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そばにいる
しおりを挟むその日、僕のポストには差出人不明の封筒が入っていた。
差出人も宛名も、何も書かれていない。ただ、古びた便箋が一枚、そこに折りたたまれていた。
たいせつなあなたへ
あなたが笑ってくれるなら、わたしは、もうそれだけでいいの。
一瞬、意味がわからなかった。でもその字――どこかで見覚えがある気がした。
小学校の頃の、母の筆跡に似ていた。でも、母は…五年前に病気で亡くなっている。
ぞくり、と背筋が冷たくなった。
その夜、僕の夢に母が出てきた。
「ユウくん、元気にしてる? 今も夜はちゃんと寝てる?」
夢の中の母は、あのときと変わらぬ優しい笑顔で、僕の頬を撫でた。
「…どうして今さら出てくるんだよ」
気づけば僕は泣いていた。
翌朝、目が覚めると机の上に、また手紙が置かれていた。
またもや、差出人不明。けれど開くと、確かにあの夢と同じ言葉が書かれていた。
「ユウくん、夜はちゃんと寝てる?」
現実か夢か分からない境界に、僕はだんだん狂いそうになった。
⸻
手紙は毎晩届いた。封筒も、切手もない。ただ、僕の部屋の机の上に置かれている。
内容はどれも他愛ないものだった。
「今日、ユウくんが好きだったハンバーグ作ったよ
学校は楽しい? お友達はできた?
笑っててくれたら、それでわたしは幸せ。」
でも、ある夜の手紙は違っていた。
「ユウくん、お願いがあるの。
もうすぐ、わたしのこと、全部忘れて。
忘れて、幸せになって。
それが、わたしの願い。」
泣いた。声を上げて泣いた。
母のこと、忘れられるわけない。
あんなに僕を大事にしてくれてたのに。
でも、ある日を境に手紙は届かなくなった。
⸻
それから数年が経った。
僕は大学に入り、一人暮らしを始めた。
母のことも、手紙のことも――あれはきっと、寂しさが見せた幻だったのだと思っていた。
そんなある日、僕は古本屋で偶然、あの頃の夢に出てきた絵本を見つけた。
『夜をくぐる星のこども』。母がよく読んでくれた物語だ。
懐かしくて、ページをめくると――最後のページに、何かが挟まっていた。
一枚の便箋だった。震える指で開くと、こう書かれていた。
「ユウくん
わたしがいなくても、ちゃんと笑えてる?
泣きたい夜もあるよね。でもね、泣いたら、空を見上げて。
そこにわたしがいるから。
ユウくんのこと、ずっと応援してるよ。
愛してる。
ママより」
文字が滲んで、よく見えなくなった。
店の中で、人目もはばからず僕は泣いた。
⸻
その夜、空を見上げると、ひときわ輝く星があった。
風が頬を撫でた気がした。
あの日の、母の手のひらの温もりみたいだった。
怖かったはずの出来事が、今では僕の背中を押してくれる。
きっと、母は――黄泉の国からでも、僕のことを想ってくれていたんだ。
そう思うと、もう涙はこぼれなかった。
ただ、「ありがとう」と空に向かって、小さく呟いた。
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