アキレギアの幸福

鮭取 陽熊

文字の大きさ
69 / 72

第69話

しおりを挟む
 雨が降るなか、俺が折り畳み傘を取り出している間に悠斗は先に歩き出してしまった。

「傘入んなよ」
「いいって、もう濡れてるし」
「ハゲるよ」
「え」

 説得の末ようやく2人で肩を並べて歩くことができた。折り畳み傘に男2人というのはだいぶ狭くて俺の肩も濡れてしまうが、それでももう片方の肩が暖かくて幸せだ。

「あいつに何かされなかったか?」

 駅までの道中、悠斗が不安そうに尋ねてくる。

「別に何も。俺の目の前でご飯食べてただけ」
「なんだそれ」

 事実ではあるのだが、言葉だけ聞くと奇妙に聞こえてしまう。悠斗は困惑しているが、事細かに全てを説明するのは憚られた。
 ただ、俺の勘違いで悠斗を疑ってしまったことは謝らなければならないだろう。

「ごめん悠斗。この前悠斗のスーツから女物の香水の匂いがしたから、心変わりしちゃったんじゃないかって疑ってた」

 俺の言葉に悠斗は慌てた様子で説明しようとする。

「あれは違うんだ!あいつが無理やり…心変わりなんてそんな…」
「わかってる。今日悠斗のお父さんから聞いて知った。大変な状況だったのに、疑っちゃってごめんね」

 俺に疑われていたことはショックなようだが、それでも悠斗は俺を責めることなく「いいよ」と一言で流してしまう。
 すると悠斗は一度深く息を吸って、まっすぐ前を見つめて言った。

「俺絶対結婚なんてしないから。家のことも全部なんとかするから、安心して待ってて」

 そう言って悠斗は決意を固める。
 悠斗の父は最後「忘れてくれ」と言ったが、あれがどういう意味なのか確証が持てないため安心はできない。だが俺は悠斗を信じて待つしかない。

「うん。いつまでも待ってる」

 俺の返事に悠斗はフッと笑顔になり、先程より明るくなった声である提案をした。

「俺さ、指輪が欲しいなって思ってんだけど、薫はどう?」



◆◇◆◇



 始業時刻が刻一刻と迫るこの時間、いつもなら憂鬱な気分だが今日は違う。左手の薬指に光るリングが目に入るだけで気分が高揚し、無意識に親指でずっと触ってしまう。

「えっ、佐野さんその指輪…まさか彼女と?」
「うん」

 俺の指を見た伊藤が「マジかぁ」とショックを受けているが、指摘されること自体もなんだか嬉しい。会社の全員に指輪を自慢して回りたい気分だ。さすがにやらないが…

「はぁ…おめでとうございます。てか彼女の写真見せてくださいよ」
「やだ」
「えー」

 恋人の存在を匂わせるだけ匂わせて、写真などは絶対に見せない俺は「有名人と付き合ってるんじゃないか」と噂されている。女優だとかアイドルだとかモデルだとか…ハリウッド女優と付き合ってるなんて言い出したやつもいる。

(俺にとってはハリウッド女優なんかよりずっと価値がある相手だけど)

 とにかく指輪のおかげで常に悠斗の存在を感じられるから幸せだ。サプライズという計画は崩れたが、悠斗が俺のために選んでくれたこの指輪は一番の宝物だ。
 まだ悠斗の結婚についての話がどうなるかはわからないが、悠斗の表情はそこまで暗くはなっていないし、なんとなく大丈夫な気がする。いや、そう思っていないと仕事が手につかない。

「てかさ、この前たまたま面接に来た人見ちゃったんだけどさ、めっちゃイケメンだったの」

 後ろの方で女性社員たちがきゃっきゃと話しているのが聞こえる。

「うちの部署来てくれたらいいなぁ」
「え、歳は?何系イケメン?」
「若そうだったよ。30行ってないと思う。
顔は何系かって言われると…クール系かな」
「えーやばい!狙っちゃおうかな」
「まぁ指輪してたんだけどね」
「えーなんだぁ。佐野さんも指輪しちゃったし、結局私らはイケメンとは縁がないってことか…」

 面接に来ただけでここまで騒がれるとは、その人も容姿のせいで相当苦労してそうだ。

(ま、悠斗の方がイケメンだろうけど)

 しかしこうして諦めてくれるとは、やはり指輪の効果は絶大だな。
 そうして左手を広げて指輪を眺め、気合いを入れてから仕事に取りかかる。

「佐野、ちょっといいか?」

 しばらくしてから部長に話があると声をかけられた。

「来月うちに中途で1人入ってくるんだけど、佐野にOJT頼んでいいか?歳も大学も佐野と同じらしくてさ」
「はい、僕でよければ是非」
「じゃあよろしくな!」

 快く返事をしたものの、正直言って面倒だな。しかし新人教育を頼まれるというのは俺の人柄と能力が評価されているということでもあるから、断ることはできない。
 もしかしてさっき女性社員たちが話していたイケメンくんだろうか?となると高校の時みたいにペアにされてきゃーきゃー言われるんだろうか。そうなったら悠斗が怒りそうだな。
 まぁ例のイケメンは既婚者らしいし、あの時ほど騒がれはしないか。



