キ・セ・*

朱音

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第三話 ~秋守と冬夜~

04 (秋守)

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 校門の傍に植えられている金木犀が色を深め、優しい香りを醸している。日に日に秋が深まって、気持ち良さを感じていた……はずだったのに。
「お、澄田。おはよう」
「おはようございます」
「今日も妹とは一緒じゃないのか?」
「……あの、朝一から心を抉ることを言わないでもらえますか」
「何だよ、朝っぱらから暗い顔しやがって」
 図書室前を通りかかった時に掛けられた、笹木先生からの言葉に少し沈んでしまった。ここで「そんなことありません」などと言い返せればいいんだけどなぁ。
 実際は先生の言う通り、夏歩さんとは全然同じ時間を過ごしていなくて、家族らしいやり取りなんてものは欠片も無い。
 彼女と一緒に通学路を歩いたのは、初日のあの時だけ。
 父さんから再婚の話を聞かされた瞬間から思い描いた、理想の家族像。朝はおはようの挨拶から始まって、一緒に食事をして、テレビを見ながら他愛も無い話をして、休日には買い物に出掛けて……。
 それらは少しも叶っていないどころか、父さんは本当に再婚したんだっけ? と思ってしまうほどに、以前と何も変わらないんだけど。俺の理想が高過ぎるのかな。

 通い慣れた廊下をぼんやりと歩き続け、教室に辿り着き、着席してから更にぼんやりと今日も思う。
 夏歩さんは、一体どこで毎日を過ごしているんだろう。友達の所にいるのは間違いないと思うんだけれど、その友達はどんな人なんだろう。うーん、気になる……。
 一向に縮まらない距離を想って、零れかけた溜め息を堪えながら鞄から教科書などを出したんだけど、
「なぁ、秋っ! オレ、昨日見ちゃったんだよ!」
 たった今置いたばかりの物をどかしてまで机上へと座った春平に、我慢したはずの溜め息を漏らしてしまった。
 どうしてこいつは朝からこんなに元気なんだよ。いや、元気なのは良いことなんだけど、たまにそのテンションの高さについていけないんだよな。
「何を見たんだよ。幽霊でも出たか?」
「幽霊って。オレはそんなものでビビらねーよ」
「嘘つけ。中学の時の肝試しでぎゃーぎゃー騒いで、俺に抱き付いて皆の誤解を誘っただろ」
「へぇ、そんなことを言っていいのかな? とっておきの事実を知りたくないんだ?」
「別に興味が無いと言うか、お前が盛り上がるほど面白い物じゃないんだろうなと思うし」
 春平の話は昔から大袈裟で、でも相手にしてやらないといつまでもうるさい。
 そんな訳で、適当にあしらいながら取り上げられた教科書を返せと手を差し出すと、代わりに渡されたのは思いがけない衝撃の言葉だった。
「そっかぁ。秋の妹が、男と一緒に住んでるって情報は聞きたくないのか」
「……は?」
 まさかの名前が出て来たことに目を見開いてしまう。どうせテレビか漫画か、はたまた夢の話だろうと思い込んでいたんだけど。
 夏歩さんが男と住んでいるだって? まさか。聞き違えたかな。
「ちょっと待ってくれ、今、何て言った?」
 真剣に相手にしてくれなかった俺がようやく自分に注目したことが嬉しかったのか、幼馴染はにやにやと笑うんだ。あぁ、なんて腹の立つ表情だろうか。
「あっくんはお話を聞きたくないんでしょ? じゃあ、言いませーん」
「シュンちゃん、お話聞かせて? 聞かせてくれないと今すぐ突き落す」
「ちょっ、やめろって。ストップ! 目が本気じゃねーか!」
 机を力いっぱいがたがたと揺らしてやり、次は身体に両手をかざして突き出す真似をする。
 彼女に関する情報はあまりに少なくて、だからどんな些細なことでも知りたいんだ。普段からそう思っているのに、些細どころか一気に大きな鍵を手に入れたんじゃないかな。

 このまま黙っておくと本気で落下させられると感じたらしい春平は、慌てた様子で供述し始めた。
「昨日の夕方、葉子に付いて来て欲しいって言われて、大通り沿いにあるコンビニに行ったんだよ」
 葉子とは春平の三つ年下の妹さん。漢字の読み方を変えて、ハコちゃんと呼んでるんだ。
 子供の頃は彼女のままごとに付き合っていたから、俺は気に入られていたっけ。……って、今はハコちゃんの話じゃない。
「そうしたら、あいつが髪の短いチャラい男と一緒にいてさ。仲良さそうにどこかへ行こうとしたから、思わず後をつけたんだよ」
「へぇ、大胆なことをしたんだな」
 動揺しているのがばれないように腕を組んでみるけれど、右手に感じる心音は素直に高鳴っている。
 夏歩さんが友人の所へ行っているのは知っていたけれど、一緒にいたのがまさか男性だったとは。……何となく、ショックだ。
「で、男の家と思われるマンションに入って行ったんだよ。途中で肩にパーカーを掛けてもらってたし、あいつ、見かけによらず意外と男たらしかもよ」
 傷付いた心を代弁する言葉が見つからなくて、否定も肯定も出来なくて、ただ小さく唸るだけ。
 どう返事をすればいいのか迷っていた時、タイミング良く教室に入って来た話の主役の姿を目で追ってしまう。
 今日も変わらず、強さを宿している真っ直ぐな瞳。でも、少し寂しそうな横顔が反比例を呼んでいる。
「見た目は清純っぽいのに、なぁ」
「人を見た目で判断するなよ。一緒にいるのが男性なだけで、不純だって決め付けるのは良くないだろ」
 夏歩さんのことを何も知らない。
 知らないけれど、知ろうともしない春平に家族を否定されるのが気に喰わなくて呟いた一言に、自分で納得してしまった。
 そうだよ。別に仲良くしているのが異性だと言うだけだ。むしろその友達となら、男同士と言うことで俺とも仲良くしてくれるかも。
 今までうじうじしていた反動か、そう結論付けた途端に明るい道が開けた。珍しく前向きに思考を転換出来たので、窓際の席へと向かう。
「おはよう。あのさ、今日は家に帰って来る?」
「……いいえ。そのつもりはないけれど」
 朝日に照らされて光る、綺麗な栗色の髪。ちらりとこちらを見た瞳だったけれど、すぐに興味なさそうに俯いてしまった。
「そ、そっか。あの、夏歩さんは友達の家に泊まってるんだよね?」
「だったら何?」
 笑顔を浮かべて話し掛けているのに、徐々に緊張が高まって頭の中では汗が噴き出し始める。だって、夏歩さんの機嫌が明らかに悪くなっていっているのが分かるから。
 冷たい目付きと口調は、強い決意を放っている。自身の輪の中に、一歩たりとも侵入させないと言ったところかな。
 それでも、俺は諦めきれない。子供の頃から望んでいた家族、そして妹が出来たんだ。
 あなたにとっては迷惑かもしれないけれど、どうかもう少しだけ仲良くなれる機会を与えて欲しい。
「いや、その……! 夏歩さんの友達はどんな人なのかな、良かったら俺も友達になりたいなと思ったんだ」
 思い切り警戒しているような態度に威嚇されながらも、伝えきった本音。……けれどそんな勇気は虚しく、ぽつりと呟いた一言で切り捨てられてしまった。
「でも、あの子はそうは思わないと思うわ」
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