痛いっ。やめろっ!やめとくれっ」
老婆は悲鳴をあげ、その場にうずくまる。
パン!
童観丸の両手が鳴った。その音と共に「ムカデ」達は消滅した。ただそこには体中に小さな切り傷、噛み傷を残した老婆が倒れているだけだ。
「お前が言うように幻術よ。だがな、お前に少しでも恐怖や迷いがあったならば、それは現身となり、襲い掛かっていく。お前の体中にあるその傷は、お前自身の弱さゆえの傷。呪術とは『心力の勝負』。マントラや厭魅の術を身につけても、心力なき者すれば、それは『まやかし』でしかない」
血だらけになり倒れ込んでいる老婆が薄目をあけ、童観丸を見上げる
「・・・この言葉、この言い様。まさか、そんなまさか・・・」
「まやかしでは、人は救えん。まして呪い殺すことなど到底できん」
「そんな・・・、だってもっと年寄りだった。本当の爺さんだった。そして、そして十年以上も前に・・・。けどいつも、そう言っていたのは・・・」
「そうだよな、綱虫。お前に呪術を教えてやった師匠をようやく思い出したか?」
「そんな、そんなことはないよっ!お師匠(し)さんはもう・・・もうとっくに死んだんだっ!」
「この前死んだのは、延喜二十一年。確かにその年に死んだ。そして今はこの若造の体に移った。黄泉返ったのさ。綱虫よ、お前なら分かるだろう?この俺ならそのくらいのことはするだろうってな」
「・・・・・・」
そう言うと童観丸は恐怖に大きく目を開き、身動き一つできない綱虫に向けてほほ笑んだ。
それは、何とも禍々しき笑みであった。
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