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「辰巳先輩に、キスされそうになった」
「っ!」
「でも、ちゃんと拒否したよ。きっと辰巳先輩なりの荒療治みたいなものだったと思うの、だから……」
「やっぱり……」
悔しそうにベッドを殴る灯が何を思っているのか。そんな風に大事にしてもらえるような存在じゃないのに。そういうことをするのはあのとき家にいたあの女の子にするべきものでしょうと明里の胸がツキリと痛む。
「灯が気にすることなんてないよ。私たちただの幼なじみじゃない。それよりも前に家に来てた彼女、さん? 可愛い子だったね」
「あれは……」
「幼なじみだからってこんな簡単に家に上がったら、まずいよね。私、もう帰る……」
「そうじゃなくて!」
立ち上がろうとしたところでまた腕をつかまれた。けれどさっきのように強い力じゃない。
「そうじゃなくて……お願いだから、僕の話を聞いて……」
すがるようなその声に、明里はやっぱり灯のことを放ってはおけない自分に呆れながらも灯の話に耳を傾けた。
「あの子はゼミの後輩で……あの日はちょうと実験レポートのまとめをやってたんだ」
灯から語られたのは灯が何を大学で勉強しているかということだった。灯は生物学のコースを取っていて、ゼミでは植物、とりわけ花についての研究をしているらしい。けれどそう話している灯はずっと指の甘皮をいじっていて、明里はそれが嘘だということがわかった。灯が明里の嘘を見抜けるように、明里も灯が嘘をついているときの癖をよく知っている。
「それだけじゃないよね?」
「……うん」
灯も明里に嘘をついていることがバレていることを観念したように話を続けた。
「その子と、ちょっと良い感じになってた。明里が辰巳さんと付き合うなら、僕も前に進まなきゃって思って……でもダメだった」
「ダメだったって……?」
「しようとしたけどできなかった」
その言葉にあの日の出来事が脳裏によみがえってきた。良いところまでいったのにそれ以上先に進まなかったこと。理由はわからないけれど、明里はその女の子の気持ちを思うと、灯に対して怒りしか浮かんで来なかった。
「灯、最低なことしてるよ。女の子の敵」
「わかってる、よ。最低だよね、ホントに」
だらりと首をもたげている姿を見て、本当だったら一発でも殴ってもう二度と会わないと言ってやりたい気持ちになった。でもそのくせっ毛から見える瞳がひどく傷ついているように見えて放っておけないと思った。
「でも、やっとわかったんだ」
灯が顔を上げた。伸びてきた手のひらが明里の頬を優しく包む。
「やっぱり明里のことが好きなんだって」
「と、もる……?」
頬を撫でられながら優しく微笑まれる。明里の心臓の音が大きくなっていく。
「後輩の子といるときも明里の顔が浮かんで離れなかった。キスしてみたって、全然違った。明里とじゃなきゃ、したくないって思った」
何を言われているのわからずに明里はただ灯を見つめる。
ずっと灯のことが好きだった。あんなことをされても、辰巳に告白されても、やっぱり帰り着くところは灯だった。灯にただの幼なじみだと思われていてもいいと思っていたのに、突然の灯からの告白に明里の思考回路がおかしくなる。
「え、ちょ、待って……だって、私のことなんてなんとも思ってないんじゃ……」
「そんなことないよ。小さい頃からずっと一緒にいた、大事な幼なじみだよ」
「でも、だって、そんな、だったら……」
どうしてあのとき途中で止めてしまったの?
