巻き添え兄の帰る場所 〜妹のために聖女を演じたら、王弟殿下の初恋の人になりました〜

深嶋(深嶋つづみ)

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第一章 聖女の仕事

 
 
 深呼吸をしてから立ち上がり、理恩は老人の背中に手を添えた。
 どうか治せますように、と祈りながら手のひらに魔力を集めていく。
 治癒魔法が発動する。青白い淡い光が老人の背中をすっぽりと包みこんでいく。
 しかし、理恩の魔力が弾かれるような反応があって、うまく治癒が進まなかった。
 魔物による傷だというから、それも関係しているのだろうか。まるで何かの力に老人の治癒を阻まれているかのようだった。

「……っ」
 
 膨大な魔力の放出が続いた。次第に理恩の息も乱れてくる。
 それでも諦めるわけにはいかなかった。

(聖女がこれしきの治癒魔法に失敗したなんて噂になったら……あいつがなんて言われるか!)

 治れ、治れと必死に念じながら、理恩はありったけの魔力を老人の背中に注ぎ続けた。かなり時間は要したものの、次第に癒しの光が薄らいでいく。
 すっかり光が消え去った時、老人の背中にあったはずの禍々しい傷跡は跡形もなく消えていた。

「おお、なんということか! おかげでこの爺、もうしばらく生き長らえることができそうですぞ!」

 大喜びで帰っていく老人を見送り、理恩は深い安堵の息をついた。
 ……ああ、本当によかった。
 ふらふらと椅子に腰掛け、脱力する。ひどい疲労感があった。体内にある魔力をごっそりと持っていかれたらしい。

「聖女様、少し休憩なさいますか?」

 ベネッタが横から訊ねてくる。
 
「あ、はい。……休憩したいです」

 理恩がそう返すなり、水入りのグラスを手渡された。仄かに柑橘系の香りがする水を一気に飲み干す。
 
「品がありませんよ、聖女様」
「う。すみません……」
「所作にはお気を付けください。これは日頃からお二人に申していることですが」
 
 しおしおとうなだれていると、ベネッタは再びグラスに水を注いでくれた。
 今度は背筋を伸ばし、お上品さを意識して、少しずつ口に含んでいく。
 身体の底から、仄かに魔力が湧きあがってくる不思議な感覚があった。もしかしたらこの水は回復系の魔術をかけられた、特別なものなのかもしれない。

 ――この世界に来て、どういうわけか理恩は魔術が使えるようになった。
 けれど、妹である世奈とは違い、それはわずかばかりの力でしかないのだ。
 桁違いの魔術の才能を開花させた妹は、今や聖女と呼ばれ、国中の注目を集める存在となっている。
 ……だというのに、聖女である世奈の仕事を肩代わりしようなどと、我ながら無謀すぎることはわかっているのだ。わかってはいるけれど……

「聖女様、そろそろよろしいですか?」

 ベネッタの声ではっとした。理恩は顔を上げ、すっかり空になっていたグラスを彼女に預ける。
 居住まいを正し、気を引き締め直した。
 世奈が普段やっている仕事に比べたら、今日の仕事はなんてことない部類のものだ。身の丈以上のことをしている自覚はあるが、さっきの患者もどうにか治せたのだし、きっとなんとかなる。――なんとかやるしかない!

(ああもう、次からは絶対にこんなこと引き受けてやるものか!)

 理恩が固く心に誓っていると、「次の方どうぞ」とベネッタが次の患者を呼ぶ声がした。
 慌てて口元に聖女らしい控えめな笑みをつくり、靴先をそろえ、背筋をまっすぐに伸ばす。
 すべての患者を無事に治しきることができますようにと、理恩はどこにいるのかもわからない神に心の中で頼み込んだ。
 扉が開けられる。そこには、赤子を抱えた若い婦人が立っていた――。



    §



 理恩が大神殿での仕事を終えると、すっかり日が沈んでいた。
 疲労感と戦いながら、神殿に付属している宿舎に戻り、妹から預かっていた合鍵を使って部屋に入る。
 中に足を踏み入れるなり理恩が目にしたのは、すでに帰ってきていたらしい部屋の主がだらしなくソファでくつろぐ姿だった。

「あ、おかえり~。お兄、大丈夫だった?」

 簡素な白いワンピース姿でソファに寝そべる世奈は、クッキーをかじりながらひらひらと手を振ってくる。

(まったく、こいつは……!)
 
 理恩は思わずため息をついた。気のせいじゃなく、疲れが増した。
 世奈は一つ年下の妹だ。この世界にどういうわけか転がり落ちてきたときも、世奈と一緒だった。
 ソファの上で素足をぱたぱたさせながら菓子を食べる今の世奈の姿を見たら、上司であり指導係でもあるベネッタは卒倒するんじゃなかろうか。
 こんなのでも聖女だというのだから、この国の未来が心配になってくる。

「世奈……オレはもう絶対に、聖女のフリはやらないからな」

 理恩は頭にかぶっていた白い布を乱雑に取ると、次いで黒髪のかつらを頭から取り外した。
 それらをテーブルの上に放り投げ、妹の目も気にせず着替え始める。
 修道服のような白いドレスは肩が凝る上に動きにくく、腰から下はすーすーするしで居心地が悪かった。一日中これを我慢していたんだから、褒めて欲しいくらいだ。
 
「ちょっとお兄! かつらもだし、その服ももっと丁寧に扱ってよ。皺でもつけたらまたベネッタに怒られちゃう!」

 背後から世奈の苦情が飛んでくる。
 
「だったら最初から、世奈が着ればいいだろ。大体、かつらなんてどこで手に入れてきたんだよ」
「それは聖女様のひ・み・つ」

 振り返ると、世奈はどこぞのアイドルよろしく片目を瞑ってみせた。理恩は深くため息をついた。
 黒髪ロングのかつらなんて、どう考えたって特注品だ。髪型や髪質までしっかり世奈に似せて作成されており、最初から誰かを世奈の代わりの聖女として仕立て上げようと目論んでいたことがわかる。
 
 苦いものを噛みしめながら、理恩は自分そっくりの妹をまじまじと見遣った。
 
 くりくりとしたこげ茶の瞳も、背中まで伸びた黒髪も、日本にいた頃はなんら珍しくもなかったものだ。
 たまに褒められる白い肌は祖母譲りで、妹は誇らしく思っていたようだけれど、理恩はそうでもなかった。年下であるはずの妹と大差ない細く華奢な身体つきには、理恩は心底うんざりしていた。
 かつていた世界でも、幼い頃から、よく似た兄妹だと言われてきた自分たち。この世界に来てからは、なお一層そう言われるようになっていた。

「なあ、世奈」
「なによ」
「……風呂借りていって良い?」
「もちろんいいよ。夕飯も食べていくでしょ? 用意しとくね」
 
 世奈は言うと、嬉しそうにソファから起き上がり、聖女に仕える下女を呼ぶための魔法鈴を鳴らした。

 
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