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リスティアーナ女王国編
23 悪役主従と竜・後
ケイトの様子はおかしかった。明らかに、僕と同じようにあのときのことを思い出しているに違いなかった。ケイトにもう二度と心配をかけまいと思っていたのに、つい数ヶ月前に経験させてしまったことを繰り返しているのだ。いや、違う。
これはただのかすり傷だ。
どくどく、と心臓が緊張したような音を立てる。
顔から色のなくなったケイトがまるであのときの僕に語りかけるみたいに、焦った様子で口にする。
「え、エマ様。大丈夫ですか? 痛くないですか?」
「ケイト……」
「ねえ、ちょっと……心配しすぎじゃないの?」
妖精王も、ケイトのおかしな様子に気がついたようだった。
妖精王の言う通りだ。こんなただのかすり傷でこんなにも心配されてしまうだなんて、本当にどこぞの姫かなんかだと思われてるのかもしれない。僕は男で、僕は魔法だって使えるし、剣だってそれなりのはずだった。
(僕は……妖精の森にでもいたほうが、ケイトは安心なんじゃないだろうか)
砂漠の旅路での疲れが相まって、ついこの前から感じていた不安が胸に広がっていく。
一緒に旅をしたいと思っていた。僕はたしかに弱い、ケイトに比べたらずっと弱いだろう。それでもずっと隣にいたいと……思っていたのに。
胸のいたるところから圧迫感のようなものを感じて、それに押し出された衝動が目から溢れそうになる。
唇を噛みしめ、じわっと滲む視界に映るケイトのことを睨む。
「え、エマ様。痛いんですか? ど、どこか他にもケガを?」
慌てた様子のケイトを見て、もっと悲しい気持ちにになる。妖精王が小さく「……ちょっと、危ういわね」と、ため息をつくのがわかった。そして、それは僕もそう思った。
だとすれば、凹んでいる場合ではない。
ケイトを安心させるためにも、もっと強くならなくてはいけない。そう思ったとき、焦った僕はつい最近、剣の才能を見出してもらったことを思い出した。震える声を絞り出し、なんとか取り繕うとする。
「だ、大丈夫だ、ケイト。この前剣の達人に教えてもらったんだ。少し上達したと思う」
「――――――この前?」
周りの温度がキンと一気に冷え込んだような気がして、僕はハッとして動きを止めた。
「あ、えっと……ケイトがいない間に……その」
「オレがいない間に……?」
「あ、ち、違う。す、すごい剣士だったんだ。だから、その……ケイトの力に……」
「――……へえ…………そう、だったんですか」
ケイトの顔から表情がなくなり、自分が失敗してしまったらしいことをひしひしと感じた。
握りしめていた僕の手をそっと下ろしたケイトの指先が、つーっと僕の喉元を滑っていく。愛しい人の指先だと言うのに、触れた場所から凍りついてしまいそうな感覚が走っていく。なにかの魔法なのかと思うほどで、僕の背筋をビリビリと嫌な痺れが伝った。
(あ…………ど、どうしよ)
ケイトがにこっと優しく微笑むのを見て、震えが走った。
すごく怒らせてしまったことだけはわかる。「怖がらないでください。聞くだけですから」と淡々と前置きをしたケイトが僕に尋ねた。
「どうやって、なにを教わったんですか? ああ……もしかして、通りかかった旅人っていうやつですか? 嘘、つきましたか?」
「ケイト、待って。ケイト、嘘じゃ……」
「黙ってただけ? なんで言えないんですか? オレが怒ると思ったから?」
「ち、違う。それは……」
知らない間に剣が上達していたら、ケイトが……ケイトがびっくりして、喜ぶんじゃないかと思って。
でも掴まれた喉元は本当に凍ってしまったみたいに固まって、言葉がなにも出てこない。本当に魔王みたいな顔をしているケイトを見て、僕の視界がじわっと涙で滲む。
ケイトは僕のことを心配しているようでいて、僕のことを信用していないのと同じだった。
好きで、隣にいたくて、強くなりたくて、だけどそのすべてがケイトを傷つけてしまうのだと知る。
