アネモネ

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5,6話

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5話【大学生】

季節は、春から初夏に変わりかけていた。
俺が三谷雪の笑顔を初めて見たあの日から、気づけばもう三ヶ月が過ぎていた。

最初は英語の授業で近くの席に並んでいただけだった4人は、今ではすっかり空きコマを一緒に潰すような仲になっていた。
キャンパス内のカフェで話したり、4人で並んで昼ご飯を食べたり、課題の締め切り前に集まったり。

その延長線上で、自然と俺の部屋に集まることも増えていた。

一人暮らしの俺の部屋は、狭いながらも居心地は悪くない。みんなでカップ麺をすする日もあれば、悠真が唐突に鍋を始めようとする日もある。
そして夜になると、誰かが言い出すまでもなく、飲み会が始まる。

「お前んちの冷蔵庫、なんで酒しか入ってないの。」

「それは……生活の知恵というか。」

「いや、これはただの怠慢だよ。」

「うるさい、悠真は洗い物しろ。」

缶チューハイのプルタブを開ける音、スナック菓子の袋が破れる音、まどかの笑い声、悠真の小言、そして──
雪の、ふとした沈黙の存在感。

彼女は相変わらず多くを語らないけど、少しずつ、表情に変化が見えるようになっていた。

お酒がほんの少し入ったときの、ほんの小さな照れたような表情。
まどかにツッコミを入れられたときの、わずかに肩を揺らすような笑い。

そのどれもが、俺にとっては特別だった。
________________________________________
その日も、いつものように4人で宅飲みをしていた。
夜も更けてきて、まどかがスマホを確認しながら言った。

「ごめん、明日朝早くからバイトだった。もう帰るね!」

「え、じゃあ俺も帰るわ。駅まで送る。」

悠真が当然のように言って、ふたりは先に玄関へ向かった。

まどかがちらりと後ろを振り返って、笑いながら言った。

「雪、あとでちゃんと送ってもらいなね。じゃあねー!」

「うん。気をつけて。」

ドアが閉まり、部屋の中に静けさが戻る。

テレビでは、深夜の音楽番組が流れていたけど、音はほとんど耳に入ってこなかった。

俺と雪、二人きり。

同じ部屋にいても、言葉がすぐ出るわけじゃない。
でも、その沈黙はもう、最初みたいに重くはなかった。

雪が、手に持っていたグラスを見つめながら言った。

「……直哉くんって、なんか意外だった。」

「なにが?」

「最初、もっと静かな人かと思ってた。冷たいというか、無関心というか。」

「こっちのセリフだよ。俺から見たら、雪の方が近寄りがたかった。」

「うん。よく言われる。」

それだけ言って、雪はふっと笑った。

「……でも、なんか気がついたらこうなってた。たぶん、まどかがいたからだけど。」

「俺も、悠真がいなかったら話しかけてなかったかもな。」

そう言いながら、ソファの背もたれに体を預ける。
雪は、ローテーブル越しに座ったまま、まだグラスに残った氷をころころ転がしていた。

「……ここ、落ち着くね。うるさくないし、好きかも。」

その言葉が、なんだか胸に残った。

「よかった。たぶん、俺も……雪がいると落ち着く。」

そう言ってから、少しだけ後悔した。重かったかもしれない。
けど、雪は驚いたように俺を見たあと、視線をそらして、小さくつぶやいた。

「……ありがとう。」

冷房の風が、微かにカーテンを揺らしていた。

テレビの音、冷蔵庫の音、そして──俺の心臓の音が、やけに大きく聞こえる。
この距離感は、きっと特別だ。

でも、それがどういう意味を持つのかは、まだ俺にはわからなかった。





6話【終電】

「あ……終電、なくなったかも。」

雪がスマホの画面を見ながら、静かに言った。

「マジ? あ、ほんとだ……。」

俺も画面を覗いて、少しだけ苦笑い。
この時点で最寄り駅までは絶対間に合わない時間だった。

「……ごめん、俺も気づかなくて。」

「いいよ。」

雪はソファに背を預けて、グラスの氷をカランと鳴らした。
焦りもなく、特に困った様子もない。なんか……妙に馴染んでる。

「とりあえず、もう一杯だけ飲む?」

「うん、じゃあ貰おうかな。

冷蔵庫から新しいチューハイを取り出して注ぐと、ふわっとグレープフルーツの香りが広がった。

「雪って、好きな食べ物なに?」

「急に?」

「いや、ふと思って。考えてみたら、俺あんまり雪のこと知らないなって。」

「んー……カレー。甘口。辛いの苦手。」

「甘口派なんだ。意外。」

「子供舌なんだよね。チョコもホワイト派。」

「完全に子供。」

「うるさい。」

ふたりして笑ったあと、また自然と会話が流れていった。
好きな音楽、テレビ番組、子どもの頃の話、家族のこと。
雪は意外なほど素直に、ぽつぽつと答えてくれる。

「雪って一人っ子なんだっけ?」

「うん。だから兄弟いる人ちょっと羨ましい。」

「まぁ喧嘩は絶えなかったけどね。姉ちゃんに昔、ハサミで髪切られそうになったことあるし。」

「こわ……。」

笑い声が重なる。
普段は口数少ない彼女が、こうしてぽつりぽつりと答えてくれるだけで、なんだか嬉しかった。

そして――ふと、雪のほうから口を開いた。

「ねぇ、直哉くんって、彼女いたことある?」

「え?」

「いや、ふと思った。あんまりそういう話しないなーって。」

「……うん。一人だけ。大学入ってすぐの頃に。」

「へー。どれくらい付き合ってたの?」

「半年くらいかな。特に大きな喧嘩とかじゃなくて、なんとなく合わないなって思って。向こうもたぶん同じこと感じてた。」

「そっか。なんか……ちゃんとしてそうだもんね、直哉くん。」

「いやいや、そんなことないって。むしろちゃんとしてなかったから、そうなったんだと思う。」

雪はそれを聞いて、「ふーん。」と小さく頷いた。

「雪は?」

「私、いないよ。彼氏とか。付き合ったことない。」

「……そうなんだ。」

「好きになったことも、よくわかんない。たぶん、それっぽい気持ちはあったんだろうけど、いつも途中で冷める。」

「へぇ、なんか雪っぽいな。」

「なにそれ。」

「いい意味で。なんかさ、熱くなりすぎないとこ。」

「冷めてるだけだよ。」

「それが雪っぽいって言ってる。」

雪は笑ったようで笑ってない顔のまま、グラスの氷をひとつ口に入れた。

夜は、まだ静かに流れていた。
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