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はたけあかつき

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朝延さんの「日常」

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10月20日木曜日
天気 雨

朝6時。
あと30分で仕事が始まる。時折出てしまう大きなアクビをマスクで隠しながら、利用者の記録を確認する。

ここは介護施設。
その中にあるショートステイが私の仕事場である。
ショートステイとは、いわゆるお泊まりをする所だ。
介護が必要になったお年寄りがお泊まりをして、生活のリズムを整えたり、家族が休む時間を確保する為のサービスである。その為、利用している人は毎日変わる。連休明けともなると、全く違う顔ぶれになっている事も珍しくない。

そんな部署に勤務して早10年。
実に多くの人との出会いがあった。
順に紹介していきたいと思う。

私が朝延さんに出会ったのは、働いて3年目の秋だったと思う。
その日は初めてショートステイを使う方が来るとの事で、どんな方かとドキドキしていた。
と言うのも、事前にある程度の情報は確認するのだが、実際に来てみると情報と状態が全然違うといった事が稀にあるからだ。
私は初めましての方が来る時は毎回ドキドキしながら到着を待つ。

既に泊まっている利用者の起床を手伝い、食事を配膳し、必要があれば介助も行う。
食事が終わると、いよいよその日の利用者がショートステイに到着する。

「おはよう。今日からお世話になります。」

朝延さんの第一声である。ハッキリとしていて、ちょっとだけ厳しい人かな?と感じた。
こちらも挨拶を返し、少し雑談をする。
朝ごはんは食べて来ましたか?
夜は眠れましたか?
事前の情報では、若干認知症の様な様子があるとの事だった為、こうした雑談で、どの程度質問を理解出来ているか、返答はどうか。言葉は聞き取りやすいか、聴力はどうか、等を探っていく。

朝延さんはしっかりしており、受け答えも問題なかった。
席へ案内し、荷物を預かる。
服の枚数などを確認していると、朝延さんがケアステーションをいらっしゃり、
「持ってきた宿題をやっていてもいい?」
と。
宿題?と思っていると、カバンの底から中学生の数学のテキストが出てきた。
「これをね、ボケ防止にやってんのよ。まぁもうボケているんだけどね。」
と笑いながら話してくれた。
中を見ると因数分解や図形の証明問題など、何問か書いては消した跡があった。
「孫がね、終わったやつをくれるんだよ。ボケない様にこれやりなってね。」
そう言いながら、テキストと鉛筆を持ち、席へ戻って早速問題に取り掛かっている。

10時になり、飲み物を出すがコーヒー、紅茶、緑茶、ジュース等、好みの物はあるかと聞いてみる。
「コーヒーがいいな。薄く入れた、アメリカンってやつ。」
と返事があった。
粉のコーヒーを溶かすだけだし、そもそもコーヒーを薄く入れたのはアメリカンと言うのかと、小さな発見をしながらアメリカンもどきのコーヒーを朝延さんに出す。
問題を解きながら一口飲んだ朝延さんは
「うん。美味しい。」
と笑ってくれた。

初めは厳しそうな、対応が難しそうな人だなと思った朝延さんも、話せば返してくれるし、徐々に冗談もいう様になっていった。

朝延さんは決まって4時には起床する。
顔を洗って身なりを整え、部屋の中で数学のテキストに向き合う。
数学が好きなのかと聞いてみると、朝延さんは笑いながら
「嫌いだよ。こんな何書いているかわかんないの。こんなの勉強しても、こんな年寄りの人生に何の役にも立たないよ。」
と言った。
じゃあ、なんでそんなに毎日頑張るのかと聞くと
「孫がくれるからね。それに孫に勉強しろって言うのに、言ってる本人が何もしないのも変でしょう。」
と。
そう言いながら一問解き終わった朝延さんは次の問題に取り掛かる。
朝延さんの勉強方法は独特で、問題を読んだら直ぐに答えを見て、解説をする。
解説をすることと言うのは、回答の文章を学校の先生の様に、身振り手振りを交えて、声に出して読むのだ。
こうすると問題を解くために何から手を付け、どの様な順番で進めていけば良いか、理解出来るのだと。
「ボケ老人だからね。テストも何にも無いし、解いても誰かが見てくれる訳でも無い。答えを見ても怒られないし、むしろすぐに答えが分かるからスッキリするよ。」
そう言うと、朝延さんは今自分で解説した問題を解き始めるのであった。

朝延さんは3泊して自宅へ帰られた。
認知症の様だとは言いながらも、全くと言って良いほど手のかからない、所謂「良いお客様」であった。

その後は定期的に利用してくれるようになった。どうやら気に入ってくれたようだ。
慣れてきた頃には、ショートステイに到着すると
「10時はコーヒー。アメリカンの美味しいやつお願いね。コップはあの赤いやつ。」
がお決まりになっていた。
アメリカンのコーヒーを赤いコップで飲みながら、数学のテキストを解いたり、皆と一緒に体操したり。
夜眠れない時はケアステーションで、職員と一緒に話をしたり。
泊まりに来るのが楽しくて仕方ない。もうここに住みたいなと何度も笑いながら話していた。


そんな朝延さんとの別れは急だった。
ショートステイから帰った次の日。
一晩中雪が降り、朝には足首まで積もった朝であった。
食事に起きてこない為、家族が起こしに行くと、既に息は無かったと。
ショートステイを利用者し始めて、半年程。
もっと話したい事はあったが、仕方ない。この仕事をしていると、急に会えなくなる事は何度も経験する。

後日、家族からショートステイに、手紙が届いた。
「本来なら直接お伺いしたいのですが、手紙で失礼します。
これまで何度もショートステイにはお世話になりました。家にいる時は何度も「次の日泊まりはいつだ?」って気にしてばかりでした。泊まりに行くまでにテキストをここまで進めておくんだと、いつも頑張っていました。
皆さんのお陰で、本人もハリのある生活が送れました。
大変感謝しています。お世話になりました。」

この別れも日を重ねれば思い出は薄れ、いつかは「あぁ、なんか聞いたことある名前な気がするなぁ。どんな人だったかなぁ。」と思い出せなくなるかもしれない。
それでも、このショートステイには毎日色んな「人」がいて、たまに新しい出会いもある。

あれから7年。今日はどんな事が待っているだろうか。
ワクワクと気だるさを胸に、仕事に励むとしよう。
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