「どうして教えてくれないんですか?」
驚かせたかっただけだったのに。僕は弱くて、でも強くなりたくて、ただ剣を教わることもできないんだろうか。そんな気持ちすらも、ケイトにとっては迷惑なように思えてしかたなかった。ケイトはにこにこ笑っているのに、瞳は光なく真っ暗で、なにも映ってないみたいだった。
それから、小さくつぶやいた。
「どこかに閉じ込めておけたらいいのに……」
僕はハッと息を呑んだ。
それはずっと、そう思われることだけは避けたいと、そう思っていたことだった。僕はケイトにとってなんなんだろうと悔しくて、我慢していた涙がこぼれてしまった。ぽろぽろと溢れ出してしまった涙を見て、ケイトのほうがもっとつらそうな顔になった。
その顔は、僕がもう二度とさせたくないと思っていたケイトの悲しい顔で、僕の胸がズキンと痛んだ。妖精王が僕とケイトの間に立ちはだかるように羽ばたいた。
「ちょっと……あなた言い過ぎよ」
「……わかってます。でも――」
謝るべきなのか、どうしたらいいのか、なにもわからなかった。
僕はもう死なないよって、ケイトのそばにいるし、強くなるよって、思う気持ちはまったくケイトに届かない。
ケイトは僕の両手を掴み、顔の高さまで持ってくると、唇を寄せ目を閉じ、祈るように口にした。
「エマ様は、オレに守られててください……」
ケイトの悲痛な声だった。
「強くなんてならなくていい……そばにいてくれるだけで」
「ッッ!」
僕の手からはもう血なんて出てなかった。でも僕の胸は、切り裂かれてしまったみたいに痛んだ。
僕はケイトに掴まれた両手を勢いよく振り解いた。深い悲しみはいつの間にか大きな怒りとなって、僕の口から飛び出した。
「僕は、ケイトの生贄じゃないからな!!!」
僕はそう叫ぶと、ケイトはハッとしたような顔をした。冗談でそんなことを話していたのが遠い昔みたいな気がした。
だけど僕はもう止まれなくて、ケイトに背を向けて走り出した。だけど、――すぐにグッと手を掴まれて、ガクンと後ろにあったケイトの胸板にぶつかった。耳元でケイトの声がした。
「わかってます……話も聞きますから、お願いだから、オレから離れないでください」
ぎゅうっと抱きしめられて、いつものケイトの優しい匂いが広がる。それでも、それでも――!
僕はぐるっと顔だけ振り返ると、思いっきりケイトの顎に頭をぶつけながら言った。
「絶対にいやだ!」
「ってッ」
魔王に頭突きをきめたのは、もしかしたら僕が史上はじめてかもしれない。
ケイトが強いのはわかってる。それでも、今ケイトの言うことを聞いたら丸めこまれておしまいな気がした。優しく甘い言葉で、僕のことをそのあたたかな腕の中に、柔らかく閉じ込めようとしている。そう思った。
緩んだ腕から僕はするりとすり抜けると、来た道を走り出した。慌てた妖精王が「この子は私が絶対守るから! あなたはちょっと反省していなさい!」とケイトに言って、ビュンと僕の近くまで飛んできた。チラッと一度だけ振り返ったら、顎を押さえたまま呆然としているケイトの姿があって胸が痛んだ。
でも今は、ちょっとだけ考えさせてほしい。ケイトがいなくたって、ケイトの横にいたって、僕はちゃんとそれなりに戦えるって思いたい。そう、思った。
僕の走る姿は多分、ケイトと一緒に見たワイルドボアとはほど遠い姿で、僕はそれを思って悲しくなった。
(好きなのに……こんなに好きなのに……気持ちが遠い)
一心不乱に走っていた僕は、気がつかなかった。
ケイトの立っていた場所から少し離れたところで、黒い影がのそっと動いたのは、僕と妖精王がその場を離れてすぐだった。
暗闇の中で、ぱち、ぱち、と黄金色の目がゆっくりと瞬きをしながらひらき、ケイトのことを見据えた。『暗黒竜』という名前はこのためにあると言ってもいいほどの、黒く強大な存在だった。
立ち尽くしていたケイトはゆっくりとそちらへ向かって歩き出した。だんだんと輪郭が顕になっていくその大きさはアイスドラゴンの倍近くあり、のそりと長い首を伸ばしたかと思うと、ゆっくり、ゆっくりと、ケイトの前に頭を垂れた。
