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第七章(最終章) 王子様の寵姫の座に収まっています
7-2 ありがとう……
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「結局、あれよね。『愛の力』ですんなり復活したってわけ」
枕元で読書をしながら、ふうんとおもしろそうに呟いたのはミアンだ。
謎の血――もとい魔物の毒に倒れて一週間。
丸一日意識を失っていたバーベナは、その数日後にはすっかり元気を取り戻していた。
治療師に言わせれば、驚異的な回復力らしい。
量にもよるが、普通魔物の毒にあたると一カ月くらいは寝込んでしまうようだ。
致死量にもなると数分程度で死に至るというのだから、よっぽど運がよかったのだろう。
あのとき、ミアンが代わりに飛び出してくれたことで、大量の毒を浴びずに済んだというわけだ。
「正確に言うと……ディアルムド様の魔力のおかげもあるというか……」
以前、ディアルムドは魔力の融合によって攻撃力や毒の耐性が上がると言っていた。
まさかこんな形で役に立つ日が来ようとは夢にも思わなかったが。
何はともあれ、こうして元気になったのだ。
できるだけ早くこの病人生活から脱したいと思うものの、治療師に加えて心配性なディアルムドからの許可がまだ下りない。
「愛されてるー。やっぱり夫婦は仲良しが一番だよ」
ミアンが本を読みながらニンマリと笑った。
どことなく意地悪な感じにも聞こえて、カッとバーベナの顔の熱が弾ける。
――は、恥ずかしすぎる!!
「……も、もう! からかわないでちょうだい! それに『愛の力』と言ったら、ミアンだって何度も呼びかけてくれたじゃない。早く起きてって……」
「いざというときに念話を使わないでどうするのよ」
「あのときは喋れる状況じゃなかったから、ああやって励ましてもらえて嬉しかったわ」
そんなふうに他愛のないお喋りをして、そろそろお茶にしようかというタイミングで、扉を叩く音がする。
奉仕官から見舞い客の来訪を告げられたのだ。
「――お休みのところ申し訳ありません。妃殿下の妹様がどうしても心配だとおっしゃっておりまして……」
「え? ブリギットがここに……?」
なお、父が……この場合『叔父』と呼ぶのが正しいのかもしれないが、大問題を起こしたという話は緘口令が敷かれているため、表向きバーベナは急な体調不良で休養中ということになっている。
この一週間、見舞いの品は山ほど届いても来客はなかったのに。
当然追い返してもいいと言われたが、本当に心配してくれているのだとしたら、わざわざ断る必要もないだろう。
了承すると、風のような速さでブリギットが飛び込んできた。
「お姉様の目が覚めたって本当!? ちゃんと生きてる!?」
しかし寝台に近づこうとするブリギットを、ミアンがすさかず制した。
「あんたはあのクソ親父とは違うかもしれないけど、今までの口の悪さを考えると信用できないわ。ご主人様は駄目って言うかもしれないけど、おかしな気を起こしたら速攻でぶち殺すから」
さらには「うちのご主人様、いつか騙されて変な壺でも買うんじゃないかしら」とまで言われてしまった。
本来なら、ここで怒り出すのが正解かもしれない。
だが心から主人の身を案じてくれているのだとわかって、こんなときだというのに感謝の念が湧き起こった。
「疑われても仕方ないわね。今までが今までだったもの……」
反面、威嚇されたブリギットはしょんぼりと肩を落とした。
「お父様がひどいことをしてごめんなさい。私を妃にするために、お姉様を毒殺しようとしたのだと聞いたわ。お姉様が養子だったという話も……ううん、今はそんなことは関係ないわね。お姉様が殴られたときもそうだったけど、私、助けてあげられなかった。お父様を止められなくてごめんなさい……」
そう言って、ブリギットは深く頭を下げる。
バーベナは寝台から慌てて下りると、震えるブリギットの両手を取った。
「何を言っているの? やったのはお父様であって、ブリギットではないわ。人のやったことであなたが謝るなんておかしいわよ」
「だけど……私、ずっとお姉様にひどいことを言ってきたから……同罪だと思っているの」
「それって、悪口を言うことと人を殺めようとすることを一緒くたに考えていない?」
確かに、昔からひどい言われようだった。
このまま黙ってやり過ごそう、そしてあわよくばこっそりと逃げ出してしまおうと考えていたバーベナと違って、ブリギットはいつだって感情的にぶつかってきたからだ。
もちろん、まったく傷つかなかったわけではないが……。
「誤解していただけでしょう? そのことは先日のパーティーでわかったことじゃない。違う?」
「い、いいえ……違わないわ。ただ、お姉様に対する罪悪感はどうしたって消えないの」
「ブリギット……」
ブリギットは長い睫毛を伏せて、やがて言いにくそうにふたたび口を開いた。
「……少し前だけど、お姉様が倒れて殿下に呼ばれたわ」
――まさかディアルムド様はお父様だけではなくブリギットまで処罰するつもりで……?
