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第二話 ~飛生高校での一日~
11 (夏歩)
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いつの間にか辿り着いていたマンションの入り口を抜けて、エレベーターで六階に上がる。
廊下からマンション敷地内の庭を眺め、備え付けられているベンチに座って冬夜とお喋りしたこともあったよねなんて思いながら廊下を進み。
北原の表札が掛かっている家の扉を引いた途端、
「おっかえりー!」
ぶつかる! と思うほどに、誰かが勢い良く飛び出して来た。
驚きの余り声が出なかった私に反して、冬夜はこのお出迎えに慣れているようで、平然としている。
「はいはい、ただいま。ちょ、どいてくれ」
「今日は上司に飲みに誘われたけど、仮病を使ってまで即行で帰って来たんだ。だって冬夜と夏歩ちゃんとの時間を大切にしたいからさ!」
「分かったから、とりあえず家の中に入らせて」
「それでな、ホールケーキを買って来たんだ! 夏歩ちゃんが帰って来たあの日は、あまりに急だったからケーキ屋が開いてなくて買って来られなかっただろ? だから今日はちゃんと……ぷぐっ!」
「分かったっつーの! うるせぇんだよ」
可愛がっている家族に顔面を掴まれたその人は、ふらふらとしながら家の中へと後退していく。
黒の短髪で眼鏡を掛けて、長身。見た目は格好良くてもてそうなのに、中身は面白いこの人は冬夜のお兄さん。
二人のじゃれ合いは何度見ても微笑ましくて、くすくすと笑ってしまう。
「弥生さん、こんにちは。お邪魔します」
「こんにちは、夏歩ちゃん。あー、今日も変わらず可愛いなぁ。母さーん、二人が帰って来たよー!」
大きな声で奥の部屋へと伝える弥生さんに反応して、台所の方から顔を覗かせたのは冬夜のお母さん。黒髪のボブが似合っている、格好良い女性なの。
「奈月さん、お邪魔します」
ぺこりと頭を下げながら言うと、腰に手を当ててこちらを見据える。その表情は若干怒っているようで、開かれた口から零れた言葉で怒りの原因が知れた。
「夏歩、前にも言ったよな? うちに来る場合は、お邪魔しますじゃなくてただいまと言ってくれって」
自分の家でもないのに帰宅を告げる挨拶をするのは気が引けてしまう。だから気付かれませんようにと祈りながらお邪魔しますと口にするんだけど、聞き逃してはくれないのよね。
「あ……、の。はい、ただいま、です」
戸惑いながらも言い直すと、にっこり笑って「うん、おかえり」と言ってくれたので一安心。
北原家の母と長男は、冬夜だけでなく自分達も私の友達だと思ってほしいからと、名前で呼ぶようにお願いされているの。
ここまで友好的にお付き合いして頂いて良いのかなと疑問に思う時はあるけれど、とっても可愛がってもらえているので本当にありがたい。
「夏歩がグラタン好きだって聞いたからさ、今日はそれを作ってるんだ。あ、それとな!」
言いつつ、奈月さんは何やら包装された物を取り出した。そのまま包みを渡されて、条件反射で受け取ってしまう。
「これ、夏歩に似合いそうな服があったから、衝動買いしちゃったんだよ」
「おーっ、どれどれ? どんなの? 見せて」
弥生さんに促されるまま、戸惑いながらも取り出して胸の前に広げる。触感が滑らかで優しいそれは、淡い青色が綺麗なセーターだった。
「それなら涼しくなってもしばらくは着られるだろうと思ってさ。どう? 気に入ってもらえた?」
「あ、はい。もちろんです! だけど、私、もらっていいんでしょうか……」
「いいんだよ。受け取ってくれないと、可愛い服が可哀想な服になるだけでしょうが」