そう聞きたかったけれど、その答えを聞く心の準備ができていない。嫌いになったんじゃなかったら、自分のどこが悪かったのだろう。
「あ、っと、その話、する?」
少しばつが悪そうな灯を見るとやっぱりいい話ではないのかもしれない。でも灯が好きだと言ってくれた気持ちを信じたくて、前に進むにはこの話を聞くしかないと思ってうなずいた。
「その、お互い初めてだったでしょ。僕は明里と結婚するつもりでいたし、無責任なことはしたくないけど、そうなったらそうなったでいいと思ってたんだけど……」
頬をぽりぽりとかく姿はとても言いづらそうだった。
「なんか見たことない明里の姿を見たら、色々限界来ちゃって……急に、その……萎えちゃったんだよね」
「え……?」
「変だったってことじゃないよ? 綺麗すぎてなんていうか、そういうことをしてるんだって思ったらそれで満足しちゃったっていうか……」
「え……それで、あんな謝り方したの……?」
「お、男にとっては結構大きな問題だよ!」
顔を真っ赤にして弁明する姿を見ていると悩んでいた二年半間がとてもばからしくなってきて気が抜けてしまった。あんなに切羽詰まった謝り方をされたら、想像していたよりも体型が悪かったとか、胸が小さかったとかそんな理由だったのじゃないかと思っていたのに。
「それに、こうなったら明里との関係が何か変わってしまうんじゃないかって思ったら少し、怖くなった、のもある」
昔から優しくて、人の痛みを自分のことのように考えられる人だった。
あの日、明里は変わらない繋がりが欲しかった。灯も同じように思っていたけれど、明里よりももっと先のことを考えてくれていた。だからこそ怖くなったと思えばそれは当たり前のことなのかもしれない。灯の方がよっぽど大人で明里のことを考えてくれていたのに。
「もう! 灯のばか!」
「え、いたっ、ちょ、殴るのはダメだって」
べしっと灯の肩をたたくと、明里は気がせいせいしたかのように笑い出した。あの日、拒絶された理由がはっきりとわかって、ずっと心の中に燻っていたもやがすっきりと晴れたからだ。
「私も、灯のことが好き」
「え……」
「辰巳先輩に告白されて、付き合おうと思ったけどやっぱり灯が好きだって気づいた。あの日、拒絶されてからもずっと灯が心の中に残ってた」
付き合いが長すぎてただの情だと思ったこともあった。でも、辰巳とキスをしそうになって灯以外とはしたくないと思った。それだけでも灯に愛情が向けられていることは明里の中では確かな確証だった。
「な、んだ。じゃあ僕たち、元々こんなに離れる必要なかったってこと?」
「離れたのはそっちでしょ! あれから連絡だってくれなかったし」
「そりゃあ連絡しづらいに決まってるじゃん。男としては情けないことなんだから……」
頬を赤く染めながらもどこかすねたような表情に明里はまた笑い出す。やっぱり、灯とはこうやって笑い合っていたい。日々の小さなことを話して、笑い合って、同じ時間を共有していきたい。
「あの日のやり直しを、してもらえますか?」
正座をした灯が目の前で頭を下げた。なんだかこういうところで雰囲気がないところも灯らしい。明里は灯の手を取った。
「もちろん。よろしくお願いします。」
「っ!」
「でも、ちゃんと拒否したよ。きっと辰巳先輩なりの荒療治みたいなものだったと思うの、だから……」
「やっぱり……」
悔しそうにベッドを殴る灯が何を思っているのか。そんな風に大事にしてもらえるような存在じゃないのに。そういうことをするのはあのとき家にいたあの女の子にするべきものでしょうと明里の胸がツキリと痛む。
「灯が気にすることなんてないよ。私たちただの幼なじみじゃない。それよりも前に家に来てた彼女、さん? 可愛い子だったね」
「あれは……」
「幼なじみだからってこんな簡単に家に上がったら、まずいよね。私、もう帰る……」
「そうじゃなくて!」
立ち上がろうとしたところでまた腕をつかまれた。けれどさっきのように強い力じゃない。
「そうじゃなくて……お願いだから、僕の話を聞いて……」
すがるようなその声に、明里はやっぱり灯のことを放ってはおけない自分に呆れながらも灯の話に耳を傾けた。
「あの子はゼミの後輩で……あの日はちょうと実験レポートのまとめをやってたんだ」
灯から語られたのは灯が何を大学で勉強しているかということだった。灯は生物学のコースを取っていて、ゼミでは植物、とりわけ花についての研究をしているらしい。けれどそう話している灯はずっと指の甘皮をいじっていて、明里はそれが嘘だということがわかった。灯が明里の嘘を見抜けるように、明里も灯が嘘をついているときの癖をよく知っている。
「それだけじゃないよね?」
「……うん」
灯も明里に嘘をついていることがバレていることを観念したように話を続けた。
「その子と、ちょっと良い感じになってた。明里が辰巳さんと付き合うなら、僕も前に進まなきゃって思って……でもダメだった」
「ダメだったって……?」
「しようとしたけどできなかった」
その言葉にあの日の出来事が脳裏によみがえってきた。良いところまでいったのにそれ以上先に進まなかったこと。理由はわからないけれど、明里はその女の子の気持ちを思うと、灯に対して怒りしか浮かんで来なかった。
「灯、最低なことしてるよ。女の子の敵」
「わかってる、よ。最低だよね、ホントに」
だらりと首をもたげている姿を見て、本当だったら一発でも殴ってもう二度と会わないと言ってやりたい気持ちになった。でもそのくせっ毛から見える瞳がひどく傷ついているように見えて放っておけないと思った。
「でも、やっとわかったんだ」
灯が顔を上げた。伸びてきた手のひらが明里の頬を優しく包む。
「やっぱり明里のことが好きなんだって」
「と、もる……?」
頬を撫でられながら優しく微笑まれる。明里の心臓の音が大きくなっていく。
「後輩の子といるときも明里の顔が浮かんで離れなかった。キスしてみたって、全然違った。明里とじゃなきゃ、したくないって思った」
何を言われているのわからずに明里はただ灯を見つめる。
ずっと灯のことが好きだった。あんなことをされても、辰巳に告白されても、やっぱり帰り着くところは灯だった。灯にただの幼なじみだと思われていてもいいと思っていたのに、突然の灯からの告白に明里の思考回路がおかしくなる。
「え、ちょ、待って……だって、私のことなんてなんとも思ってないんじゃ……」
「そんなことないよ。小さい頃からずっと一緒にいた、大事な幼なじみだよ」
「でも、だって、そんな、だったら……」
どうしてあのとき途中で止めてしまったの?
