キ・セ・*

朱音

文字の大きさ
17 / 41
第二話 ~飛生高校での一日~

10 (夏歩)

しおりを挟む
 頭の中で何度も繰り返されそうになる声、台詞。
『今はまだお互いに何も知らないけれど、少しずつ、ゆっくりでいいから――』
 頭を大きく左右に振って、自分に言い聞かせる。だめ、思い出してはいけない。
 街の喧噪のおかげで、はっきりと再現するには至っていないのが唯一の救い。忠実に再現してしまうと、きっと胸が締め付けられるもの。
 だって、あんな言葉……どうやって信じろと言うのよ。彼は綺麗事を並べ立てているだけなんだから、聞き流せばいい。
 そう思っているのに、どうして心はいつまでも割り切れずにいるのかしら……。
「夏歩? ぼーっとしてどうした?」
 どこか遠くへと飛ばしていた意識は、名前を呼ばれたのをきっかけにここへと戻って来た。数回瞬きをして現状を確認すると、屈んで私の顔を下から覗き込んでいた一重の黒目。
 ……そうだわ。コンビニ前のガードレールに寄り掛かって、冬夜の仕事が終わるのを待っていたんだっけ。
 今、どこで何をしているかさえも分からなくなってしまうなんて、それほどまでに彼の言葉に衝撃を受けたと言うことね。
「ぼんやりしてごめんなさい。お仕事お疲れ様。今日は忙しかった?」
「それがさぁ、昼の忙しい時間帯にレジの調子が悪くなってかなり焦ったわ。でも、西谷と東が入ってる時だったら焦りの余り喚くだろうから、あいつらがいなくて良かったかなとも思うけど」
 腕を胸の前で伸ばしてストレッチしながら愚痴るものの、表情は決して疲れていない。
 私の知らない間に冬夜は社会人として、そして誰かの先輩としての貫録を備えているんだ。格好良いな。
 二人で並んで歩き始めた残暑の夕暮れ。寄り添うように、くっ付くように、影だけが長く伸びている。
「と言うか、夏歩の方がお疲れだろ。なんせ学校初日だったんだから」
「散々転校させられているから、別に今更どうってことない……と言いたいところなんだけどね。クラスメイトと衝突しちゃった」
「えっ!? 何が原因だったんだよ!?」
 肩を竦めながら、変哲の無い世間話として口にしたはずだったのに。予想以上に食いついたのを目の当たりにして、しまったと思う。
 この子は頭に血が昇りやすいから、下手なことを言うと仇討に走るかもしれない。
 それに、『あなたの悪口を言っていた人がいたの』とは口にし辛い。だけど真実を話さない限り、尋問は続き、更にだめな方向へと向かいそうだったので、
「あの……、気分を害したらごめんね? 新森第三中の時に同じクラスだったらしい子がいて、その子があなたの悪い噂を口にし掛けたから、腹が立って思わず怒鳴りつけちゃったの」
 正直に告げる。すると一瞬呆気に取られた表情をして、その後すぐに大きな溜め息をつきながら頭を掻いて唸った。
「第三中から何人かは飛生に行ったからなぁ。当然おれのことを知ってる奴もいるわな……。嫌な思いをさせてごめんな」
「何を言っているのよ。悪口を吐かせてしまうきっかけを作ったのは私よ? 私が転校なんてしなければ……」
「いや、でもそもそもの原因はおれだから」
 お互いに自分が悪いと言い合って、ふと重なった視線。数秒間の無言の後、吹き出して笑ってしまった。
「庇い合うなんて、まるで仲良しカップルみたいだなー」
「それは違うでしょ」
「否定が早いだろ! でも、夏歩がそいつらに怒ってくれて嬉しいな」
 ほら、こんなに可愛い悪戯っぽい笑顔を見せてくれる人。なのにどうして、マイナスな印象を持たれてしまうのかしら。
 きっと本当の冬夜を知れば、ほとんどの人はこの子を好きになるわ。たくさんの人に、もっと良さを知って欲しい。
 そう思っている反面で、私を特別気に掛けてくれるあなたのままでいて欲しいとも願ってしまう。冬夜の優しさに出会わなければ、こんなにも我が侭な私にも出会わなかったのかも知れないわね。

「で、例のお兄チャンはどうだった?」
 自然な流れで問われた事項に、どくんと一つ大きく鳴った心音。だめ、強く鍵をかけておかないとあの言葉が蘇りそうになるっ……!
「……か、彼はどうも優しい人柄みたいで、気にしてくれていたみたい。何度か声を掛けてくれたし。でも、仲良くするつもりなんて無いから真剣に相手をしなかったわ」
 全く興味が無い様子を装って、空とだけ目を合わせて冷たく言い放つものの、心臓がどきどきと音を立てているのを意識する。
「ふーん?」
「でも、彼の親友には態度が悪いって言って怒られちゃった。だから、私に構わないでとお願いしておいたけどね」
 強がった心、少し上擦った声に気付かれたかもしれない。それでも何の質問もせず、あやすように軽く頭をぽんっと撫でてくれた。
「嫌なことや不愉快なことがあったら、すぐに学校を飛び出せばいいからな。……あー、こう言う時に夏歩が携帯を持ってれば便利なのにな」
 髪から伝わる、一回りほど大きな手の温度。
 この人から、一体どれだけ多くの安心と笑顔をもらったんだろう。そして、何をお返ししてこられたのかしら。
 ……何一つとしてお返し出来ていないなんて、とっくに気付いているわ。だからこそ狭くなる胸の奥。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

とある男の包〇治療体験記

moz34
エッセイ・ノンフィクション
手術の体験記

痩せたがりの姫言(ひめごと)

エフ=宝泉薫
青春
ヒロインは痩せ姫。 姫自身、あるいは周囲の人たちが密かな本音をつぶやきます。 だから「姫言」と書いてひめごと。 別サイト(カクヨム)で書いている「隠し部屋のシルフィーたち」もテイストが似ているので、混ぜることにしました。 語り手も、語られる対象も、作品ごとに異なります。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

あるフィギュアスケーターの性事情

蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。 しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。 何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。 この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。 そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。 この物語はフィクションです。 実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。

愛された側妃と、愛されなかった正妃

編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。 夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。 連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。 正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。 ※カクヨムさんにも掲載中 ※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります ※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。

処理中です...