にわかには信じがたく、バーベナは目をしばたたかせる。
「お姉様のために、父親を引きずり下ろしてグロー家の当主に収まるように言われたの。正直、びっくりしたわ。本当はお姉様の目が覚めたって聞いたとき、今すぐにでも駆けつけたかったけど、それどころじゃくなくなって……今日もやっとの思いで登城したのよ」
「あなたが当主に……?」
――私が休んでいる間にそんなことが……。
意表を突かれたものの、よくよく考えてみれば、人の道を踏み外すような人間に公爵など務まるはずがない。
眉をひそめると、ブリギットが弱々しく頷く。
「本当はお父様を処刑してグロー家を取り潰したいのが殿下の本音なんでしょうけど、お姉様のために頭だけをすげ替えるほうがいいと考えられたのよ。妃を出した家が罪人なんて、お姉様にとっては不利でしかないもの」
「そ、それは……政治的な理由でしょう? ブリギット、少なくともあなたにとっては本当の父親じゃない。そんな……」
それが詭弁だということはわかっている。
だがブリギットからしてみれば、肉親が断罪されるのだ。きっと身を切られるような思いに違いない。
「お姉様、『せいぜい頑張りなさいよ』って偉そうに言ったこともあるけど、妃というのは本当に大変な役割なのよ。殿下の寵だけあればいいってものじゃないの。魔力もそうだけど、できるだけたくさんの切り札を持っておくべきだわ」
ブリギットは下を向いたまま訥々と語る。
「……もちろんお父様は私にとって大切な家族よ。だけど、それと同じくらい嫌な存在でもあったの。ましてやお姉様を殺そうとするだなんて、人として最低なことをした以上はその責任を負うべきだと思うわ。血が繋がっているとか、いないとかは関係ない……」
そこまで言うと、ブリギットは顔を上げた。
「……だから、グロー家は私が継ぐことにしたわ」
しばし間を置いたあと、今度は語気を強めて言う。
「ブリギット、あなた……本当は自分の好きなようにやりたいって言ってたのに、それでいいの?」
王族ほどではないにしろ、公爵家の当主にもプレッシャーはそれなりにあるはず。
心配して尋ねれば、ブリギットは今度こそ力強く頷いた。
「そうよ、好きなようにやるわよ。当主になって魔法道具の研究でもなんでもやってやるわ」
暗かったブリギットの瞳にかすかに希望の光が灯る。
「お父様は表向き隠居という形で秘密裏にリーデンに幽閉されるわ。リーデンといったら、一年の半分以上雪が降る場所だそうよ。牢獄も同然の過酷な場所に閉じ込められて……多分、もう生きて会えないでしょうね……。本当に隠居するのはお母様のほう。もともとお体も弱いし、田舎に療養という形で行ってもらうのよ」
もう生きて会えない、その言葉がやけに重かった。
あれだけのことをしでかして、父が野放しになるとは思っていなかったが、これはこれで予想外の展開かもしれない。
ブリギットがバーベナの手を握り返してきたのも、さらに驚きだった。
「それから私が当主になろうって決めたのは……一番はお姉様の力になるためよ。グロー家が未来の王妃の後ろ盾になるんだから。どうか私に……せめてもの罪滅ぼしをさせてちょうだい」
迷いなく『お姉様の力になりたい』と言われて、胸の底からどうしようもなく熱いものが込み上げてくる。
ブリギットにとって自分はいまだ姉のままなのだ。
同時に、ブリギットと正面からぶつかって以来感じていた予感めいたものが、今まさにこの瞬間、確信へと変わった。
――私だけじゃない。ブリギットも……変わろうとしているのだわ……。
バーベナはグッと唇を結び、震える息を吐き出しながら答えた。
「ありがとう……」
短い言葉にありったけの思いを乗せて。
枕元で読書をしながら、ふうんとおもしろそうに呟いたのはミアンだ。
謎の血――もとい魔物の毒に倒れて一週間。
丸一日意識を失っていたバーベナは、その数日後にはすっかり元気を取り戻していた。
治療師に言わせれば、驚異的な回復力らしい。
量にもよるが、普通魔物の毒にあたると一カ月くらいは寝込んでしまうようだ。
致死量にもなると数分程度で死に至るというのだから、よっぽど運がよかったのだろう。
あのとき、ミアンが代わりに飛び出してくれたことで、大量の毒を浴びずに済んだというわけだ。
