蒼き春の精霊少女

沼米 さくら

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決意・トランスセクシャル(4)

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 ――光が爆ぜた。

 スカートがはためく。ツインテールに括られた髪が靡く。風を切って僕は歩く。
「鯖。僕はお前のようなやつが、大っ嫌いなんだ」
 嘘だ。僕の怒りの原因はほかにある。
 そう、ハルを傷つけたこと。殺そうとしていたこと。
 私怨だ。完全に私怨だ。
 こいつは存在していてはいけない生物だ。
 苛烈な感情が、煮えたぎる怒りが、誰にも理解されなくていい想いが、目の前のナマモノに対しての殺意と化して、僕を駆り立てた。
「世界が滅びてもいいのデスか!? たかだか人間一匹よりも世界が大事という価値観は普遍のものではないのデ」
「僕にとって、世界よりも僕の命よりも、身近な人が消えることのほうが苦しい! 僕にとっての世界は、ハルだ! 世界と引き換えにあいつが死ぬのなら、この世界なんていらない!!」
 もう何も考えちゃいなかった。
「ならば、力づくで連れ帰るしかないデスね……ッ!」
「やってみろ……。三枚おろしにしてやるよッ!」
 三枚おろし。そのイメージが強かったからか、手に包丁のような武器が現れる。
 人間大の鯖をさばけるほどの巨大な出刃包丁。それを携え、僕はマックローに迫る。
「ワタシだってねぇ……戦えるんデスよ……! 魚介人類を……ナメルナァァァァァァ!!」
 そう言うと、マックローはエラの隙間を大きく開く。大量の赤い液体を噴出させながら現れた――否、生えてきたのは、筋骨隆々で毛だらけの人間の腕。
 毛の隙間に血がべっとりとついたそれは、見るからに強いパワーを秘めていることが一目でわかる。
 息を切らした、直立二足歩行の腕が生えた鯖。名状しがたいその生物は、もはや『怪人』という表現の正しいようなバケモノだった。
 僕はひるむ。その気持ち悪さもそうだが、一番はその闘志にである。
 おそらく、体力を大幅に削ったのであろう。一気に満身創痍になったようにも見える。そうまでしてでも、僕を倒す。そんな意思が見て取れるような気がして。
 狂気のような殺意に恐怖しつつ、しかし僕は気を張った。
 こいつを倒さなければ、その生えた腕は僕以外の人に向けられる。だから、いまここでやらなければならない。
 意思が、責任感が、僕を戦士へと変えた。
「それが……どうしたァァァッッ!」
 鯖に肉薄した。左下段に構えた出刃包丁を、一気に振り上げ。
「まず、二枚ッ!」
 股関節部分から中骨に沿う位置を狙って切り裂く。
 抵抗される、その兆候が見える前に、エラの下部……腕の下を狙って包丁を入れ、骨に当たったところから一気に下に振り下ろす。
「これで三枚だッ!!」
 沈黙、一秒。
「ギャァァァァァァッッ!」
 悲鳴とともに飛びのいた。その視界に映ったのは、見事に三枚おろしになって直立二足歩行のできなくなったマックローの姿だった。
 半身に足が一本ずつ。三つに分けられた部位は、それぞれがぴちぴちとはねていた。
 無力になったそれに近づいて、深呼吸。
 ……魚臭い。
 地面に落ちたものを切りやすいもの、と想像すると、振りかざした出刃包丁はナタへと姿を変える。
「クイーン……ワタシは……果たせなかっタ……」
 その鯖の頭は息絶え絶えに呟いた。瞳からは、涙の雫が落ちているようにも見え。
 僕は目をつぶって、ナタを振り下ろした。