そして、言葉を口にしたのだ。
「闇の王……世界を手に入れるときが来ましたか」
これはただのかすり傷だ。
どくどく、と心臓が緊張したような音を立てる。
顔から色のなくなったケイトがまるであのときの僕に語りかけるみたいに、焦った様子で口にする。
「え、エマ様。大丈夫ですか? 痛くないですか?」
「ケイト……」
「ねえ、ちょっと……心配しすぎじゃないの?」
妖精王も、ケイトのおかしな様子に気がついたようだった。
妖精王の言う通りだ。こんなただのかすり傷でこんなにも心配されてしまうだなんて、本当にどこぞの姫かなんかだと思われてるのかもしれない。僕は男で、僕は魔法だって使えるし、剣だってそれなりのはずだった。
(僕は……妖精の森にでもいたほうが、ケイトは安心なんじゃないだろうか)
砂漠の旅路での疲れが相まって、ついこの前から感じていた不安が胸に広がっていく。
一緒に旅をしたいと思っていた。僕はたしかに弱い、ケイトに比べたらずっと弱いだろう。それでもずっと隣にいたいと……思っていたのに。
胸のいたるところから圧迫感のようなものを感じて、それに押し出された衝動が目から溢れそうになる。
唇を噛みしめ、じわっと滲む視界に映るケイトのことを睨む。
「え、エマ様。痛いんですか? ど、どこか他にもケガを?」
慌てた様子のケイトを見て、もっと悲しい気持ちにになる。妖精王が小さく「……ちょっと、危ういわね」と、ため息をつくのがわかった。そして、それは僕もそう思った。
だとすれば、凹んでいる場合ではない。
ケイトを安心させるためにも、もっと強くならなくてはいけない。そう思ったとき、焦った僕はつい最近、剣の才能を見出してもらったことを思い出した。震える声を絞り出し、なんとか取り繕うとする。
「だ、大丈夫だ、ケイト。この前剣の達人に教えてもらったんだ。少し上達したと思う」
「――――――この前?」
周りの温度がキンと一気に冷え込んだような気がして、僕はハッとして動きを止めた。
「あ、えっと……ケイトがいない間に……その」
「オレがいない間に……?」
「あ、ち、違う。す、すごい剣士だったんだ。だから、その……ケイトの力に……」
「――……へえ…………そう、だったんですか」
ケイトの顔から表情がなくなり、自分が失敗してしまったらしいことをひしひしと感じた。
握りしめていた僕の手をそっと下ろしたケイトの指先が、つーっと僕の喉元を滑っていく。愛しい人の指先だと言うのに、触れた場所から凍りついてしまいそうな感覚が走っていく。なにかの魔法なのかと思うほどで、僕の背筋をビリビリと嫌な痺れが伝った。
(あ…………ど、どうしよ)
ケイトがにこっと優しく微笑むのを見て、震えが走った。
すごく怒らせてしまったことだけはわかる。「怖がらないでください。聞くだけですから」と淡々と前置きをしたケイトが僕に尋ねた。
「どうやって、なにを教わったんですか? ああ……もしかして、通りかかった旅人っていうやつですか? 嘘、つきましたか?」
「ケイト、待って。ケイト、嘘じゃ……」
「黙ってただけ? なんで言えないんですか? オレが怒ると思ったから?」
「ち、違う。それは……」
知らない間に剣が上達していたら、ケイトが……ケイトがびっくりして、喜ぶんじゃないかと思って。
でも掴まれた喉元は本当に凍ってしまったみたいに固まって、言葉がなにも出てこない。本当に魔王みたいな顔をしているケイトを見て、僕の視界がじわっと涙で滲む。
ケイトは僕のことを心配しているようでいて、僕のことを信用していないのと同じだった。
好きで、隣にいたくて、強くなりたくて、だけどそのすべてがケイトを傷つけてしまうのだと知る。
「どうして教えてくれないんですか?」
驚かせたかっただけだったのに。僕は弱くて、でも強くなりたくて、ただ剣を教わることもできないんだろうか。そんな気持ちすらも、ケイトにとっては迷惑なように思えてしかたなかった。ケイトはにこにこ笑っているのに、瞳は光なく真っ暗で、なにも映ってないみたいだった。
