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第三話 ~秋守と冬夜~
15 (夏歩)
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はぁ……、と勝手に漏れてしまう溜め息を意識しながら、カーテンを閉める。この数時間で窓の外を何度覗いたかしらね。
空はすっかり夜色になっているけれど、彼はまだ帰って来ない。いつになったら帰ってくるの?
もしも、彼よりも先におじさんが帰って来たら、鍵を貸してもらって家に入ったと言えば許してくれるかしら? 優しそうな人だとの印象を持っているけれど、ろくに話したことはないし実際のところは分からない。
だけどおじさんよりも避けたいのは、オバサンが先に帰って来ると言う状況よ。自分の城に私が入り込んでいるのを確認するや否や、間違いなく発狂するでしょう。
二人で暮らしていた時も、その時々の再婚相手と暮らしていた時も、私の居場所はなかった。家はあくまで建物を表す単語で、帰る場所ではない。
空気のように気配を消していても、そこにいることを許されなくて。この世界に生きている事実を否定されて。……だめ、浴びせられてきた汚い言葉が蘇りそうになるわ。
脳裏に見え始めた過去の映像をかき消そうとして、低い天井を仰ぐと時計と目が合う。十八時。冬夜はお仕事を終えて、家に帰っている頃よね。
本当は今すぐにでも、冬夜のところへ駆けて行きたい。本来の目的だったカーディガンはとっくに羽織っているんだから、居心地の良くない部屋とは一刻も早くさよならしたい。
だけど、出て行けない。ポケットに入れている銀色の冷たさが私を引き留めているから。施錠して出掛けてしまうと、彼が家に入れなくて困るでしょうし。かと言って、無施錠は更に困った事態を引き起こしそうだし。
どうか早く帰って来て。オバサンと顔を合わせたくない、この家に入り込んでいる事実を見られたくないのよ。
自室として与えられている部屋の扉と窓を開けては閉めて、無駄に立ったりまた正座したり、とにかく落ち着かない。誰かがこの様子を眺めていたら、心配されてしまうほどに挙動不審になっている自覚があるもの。
一体、どこで何をしていて遅くなっているのかしら。……そう思うと、私は彼のことを何も知らないわね。知ろうとしてこなかったんだから、当然と言えば当然ではあるけれど。
重い溜め息を窓の外へ捨てようとした時、向こうの方から近付いてくる人影。
全体の雰囲気、背丈、制服。彼だわ! そう判断したのが先か、階段を駆け下りたのが先かは覚えていない。
階段の最後の一段から足を離したのと同時に、玄関の扉が開く。肩に下げた通学カバンとは別に、スーパーの袋を持っている姿に安堵する。
良かった……、見間違いじゃなかった。これでオバサンが帰って来たとしても、弁護してもらえるわ。
「ただいま」
安心感のあまり何も言えないでいると、普段よりもお人よし度を上げたような笑顔を浮かべて、そんな挨拶をするの。
ねぇ? ただいまは、おかえりなさいと言ってくれる人に捧げる言葉よ? 言えない。この家の住民じゃない私に、お出迎えの言葉を唱えることは許されない。
「お……遅かったのね」
「帰りにスーパーに寄って来たんだ」
少しばかりのかすり傷を負ったような心を誤魔化すために、スカートをぎゅっと掴むと硬い感触。
買ってきた物を冷蔵庫や棚にしまおうとするので、先に要件を伝えなきゃ。
「あのっ、これを返すわ。ありがとう」
細いリングを摘まんで、目の高さに借りた物を掲げる。
鍵なんて持っておきたくないわ。だって、この家に住む人だけが持つことが出来る大切な物なんだから。あらぬ疑いをかけられても面白くないし……、と思っていたのに。
「それは夏歩さんのだよ。だってほら、俺のはこの通り」
そう言って、ポケットから取り出した革のキーホルダーに下がる銀色を、同じように目の前で揺らす。
この人は鍵の大切さを分かっているのかしら? いいえ、頭がおかしい訳ではないから重要な物だとは知っているに決まっているわよね。だったら何故。
「受け取れないわ。私は家族じゃない……」
「家族だよ。だからこそ、合鍵を作ってきたんだ。ずっと渡そうと思っていたんだけど、遅くなってごめんね」
ろくに話をしたことも、一緒に過ごしたこともない。おじさんについてはもちろん、親切にしてくれる彼についても、何も知らない。知りたくない。心が近くなるのは……怖い。
散々酷い態度をとってきている私を、どうして家族だなんて言い切れるのかしら。この人の頭の中には、理解不能な複雑な回路が通っているのね。
受け取ることは出来ず、返却も受け付けてくれない。どうしたものかしらと戸惑っている私を置いて、
「そうそう。これ、夏歩さんにって」
彼は笑顔のまま小さな袋を渡してくれた。見ると、冬夜がアルバイトをしているコンビニの袋だわ。学校からも行ける距離にあるから、飛生高校の生徒も利用することがあるでしょうね。
そんなことを考えながら、取り出した中身は缶のココア。まるで冬夜みたいね。あの子は私がちゃんと食事を出来ていないのを心配して、頻繁に差し入れをくれるの。
「冬夜さんから、夏歩さんに渡しておいてくれと言って預かってさ。ココアが好きなんだってね」
嬉しそうに話す彼を、まるで未知の生物でも見るような目で凝視しているでしょう。だって、今想像していた人のことを下の名前で呼んだのだもの。……どう言うこと?