 爆発したその跡地には何も残らず、ただ静寂だけが戻る。
 ふと息を吐くと、視界が一瞬だけ白くなって、体が重くなる。元の姿に戻ったらしい。
「見事、でした。さすがです。お姉ちゃん」
 そばにアキちゃんがいつも通りの無表情で現れた。
 それを見ない様にしながら僕は、ハルのそばに寄って座る。
「……ハル……ごめん」
「お姉ちゃんが謝る必要なんてない、です。謝らないとなのは、わたしのほうです」
「なんで?」
「……無関係のはずだったあなたを巻き込んだ。そのせいで、辛い宿命を負わせてしまった。わたしと関わらなければ、ハルさんだって傷つかなかったはずなのに」
 その通りだ。僕は巻き込まれたに過ぎない。
 彼女――精霊にとっては、別に僕の背負った役割は誰でもよかったのかもしれない。たまたまそれが僕に当たっただけ。
 僕は被害者。そう言い張ってもいいはずだ。けれど。
「いいんだよ。選んだのは、僕なんだもの」
 言って、いまだに寝息を立てるハルの頭を軽くなでた。
「それに、そのおかげでハルを守れた。君に出会ってなければ、きっと助けられなかった」
「そうですか」
 不意に、そよ風が吹いた。視界の先、川の向こう岸には、夕日が沈み始めていた。
「……精霊は、この世界にとっての悪者です。このまま存在し続けていたら、世界がどんどん歪められちゃって、最終的に壊れちゃうんです」
 珍しく、少女は不安げに声を震わせた。
「伝えなくって、ごめんなさい。正直、だまそうとしてました」
「いや、いいんだよ。聞かなかった僕が悪いんだから」
 当然のことを言ってみると、彼女は目を伏せた。
「そんな優しいあなたに問います。……それでも、戦ってくれますか?」
 問う、というよりもどこか懇願するようなその質問に、僕はしばし逡巡し。
「……わかんない」
 出まかせにそう言った。
「その心は?」
「魚介人類とか、精霊とか、僕には関係ない話だから。世界とかも……スケール大きすぎて、わけわかんない」
 俯いて黙り込むアキちゃんに、僕は言葉をつづけた。
「でも、そこに人間が――僕の知ってる人が、友達が、家族が巻き込まれるのは、理不尽だと思う。……そんなので、ハルを失いたくはない」
 だから、戦う。愛する人を守るために。
 告げると、アキちゃんは笑った。
「本当に自分のことしか考えてないんですね。あなたは」
「ああ、そうだよ」
 そうじゃなきゃ、こうはなってなかった。後悔することもなかったし、人生が行き詰まることもなかったと思う。
 理不尽が嫌いだ。思い通りにいかないことが嫌いだ。わがままだ。不器用だ。知ってる。けれども、だからこそ、僕はまだ大人にはなり切れない。
「僕は、まだエゴを諦めることが怖いようだ」
 自我を捨てきれない。誰かのために働くことなんてできやしない。
 大人になるというのは、なんて惨酷なことだろう。未だ子供な僕は、変われない僕は、醜い僕は、川の向こうの明かりのついたビルを見て、ため息を吐いたのだった。



「クイーン、報告デス」
「なんじゃ」
 深海。深い深い日本海溝の底に作られた空気ドームの中の町。その中心に彼女の居城はあった。
「マックロー一体がまたも破壊されたようデス」
「ほほう……この前シュリンプを倒した者と同じ奴か?」
「そのようです」
 鯖人間マックローが跪くようにして、玉座の前で報告していた。
「なるほど、失敗したか……。詳細な映像データはあるかの?」
「はい。視界データがありマス。表示シマショウか」
「いや、後でわしの端末に送っておいてくれ。……しかし、精霊と人間か。人間は取るに足らない存在とばかり考えておったが……」
 幼げな少女のような声で、クイーンは独り言をつぶやいて。
「……よし、決めた。次はその精霊人間の行くところで人間の密集したところにオクトパースを送り込むのじゃ。人間の干渉による精霊への影響についての実験じゃ!」
「ハイ。……陛下、もしかシテ実験したいだけじゃ」
「ついでに精霊を見つけたら殺しておくように」
「アッハイ」
 マックローが去ったその玉座で、彼女は不敵に笑う。
「……全ては、この世界を救うため。そのためにはいかなる犠牲も……構うものか」
 幼い少女の決意つよがりは、誰に聞こえることもない。
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