face/face ―彼の名はまだ、希望か絶望かも知らない―

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エデンへの片道切符

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 この海の中にあるとされている島。通称エデン。そこには人類が原罪によるなくしてしまった神による救いをもたらす神の奇跡が日常的に起こっているらしい。
 
 不治の病から救済されたもの、貧困から逃れられたもの、迷う人生を神に捧げ解き放たれたもの。そんな噂がここ本土にもまことしやかに囁かれている。

 質素な綿のワンピースにひとつ結びに整えられた黒髪の女が鏡越しに私を見て笑っている。そう、奇跡にすがる信者の表情を作った私だ。これからエデンに潜入し、復讐を果たす。そのためには疑念も抱かせず、真意を悟られず、内部から情報を抜き取り正義の名の下に欲に塗れた聖職者もどきを粛清せなばならない。

 「そんな顔してたら平和な信者さんに怖がられるぞハニー」
 「あら、あなたこそこれから救われにいくのに心配そうな顔をしちゃだめよ」

 そんな皮肉を言いながら兄貴分であり同じ潜入捜査官のトウヤに妻の顔で皮肉を返す。普段はかっちりしたスーツに身を包んでいるが潜入操作のため鍛え上げられた肉体をゆったりとした素朴なシャツとスラックスを纏い隠している。任務や鍛錬によって日光さらされ色素の抜けた焦茶の髪が無造作に笑い声と共に揺れる。
 
 今回の任務は教団上層部との接触と情報収集。行方不明者の捜索と可能な限りの保護。退避の難しい孤島であるからこそ兄弟子の存在は頼もしい。夫婦として潜入するのは同じ部屋でも違和感がないため情報共有がしやすい、お互いの行動がわかりやすいことからの設定だ。長年トウヤの父に養子として兄妹同然に育てられた私からすれば夫婦ごっこは違和感があるのだが任務のためには仕方ない。雑念を振り払って今回の任務へと意識を向け直す。

 エデンが台頭して十数年、失踪者が本土から跡を絶たない。そして誰一人戻ってきたものはいない。失踪者の数を鑑みても全員の情報が入ってこないのはありえないことだった。でも、私は知っているあそこは地獄だって神の名の下に人が虐げられる牢獄だ。

 高額で買い取ったエデンの通行証である古びた銀色のペンダントを見つめる。メッキの貼られた粗雑な作りのペンダントが挑発でもするかのように鈍く光る。

 あの日救えなかったあの子のためにも私が終わらせる一助になる。決意を新たに表情の精度を上げる。鏡に映ったのは復讐の炎を消し去り期待と不安の入り混じった瞳をした考えることを放棄した教団にとって都合のいい女だ。

 今まで上司に教わってやってきた通りこの任務も内部から探り綻びを公にするだけだ。そう自分を律すると妻としてのミサキはトウヤの横に寄り添うようにして歩きながら船着場へと向かった。

 船着場は、人でごった返していた。
老若男女、身なりも年齢も異なるのに、彼らを繋ぐ共通点が一つある。――首元で鈍く光る、古びたペンダント。それはエデンへの通行証。

 不気味なまでに静かで、だがどこか熱を孕んだその空気。皆、まるで神の声を待つように、黙って空を見上げていた。

 私はその群衆の一部に紛れ、きょろきょろと周囲を観察する。失踪届が出されていた人物の顔を探したが、それらしき姿は見えない。
 この船が、どれほどの人間を“楽園”へ連れていくのか――。そう思うと、吐き気に似ためまいがこみ上げる。

 やがて、重々しい汽笛の音が近づいてきた。

「皆様、よくぞこの箱舟に導かれてくださいました──」

 船から降りてきた男の声が、響く。
まるで舞台俳優のような通る声。計算された“慈愛”の響きが、疲弊した人々の心に染み込んでいく。
 それだけで、空気が変わった。沈黙から、期待と狂信のざわめきへ。

「楽園へ向かうには、不要なものをここに置いていくのです。それが“覚悟”であり、“代償”なのです」

 財布、スマートフォン、写真、指輪……日常に必要なすべてが、信徒が差し出す袋に、何の躊躇もなく吸い込まれていく。

「これは、儀式じゃない。支配だ」
 そう思ったのは、私たちだけだった。

 ボディーチェックまで施されるが、それは想定済み。
 任務のために持ち込んだGPS搭載通信機は、特殊素材で検知をすり抜ける。

「第一関門、突破」
心の中でそう呟き、船に乗り込む。

 席に座ると、信者の手で目隠しと耳栓が装着された。
“行き先を知られては困る”――その意図が明白であるにも関わらず、
不信感を抱いている者は、私達以外にいないらしい。

「……これは、厄介な任務かもな」

 耳栓を付けられる直前、トウヤの声がかすかに届く。
そして訪れる、無音と闇。
視界は閉ざされ、音のない世界で、ただ船体が揺れる感覚だけが、私が今も“現実”にいることを教えてくれていた。
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