「夏歩ちゃん、早速着てみてよ。そして写真を撮らせて! 俺の携帯の待ち受けにするから……んぷっ!」
「おれの部屋は内側からカギがかけられるからさ、着替えておいで。その間、この変態お兄を成敗しておくから」
めりめりと音を立てそうなくらいに顔面を掴まれている弥生さんと、黒い笑みを浮かべる冬夜の二人が面白くて、ほくそ笑みながら部屋へ向かう。
後ろ手に閉めた扉はパタンと音を立てて、私に一人になったことを伝える。電気を点けない部屋には夜が忍び寄って来ていて、暗く静かで。
耳に神経を集中させると聞こえてくる北原家の会話。
「兄ちゃんは大人しくしてれば普通の人なんだから、変態さを抑えろって」
「だって、夏歩ちゃんが可愛いからさぁ。あ、もちろん冬夜も可愛いよ」
「うっせ!」
「おーい、グラタンが出来たぞ。お皿を出してくれるかー」
「はいはい」
今の時間帯、澄田家でも似たような会話が聞こえているかもしれないわね。
昼間届いていた夕飯についてのメールに、彼は何と返事をしたのかしら。オバサンのあからさまに媚を売る態度に、思わず笑いたくなる。……はずなのに。
痛み、軋む胸の奥を感じ取ったと同時に滲み始める視界。どうして泣けてくるの? 何が悲しいの?
分からない。……本当は分かっているのよ。だけど、自分に嘘をつかないと崩れてしまいそうになる。
再生したくないと願い、思い出さない努力をしていたのに。音も無く近付く夜に誘われて、蘇る声。
『夏歩さんと家族になりたいんだ』
……ねぇ、同い年のお兄さん。家族には色んな色や形があると思うけれど、どう考えたってあなたとはその関係にはなれないわ。
何故なら、オバサンは私を嫌っている。そんなオバサンがいる家にいられる訳が無くて。
それにね、あなたの心は綺麗過ぎるの。私には近寄れないほどに汚れていなくて、歪みが無くて、怖いほどに透明で。
柔らかなセーターに顔を埋め、涙声が零れる。誰に投げている訳でも無い独り言、それは学校で呟いたのと同じ言葉。
「家族になんて、なれる訳が無いじゃないっ……」
廊下からマンション敷地内の庭を眺め、備え付けられているベンチに座って冬夜とお喋りしたこともあったよねなんて思いながら廊下を進み。
北原の表札が掛かっている家の扉を引いた途端、
「おっかえりー!」
ぶつかる! と思うほどに、誰かが勢い良く飛び出して来た。
驚きの余り声が出なかった私に反して、冬夜はこのお出迎えに慣れているようで、平然としている。
「はいはい、ただいま。ちょ、どいてくれ」
「今日は上司に飲みに誘われたけど、仮病を使ってまで即行で帰って来たんだ。だって冬夜と夏歩ちゃんとの時間を大切にしたいからさ!」
「分かったから、とりあえず家の中に入らせて」
「それでな、ホールケーキを買って来たんだ! 夏歩ちゃんが帰って来たあの日は、あまりに急だったからケーキ屋が開いてなくて買って来られなかっただろ? だから今日はちゃんと……ぷぐっ!」
「分かったっつーの! うるせぇんだよ」
可愛がっている家族に顔面を掴まれたその人は、ふらふらとしながら家の中へと後退していく。
黒の短髪で眼鏡を掛けて、長身。見た目は格好良くてもてそうなのに、中身は面白いこの人は冬夜のお兄さん。
二人のじゃれ合いは何度見ても微笑ましくて、くすくすと笑ってしまう。
「弥生さん、こんにちは。お邪魔します」
「こんにちは、夏歩ちゃん。あー、今日も変わらず可愛いなぁ。母さーん、二人が帰って来たよー!」
大きな声で奥の部屋へと伝える弥生さんに反応して、台所の方から顔を覗かせたのは冬夜のお母さん。黒髪のボブが似合っている、格好良い女性なの。
「奈月さん、お邪魔します」
ぺこりと頭を下げながら言うと、腰に手を当ててこちらを見据える。その表情は若干怒っているようで、開かれた口から零れた言葉で怒りの原因が知れた。
