『異界酒場 ルーナ』

みぎみみ

文字の大きさ
61 / 185
第2巻

第30話 二年目の夜明け

しおりを挟む
夏の終わりの夜。

ルーカスは東京に来て、ちょうど二年になった。

夜明け前、閉店後に一人でカウンターに座った。

来た客を思い出した。

彩乃——最初の夜の、涙。

田端——ネクタイを緩める夜。

佐野——海の味。

梶原——バジルの香り。

老人——梅酒の沈黙。

明日香——誕生日のロウソク。

荒木——方向を失った夜。

清子——夫のための確認。

ミーナ——笑わない笑顔。

篠田先生——哲学の問いかけ。

亜里沙——シャンパンの乾杯。

後藤——眠れば分かること。

礼奈——言葉の届く場所。

高橋夫妻——静かな帰り場所。

波多野兄弟——五年ぶりの再会。

水月——怖いまま書く力。

香月——見えすぎる者同士。

由美——十八歳の夜。

晴樹——ここにいていい。

大野——一年後の報告。

小山内——手放す夜。

それぞれの渇望が、それぞれのグラスとともに思い出された。

ルーカスは棚からバタフライピーのお茶を出した。

青いモクテルを作った。

夜空の色。

「……二年」

声に出した。

二年前の自分は、何も分からなかった。

言葉も。文化も。お金も。食べ物も。

ただ、力だけがあった。

今は——少し分かるようになった。

しょうがない、という言葉の意味。

泣いていいと思える場所の意味。

一人でいることと、孤独でいることの違い。

蜂蜜の甘さが丸くなる理由。

故郷に帰れるかどうか——まだ分からない。

でも今夜は、帰りたいとは思わなかった。

ここに、帰ってくる場所がある。

カウンター八席。テーブル二卓。

小さな本棚には、篠田先生の哲学書。

金木犀の鉢植えは、今は花の季節ではないが、来月また咲く。

「今夜も、よかった」

一人で言った。

グラスの青を見た。

夜空の色。

故郷の夜空と、この世界の夜空。どちらも星がある。

今夜も、誰かがこの星の下にいる。

明日も夜が来る。

また誰かが来る。

また、誰かの渇望に応える。

それが、ルーカスの日常だった。

それが、ルーカスの——この世界での生き方になっていた。

バー「ルーナ」の地下に、今夜も灯りがついている。

深夜の静けさの中で、一人の男がグラスを磨いている。

彼がどこから来たのか、知っている人は、今はもう数人いる。

でも、誰も追いかけない。

ただ、また来る。

それだけでいい。

それが、この場所の答えだ。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

男の仕事に口を出すなと言ったのはあなたでしょうに、いまさら手伝えと言われましても。

kieiku
ファンタジー
旦那様、私の商会は渡しませんので、あなたはご自分の商会で、男の仕事とやらをなさってくださいね。

王様の恥かきっ娘

青の雀
恋愛
恥かきっ子とは、親が年老いてから子供ができること。 本当は、元気でおめでたいことだけど、照れ隠しで、その年齢まで夫婦の営みがあったことを物語り世間様に向けての恥をいう。 孫と同い年の王女殿下が生まれたことで巻き起こる騒動を書きます 物語は、卒業記念パーティで婚約者から婚約破棄されたところから始まります これもショートショートで書く予定です。

僕は君を思うと吐き気がする

月山 歩
恋愛
貧乏侯爵家だった私は、お金持ちの夫が亡くなると、次はその弟をあてがわれた。私は、母の生活の支援もしてもらいたいから、拒否できない。今度こそ、新しい夫に愛されてみたいけど、彼は、私を思うと吐き気がするそうです。再び白い結婚が始まった。

許すかどうかは、あなたたちが決めることじゃない。ましてや、わざとやったことをそう簡単に許すわけがないでしょう?

珠宮さくら
恋愛
婚約者を我がものにしようとした義妹と義母の策略によって、薬品で顔の半分が酷く爛れてしまったスクレピア。 それを知って見舞いに来るどころか、婚約を白紙にして義妹と婚約をかわした元婚約者と何もしてくれなかった父親、全員に復讐しようと心に誓う。 ※全3話。

第12回ネット小説大賞コミック部門入賞・コミカライズ企画進行「婚約破棄ですか? それなら昨日成立しましたよ、ご存知ありませんでしたか?」完結

まほりろ
恋愛
第12回ネット小説大賞コミック部門入賞・コミカライズ企画進行中。 コミカライズ化がスタートしましたらこちらの作品は非公開にします。 「アリシア・フィルタ貴様との婚約を破棄する!」 イエーガー公爵家の令息レイモンド様が言い放った。レイモンド様の腕には男爵家の令嬢ミランダ様がいた。ミランダ様はピンクのふわふわした髪に赤い大きな瞳、小柄な体躯で庇護欲をそそる美少女。 対する私は銀色の髪に紫の瞳、表情が表に出にくく能面姫と呼ばれています。 レイモンド様がミランダ様に惹かれても仕方ありませんね……ですが。 「貴様は俺が心優しく美しいミランダに好意を抱いたことに嫉妬し、ミランダの教科書を破いたり、階段から突き落とすなどの狼藉を……」 「あの、ちょっとよろしいですか?」 「なんだ!」 レイモンド様が眉間にしわを寄せ私を睨む。 「婚約破棄ですか? 婚約破棄なら昨日成立しましたが、ご存知ありませんでしたか?」 私の言葉にレイモンド様とミランダ様は顔を見合わせ絶句した。 全31話、約43,000文字、完結済み。 他サイトにもアップしています。 小説家になろう、日間ランキング異世界恋愛2位!総合2位! pixivウィークリーランキング2位に入った作品です。 アルファポリス、恋愛2位、総合2位、HOTランキング2位に入った作品です。 2021/10/23アルファポリス完結ランキング4位に入ってました。ありがとうございます。 「Copyright(C)2021-九十九沢まほろ」

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

処理中です...