花咲く都のドールブティック

冬村蜜柑

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初夏の涼風の章

胸の奥の秘密(その一)

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「う、ちょっと……これきついかなぁ」

 このマギシェン家の湖の別荘に招かれてもう三日目。
 メルが今朝、コルセットを締めるのをメイドにお願いしたところ、なぜかあの年配のメイドが出てきてしまった。そして、まるで親の敵のようにそれはもうぎゅうぎゅうに紐を締められてしまったのだった。
 かなり力任せに乱暴に締められたコルセットは、メルのお腹の肉どころかあばら骨にも食い込んでひどく痛くて苦しい。
 この痛みはさすがに騎士学院で鍛えられたメルにもどうにもならない。
 一度ほどいて、もう一度誰かにお願いしようかとも思ったが、またあの年配のメイドが出てきたら気まずいだけだ。

 メルは諦めの境地で、自分に与えられた結構広い部屋のかなり立派なクローゼットを開ける。

 マギシェン侯爵は当たり前にシャイトとメルのための寝室を別々に用意し、その上作業のための部屋も一室、また別で用意してくれていたのだった。とても上等な部屋だった。正直、寝室も作業部屋も立派で広すぎて落ち着かないぐらいに。
「えぇと、昼間のお茶会用のドレスは……」
 滞在初日にトランクから取り出して、クローゼットにかけておいたドレスたちを見回す。
 手に職をもっているとはいえ、一介の町娘にすぎないメルだが、所持しているドレスの数と質は、ちょっとした貴族の令嬢とも張り合えるぐらいにある。なぜならば、茉莉花堂は貴族や金持ちの好事家が相手なのでそれなりの格好をせねば見苦しいとされてしまいかねないからだ。そういうわけで、メルのドレスの仕立て代はメルに与えられている給金とは別に、かなり高額なそれを貰っているのだった。
「……コレが良いかな、せっかくコルセットこんなに締められたんだから、気合入れていこう」
 薄い青と白の絹をこれでもか! と贅沢に使ったまるでお姫様のようなドレスを、半ばヤケになりながら引っ張り出す。

「ペチコート何枚必要だっけ、これ」
 独り言を呟きながら、ヤケ気分のままに重くて固くて分厚いペチコートを三枚ひっぱりだす。正直言って暑いし重いし動きにくいのでこんなに『装備』したくないのだが、この薄い青のドレスの裾を綺麗に広げるためには、ペチコートが必須なのだから仕方がない。


 ようやく着替え終わって、エヴェリアもきちんと昼のお茶会にお呼ばれするのに相応しい、白い絹の愛らしいドレスに着せ替えた。
 メルはエヴェリアを大事に抱きかかえて部屋の扉を開ける。
 
 向かうのは作業用に与えられた部屋ではなく、マギシェン侯爵夫人アリア・シルート・マギシェンの私室。
 今日はメルとエヴェリアは、侯爵夫人アリアのお茶会に招かれていたのだった。




「こんにちは、マギシェン侯爵夫人。こんにちは、ヴィクトール様」

 メイドに扉を開けてもらうと、相変わらず幼い少女の夢の世界のような空間が広がっている。
 白髪の侯爵夫人アリアはすでにテーブルについて、膝の上に座らせたドール、ヴィクトールにお菓子を食べさせる真似をして遊んでいた。
「メル、来てくれたのね! 嬉しいわ。エヴェリアもちゃんと一緒ね。 今日はヴィクトールとエヴェリアのためのテーブルも用意させたのよ、ほぉら、ここ!」
 アリアの示した場所をみると、なるほど人間用のテーブルの上には、人間用の三分の一ぐらいの大きさの丸テーブルと椅子が二脚。
 丸テーブルは、四隅にきれいな刺繍がある真っ白いテーブルクロスがかけられていて、その上にはお人形用のティーポットやティーカップ、ミニチュアのお菓子もさまざまに並んでいて、小さな花が小さな花瓶に生けられている。ドール用のそれとはいえ本格的なお茶会と言えた。
 そしてもちろん――人間用のテーブルも、美しい薄い繊細な茶器と、芸術品のようなお菓子たちと、そして美しい花が。

「このような席を用意してくださってありがとうございます、侯爵夫人」
「そうじゃないわ、メル」
「え?」
 アリアは不満そうに、唇を尖らせてから命じた。
「私のことはアリアと呼んで」
「しかし……。いえ、わかりました。ではアリア様とお呼びいたします。よろしいでしょうか」
「えぇ、それなら!」
 そして、マギシェン侯爵夫人アリアは、とっても楽しそうにこのお茶会の開会を宣言する。
「さぁさぁ、メルとエヴェリアのためにとっておきの素敵なお菓子ばかり用意させたのよ! もちろんお紅茶も……私はミルクたっぷりのモルグネが好きなのだけど、メルたちが好きなお紅茶はなにかしら? すぐに用意させるから」




「はぁ……お腹苦しい……身体重い……というかドレス重い」
 お茶会はまぁ、ちゃんとお話が盛り上がって楽しかったし、お菓子やサンドウィッチはとても美味しかった。
 だが精神的にも肉体的にも疲弊したのは確かだった。
 
 メルは一度部屋に戻って、エヴェリアを丁寧に机の上に座らせてから、邸の外に出た。
 この邸の空気ではなく、外の清浄な空気が吸いたくなったのだ。
 着替えをしようかどうか迷ったが、コルセットを解くにもメイドを呼びつけなければいけないので、面倒くさくなってそのままの薄い青と白の絹のドレス姿だ。


 星降りの湖アルフェンカは、指先を上に向けて開いた右手のひらのようなかたちをしている。その指にあたる部分には橋がかかっており、指と指との隙間の部分には貴族の別荘が点在しているのだ。
 マギシェン家の別荘は人差し指と中指の間の、付け根にかなり近い場所にある。
 そして――
「リヴェルテイア家の別荘は、中指と薬指との間にあるって話だったけど……」

 まさか会えるはずはないだろうと思っていても、そちら側への歩みは止まらない。
 ドレスの裾をつまんで、湖にかかった橋の上を進む。
 ――と、そのときだ、うなじがびりびりする感覚が走った。メルは悪い予感がするときには必ずこうなるのだ。
「あ、やば、これ」

 ばきっ。

  多分傷んでいたのだろう足元の橋板が、メルが乗ったことでトドメをさされた。
 簡単に言えば、メルは足元がぬけて――そのまま湖に投げ出されたのだ。


「……ごぼっ……っ……ぁっ……!」

 ドレスが重い、コルセットが苦しい、ペチコートがまとわりつく――まともに泳げない。
 メルは必死に水面でもがくが、水を吸ったドレスは無慈悲にもメルを湖の底へ案内しようとしている。
 もしかしなくても、死ぬのだろうか。死ぬのだろうか。死ぬのだろうか。

 そんな最悪の想像をした時、そのあたたかな腕はメルを抱きしめた。そして、岸のほうへと引っ張っていかれる。

「……ジル?」

 ようやくたどり着いた岸辺に寝かせられた時、思わず呼んだのは愛する人の名前。
 だが、返ってきたのはメルの恋人ジルよりもぐっと高い声。
「それが君の恋人の名前かい? 残念だったね、人違いだ」
「あ……」
「でもまぁ、それなら多分はじめてのキスぐらいは済ませてるだろうから、かまわないよね」
 
 そう言って、声の主――あの、ウルという子――たしか使用人にはウルリッヒ様と呼ばれていたひとの身体がメルに覆いかぶさる。

 あ、と思った瞬間……とても柔らかな感触がした――ウルリッヒの唇が、メルの唇に触れたのだった。



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