アネモネ

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7,8話

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7話【約束】

「……じゃあさ、どんな人がタイプ?」

グラスを持ちながら、何気なく俺がそう尋ねると、雪はちょっとだけ考える素振りを見せた。

「うーん……正直、よくわかんない。」

「え、それズルくない?」

「だってほんとにそうなんだもん。なんか“この人いいな”って思ったこと、ほとんどないし。」

「でも、一回くらいはさ、いい感じになりかけたとか……。」

「んー。一回だけ、デートっぽいことはした。」

雪は淡々と、でもほんの少しだけ笑いながら言った。

「高校のとき。同じクラスの男の子に誘われて、映画見に行った。」

「おお、で? どうだったの?」

「……つまんなかった。」

「映画が?」

「いや、全部。会話も、空気も、ごはん食べたあとも“今なに喋ればいいのかな”って考えてばっかで、あんまり楽しくなかった。」

雪はそう言って、残り少なくなったグラスをのぞき込んだ。

「向こうは楽しそうにしてたんだけどね。私のほうが全然乗れなくて“早く終わんないかな”って思ってた。」

「……それはキツいな。」

「うん。でも、断るのも面倒だったし“ありがとう”って言ってそれきり。」

雪は軽く肩をすくめた。
言葉は淡々としてるのに、不思議と刺さる。

「……そのとき、恋愛向いてないかもって思った。」

「そっか。」

雪の言葉には、重さよりも静けさがあった。
語るというより、ただ風に流すようにこぼした声。

俺は何も言わず、冷えかけたグラスを指でくるくると回す。
そしてふと、口が動いていた。

「……じゃあさ、今度、俺とどっか行こうよ。」

「……え?」

雪がこちらを見る。驚いたような、でも警戒するでもなく、ただ目を瞬かせて。

「遊びに行こう。映画でも、カフェでも。なんでもいいから。楽しくなかったっていう、そのイメージ、ちょっとだけ変わるかも?」

沈黙。
雪は目をそらし、少しだけ考えて、それから――

「……うん。」
と短く返した。

その「うん」は、不思議と拒まない柔らかさがあって。
どこか、少しだけ笑っていたようにも見えた。

日付も、場所も、なにをするかも決めてない。
ただの、約束だけ。

けれどそれは、たしかに“ふたりだけの約束”だった。

グラスの氷はもう溶けて、テーブルの上に水滴が広がっている。

窓の外、空の色がゆっくりと変わり始めていた。





8話【ウソ】

翌日の昼前、英語の教室。
直哉たちはいつものように、後ろの列に4人並んで座っていた。

静かなチャイムのあと、講義のスライドが映る。
だが、直哉はノートを開いたまま、ペンを持つ手が止まっていた。

昨日、朝まで一緒にいた。

終電を逃して、飲みながらたくさん話した。

笑って、約束までした。
――でも。

「昨日楽しかったね。」

講義前の、軽い空気の中で。
まどかが、ふとした声で雪に話しかけた。

「うん」

雪はノートに視線を落としたまま、短く答える。

「終電まで飲んでたの?」

その問いに、雪はほんの一拍だけ沈黙し――

「そうだよ。」
さらりと、そう言った。

まどかはそれ以上なにも言わず、「そっか」とだけ返して視線を前に戻した。
何かを感じ取ったように、それ以上深くは聞かない。

そのやり取りを横で聞いていた直哉は、ペン先で何も書いていないノートの端をなぞった。

ウソだ。

終電はとっくに過ぎていた。

雪は、泊まった。

話した。

――笑った。

けれど、その夜はなかったことになった。
それが彼女の選択であることに、直哉は何も言えなかった。
まどかも、それを“正す”ような空気は出さず、いつもの4人の空気に戻っていく。
________________________________________
その週、空きコマの時間にはファミレスで雑談し、授業後には食堂に寄ったりもした。

変わらないように見える4人の距離。
けれど、雪と直哉の間にだけ、目に見えない線が引かれていた。

直哉は意識して、雪に特別な言い方や態度をとらないようにしていた。
他の二人に勘づかれないように、いつも通りを装った。

特に、まどかの前では――。

まどかは、空気を読む。
鋭いわけではないが、誰よりも「今ある関係」を守ろうとする子だと直哉は知っていた。
そして彼女は、今のこの4人の関係を、きっと大切に思っている。

だからこそ、何も言わない。
聞かない。
変えようとしない。

悠真もまた、余計な詮索をするタイプではなかった。
直哉と雪の間に何か空気の違いがあったとしても、それを茶化したり、面白がったりはしなかった。
――だから、余計に、何も言えなかった。

雪に話しかけるタイミングを逃し続け、

二人きりになる機会も作れず、

「今度どこか行こう」というあの約束も、言い出せないまま一週間が過ぎていった。

教室の窓から差し込む光の向こうで、

雪は誰にも触れられないまま、静かにそこにいた。
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