駆け上がってくる寒気は、全身をじわりと這う。
空はすっかり夜色になっているけれど、彼はまだ帰って来ない。いつになったら帰ってくるの?
もしも、彼よりも先におじさんが帰って来たら、鍵を貸してもらって家に入ったと言えば許してくれるかしら? 優しそうな人だとの印象を持っているけれど、ろくに話したことはないし実際のところは分からない。
だけどおじさんよりも避けたいのは、オバサンが先に帰って来ると言う状況よ。自分の城に私が入り込んでいるのを確認するや否や、間違いなく発狂するでしょう。
二人で暮らしていた時も、その時々の再婚相手と暮らしていた時も、私の居場所はなかった。家はあくまで建物を表す単語で、帰る場所ではない。
空気のように気配を消していても、そこにいることを許されなくて。この世界に生きている事実を否定されて。……だめ、浴びせられてきた汚い言葉が蘇りそうになるわ。
脳裏に見え始めた過去の映像をかき消そうとして、低い天井を仰ぐと時計と目が合う。十八時。冬夜はお仕事を終えて、家に帰っている頃よね。
本当は今すぐにでも、冬夜のところへ駆けて行きたい。本来の目的だったカーディガンはとっくに羽織っているんだから、居心地の良くない部屋とは一刻も早くさよならしたい。
だけど、出て行けない。ポケットに入れている銀色の冷たさが私を引き留めているから。施錠して出掛けてしまうと、彼が家に入れなくて困るでしょうし。かと言って、無施錠は更に困った事態を引き起こしそうだし。
どうか早く帰って来て。オバサンと顔を合わせたくない、この家に入り込んでいる事実を見られたくないのよ。
自室として与えられている部屋の扉と窓を開けては閉めて、無駄に立ったりまた正座したり、とにかく落ち着かない。誰かがこの様子を眺めていたら、心配されてしまうほどに挙動不審になっている自覚があるもの。
一体、どこで何をしていて遅くなっているのかしら。……そう思うと、私は彼のことを何も知らないわね。知ろうとしてこなかったんだから、当然と言えば当然ではあるけれど。
重い溜め息を窓の外へ捨てようとした時、向こうの方から近付いてくる人影。
全体の雰囲気、背丈、制服。彼だわ! そう判断したのが先か、階段を駆け下りたのが先かは覚えていない。
階段の最後の一段から足を離したのと同時に、玄関の扉が開く。肩に下げた通学カバンとは別に、スーパーの袋を持っている姿に安堵する。
良かった……、見間違いじゃなかった。これでオバサンが帰って来たとしても、弁護してもらえるわ。
「ただいま」
安心感のあまり何も言えないでいると、普段よりもお人よし度を上げたような笑顔を浮かべて、そんな挨拶をするの。
ねぇ? ただいまは、おかえりなさいと言ってくれる人に捧げる言葉よ? 言えない。この家の住民じゃない私に、お出迎えの言葉を唱えることは許されない。
「お……遅かったのね」
「帰りにスーパーに寄って来たんだ」
少しばかりのかすり傷を負ったような心を誤魔化すために、スカートをぎゅっと掴むと硬い感触。
買ってきた物を冷蔵庫や棚にしまおうとするので、先に要件を伝えなきゃ。
「あのっ、これを返すわ。ありがとう」
細いリングを摘まんで、目の高さに借りた物を掲げる。
鍵なんて持っておきたくないわ。だって、この家に住む人だけが持つことが出来る大切な物なんだから。あらぬ疑いをかけられても面白くないし……、と思っていたのに。
「それは夏歩さんのだよ。だってほら、俺のはこの通り」
そう言って、ポケットから取り出した革のキーホルダーに下がる銀色を、同じように目の前で揺らす。
この人は鍵の大切さを分かっているのかしら? いいえ、頭がおかしい訳ではないから重要な物だとは知っているに決まっているわよね。だったら何故。
「受け取れないわ。私は家族じゃない……」
「家族だよ。だからこそ、合鍵を作ってきたんだ。ずっと渡そうと思っていたんだけど、遅くなってごめんね」
ろくに話をしたことも、一緒に過ごしたこともない。おじさんについてはもちろん、親切にしてくれる彼についても、何も知らない。知りたくない。心が近くなるのは……怖い。
散々酷い態度をとってきている私を、どうして家族だなんて言い切れるのかしら。この人の頭の中には、理解不能な複雑な回路が通っているのね。
受け取ることは出来ず、返却も受け付けてくれない。どうしたものかしらと戸惑っている私を置いて、
「そうそう。これ、夏歩さんにって」
彼は笑顔のまま小さな袋を渡してくれた。見ると、冬夜がアルバイトをしているコンビニの袋だわ。学校からも行ける距離にあるから、飛生高校の生徒も利用することがあるでしょうね。
そんなことを考えながら、取り出した中身は缶のココア。まるで冬夜みたいね。あの子は私がちゃんと食事を出来ていないのを心配して、頻繁に差し入れをくれるの。
「冬夜さんから、夏歩さんに渡しておいてくれと言って預かってさ。ココアが好きなんだってね」
嬉しそうに話す彼を、まるで未知の生物でも見るような目で凝視しているでしょう。だって、今想像していた人のことを下の名前で呼んだのだもの。……どう言うこと?
駆け上がってくる寒気は、全身をじわりと這う。
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