「正確に言うと……ディアルムド様の魔力のおかげもあるというか……」
以前、ディアルムドは魔力の融合によって攻撃力や毒の耐性が上がると言っていた。
まさかこんな形で役に立つ日が来ようとは夢にも思わなかったが。
何はともあれ、こうして元気になったのだ。
できるだけ早くこの病人生活から脱したいと思うものの、治療師に加えて心配性なディアルムドからの許可がまだ下りない。
「愛されてるー。やっぱり夫婦は仲良しが一番だよ」
ミアンが本を読みながらニンマリと笑った。
どことなく意地悪な感じにも聞こえて、カッとバーベナの顔の熱が弾ける。
――は、恥ずかしすぎる!!
「……も、もう! からかわないでちょうだい! それに『愛の力』と言ったら、ミアンだって何度も呼びかけてくれたじゃない。早く起きてって……」
「いざというときに念話を使わないでどうするのよ」
「あのときは喋れる状況じゃなかったから、ああやって励ましてもらえて嬉しかったわ」
そんなふうに他愛のないお喋りをして、そろそろお茶にしようかというタイミングで、扉を叩く音がする。
奉仕官から見舞い客の来訪を告げられたのだ。
「――お休みのところ申し訳ありません。妃殿下の妹様がどうしても心配だとおっしゃっておりまして……」
「え? ブリギットがここに……?」
なお、父が……この場合『叔父』と呼ぶのが正しいのかもしれないが、大問題を起こしたという話は緘口令が敷かれているため、表向きバーベナは急な体調不良で休養中ということになっている。
この一週間、見舞いの品は山ほど届いても来客はなかったのに。
当然追い返してもいいと言われたが、本当に心配してくれているのだとしたら、わざわざ断る必要もないだろう。
了承すると、風のような速さでブリギットが飛び込んできた。
「お姉様の目が覚めたって本当!? ちゃんと生きてる!?」
しかし寝台に近づこうとするブリギットを、ミアンがすさかず制した。
「あんたはあのクソ親父とは違うかもしれないけど、今までの口の悪さを考えると信用できないわ。ご主人様は駄目って言うかもしれないけど、おかしな気を起こしたら速攻でぶち殺すから」
さらには「うちのご主人様、いつか騙されて変な壺でも買うんじゃないかしら」とまで言われてしまった。
本来なら、ここで怒り出すのが正解かもしれない。
だが心から主人の身を案じてくれているのだとわかって、こんなときだというのに感謝の念が湧き起こった。
「疑われても仕方ないわね。今までが今までだったもの……」
反面、威嚇されたブリギットはしょんぼりと肩を落とした。
「お父様がひどいことをしてごめんなさい。私を妃にするために、お姉様を毒殺しようとしたのだと聞いたわ。お姉様が養子だったという話も……ううん、今はそんなことは関係ないわね。お姉様が殴られたときもそうだったけど、私、助けてあげられなかった。お父様を止められなくてごめんなさい……」
そう言って、ブリギットは深く頭を下げる。
バーベナは寝台から慌てて下りると、震えるブリギットの両手を取った。
「何を言っているの? やったのはお父様であって、ブリギットではないわ。人のやったことであなたが謝るなんておかしいわよ」
「だけど……私、ずっとお姉様にひどいことを言ってきたから……同罪だと思っているの」
「それって、悪口を言うことと人を殺めようとすることを一緒くたに考えていない?」
確かに、昔からひどい言われようだった。
このまま黙ってやり過ごそう、そしてあわよくばこっそりと逃げ出してしまおうと考えていたバーベナと違って、ブリギットはいつだって感情的にぶつかってきたからだ。
もちろん、まったく傷つかなかったわけではないが……。
「誤解していただけでしょう? そのことは先日のパーティーでわかったことじゃない。違う?」
「い、いいえ……違わないわ。ただ、お姉様に対する罪悪感はどうしたって消えないの」
「ブリギット……」
ブリギットは長い睫毛を伏せて、やがて言いにくそうにふたたび口を開いた。
「……少し前だけど、お姉様が倒れて殿下に呼ばれたわ」
――まさかディアルムド様はお父様だけではなくブリギットまで処罰するつもりで……?
