義理の妹が結婚するまで

夏目くちびる

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第五章 義理の妹と結婚するまで

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 浴衣に羽織の姿は、彼女の小さな体にはアンバランスだ。廊下の先で俺を待つ姿を見て、そう思った。



 「遅い」



 その声色は、思いの外機嫌が悪くなさそうだ。



 「悪いな。それで、何を奢らされるんだ?」



 訊くと、中根は俺に缶ビールを差し出した。



 「別に、そんなつもりで誘ったんじゃない」



 かなり意外だ。ひょっとして、今度こそドッキリにハメられるのかもそれない。あの観葉植物の裏とか、カメラマンが居てもおかしくない。



 「ありがとう」



 プルタブを引いて口をつける。一口飲んでから、すぐ側にあったベンチに座ると、中根もその隣に静かに座った。



 「どうした、元気ないな」



 飲み過ぎだろうか。



 「大人しいのがそんなに変なわけ?」



 変か変じゃないかで言えば変だ。しかしそれにしては落ち着いている。ただ、中根もサークルに入って大人になったから、俺が昔とのギャップについていけてないだけなのかもしれない。



 「そういう訳じゃない。それで、どうして俺を?」



 「……ここでは話したくない。あんた、一人部屋なんでしょ?」



 どうしてそれを知っているんだこいつは。



 「あんたの部下からタレコミがあった」



 普通に裏切られていた。例のファンクラブのメンバーに業務部の奴が居たようだ。誰なのかはなんとなく分かるが、それを追求する気はない。



 「女入れるのはちょっとな」



 「実家に帰ったときの話、聞いてほしいの」



 そう言われて彼女を見ると、今まで見たこともない程真剣な表情をしていた。



 「……仕方ないな、東館の三〇九号室だ。十五分後にノックしてくれ」



 「うん」



 踵を返し、来た道を戻る。



 「……ごめんね」



 後ろの方で微かに聞こえたその言葉が、俺に向けられているモノだとは思えなかったから足を止める事はしなかった。



 その後、時間通りに中根は部屋にやってきた。これはきっと何かしらのルールに違反しているのだろうが、今更ベビーフェイスを装う気もないのでおとなしく彼女を迎えた。



 手にはまた何本かの酒を持っている。それを見て俺は、中根が何かを恐れているように見えた。そして、その正体が彼女の過去にあるのだと直感したのは、あの日あの裏道で彼女が誰かと電話していたのを思い出したからだ。



 それはつまり、酒のせいにしなければならない事。



 沈黙。しかし彼女は覚悟を決めたようで、深呼吸をするとゆっくりと口を開いた。



 「あのね」



 そして中根は、父親と死別している事、母親を置いて今住んでいる町に来た事、男遊びを止めてから一人で暮らしている事を俺に話した。


 持ってきた酒が、全て空き缶になってしまう程長い時間だった。



 「大変だったな」



 安い言葉だが、それしか思い浮かばなかった。女の子が見知らぬ街で孤独に生きるストレスは、一体どれほどのモノだっただろう。俺は、苦労を忍んでやることしか出来なかった。



 「まあね、本当に大変だった。でも」



 酒を飲む。吐息が深い。



 「仲直り出来た。お互い解り合えたの」



 「……そうか」



 「あんたのおかげ。クリスマスにあんたの話聞いてなかったら、お母さんと向き合う勇気なんて絶対出なかった」



 一拍置いて、更に続ける。



 「あんたはきっと、苦労は人それぞれとか言って自分を卑下するんだろうけどね。それでも私は、あんたのおかげだと思ってる」



 私、と彼女は言った。あの頃の中根紗彩は、もういない。



 「ありがとう」



 それは、とても無邪気で大人びた微笑みだった。



 「力になれたのなら、何よりだ」



 一方で、こちらは不器用な笑顔だったのだろう。彼女は俺を見て、「バカみたい」と呟いた。



 「これからどうするんだ?」



 中根が持っていた缶をサイドテーブルに置いた。



 「大学辞めようと思ってる。それで、お母さんと暮らすの」



 中根の故郷は、俺たちの住む町からはとても遠い場所だ。



 「寂しくなるな」



 思わずこぼれてしまったその言葉。



 「文也が寂しいなんて、変なの」



 変なものか。俺だって寂しがる時もある。



 窓の外を見ると、ちょうど雪が止んだ。真っ暗闇の中に、街灯が薄く灯っている。



 部屋の中には、エアコンが温かい風を送る音だけが木霊している。俺は目を伏せ、彼女との出来事を思い出していた。



 ……。



 不意に、中根が俺に抱き着いた。腕の下を通るその腕は細く、そしてほとんど力も込められていなかった。少しでも体を動かせば、すぐに解けてしまいそうな程だ。



 「夢子の事、好き?」



 こもった声に、切なさを感じる。



 「好きだ」



 躊躇なく答えた。迷いはない。



 「そっか」



 まるでそういわれるのがわかっていたような、そんな声。



 「大切にしなさいよ。帰ったら、一番に伝えてあげて」



 「当然」



 それを聞くと、彼女は俺から離れた。



 「……紗彩は悪くないよね」



 きっと、この言葉を聞くのは最後になるだろう。今にも泣きだしそうな表情だったから、俺は彼女の頭を優しく撫でた。



 今の俺と中根の関係はなんだろうか。嘗て、その答えを欲していたのを思い出した。



 中根とのやり取りは、いつだって新鮮なモノだった。



 他人にとっては取るに足らない男女の会話だったのかもしれないが、何も知らない俺にとってはその全てが勉強になっていた。考え方や手にするまでの過程に着眼点。特に生きることに強かな彼女はのやり方は、どれをとっても知らないモノばかりで刺激的だった。



 その物語のどれもが、俺は羨ましかった。



 彼女からたくさんの事を教わった。だから、中根紗彩はもう一人の恩師だ。



 「当たり前だ。お前はいつだって正しかった」



 彼女は笑った。そして立ち上がると、俺の頬にキス落として。



 「ばいばい」



 静かに、部屋を出て行った。



 翌日の朝、俺はいつもより少しだけ多く飯を食べた。



 日中はスノーボードを練習して業務部と辺りを観光し、夜は宴会を楽しんだ。しかしその間、中根と話す事は一度もなかった。
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