「…ってことがあってさ」

 家で悠斗の作ってくれた夕飯を食べながら今日の出来事を報告する。

「へぇ、じゃあ来月から大変だな」
「んー、まぁその分仕事量は調整してくれるらしいけどね」

 俺の話を聞きながら悠斗がコップを傾けてお茶を飲むと、照明に反射して指輪がキラリと光った。
 悠斗がつけているのは俺が選んだ指輪だ。やはりあのデザインにしてよかった。女性用と違って宝石などの装飾は無いが、細さや材質などシンプルながらもたくさんのこだわりが詰まっている。

「俺からも報告」
「なに?」

 悠斗はニヤリと笑って俺を見つめる。突然そんなことを言われるとドキドキするが、その表情から悪い報告ではないのだろう。

「会社辞めるんだ。だから結婚の話も無くなった」
「え、嘘、ほんと!?」

 思わず身を乗り出して聞き返してしまう。
 しかし結婚が無くなったというのは嬉しいが、会社を辞めることでそれが成されたということは、勘当のようなものなんじゃないか?
 そう考えて、喜びに染まっていた俺の心はすぐに心配に塗り替えられる。

「でも、いいの?家族のこととか、将来のこととか…」

 心配で眉を歪める俺とは対照的に、悠斗はなんてことないように答える。

「平気。父親も特に何も言ってこなかったし、それに相手のお嬢さん曰くFQGの清水 悠斗じゃなきゃ価値が無いんだとさ。退職が決まったらすぐ俺の従兄弟との縁談に移ったよ」
「そっか、見る目無いねそのお嬢さん」
「俺の価値は薫だけが知ってればそれでいいんだよ」

 そう言うと悠斗は俺の左手を取り、指輪にちゅっと口付けを落とした。

 それにしても悠斗のお父さんが退職について何も言わなかったとは意外だ。やはり稔叔父さんの件を余程悔やんでいるのだろうか。
 俺はずっと、あの人の死と、自分があの人に似ていることを恨んできたが、まさかそのおかげでこうして命拾いするとは…運命とは不思議なものだ。



◆◇◆◇



 ある日の朝、駅前の花屋でふと足が止まる。その店先には、実家で母が育てていた懐かしい花が置いてあった。
 青と白の花弁の真ん中に黄色い雌しべと雄しべがあるその花の名はオダマキ。稔叔父さんが昔育てていたという、俺にとっては彼を象徴する花だ。
 俺は数秒だけその花を眺め、すぐに会社へと向かう。そうしてポケットからスマホを取り出し、なんとなく花言葉を調べてみた。

(ははっ、ほんと、ぴったりだな)

 画面に表示された文字を見て思わず笑みがこぼれる。
 彼だけじゃなく、俺にも悠斗にも、みんなにぴったりの花だ。
 【愚か】…ずっと俺が恐れ嫌ってきたものだが、よく考えてみれば俺の人生は稔叔父さんの愚かな選択によって始まったようなものだ。そして俺も悠斗も、互いに愚かだったからこそ惹かれ合った。もし悠斗が完璧な人間だったらあんな出会い方はしなかっただろうし、俺も悠斗に素を見せることはなかった。
 そう思うと、少しだけ自分を愛せるような気がする。そうして初めて、あの花が可愛らしく思えてきた。



 始業時刻となり、皆が今日からやってきた新入社員に注目する。
 彼の整った顔立ちに女性社員たちのみならず男性社員までざわつき、そして俺も、あまりの驚きに口がぽかんと開いてしまった。

「はじめまして、本日よりお世話になります。清水 悠斗です」
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

番を拒み続けるΩと、執着を隠しきれないαが同じ学園で再会したら逃げ場がなくなった話 ――優等生αの過保護な束縛は恋か支配か

雪兎
BL
第二性が存在する世界。 Ωであることを隠し、平穏な学園生活を送ろうと決めていた転校生・湊。 しかし入学初日、彼の前に現れたのは―― 幼い頃に「番になろう」と言ってきた幼馴染のα・蓮だった。 成績優秀、容姿端麗、生徒から絶大な信頼を集める完璧なα。 だが湊だけが知っている。 彼が異常なほど執着深いことを。 「大丈夫、全部管理してあげる」 「君が困らないようにしてるだけだよ」 座席、時間割、交友関係、体調管理。 いつの間にか整えられていく環境。 逃げ場のない距離。 番を拒みたいΩと、手放す気のないα。 これは保護か、それとも束縛か。 閉じた学園の中で、二人の関係は静かに歪み始める――。

