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してほしいの?

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 遅い。
 今日も雪哉は残業だろうか。夜十一時を回っても、帰ってこない。
 しかも連絡なしで。

 連絡は絶対するという約束をしているわけではないが、夕食にかかわることなのでいつも連絡をくれていた。だから今日も連絡が来るんじゃないかとスマホとずっとにらめっこをしているけれど、一向にメッセージが来ない。たまには忘れることもあるだろうし、それほど忙しいという可能性もある。
 だから気にしたくないのに、気になってしまう。
 でも帰ってくるまでずっと待っているわけにもいかない。お風呂にもまだ入っていない。いいかげんお風呂に入ろうとテレビを消した時、インターホンが鳴った。
 こんな時間に誰かと、恐る恐るインターホンのカメラを確認する。すると、雪哉とその隣に見知らぬ女性の姿が映っていた。

「は、はい」
『夜分遅くすみません、長窪さんの同僚のものです!』

 雪哉の姿も見えるのに彼ではなく隣の女性が口を開く。梓は急いで玄関へ向かった。
 ドアを開けると、女性に雪哉がしなだれかかって立っていた。胸の中がざわつく。

「すみません……長窪さんの同僚の桜咲というものです。さっきまで飲み会をしていて彼が潰れてしまったので……」
「えっ」

 梓は思わず声を上げていた。
 仕事が終わると毎日まっすぐ帰ってきていた雪哉が、飲み会に行っていたというだけで驚きだった。社会人であれば飲み会なんて頻繁にあるのだろうけれど、雪哉のイメージではなかった。雪哉はふらふらと中に入ると玄関先で寝転がってしまった。

「ちょっと長窪! ……あなたがいとこの梓ちゃん?」
「は、はい」
「ごめんね、長窪がすごく酔っちゃったみたいで一人で歩けなくて」
「わざわざすみません……」
 どうして私が謝っているんだろう、と思いながらも梓はその桜咲というきれいな女性に頭を下げる。
「珍しく飲みすぎたみたい」
「そう、なんですか……」
 珍しく、ということは頻繁に彼女と飲みに行っているということだろうか。胸の中のもやもやはさらに大きくなる。

「じゃあ、よろしくね」
「はい。ありがとうございました」

 彼女はタクシーで来たらしく、家の前に停めてあったタクシーに戻り、無事帰ることができそうだ。タクシー代を渡したほうがよかったか、と思ったけれどもう遅い。雪哉が起きたら報告することにした。
 今はそれよりも、ほかに問題がある。
 玄関先で仰向けになって寝転がる雪哉の身体をゆする。

「もう……何やってるの雪哉くん……」
「ん……梓?」

 薄目だった目を開けて、眩しそうに梓を見上げる。目は覚めているらしい。梓は一度キッチンに行ってコップに水を注いだ。また玄関先へ戻ると、雪哉は寝転がる体勢から廊下の壁に背をもたれて座り込んでいた。道で潰れる酔っ払いのようだ。

「雪哉くん、はい、水」
「……んー……」

 起きはしているけれど、頭がふらふらしている。飲みすぎた、ってどれくらいだろう。水を受け取った雪哉は、一気に飲み干した。顔を上向いてごくごくと飲んでいく様はなぜか目が離せない。喉仏が揺れ、口の端からわずかに水がこぼれる光景も、じっと見てしまった。
「梓、ありがと」
 コップを返されるので受け取るために手を出す。すると反対の手で雪哉が梓の手を掴んだ。その手があまりに熱くて驚いてしまった。
「な、なに?」
「んー」
 酔っぱらっているくせに梓をまっすぐ見つめる雪哉。

「……梓、どうしたの」
「え?」
 それはこっちのセリフだ。
「なんか泣きそうな顔してる」
「……そんなことないよ」

 否定したけれど、複雑な気持ちが顔に出ているのかもしれない。
 知らない女性にもたれかかって、酔っぱらっている雪哉。
 彼の知らない顔を見た気がした。それがなぜかすごく寂しくなってしまった。
 雪哉がコップを床に置くと、手を掴まれたままもう片方の手で頬を撫でられる。
「な、なに?」
「んー別に」
 そう言いながらも雪哉は手を離さない。ただの酔っ払いの行動だ。でも今の梓には動揺せざるを得ない。

「ねえ梓」
「……」

 顔から全身が熱くなっていく。まるで梓も酔っぱらっているみたいだ。
「なんでそんな顔すんの。俺が我慢してあげてるのに」
「え?」
「本当は、キスしてほしいの?」
「……っ、そ、そんな」
 突然の「キス」という言葉に梓の胸は一気に高まる。急になんという話をしているんだろう。脈絡がない。
「俺は梓がだめだって言ったからしなかったんだよ」
 雪哉は律義に梓の言葉を守ってくれていたらしい。それなのに梓はどうしてしてくれないんだろう、と自分勝手なことばかり考えていたということだ。

「キスしてほしい?」

 じっと目を覗き込まれる。逃げられない視線に、梓も見つめ返した。
「わ、私……」
 してほしい。
 でも、どうしてしてほしいのか自分でわからない。

(私、雪哉くんのことが好きなのかな?)

 ゆっくり近づいてくる雪哉の顔に、梓は自然と目を閉じていた。

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