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初夏の涼風の章

胸の奥の秘密(その二)

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「ごぼっ……ごぼっ! ……ごほっ……はぁ……はぁ……」


 ウルリッヒの『人工呼吸』のお陰で、なんとか息をまともに吸い込めるように回復したメル。危ういところであった命を救われたわけだが、はっきりいって心中複雑にも程があった。
 人工呼吸はキスに含めない派のメルではあるが、それでも人命救助のためとは言え、唇に触れあわせてしまうのは言葉にしがたい思いがある。

 ぼやけていた視界がだんだんはっきりしてくる。
 メルに覆いかぶさっているウルリッヒは、上着やベストを脱いでいて、上半身は薄い下着だけの状態だ。下着で押さえつけられた豊かなのだろう胸の谷間より少し上には緑色の大きな宝石が埋め込まれていて―― 

「ん……? あ……え……ええっ?!」
「ちょっと、大きな声出さないでくれるか? 耳に痛いから。そりゃジュエリゼは希少な種族だし珍しいのはわかるけど――」

 メルの目の前のウルリッヒと呼ばれていた少年――いや、少女が面倒くさそうな表情をしている。
「そ、そうじゃなく、ウルリッヒ様……女の子……」
「あぁ、そっちか、気づいてなかったの?」
「……お恥ずかしながら、まったく」

 ……思い返してみれば、マギシェン侯爵はウルリッヒのことを自分の子供であるとは言っていたが……『息子』であるということなどは一言だって言っていない!!

「まぁ、そういうことなんだよ。父さまがボクを――ウルリッヒを嫌っているのはそういうことだ。ボクが女の子で、しかも子供をつくれないジュエリゼだからね」
 ジュエリゼという種族の特徴は大きくわけて三つ。
 魔力を高める宝石核を胸に持つこと。
 人間族から稀に生まれてくる突然変異種族であること。
 そして――突然変異種族であるがゆえに、子を成せないことだ。

「だから、仕方がないんだ……父さまのお怒りはもっともなんだよ。ボクは、ヴィクトリア姉さまの代用品の役目すら果たせない出来損ないだからね」

 空気不足だけじゃなく、おしよせてくる情報の波にくらくらしそうになる。
 ヴィクトリア、というのは名前などから察するに、あのヴィクトールというドールのモデルになった子なのだろう。それがウルリッヒの兄、じゃなく姉で。ウルリッヒは女の子で、しかもジュエリゼで……。

「起きられるかい? とりあえずもう日も暮れそうだし、ボクの部屋にいこう。それじゃそのドレスはもう着られないだろうから、代わりのをあげるよ。父さまは女物のドレスなんかを未だにボクに贈り続けてくれてるから。どうしたの、来ないの? 来ないなら置いていくよ。湖の夜風は冷たいから、その濡れたドレスのまま寝てれば風邪じゃすまないと思うけどね」




 ずぶ濡れのなりでマギシェン家の別荘に戻ると、使用人たちはまず驚いた表情をして、それから何か温かいものや身体を拭くものなどをお持ちしましょうかとずいぶんと気遣ってくれた。
 ウルリッヒはそれに対して、何でもいいので温かいスープと身体を拭く布、それに何やらたっぷりの湯をすぐに自分の部屋に用意するように、と言いつけていた。
 メルは、自分の髪やら服からぽたぽたと雫が落ちるのが使用人たちに申し訳なかったが、おとなしくウルリッヒについて歩く。
 やがて、立派な扉の前にたどり着いた。メルの記憶と方向感覚が確かなら、ここはウルリッヒの母アリアの部屋とはほとんど反対の位置にあるはずだ。

「ここがボクの部屋。さ……入って」
「では、お邪魔します」

 ウルリッヒの部屋は、彼――いや、彼女の服装に反して可愛らしい少女趣味のそれだった。
 カーテンはラベンダーの花にも似た優しい紫色で、壁紙にも紫の花が描かれているし、ベッドのリネン類は愛らしいピンクと白。繊細な家具類はどれも白く塗られているものだ。

 そして部屋の隅には――可愛らしい金色の猫脚がついた白い陶器のバスタブが。そこにメイドたちが湯を次々に運んできては注いでいる。……? バスタブに湯が注がれて……いるということは……これから誰かが入るということで、ここはウルリッヒの部屋で、ということはウルリッヒが入浴するので、しかしメルはウルリッヒにこの部屋に招かれていてそれってつまりは……

「ドレス脱いじゃって。お湯もったいないから、お風呂一緒にはいろう」

 つまりは、そういうことのようだ――





 お風呂は湖に落ちて濡れ鼠になっていたメルの身体を温めてくれた。

 ただ、なるべく離れようと努力はしたのだがバスタブがそれほど大きくないので、ウルリッヒの柔らかな感触がときどき肌をくすぐるのはどうにも緊張してしまう。
 侯爵令嬢ウルリッヒは、以前見かけたときは華奢だとおもっていたのだが、こうして近くで見て、もとい見せつけられているとかなり女性的な身体つきをしていた。つまり出るところは出て、引っ込むところは引っ込んだ、女として羨ましくなるような体型だったのだ。

「お湯、熱いとか冷たいとかないかい?」
「ない、です……はい」
 騎士学院時代のお風呂は共同だったし、花咲く都にはいくつも公衆浴場があるが、こんなに人との距離が近いことはまず無い。
「あれ、キミずいぶん古傷の痕みたいなの多いね……事故とかにでもあったことあるの? お肌白くてすべすべしてそうなのに勿体無いな……」
「あぁ、これは」
 メルは自分のお腹の、ほとんど消えかけた古傷の痕をなぞりながら応える。その傷痕も腕のいい治療術師や徳の高い聖職者であれば完全に消せるのだろうが、メルはそれらを消す必要性を特に感じていなかった。

「銀月騎士学院の学院生だったときに。昔は剣の腕を磨いて、騎士になろうとしていましたから」
「……ふぅん」

 ウルリッヒはメルの内心を察してくれたのか、それ以上を古傷痕に関しては聞いてくることはなかった。
 だがバスタブからあがる時、ぽつりとつぶやいた。

「誰にでも、過去ってあるものなんだね」


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