吉原遊郭一の花魁は恋をした

佐武ろく

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第一章:夕顔花魁

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 部屋へ一歩踏み入れた所で立ち尽くし、左耳たぶを右手で弄ったりと落ち着かない様子を見せていたのは、数日前に丁度この窓から手を振ったあの若男。あの時はよく見えなかったが幼い顔をした小柄な男だった。
 秋生はお客がいなくなり時間の出来た私に少しでも稼がせる為にこれを了承したのだろう。夕顔花魁とは吉原屋の最高位遊女でありその存在は誰もが追い求め、手にする事が出来れば周りから一目置かれるある種の戦利品。そこには常にそれだけの価値がなくてはならい。容易には手にする事の出来ないという価値が。
 だからそこら辺の男が手を出せるようでは困る。普段なら目の前の彼じゃ私を呼ぶことすら叶わないはず。なのにたった一夜だけとは言え何度も通い詰めることも無く酒池肉林を開くことも無く私と同衾しようとしているのだから、秋生が口止めする理由も分かる。
 そしてこの特殊な状況を理解した私は表情に微笑みを戻し止まっていた言葉の続きを口にした。

「おいでくんなまし」

 だが若男は依然とそこで立ち尽くし視線があっちこっちへと落ち着かない様子。いつも自信に満ち溢れ自分こそは夕顔花魁に相応しいと言わんばかりの男たちを相手にしている所為かその姿は新鮮でどこか愛らしくも思えた。その微笑ましさはさながら小型犬。

「ずっとそうしてるのもいいでありんすが、こっちに来るのもいいと思いんせん?」

 私は敷かれていた布団に腰を下ろすと隣を二~三度叩いて見せた。それを盗み見るように確認した彼は躊躇うように少し遅れて足を動かし始める。ゆっくりだが着実に歩を進め、最終的には私の隣へ腰を下ろした。
 だが手が触れられる位置ではなく少し距離を取るように離れて座った彼。でも私はその間を一気に埋めすぐ隣まで移動した。ここへ来てから一度も目の合わぬ彼を改めて見てみても、こうして面と向かっていることが不思議でしょうがない。どこか夢の中にいるようなそんな感覚に襲われていた。

「お初にお目にかかりんす。わっちは夕顔と申しんす」

 これまでのどの男よりも心を籠め丁寧に頭を下げた。

「は、初めまして。八助……で、です」

 それは緊張に染まった少し上ずった声。顔を上げた私はそんな八助さんの顔をじっと見つめていた。
 すると彼は何度か横目で私を確認し顔を俯かせる。

「な、なんですか?」
「なんでもありんせん。あん時は夜でありんしたしここからだとよく見えなかったから、こな顔してたんだなって思っただけでありんす」

 私はそう言いながら俯いたままの八助さんの顔に手を伸ばし頬に触れた。微熱を帯び、微かに震えているようにも感じる。
 そしてゆっくりと導くように顔を上げさせると初めて彼の目から私の目へ一本の真っすぐな線が引かれた。

「やっと目が合いんしたね」

 でもそう微笑みながら言ったのも束の間、八助さんの顔はすぐに逸れてしまった。私はその初々しくも小動物のように愛らしい反応につい笑いを堪え切れず小さな声を零してしまう。
 するとそんな私へ他所を向いていた八助さんの視線が少し戻ってきた。

「ごめんなさい。僕……緊張しちゃってて……」
「気にしなくてもいいでありんすよ」

 私は今一度、八助さんの頬へ手を伸ばし彼の顔を自分の方へ向けさせた。それから腿に左手を触れさせ顔をゆっくりだが彼に近づけていく。目はじっと見つめたまま。途中、彼は顔を先程同様(だが今回は僅かに)逸らしたが私は逃がさないと言うようにそれを追い正面で向き合ったまま顔先まで近づいた。だが近づくにつれ避けるように彼の体は後ろへと引いていく。それでも私はそんな彼を追いかけた。
 最後は緊張で乱れた息を感じられる程の距離まで。両者の顔が止まると秒針が数歩進む時間の間、少し見開いた目と見つめ合った。
 そして男たちの耳元で囁くように。

「しとつ残さずわっちに任せてくれれば大丈夫でありんす。そうすれば忘れらりんせん最高の夜にしてあげんすから」

 そう言って頬から離した手を襟から滑り込ませ素肌に触れながらそっと服を外へ追いやり始める。焦らすようにゆっくりと。指先から伝わる鼓動は酒宴の太鼓よりも強く、そして激しく脈打っていた。

「あ、あの!」

 すると八助さんは突然、ここへ来てから一番の声を出し私は手を止めた。次の言葉まで若干の間はあったものの私はその間は黙りただ彼を見つめたままそれを待っていた。

「ぼ、僕。こういう事をしたくて、来たんじゃないんです」

 緊張のあまりそう言ってるんだな、と率直に思った。それが普段の男たちには無い反応だから思わず口元が緩んでしまう。

「遊女を買って一夜を共にする事がどんな事か、まさか知りんせんっていう訳ではないでありんすね?」

 ずっと腿に触れていた手を少し上へ撫でるように滑らせ、襟から出した手で服の上から胸を二~三度突く。

「もちろん。知ってます。でも僕は、そうじゃなくて……」
「なら、どういう事なんでありんすか?」
「――ただ。夕顔さんと……」

 最早その言葉との間に出来る僅かな沈黙でさえ愛らしく思えてしまう。
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