それから、小さくつぶやいた。
「どこかに閉じ込めておけたらいいのに……」
僕はハッと息を呑んだ。
それはずっと、そう思われることだけは避けたいと、そう思っていたことだった。僕はケイトにとってなんなんだろうと悔しくて、我慢していた涙がこぼれてしまった。ぽろぽろと溢れ出してしまった涙を見て、ケイトのほうがもっとつらそうな顔になった。
その顔は、僕がもう二度とさせたくないと思っていたケイトの悲しい顔で、僕の胸がズキンと痛んだ。妖精王が僕とケイトの間に立ちはだかるように羽ばたいた。
「ちょっと……あなた言い過ぎよ」
「……わかってます。でも――」
謝るべきなのか、どうしたらいいのか、なにもわからなかった。
僕はもう死なないよって、ケイトのそばにいるし、強くなるよって、思う気持ちはまったくケイトに届かない。
ケイトは僕の両手を掴み、顔の高さまで持ってくると、唇を寄せ目を閉じ、祈るように口にした。
「エマ様は、オレに守られててください……」
ケイトの悲痛な声だった。
「強くなんてならなくていい……そばにいてくれるだけで」
「ッッ!」
僕の手からはもう血なんて出てなかった。でも僕の胸は、切り裂かれてしまったみたいに痛んだ。
僕はケイトに掴まれた両手を勢いよく振り解いた。深い悲しみはいつの間にか大きな怒りとなって、僕の口から飛び出した。
「僕は、ケイトの生贄じゃないからな!!!」
僕はそう叫ぶと、ケイトはハッとしたような顔をした。冗談でそんなことを話していたのが遠い昔みたいな気がした。
だけど僕はもう止まれなくて、ケイトに背を向けて走り出した。だけど、――すぐにグッと手を掴まれて、ガクンと後ろにあったケイトの胸板にぶつかった。耳元でケイトの声がした。
「わかってます……話も聞きますから、お願いだから、オレから離れないでください」
ぎゅうっと抱きしめられて、いつものケイトの優しい匂いが広がる。それでも、それでも――!
僕はぐるっと顔だけ振り返ると、思いっきりケイトの顎に頭をぶつけながら言った。
「絶対にいやだ!」
「ってッ」
魔王に頭突きをきめたのは、もしかしたら僕が史上はじめてかもしれない。
ケイトが強いのはわかってる。それでも、今ケイトの言うことを聞いたら丸めこまれておしまいな気がした。優しく甘い言葉で、僕のことをそのあたたかな腕の中に、柔らかく閉じ込めようとしている。そう思った。
緩んだ腕から僕はするりとすり抜けると、来た道を走り出した。慌てた妖精王が「この子は私が絶対守るから! あなたはちょっと反省していなさい!」とケイトに言って、ビュンと僕の近くまで飛んできた。チラッと一度だけ振り返ったら、顎を押さえたまま呆然としているケイトの姿があって胸が痛んだ。
でも今は、ちょっとだけ考えさせてほしい。ケイトがいなくたって、ケイトの横にいたって、僕はちゃんとそれなりに戦えるって思いたい。そう、思った。
僕の走る姿は多分、ケイトと一緒に見たワイルドボアとはほど遠い姿で、僕はそれを思って悲しくなった。
(好きなのに……こんなに好きなのに……気持ちが遠い)
一心不乱に走っていた僕は、気がつかなかった。
ケイトの立っていた場所から少し離れたところで、黒い影がのそっと動いたのは、僕と妖精王がその場を離れてすぐだった。
暗闇の中で、ぱち、ぱち、と黄金色の目がゆっくりと瞬きをしながらひらき、ケイトのことを見据えた。『暗黒竜』という名前はこのためにあると言ってもいいほどの、黒く強大な存在だった。
立ち尽くしていたケイトはゆっくりとそちらへ向かって歩き出した。だんだんと輪郭が顕になっていくその大きさはアイスドラゴンの倍近くあり、のそりと長い首を伸ばしたかと思うと、ゆっくり、ゆっくりと、ケイトの前に頭を垂れた。
そして、言葉を口にしたのだ。
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