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08 好きなひと
しおりを挟む体育祭の練習は競技が決定したその日から始まった。
体育の授業は体育祭の練習に切り替わり、放課後も競技メンバーで話し合って練習をしていた。一方で真広は放課後はいつも通り放送室だ。普段よりも人数の多いグラウンドを眺めていた。リレーのバトンを練習している人や、綱引きを練習している人、ただ走っている人。その中にはもちろん陸もいた。
陸は部活に励んでいるようで、たまにクラスの奴らにアドバイスらしきことをしていたりしているみたいだ。確かに陸の走るフォームはきれいで、すごく速い。あんな風に走れたらいいなと誰しもが思うだろう。真広自身もそうだった。中学の頃を思い出して胸がちくりと痛む。グラウンドを見ているせいだ、とカーテンを閉じようとした時、視界の端に陸がクラスの女子と話しているのが見えた。笑い合っていた。
ずきずきと、心臓が痛む。
痛みから逃げるようにカーテンを閉ざした。
自分はいったい陸とどうなりたいんだろう。
この気持ちは一生言うつもりはないのに、女の子と一緒にいる姿を目に入れたくないしもし陸に好きな女の子がいたとしても応援したくない。ずっと幼馴染でいたいと思うのにそれだけでは物足りないと感じてしまう。
でもやっぱり、好きだなんて一生言える気がしない。
陸は中学の頃からモテる。告白も何回もされている。どういう理由で断っているのかは知らないが、真広の知る限りでは一度も彼女ができたことないだろう。もし紹介されでもしたら自分がどうなるかわからない。けれど、いつかそういう日も来るんだろう。
いつ来るかわからない現実を、何度も何度も、ぐるぐるぐると考えるようになったのはいつからだろうか。
真広はようやくカーテンから手を離して、窓から離れた。これ以上窓のそばにいても意味がない。グラウンドを見たくなるし、見たらつらいし、いいことなんてない。
ちょうどいいタイミングで、放送室の扉がノックされた。めずらしいこともある。
「……はい」
なにも考えずに返事をしたらゆっくりドアが開いた。
「あ、あの」
藍香だった。
最初の頃の強引さや元気はなく、別人のようだった。あのデートの日以来会っていなかったので真広は気まずさを感じていた。あとから思えば、藍香とデートをして試すようなことをして悪かったし、酷いことも言ったと思う。それなのに会いに来るなんて、すごい勇気がいることだろう。
「どうした?」
あくまで人を入れてはいけないと言われているので、ドアを半分開けたまま彼女と話をする。幸いなことに廊下には誰もいない。
「……あのね、話したいことがあって」
この雰囲気は最初に彼女が放送室に来た時と似たものがあった。真広は雰囲気に飲み込まれ鼓動を早める。彼女に恋心を抱いているわけでもないのに、緊張が伝染してくる。
言いづらそうに落ち着かない様子だった彼女は決意を固めたように真広を見上げた。
「断られたのはわかってるけど、私、萩くんのことまだ好きなの」
真広も緊張しつつ彼女の様子を眺めていた。
どうして自分なんかのことをそんなに好きと言ってくれるのだろうか。酷いことをした自覚があるのに。何より、幼馴染のことを、男を好きな自分なんかのことを。
「萩くんは全然興味ないかもしれないけど、諦められなくて」
理解できない。
でも、もし真広が陸に告白をしていたらこんな気持ちなのだろうか。
どうして、どうしてと。
「友達も、だめかな」
元気のない、搾り出すような声だった。真広の心が痛む。
「……好きな奴に、誤解されたくないから……ごめん」
自分でも驚くほどにすんなり口をついて出ていた。
友達になることはできた。それくらいなら別にいいと、うなずくつもりだった。でも実際口を開いたら、考えていたはずの言葉はどこかに飛んで、素直な言葉が出てしまっていた。もし彼女と友達として仲良くなったら、陸はどう思うだろうか。
真広との時間を気にしていたあいつを裏切りたくない。
それとも結局応援をしようとするだろうか。そんなことになったら、自分の心がどうなってしまうかわからない。
ただ、怖い。
「好きな子とはうまくいきそうなの?」