そう聞きたかったけれど、その答えを聞く心の準備ができていない。嫌いになったんじゃなかったら、自分のどこが悪かったのだろう。
「あ、っと、その話、する?」
少しばつが悪そうな灯を見るとやっぱりいい話ではないのかもしれない。でも灯が好きだと言ってくれた気持ちを信じたくて、前に進むにはこの話を聞くしかないと思ってうなずいた。
「その、お互い初めてだったでしょ。僕は明里と結婚するつもりでいたし、無責任なことはしたくないけど、そうなったらそうなったでいいと思ってたんだけど……」
頬をぽりぽりとかく姿はとても言いづらそうだった。
「なんか見たことない明里の姿を見たら、色々限界来ちゃって……急に、その……萎えちゃったんだよね」
「え……?」
「変だったってことじゃないよ? 綺麗すぎてなんていうか、そういうことをしてるんだって思ったらそれで満足しちゃったっていうか……」
「え……それで、あんな謝り方したの……?」
「お、男にとっては結構大きな問題だよ!」
顔を真っ赤にして弁明する姿を見ていると悩んでいた二年半間がとてもばからしくなってきて気が抜けてしまった。あんなに切羽詰まった謝り方をされたら、想像していたよりも体型が悪かったとか、胸が小さかったとかそんな理由だったのじゃないかと思っていたのに。
「それに、こうなったら明里との関係が何か変わってしまうんじゃないかって思ったら少し、怖くなった、のもある」
昔から優しくて、人の痛みを自分のことのように考えられる人だった。
あの日、明里は変わらない繋がりが欲しかった。灯も同じように思っていたけれど、明里よりももっと先のことを考えてくれていた。だからこそ怖くなったと思えばそれは当たり前のことなのかもしれない。灯の方がよっぽど大人で明里のことを考えてくれていたのに。
「もう! 灯のばか!」
「え、いたっ、ちょ、殴るのはダメだって」
べしっと灯の肩をたたくと、明里は気がせいせいしたかのように笑い出した。あの日、拒絶された理由がはっきりとわかって、ずっと心の中に燻っていたもやがすっきりと晴れたからだ。
「私も、灯のことが好き」
「え……」
「辰巳先輩に告白されて、付き合おうと思ったけどやっぱり灯が好きだって気づいた。あの日、拒絶されてからもずっと灯が心の中に残ってた」
付き合いが長すぎてただの情だと思ったこともあった。でも、辰巳とキスをしそうになって灯以外とはしたくないと思った。それだけでも灯に愛情が向けられていることは明里の中では確かな確証だった。
「な、んだ。じゃあ僕たち、元々こんなに離れる必要なかったってこと?」
「離れたのはそっちでしょ! あれから連絡だってくれなかったし」
「そりゃあ連絡しづらいに決まってるじゃん。男としては情けないことなんだから……」
頬を赤く染めながらもどこかすねたような表情に明里はまた笑い出す。やっぱり、灯とはこうやって笑い合っていたい。日々の小さなことを話して、笑い合って、同じ時間を共有していきたい。
「あの日のやり直しを、してもらえますか?」
正座をした灯が目の前で頭を下げた。なんだかこういうところで雰囲気がないところも灯らしい。明里は灯の手を取った。
「もちろん。よろしくお願いします。」
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