「夏歩、前にも言ったよな? うちに来る場合は、お邪魔しますじゃなくてただいまと言ってくれって」
自分の家でもないのに帰宅を告げる挨拶をするのは気が引けてしまう。だから気付かれませんようにと祈りながらお邪魔しますと口にするんだけど、聞き逃してはくれないのよね。
「あ……、の。はい、ただいま、です」
戸惑いながらも言い直すと、にっこり笑って「うん、おかえり」と言ってくれたので一安心。
北原家の母と長男は、冬夜だけでなく自分達も私の友達だと思ってほしいからと、名前で呼ぶようにお願いされているの。
ここまで友好的にお付き合いして頂いて良いのかなと疑問に思う時はあるけれど、とっても可愛がってもらえているので本当にありがたい。
「夏歩がグラタン好きだって聞いたからさ、今日はそれを作ってるんだ。あ、それとな!」
言いつつ、奈月さんは何やら包装された物を取り出した。そのまま包みを渡されて、条件反射で受け取ってしまう。
「これ、夏歩に似合いそうな服があったから、衝動買いしちゃったんだよ」
「おーっ、どれどれ? どんなの? 見せて」
弥生さんに促されるまま、戸惑いながらも取り出して胸の前に広げる。触感が滑らかで優しいそれは、淡い青色が綺麗なセーターだった。
「それなら涼しくなってもしばらくは着られるだろうと思ってさ。どう? 気に入ってもらえた?」
「あ、はい。もちろんです! だけど、私、もらっていいんでしょうか……」
「いいんだよ。受け取ってくれないと、可愛い服が可哀想な服になるだけでしょうが」
「夏歩ちゃん、早速着てみてよ。そして写真を撮らせて! 俺の携帯の待ち受けにするから……んぷっ!」
「おれの部屋は内側からカギがかけられるからさ、着替えておいで。その間、この変態お兄を成敗しておくから」
めりめりと音を立てそうなくらいに顔面を掴まれている弥生さんと、黒い笑みを浮かべる冬夜の二人が面白くて、ほくそ笑みながら部屋へ向かう。
後ろ手に閉めた扉はパタンと音を立てて、私に一人になったことを伝える。電気を点けない部屋には夜が忍び寄って来ていて、暗く静かで。
耳に神経を集中させると聞こえてくる北原家の会話。
「兄ちゃんは大人しくしてれば普通の人なんだから、変態さを抑えろって」
「だって、夏歩ちゃんが可愛いからさぁ。あ、もちろん冬夜も可愛いよ」
「うっせ!」
「おーい、グラタンが出来たぞ。お皿を出してくれるかー」
「はいはい」
今の時間帯、澄田家でも似たような会話が聞こえているかもしれないわね。
昼間届いていた夕飯についてのメールに、彼は何と返事をしたのかしら。オバサンのあからさまに媚を売る態度に、思わず笑いたくなる。……はずなのに。
痛み、軋む胸の奥を感じ取ったと同時に滲み始める視界。どうして泣けてくるの? 何が悲しいの?
分からない。……本当は分かっているのよ。だけど、自分に嘘をつかないと崩れてしまいそうになる。
再生したくないと願い、思い出さない努力をしていたのに。音も無く近付く夜に誘われて、蘇る声。
『夏歩さんと家族になりたいんだ』
……ねぇ、同い年のお兄さん。家族には色んな色や形があると思うけれど、どう考えたってあなたとはその関係にはなれないわ。
何故なら、オバサンは私を嫌っている。そんなオバサンがいる家にいられる訳が無くて。
それにね、あなたの心は綺麗過ぎるの。私には近寄れないほどに汚れていなくて、歪みが無くて、怖いほどに透明で。
柔らかなセーターに顔を埋め、涙声が零れる。誰に投げている訳でも無い独り言、それは学校で呟いたのと同じ言葉。
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