まんまるい目で見つめてくる。真広は正直に首を横に振った。
「そっか。萩くんも片思い仲間だね」
彼女が無理矢理笑顔を作っているのがわかった。
「ちょっと思ったんだけど。萩くんの好きな人って……」
「やめてくれ」
真広は咄嗟に彼女の言葉を制止していた。なんとなく嫌な予感がした。彼女は真広のことをよく見ていたので、もしかしたらバレてしまったかもしれない。真広は学校の中で陸以外の人は見ていないから。
「……ごめんね、余計なことだったね」
彼女はやっぱりわかっているような気がする。もしかしたら彼女は唯一の理解者になってくれたかもしれない。
「オレこそごめん。普通に友だちになれたらよかったんだけど」
真広が謝ると、彼女は驚いたように真広を凝視した。それほど、謝罪をしたのが信じられなかったのだろう。
「ううん、なんとなく事情はわかる。私こそ勝手でごめんね、順番間違っちゃったかも」
彼女は涙目のまま笑った。彼女は勇気がある強い人だと思った。
「2回も告白できるのすげえよ」
真広は一度だってできる気がしないし、一度振られたら二度目に告白する考えだってない。でもその勇気は羨ましいものがある。
「萩くんもがんばってほしいな。そしたら諦めがついて普通の友だちになれる気がする」
「……できたらな」
できもしないのに、真広はできたらいいなと思ってしまった。藍香に勇気をもらった気がする。
「うん。がんばって。じゃあね」
最後は涙もなく笑顔になってくれた。真広もつられるように自然と笑顔になっていた。
彼女が去ってほっとしたはずなのに真広の心の中はもやがかかっているようだった。彼女の勇気を目の当たりにして、自分はいったいなんなんだと思い悩む。告白もできず一人で腹を立ててどうしようもない。でも、告白する勇気はない。
真広は髪の毛をぐしゃりとかき混ぜ頭を抱えた。その時、扉が開く音がした。藍香が戻ってきたのだろうかと振り返って目を見開いた。
「……陸」
この場所で陸に会うのはいつ振りだろう。陸の背景に放送室の扉があるのが不思議に思うくらいには、会っていなかった。ドアが閉まる音がやけにでかく耳に響いた。
陸の目が、真剣に真広を射抜く。
「真広、好きな奴って、だれ?」
「……はぁ?」
動揺を隠せなかった。陸は今来たのだとばかり思っていたが、藍香との話を聞いていたみたいだ。ドアを閉めて中で話していれば防音扉だから聞こえなかったのに。校庭にいると思って油断していた。
「聞いてたのかよ……。別に、あんなの断るための嘘だろ」
震える声を抑え、なんでもないような態度を見せた。
「本当か? だってあの子なんかわかってそうな口ぶりだったじゃん」
陸はいまだに真剣な表情を崩さぬまま真広を見つめる。まるで嘘を見抜こうとしているように、じっと。
「……なんで、そんな顔してんだよ」
真広はカッとなって、嫌な言い方をしてしまった。まるで痴話げんかのようなノリに腹が立った。どうせ友だちとしか思ってないくせに。
「陸なんかすげーモテるし、すぐ彼女だって作れるだろ! オレのことなんか気にしてんなよ」
陸なんか、すぐに彼女を作って、真広との時間を減らして、いつか離れていってしまうんだ。真広はずっと陸のことを忘れられずに大人になって、陸に恋人を紹介されたりなんかして、一人で泣くんだ。
「オレがいったい、どんな気持ちで……」
毎日を過ごしてると思ってるんだ。こうやって『友だち』を思い知らされるたびに胸がぎゅっと苦しくなってうまく息ができなくなる。涙が出そうになるのを必死にこらえる。
「真広の、気持ちって?」
「っ、な、なんでもねえ!」
陸の問いかけに真広は余計なことを言ってしまったのだと我に返った。ここでバレてしまったら今までの我慢はなんだったんだ。
「……それよりここに来るなって言ったの忘れたのかよっ」
「でも俺、真広に言いたいことがあって」
「…………なんだよ」
陸はまっすぐ真広を見たまま静かな声で言った。
「体育祭さ、今度こそ真広の分までがんばるから。見ててくれよ。見たくないかもしれないけど、さ」
笑顔でもなく、泣き顔でもなく、まっすぐな、真剣な表情だった。
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