アキレギアの幸福

鮭取 陽熊

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第47話

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「もう梅雨かぁ…」

 教室の窓にぽつぽつと滴る水滴を眺めて呟く。

「雨嫌だね。その怪我だと傘さすの大変でしょ」

 村瀬が俺とともに窓の外を眺めたあと、俺の左腕に視線を移して心配そうな声を出す。

「うん、風が吹いた時傘押さえるの大変」
「そうだよね…」
「悠斗と大輝が俺を傘に入れようと必死に戦ってるけどね」
「ははっ、余計大変そう」
「結局3人ともびちゃびちゃだよ」

 雨の日の登下校の苦労を思い浮かべながら村瀬と話し、次の授業が始まるまでの時間を過ごす。
 無駄に騒いで体を濡らし、体力を消耗させる悠斗と大輝の行動には呆れてしまう。

「それにしても、最近大輝くん一段と佐野くんにべったりだよね」
「あぁ、確かにそうだね。そのたびに悠斗も怒るし…」
「2人仲悪いもんね。大喧嘩にならないかちょっと心配」
「そうだねぇ…」

 ここ最近、悠斗と大輝の仲はいつ爆発してもおかしくないような危うさがある。
 大輝の悠斗に対する敵対心は増す一方だし、俺を独占したがるような言動が増えた。それに対して悠斗もかなりイラついているようで、言い争いは日に日に激しさを増している。間に挟まれた俺は毎日胃が痛い。

 しかし村瀬との穏やかな時間も校内に鳴り響くチャイムによって終わりを告げる。
 前の扉から入ってきた初老の優しげな女性教師が教壇の前に立ち、現代文の授業が始まった。
 この先生の授業は一番眠くなると評判だ。この温かみのある落ち着いた声は神経をリラックスさせ眠気を誘発し、真面目な生徒の瞼すら重くする。

(悠斗と付き合う前は、俺もこの時間うつらうつらしちゃってたな)

 チラッと教室を見渡せば、早速村瀬の目が半開きになって焦点が定まらなくなっている。
 この様子だとどうせ後でノートを見せてくれとせがまれるだろうから、できる限り綺麗に板書を書き写す。

 それにしても、今取り扱っている作品はなかなか不思議な話だ。
 主人公が同居人の男と友情を育んでいると思ったら、同じ女性に恋に落ち、主人公は友人を騙すような形で女性と結ばれる。そして最終的に友人は自ら命を絶ってしまうのだ。
 この物語は一貫して主人公の視点でしか語られず、友人がなぜ自殺したのか真相は一切わからない。
 失恋によるもの、主人公が正々堂々と恋のライバルとして向き合ってくれなかった悲しさから…友人の自殺について教室からはそんな意見が上がる。

「そうねぇ、他には…佐野くんはどう思う?」
「え、あぁ。そうですね…」

 急に指名されるとは思わず、驚いて手に持っていたシャーペンの芯を折ってしまった。

「彼は自分の信条を大切にしている人なので、恋に溺れて道を外れる自分を恥じた…というのも理由の一つだと思います」

 先生は「なるほどねぇ」と呟きながら俺の意見を黒板に書いてゆく。
 真面目にそれっぽい発表をしつつも、この時間を俺はどうしても馬鹿げたものに感じてしまう。
 情報を読み取り理解を深める…それがこの授業の趣旨だということはわかっているし、その力を育むのは重要なことだとも思う。しかし人が自殺する理由など考えたって仕方がない。
 つい先日までメンタルがどん底にあった俺からすれば、自殺にここまで議論を交わすほど大層な理由など無いと思ってしまう。
 健常な精神を持っている者には理解できないのだろうが、死という選択肢は存外簡単に現れるものだ。健常な者が「なぜ」「どうして」とどれだけ思考を巡らせたって、死を選んだ者の心に辿り着くことはできない。

 この授業で懸命に文章を読み答えを出そうと考え込むクラスメイトたちを見ると、こんなことを考える自分が異質なもののように感じる。

(俺の考えは世間の正解とはかけ離れたものなんだろうな)

 だからこそ、俺はこの議論に真剣に参加してはいけない。
 議論は先生と真面目なクラスメイトたちに任せて、俺は暇をつぶすために教科書の文章に目をやる。
 もう既に何度か読んだ物語だが、何か考えていると思われてまた発表させられるよりは、物語に集中している方がましだ。
 そうして開いたページには、友人の遺書が載っていた。

『もっと早く死ぬべきだのになぜ今まで生きていたのだろう』

 この一文が俺の心にどうしても引っかかる。
 今は悠斗と一緒になれて満たされている俺でも、この先同じことを思う日が来るかもしれない。

 恋によって自らの信条から道を外れ、結局それを後悔したこの物語の彼と、リスクが大きいとわかっていながら悠斗を信じたくなり欲望を優先した自分が重なる。

 俺はそっとシャーペンを机に置き、机の横に掛けてあるリュックについたカワウソを指先で撫でる。
 どうかこの先、俺の進む道が彼と重ならないようにと祈りながら。

 チャイムが鳴ると、暗い物語のせいでしんみりとしていた教室の空気が一気に明るくなる。
 夢の世界にいた者たちも号令の時にはぱっちりと目を見開き、礼をすると同時に動き出す。
 案の定俺にノートを見せてくれと言ってくる村瀬の頼みを聞いていると、前の扉から川島と悠斗がお弁当を持って入ってきた。

 先程まで暗い物語に引っ張られていた俺の心も、悠斗の顔を見れば途端に晴れる。
 4人で机を囲み、「いただきます」と手を合わせてから食べ物を口に運ぶ。

「そういえば4組が数Ⅱで抜き打ちテストやらされたって」
「うげぇ、俺ら次数Ⅱなんだけど…」
「勉強しとかないとね」

 川島から提供された情報に村瀬がげんなりした顔をする。
 悠斗はあまり会話に入ってこないが、たまに俺と目が合うと嬉しそうに優しく微笑む。俺はそれが照れくさくて、いつも目を逸らしてしまう。
 今回もそうやって目を逸らし、なんとなく教室の扉の方を見ると、そこに思いもよらぬ人物の姿が見えた。

「え、大輝?」

 俺の声で3人が一斉に扉の方を向く。

「ほんとだ、大輝くんだ」
「どしたん?」

 下級生が入ってきたということで教室中から注目を集めているが、大輝はそんな視線を一切気にすることなくこちらに近付いてくる。

「俺も一緒に食べていいですか?」
「だめ」
「佐野先輩に聞いてるんです」

 大輝が尋ねるとすぐさま悠斗が却下する。それに大輝も語気を強めて返し、空気が重くなってゆく。
 悠斗は明らかに不機嫌だし、川島も村瀬もこの緊張感に落ち着かない様子だ。みんなのためにも大輝はいない方がいい。しかし追い返すのは体裁が悪い。

「俺は構わないけど…」
「ありがとうございます」

 大輝は俺の許可だけ得るとズカズカと近付いて机にお弁当箱を置く。
 せめて悠斗と距離を取らせようと気を利かせた川島が「こっち来いよ」と自分と村瀬の間に椅子を用意しようとするも、大輝はそれよりも早く俺と悠斗の間に椅子を突っ込んで座ってしまった。

「おい、どけよ」

 悠斗の怒りを含んだ低い声が響くが、大輝はそれを一切気にとめず、俺の方を見てにっこりと微笑む。

(あぁー、胃が痛い)
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