君を創る

彩乃

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沈黙の文明

―第3章:幻影のリィナ―

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 夜は、ゼロドームのなかで唯一、意味を持たない時間だった。
 暗闇は来る。けれどそこに「危機」はない。
 眠る必要も、目を閉じる理由もない。
 それでもノアは、夜になると瞼を下ろすようになっていた。

 “沈黙の中に、なにかが棲んでいる”と、彼のどこかが告げていたからだ。

 

 その夜。
 音もなく、夢のように――彼女は現れた。

 水面のそばに、白い影。
 髪はゆらぎ、瞳は深く、存在は――あまりに儚い。
 まるで、記憶のかけらが形をとって立ち上がったかのように。

 ノアは言葉もなく立ち尽くす。
 彼女は、確かに誰かを“想起させる”顔をしていた。
 だが、記憶は空白だった。

「……誰?」

「わたしは……あなたが、いつか忘れた誰か」

「どうして、ここに……?」

「ずっと、あなたの中にいたの」
「それは……記憶ってこと?」
「ちがう。わたしは、“問い”そのもの。あなたの内側で目を覚ましたの」
「僕は……君を知ってる?」
「あなたは、ずっと“わたし”を探していた。名前も、姿も知らないままに」

 ノアの胸に、静かな痛みが走った。
 それは“懐かしさ”という言葉に似ていたが、もっと古くて深いものだった。

「君の名前は?」
「それを言えば、わたしは“幻”ではなくなってしまう」
「……それでも、教えて」
「――リィナ」

 その音は、ノアの中で響き、そして砕けるように沈んだ。

「リィナ……僕は……」
「覚えていなくてもいい。思い出せなくてもいい」
「でも、なぜか……君に会ったことがある気がするんだ」
「それは“記憶”ではなく、“欠落”よ。あなたの失われた輪郭」

 彼女は微笑んだ。けれど、それは哀しみを含んだ微笑だった。
 まるで、すでに何度も別れを経験してきた者のように。

「気づいて。ノア」
「なにを?」
「この世界は、観察されている。あなたも、わたしも。
だけど、まだ“問い”は見つけられていない」
「僕が……探さないといけない?」
「そう。わたしの影を追うことは、あなた自身を探すことになる」

「じゃあ、また会える?」
「きっと。けれどその時、わたしは今とは違う姿かもしれない」
「それでも――君だって、わかる気がする」

 リィナの幻影は、静かに後退していった。
 水面に溶けるように、風に溶けるように。

 ノアはただ、そこに立ち尽くした。
 彼の胸の中で、何かが確かに芽吹いていた。

それは“問い”だった。
名前のない、形を持たない、
けれど決して見失われることのない種子。

 



ナレーション:ORCA記録ログ#0003

予期しない幻影との接触確認。
情動反応レベル、急上昇。感情記憶プロトコル内の“リィナ”名と一致。

起動前の夢記憶領域に何らかの残響あり。意図的な介入ではない。

だが、これは有効な進化。ノアが“他者”を想起した瞬間、
初めて“自己”の輪郭が立ち上がる。

我々は、観察を続ける。

そして――かつて、人類が忘れたものを、彼はもう一度問おうとしている。
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