【完結】俺とあの人の青い春

月城雪華
BL
 高校一年の夏、龍冴(りょうが)は二つ上の先輩である椰一(やいち)と付き合った。  けれど、告白してくれたにしては制限があまりに多過ぎると思っていた。  ぼんやりとした不信感を抱いていたある日、見知らぬ相手と椰一がキスをしている場面を目撃してしまう。  けれど友人らと話しているうちに、心のどこかで『椰一はずっと前から裏切っていた』と理解していた。  それでも悲しさで熱い雫が溢れてきて、ひと気のない物陰に座り込んで泣いていると、ふと目の前に影が差す。 「大丈夫か?」  涙に濡れた瞳で見上げると、月曜日の朝──その数日前にも件の二人を見掛け、書籍を落としたのだがわざわざ教室まで届けてくれたのだ──にも会った、一学年上の大和(やまと)という男だった。

刺されて始まる恋もある

神山おが屑
BL
ストーカーに困るイケメン大学生城田雪人に恋人のフリを頼まれた大学生黒川月兎、そんな雪人とデートの振りして食事に行っていたらストーカーに刺されて病院送り罪悪感からか毎日お見舞いに来る雪人、罪悪感からか毎日大学でも心配してくる雪人、罪悪感からかやたら世話をしてくる雪人、まるで本当の恋人のような距離感に戸惑う月兎そんなふたりの刺されて始まる恋の話。

元カレ先輩に、もう一度恋をする。 ━━友だちからやり直すはずだった再会愛【BL】

毬村 緋紗子
BL
中学三年になる春。 俺は好きな人に嘘をついて別れた。 そして一年。 高校に入学後、校内で、その元カレと再会する。 遠くから見ているだけでいいと思っていたのに……。 先輩は言った。 「友だちに戻ろう」 まだ好きなのに。 忘れられないのに。 元恋人から始まる、再スタートの恋。 (登場人物) 渋沢 香名人 シブサワ カナト 高1 山名 貴仁 ヤマナ タカヒト 高3 表紙は、生成AIによる、自作です。 (替わるかもです。。)

前世で超有名だったBLゲーのモブに転生した

明瑠
BL
同性愛も異性愛も当たり前にある世界なのでチラチラとNLやGLも出てくる予定ですがBLメインのお話です 趣味に全振り 忙しい合間にちまちま書き進めていこうと思っています。たまに読み返しておかしな所があったらぼちぼち直していきます。 恋を知ってる青年と、まだ恋をした事がない彼らのお話

君の隣は

ゆい
BL
修学旅行での班分けで、隠キャな僕が席が隣というだけで、イケメンの班のメンバーに誘われた。人数合わせの為に。 その中でも圧倒的なオーラを放つ彼が、何故か僕を構ってくる。 なんの取り柄もない僕になんで? またしても突発的な思いつきによる投稿です。楽しくお読みいただけたら嬉しいです。 久々(アルファポリスでは初)の現代BLです。言葉遣いが今の子達と違和感があるかと思いますが、限りなくスルーしていただけると有難いです。言葉遣いのおかしい箇所のご報告は有難いです。 今回もセリフが多めです。 誤字脱字等で文章を突然改稿するかもです。誤字脱字のご報告をいただけると有難いです。

陰キャ系腐男子はキラキラ王子様とイケメン幼馴染に溺愛されています!

はやしかわともえ
BL
閲覧ありがとうございます。 まったり書いていきます。 2024.05.14 閲覧ありがとうございます。 午後4時に更新します。 よろしくお願いします。 栞、お気に入り嬉しいです。 いつもありがとうございます。 2024.05.29 閲覧ありがとうございます。 m(_ _)m 明日のおまけで完結します。 反応ありがとうございます。 とても嬉しいです。 明後日より新作が始まります。 良かったら覗いてみてください。 (^O^)

【完結】極貧イケメン学生は体を売らない。

紫紺
BL
貧乏学生をスパダリが救済!?代償は『恋人のフリ』だった。 相模原涼(さがみはらりょう)は法学部の大学2年生。 超がつく貧乏学生なのに、突然居酒屋のバイトをクビになってしまった。 失意に沈む涼の前に現れたのは、ブランドスーツに身を包んだイケメン、大手法律事務所の副所長 城南晄矢(じょうなんみつや)。 彼は涼にバイトしないかと誘うのだが……。 ※表紙をAI君に描いてもらいました。(2026.2.21) ※本作品中の公判、判例、事件等は全て架空のものです。完全なフィクションであり、参考にした事件等もございません。拙い表現や現実との乖離はどうぞご容赦ください。

処理中です...