にわかには信じがたく、バーベナは目をしばたたかせる。
「お姉様のために、父親を引きずり下ろしてグロー家の当主に収まるように言われたの。正直、びっくりしたわ。本当はお姉様の目が覚めたって聞いたとき、今すぐにでも駆けつけたかったけど、それどころじゃくなくなって……今日もやっとの思いで登城したのよ」
「あなたが当主に……?」
――私が休んでいる間にそんなことが……。
意表を突かれたものの、よくよく考えてみれば、人の道を踏み外すような人間に公爵など務まるはずがない。
眉をひそめると、ブリギットが弱々しく頷く。
「本当はお父様を処刑してグロー家を取り潰したいのが殿下の本音なんでしょうけど、お姉様のために頭だけをすげ替えるほうがいいと考えられたのよ。妃を出した家が罪人なんて、お姉様にとっては不利でしかないもの」
「そ、それは……政治的な理由でしょう? ブリギット、少なくともあなたにとっては本当の父親じゃない。そんな……」
それが詭弁だということはわかっている。
だがブリギットからしてみれば、肉親が断罪されるのだ。きっと身を切られるような思いに違いない。
「お姉様、『せいぜい頑張りなさいよ』って偉そうに言ったこともあるけど、妃というのは本当に大変な役割なのよ。殿下の寵だけあればいいってものじゃないの。魔力もそうだけど、できるだけたくさんの切り札を持っておくべきだわ」
ブリギットは下を向いたまま訥々と語る。
「……もちろんお父様は私にとって大切な家族よ。だけど、それと同じくらい嫌な存在でもあったの。ましてやお姉様を殺そうとするだなんて、人として最低なことをした以上はその責任を負うべきだと思うわ。血が繋がっているとか、いないとかは関係ない……」
そこまで言うと、ブリギットは顔を上げた。
「……だから、グロー家は私が継ぐことにしたわ」
しばし間を置いたあと、今度は語気を強めて言う。
「ブリギット、あなた……本当は自分の好きなようにやりたいって言ってたのに、それでいいの?」
王族ほどではないにしろ、公爵家の当主にもプレッシャーはそれなりにあるはず。
心配して尋ねれば、ブリギットは今度こそ力強く頷いた。
「そうよ、好きなようにやるわよ。当主になって魔法道具の研究でもなんでもやってやるわ」
暗かったブリギットの瞳にかすかに希望の光が灯る。
「お父様は表向き隠居という形で秘密裏にリーデンに幽閉されるわ。リーデンといったら、一年の半分以上雪が降る場所だそうよ。牢獄も同然の過酷な場所に閉じ込められて……多分、もう生きて会えないでしょうね……。本当に隠居するのはお母様のほう。もともとお体も弱いし、田舎に療養という形で行ってもらうのよ」
もう生きて会えない、その言葉がやけに重かった。
あれだけのことをしでかして、父が野放しになるとは思っていなかったが、これはこれで予想外の展開かもしれない。
ブリギットがバーベナの手を握り返してきたのも、さらに驚きだった。
「それから私が当主になろうって決めたのは……一番はお姉様の力になるためよ。グロー家が未来の王妃の後ろ盾になるんだから。どうか私に……せめてもの罪滅ぼしをさせてちょうだい」
迷いなく『お姉様の力になりたい』と言われて、胸の底からどうしようもなく熱いものが込み上げてくる。
ブリギットにとって自分はいまだ姉のままなのだ。
同時に、ブリギットと正面からぶつかって以来感じていた予感めいたものが、今まさにこの瞬間、確信へと変わった。
――私だけじゃない。ブリギットも……変わろうとしているのだわ……。
バーベナはグッと唇を結び、震える息を吐き出しながら答えた。
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