『異界酒場 ルーナ』

みぎみみ

文字の大きさ
96 / 185
第4巻

第3話 商人の嘘

しおりを挟む
七月の初め。

太った商人が来た。

四十代。指に金の指輪がいくつも光っている。羽振りのよさを全身で表現しているような男だった。

でも目が、怯えていた。

「深夜にやっているのか、ここは」

「はい」

「よかった。人に見られたくなくて」

席に座りながら、男は何度も扉の方を見た。

「誰かに追われていますか」

「……追われてはいない。でも、今夜は一人になりたかった」

渇望を見た。

——吐き出したい。胸の中の、言えない言葉を。

「何を飲みますか」

「強いやつ。一番強いやつ」

「分かりました」

蒸留酒の中で最も度数が高いものを出した。この世界の「火の水」と呼ばれる透明な酒。一口飲むと、胸が熱くなる。

商人——名はドラニという——は一口飲んで、顔をしかめた。

「……本当に強い」

「言っていた通りです」

「まあいい。飲む」

もう一口。それから、グラスを置いた。

「俺は嘘をついている」

「誰に対して」

「取引相手に。品質を偽って、高く売っている」

「長い間、ですか」

「五年だ。五年間、ずっと」

ルーカスは何も言わなかった。

「バレたわけじゃない。でも……今夜、荷物を運んでいた少年が怪我をした。安物の馬車を高く売りつけた相手のやつで、車輪が外れた」

「その少年は」

「軽傷だ。でも見た時、足が震えた。俺の嘘のせいで、誰かが怪我をした」

ドラニはグラスをまた飲んだ。

「今夜は、正直に話せる場所が欲しかった。家に帰ると妻がいる。妻には言えない。友人には言えない。でも、誰かに言わないと苦しくて」

「話してください。私は誰にも言わないです」

「信じていいのか」

「信じていいです」

ドラニは話した。

最初の嘘は小さかった。品質を少し誇張した説明。それで上手くいったから、次も少し。また次も少し。五年で、気づいたら大きな嘘を積み重ねていた。

「やめられなかったのか」とルーカスは聞いた。

「やめたかった。でも、やめると今まで積み上げてきたものが崩れると思って」

「崩れることが怖かった」

「そうだ」

「少年が怪我をした今夜、何が変わりましたか」

ドラニは少し間を置いた。

「……このままでは、誰かが死ぬかもしれないと思った。初めてそう思った」

「では」

「やめたい。でも、どうやってやめるか分からない」

ルーカスはグラスを磨きながら、言った。

「一つだけ言えることがあります」

「なんだ」

「やめ方は、一気にではない。一つ一つ、丁寧に戻していくことです」

「戻す?」

「嘘を積み重ねてきたように、正直を一つずつ積み重ねる。一晩でやめようとすると、全部崩れます。でも、一つずつ戻せば、崩れなくて済む」

ドラニは長い沈黙の後、「……難しそうだ」と言った。

「難しいです。でも、できないことではない」

「俺には誠実な人間になれるか」

「なれるかどうかは、今夜は分からないです。でも、なりたいと思っている人間は、なろうとし続ける。それが、誠実な人間に近い形だと思います」

ドラニはグラスを飲み干した。

「……また来ていいか」

「来てください。一つ正直を積み重ねた時に、来てください」

「それを祝うか」

「祝います」

「それを楽しみにする」

ドラニは立ち上がって、指輪をいくつか見た。それから一言、「重いな」と言った。

指輪の話か、心の話か。両方だろう、とルーカスは思った。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

復讐のための五つの方法

炭田おと
恋愛
 皇后として皇帝カエキリウスのもとに嫁いだイネスは、カエキリウスに愛人ルジェナがいることを知った。皇宮ではルジェナが権威を誇示していて、イネスは肩身が狭い思いをすることになる。  それでも耐えていたイネスだったが、父親に反逆の罪を着せられ、家族も、彼女自身も、処断されることが決まった。  グレゴリウス卿の手を借りて、一人生き残ったイネスは復讐を誓う。  72話で完結です。

男の仕事に口を出すなと言ったのはあなたでしょうに、いまさら手伝えと言われましても。

kieiku
ファンタジー
旦那様、私の商会は渡しませんので、あなたはご自分の商会で、男の仕事とやらをなさってくださいね。

王様の恥かきっ娘

青の雀
恋愛
恥かきっ子とは、親が年老いてから子供ができること。 本当は、元気でおめでたいことだけど、照れ隠しで、その年齢まで夫婦の営みがあったことを物語り世間様に向けての恥をいう。 孫と同い年の王女殿下が生まれたことで巻き起こる騒動を書きます 物語は、卒業記念パーティで婚約者から婚約破棄されたところから始まります これもショートショートで書く予定です。

僕は君を思うと吐き気がする

月山 歩
恋愛
貧乏侯爵家だった私は、お金持ちの夫が亡くなると、次はその弟をあてがわれた。私は、母の生活の支援もしてもらいたいから、拒否できない。今度こそ、新しい夫に愛されてみたいけど、彼は、私を思うと吐き気がするそうです。再び白い結婚が始まった。

許すかどうかは、あなたたちが決めることじゃない。ましてや、わざとやったことをそう簡単に許すわけがないでしょう?

珠宮さくら
恋愛
婚約者を我がものにしようとした義妹と義母の策略によって、薬品で顔の半分が酷く爛れてしまったスクレピア。 それを知って見舞いに来るどころか、婚約を白紙にして義妹と婚約をかわした元婚約者と何もしてくれなかった父親、全員に復讐しようと心に誓う。 ※全3話。

~春の国~片足の不自由な王妃様

クラゲ散歩
恋愛
春の暖かい陽気の中。色鮮やかな花が咲き乱れ。蝶が二人を祝福してるように。 春の国の王太子ジーク=スノーフレーク=スプリング(22)と侯爵令嬢ローズマリー=ローバー(18)が、丘の上にある小さな教会で愛を誓い。女神の祝福を受け夫婦になった。 街中を馬車で移動中。二人はずっと笑顔だった。 それを見た者は、相思相愛だと思っただろう。 しかし〜ここまでくるまでに、王太子が裏で動いていたのを知っているのはごくわずか。 花嫁は〜その笑顔の下でなにを思っているのだろうか??

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

処理中です...