異世界を印刷で無双する/社畜が転生先で「つまり印刷機で魔法陣を大量印刷すれば無双できるのでは」と気づいたがまさかのラスボスに戸惑いを隠せない

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第三章 印刷戦線

第32話 ジェーン・ドゥ

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口元には薄く笑みを浮かべ、しかしその視線は、値踏みするように絢理を捉えている。


「へいへーい、楽しんでるぅ? 楽しんじゃってる異世界ライフ?」


鈴なりの柔らかな声で、眠たそうにゆっくりと、甘ったるく紡がれる、調子の外れた言葉。

「驚いた? 驚いちゃうよねえ、わかるわかる。すごい顔してるよ? 写真撮ったげよっか? あ、駄目だいまスマホない」
「スマホって……」

理解の追いつかない頭で絢理にできたのは、誰何するくらいだった。

「貴女、誰なんです……?」
「ジェーン・ドゥ」

予め用意しておいたのか、少女ーードゥはほとんど被せるように即答した。

「ジェーン・ドゥって、確かーー」

本名ではない。匿名を表す語、いわゆる「名無しの権兵衛」のことである。
真実を濁す少女の返答に、絢理は恐れと警戒とを抱く。
そもそも彼女は、どうやって入ってきた。扉の開く音はしなかった。忽然と、まるで中間を削除したフィルムを繋ぎ合わせたような唐突さで、その少女は現れていた。

「怖がらなくていいよ。怪しい者では、あるけどね」
「貴女も、異世界転生してきたんですか?」

絢理に加え、既にグーテンベルクが転生を経験していることは分かっている。
他に類例者がいても、何ら不思議ではない。

不思議ではないが、なぜ絢理は彼女ーードゥに対し、こうも身体をこわばらせるのか。

「それは、まだ秘密」

ドゥは人差し指を口元に当てて、目を弓なりに細める。

「今日はね、忠告に来ただけだから」
「忠告?」
「明日。ファーデンは戦場になる」
「なっ」

不穏な言葉に絢理が目を見開くと、その表情を見るために来たとでも言うように、ドゥは満足そうに口の端を吊り上げた。

「にしても面白いもの持ってきたねえ。印刷工場とは笑ったよお」
「どうしてそれを……ッ」
「それだけだから。じゃね」

告げると同時、身を翻す。扉を開け、その姿をくらませる。
彼女は何者だ。結局、どうして女子高生の格好をしていた。どうやって入ってきた。なぜ、印刷工場のことを知っている。戦場になるとはどういうことか。
そもそも、どうして絢理に忠告を挟んできた。

「ま、待って!」

思考停止の数秒を恨みつつ、絢理は弾かれたように身を躍らせる。ソファを名残り惜しんでいる場合ではない。
扉を開けて、左右に視線を素早く走らせる。ちょうど、ドゥが長い廊下を折れて姿を消すところだった。
小さな体躯を駆り、ドゥを追う。廊下を抜け、階段を降り、宿のロビーを抜け、外へ。
往来は活気付いていた。商業都市ファーデン。様々な種族が入り乱れる街。宿はメインストリートのど真ん中に建てられている。 多くの店がたち並び、人々がひしめく中、絢理は足りない身長を補うようにぴょんぴょんと跳ねて、ドゥの姿を探すーーいた。
雑踏をかき分けるように走る。

「待って! 待ってください!」

通行人が叫びに呼応して、不思議そうに絢理を振り返る。その視線がうざったい。
肝心のドゥはと言えば、一瞬振り返ったかと思えば、悪戯っぽく舌をぺろりと出して挑発してくるのだった。

「舐めんな……っ」

足がもつれる。息が切れる。雑踏が邪魔だ。だが努力の甲斐があったか、だんだんと彼我の距離は縮まっていく。
人波に隠れていた彼女の全身を視界に捉える。もうあと一歩。
不利を悟ったか、ドゥは人混みを避けるように進路を変えた。密度は薄く、日陰が多く、より狭い道を駆けていく。右へ左へ。進路を複雑に変えながら。
だが、その選択は間違いだ。人通りが少なくなれば、絢理にとっても追いかけやすい。手を伸ばせば届く距離にまで追い詰める。

ドゥの背中を絢理の指先がかすめる。

ドゥが咄嗟に左の路地に入る。同様に絢理も路地に入ったところで、絢理ははたと、足を止めた。

「あ、……あれ?」

絢理の視界から、ドゥは忽然と姿を消していた。路地は長く狭いが、遮蔽物は少ない。身を潜められるような場所はなく、意味もなく天を仰ぐが、当然、ドゥはいない。
荒い息を何とか整えながら、路地の向こうまで抜けてみる。
活気のある往来に出る。左右を見回しても、ドゥの姿はなかった。

「もう少しだったんですけどねー……」

ぺたりとその場で尻餅をつく。意想外の邂逅と全力疾走とで、疲れがどっと全身に推し寄せてくる。
気が抜けると、露天から漂ってくる食べ物の匂いが鼻腔をくすぐり、お腹を鳴らす。
天を仰ぐ。落ち着いた頭で自覚する。
初めての街で縦横無尽に駆け回ったのだ。

「ここ、どこですかね……」

つまり、迷子だった。


<続>
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