狐の暇乞い

佐武ろく

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夕月夜

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 それは二~三日後の事だった。いつものように仕事をしていた僕の傍にやって来た翔琉と彩夏。少し遅れて二人の存在に気が付き顔を上げてみると、堪え切れずニヤついた表情が僕を見下ろしていた。

「なに――」

 何も言わない二人に用件を尋ねようとした僕の言葉を遮り、目の前へ出されたのはそれぞれが握ったスマホ。そこにはそれぞれ写真が一枚映されていた。

「どっちがいい?」
「え? 何これ?」

 彩夏の質問に対し状況が掴めてない僕は思わず尋ね返す。

「あれだよアレ。人力マッチング」

 その一言ですぐに何のことかは分かった。

「まずはあたしと翔琉で一人ずつ蒼汰に合いそうな子を選んでみたんだけど。ほら! どっちが好み?」
「顔だけ? 何かもっと色んな情報とかないの?」
「よし! そんじゃ俺から」

 そう言うと彩夏はスマホを引っ込め、逆に翔琉は僕にスマホを手渡した。それから咳払いをひとつ。

「名前は河野菜月」

 僕は名前を聞きながらスマホの写真へと視線は落としていた。ショートヘアに伊達っぽい眼鏡を掛けたお洒落な女性。写真越しでも楽しさが伝わるような煌いた笑顔を浮かべていた。

「齢は俺らと同じ二十六。仕事はふつーに会社員してて酒も呑むし、飯食うのも好きだし、運動とかもやってるな。基本的に好奇心旺盛なヤツだな」
「なるほど」

 確かに写真一枚しか見てないけど、好奇心は高そうな気はする。あとは人懐っこいと言うか人と仲良くなるのが上手そうな感じがした。

「はい! それじゃー次はあたし」

 すると彩夏は僕の手からスマホを取ると代わりに自分のスマホを持たせた。
 画面ではお団子ヘアの(その横にはいつもの彩夏)和服が似合いそうな女性が穏やかに笑みを浮かべている。一言で言い表すなら大和撫子とでも言うのだろうか。

「北沢結。齢は二十三。仕事はIT関係。でも推しポイントは何と言っても……」

 人差し指を立てながら顔を近づけて来た彩夏は、沈黙を作って焦らし期待を膨らませようとしてるんだろう。

「なんと! 彼女もミディークルムが大好きなんだよねぇー。好きだったでしょ? そのロックバンド! 今も好きだよね?」
「うん。好きだよ。少し前に出たアルバムも初回限定買ったし」

 よしっ、と小さく呟き彩夏はガッツポーズをした。
 でも確かにミディークルムが好きって言われると恋愛とかは一旦別にしても話してみたいって少しぐらいは思うかもしれない。

「それだけじゃなくて結は結構色んな映画とかドラマとか見るからそっち系でも話が合うと思うんだよね」
「へぇ~」

 何度か頷きながら僕はもう一度、写真へと視線を落とした。
 するとその視界内に先程の写真がそっと現れ、翔琉の顔を一度見た僕はそのスマホをもう片方の手で受け取る。

「それでどっち? どっちが良いって思った?」

 自信満々な翔琉の声を聞きつつ僕は、もう一度だけ名前と(二人の)説明を思い出す。少しだけだが思考に耽っている間、二人は固唾を飲み僕の言葉を待っていた。微かに緊張感を含んだ沈黙。僕は何度か交互にスマホの写真を見る。
 そして顔を上げると答えを口にした。そのスマホを上げながら。

「北沢結さんかな」

 その瞬間、彩夏はガッツポーズを決め、翔琉は頭を抱えて落ち込んだ。

「それじゃあ、あたしが二人の予定を合わせて会う日にち決めてあげる。蒼汰はいつがいい?」
「いつでもいいよ。仕事と被ってなければ全然」
「おっけー。じゃあ、決まったらまた連絡するね」
「うん。分かった」

 太陽と月。そう表現してもいい程にテンションの違う翔琉と彩夏。

「よし! そんじゃ約束通り明日の昼ご飯よろしくー」
「分かったって! でもあんまり高いのは駄目だからな!」
「お手柔らかにしてあげるって」

 だが僕は、そんな会話をしながら仕事へと戻って行く二人の背中を見てやっとその理由を理解した。僕がどっちを選ぶか賭けをしてたらしい。

「なるほどね」

 そんな二人の背中を見送りながら僕は一人呟いた。
 その日の夕暮れ。僕の眼前にはお馴染みとなった景色。そして隣には陽咲。
 僕は人力マッチングの事を彼女に話した。

「それで! どんな人?」
「彩夏の話だとミディークルムが好きで映画とかドラマとかも見る人らしいけど」
「へぇー! 君と話合いそうだね。やっぱり初めましてで共通の話題があるっていいよね」
「僕らで言うとこの『二月の流星群』だね」

 僕が口にしたタイトルに陽咲は、零すように「ふふっ」と笑った。

「懐かしい。良かったよねあの映画」
「うん。一番思い出に残ってる映画かな」
「一人で泣いてたもんね」

 からかい口調の彼女だったが事実なだけに否定は出来ない。それに思い出すと何だか少し恥ずかしい。

「そ、そうだけど……そうじゃなくて」

 ふふっ、そんな僕の反応にまた笑う陽咲。

「分かってるよ。私も同じだもん」

 少しの間、懐古の沈黙に包み込まれながら僕は(きっと陽咲もそうだろう)あの映画を思い出していた。

「そう言えばあの映画の主題歌ってミディークルムだったよね?」
「そうそう。それもあって見に行ったんだよね」
「私は知ってはいたけど、あの映画で一気に好きになったなぁ。一緒にライブも行ったよね」
「ポッドキャストも毎週聴いてね。あっ、そーだ。前に新曲出たんだよ。君にここで会う少し前に」
「えー! 聞いてないよ」

 僕はポケットからスマホを取り出すとアプリを起動した。

「すっごくいいから」

 そしてその新曲を再生した。次はあの主題歌。
 時間が来るまでその日は、あの頃のように二人でミディークルムの曲を聴いていた。
 コードで繋がった僕らの距離は触れないように離れてはいたけど、それでもいつも以上に近くて僕はその最中にふと、視線をやる。隣で同じ曲を聴く陽咲。前もよくこうやって二人で音楽を聴いてたっけ。その時の記憶と共に溢れ出す懐かしさに浸かる。
 僕は記憶をなぞるように手を上げ、彼女を抱き寄せようとした。
 でも既の所で我に返りそっと上げた手を彼女から遠ざける。
 こんなにも傍にいるのに触れる事は叶わない。どこか少しだけ陽咲が遠くに感じた。少しだけ胸がざわめく。
 けれどそれは仕方のない事。陽咲とこうしていられるだけでいい。彼女を失ったあの絶望よりはマシなんだと、僕は静かに言い聞かせた。我慢するしかないんだと。
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