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第九章 火光待宵~かぎろいまつよい~
第八十六話
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道雅が壊れてしまったと気づくのは、瀬莉と会えなくなってから、10年も経ってない頃だった。
伊勢に籠っていた…否、籠らされていた瀬莉を連れ出すこと自体は簡単だった。濡れ羽色の瞳が、困惑に揺れていた。
「あの…、あなたたちは、誰なんですか?」
困惑だけならまだよかった。明らかに、拒絶、忌避するような視線。
後でわかった。当時の陰陽頭は、あえて瀬莉を奪わせたのだ。『お前の愛した女はもう何処にもいない、用があるのは器だけだから』と。狩衣をまとったあの陰陽頭は嗤ってのけた。この時は、周囲を術者に囲まれてどう逃げ延びたのか覚えていない。ただ、あの時の虚ろな道雅の瞳。以降はこの瞳しか見られなくなることを、僕はまだ知らなかった。
それから、何度瀬莉を取り戻しても、すぐに人間たちが奪い返しに来る。その度に、瀬莉は瀬莉でなくなっていた。事情を話しても…事情を話さずただ仲を育んでいっても。次に奪われ奪い返す頃には、すべて無に帰している。ともすれば、敵意すら向けてくることもあった。
ただ記憶を消されているだけでも、精神的に応えるものがあるのに、そこに加えて敵意に近いものが瀬莉に宿る。
何者にも穢されてはならない、清い存在である斎王が、妖に堕ちていった僕たちを忌避するのは自然なことだったのだろう。だとしても、到底受け入れられるものではなくて。瀬莉であって瀬莉でない言葉と表情は、確実に道雅を蝕んだ。
戦国の世で、道雅の兄の子孫を滋葵を堕とした。
幕末の世で、道雅と同じ守護の任に就いていた依織を堕とした。
他にも、ゴロツキや、魑魅魍魎や、人も異形問わず、とにかく有象無象を仲間にしたが、結局どれもこれも死んでいって、残るのは堕ちた者たちだけ。
道雅と瀬莉という名前。時が下る中で誰も呼ばなくなっても、ただ、殺戮が繰り返された。
「終わりは、あるのかしらね。」
酷い地震の後、凛が都…その時は首都というのか、街を燃やした。それはもう、壊滅的なまでに。街を燃やすのも、人を殺めるのも、慣れたものだった。いや、本当に慣れてしまったのなら終わりを求めたりしなかったのだろう。
僕の決定打は、凛の一言だったけれど、凛もまた何か、あったのだろう。あえて、聞きはしなかった。
何百年と変わらない行動に、もう、終わりを望み始めた。今さら、止めようといって止められるものではない。止めるためには、殺すしか、ない。
全てを終わらせるために、動いた僕は、やっぱり思う通りにいかなかった。
瀬莉にこれまで散々酷いことをしてきた人間たちのところに、身を寄せるつもりなんてさらさらなかった。どうせこいつらだって、力が欲しいに決まってる。瀬莉がどんな立場が分かれば、きっと今までのヤツらと同じ。そうなった時には、また暴れて、殺してやる。
助けられた恩があるから、せめて苦しまないように一思いにやってやろうとか思っていた。
そんなことを知ってか知らずか、結実は世羅にしょっちゅう構ってきた。挙句の果てには子供を産むかどうか悩んでいるというまさかの人生相談まで始まる始末。
「ほら、私たち忙しいから。なるべく、子供に寂しい思いさせたくないのよね。
妖怪退治を生業にしてる以上、きっと子供に辛い思いをさせるかもしれないと思ったら、ね…
だから、悩んでるんだ。」
まだ陰陽連に保護されて数日と経ってない。つまり、出会っていきなり妖相手にセンシティブな話をぶつけてきたのだ。
「嵩哉は…なんて言ってる。」
「嵩哉さんもねえ、迷ってるって。
欲しくないといえば嘘になるけど、やっぱり育てるなら幸せにしてあげたいって気持ちはよくわかるって言ってた。」
そんなの、好きにしたらいいと言ってしまえばそれで終わったのだろう。けれど。
「それでも、人は子を産んで育てていくんだろう。未曽有の災害が起こっても、どんな理不尽な目に遭っても、這ってでも生きてきたんだろう人は。
…それに、僕は当分ここから出してもらえないんだろう。1人くらいなら見てやれる。」
自分でも、なんでこんなことを言ったのか分からなかった。多分深くは考えてない。なんならその子供を人質にして瀬莉を奪還しようとすら考えていたかもしれない。
最低な手段を思いついた世羅に対して、結実はその大きな瞳をまん丸に見開いた後、笑みに変わる。
「そっか、世羅は、やっぱりやさしいんだねえ。」
結実がそう言って、世羅の頭を撫でる。小さな人間の、本気を出せばいとも容易く壊れそうな、女の手。
「わかった。
どんなに明るい太陽だって翳っちゃうときがあるだろうからさ、その時は世羅が助けてやってよ。
そのきれいな炎、くべてやって。」
綺麗なわけない、何人もの人を屠った炎だ。そんなこと、今更言えないのに。
また、約束を、増やしてしまった。
守れるかも、分からないのに。凛と、瀬莉を、守らないといけないのに。
ややもすると、今度こそ果たしたかったのかもしれない。
恩のある夫婦から託されたものを、今度こそ。
まだ、最初の約束が守れていないのに。
止めてやらなきゃいけないってわかってるのに、止められない。立ち止まってくれるんじゃないかと、希望がよぎってやまない。
自分たちの争いに陽の家族ごと巻き込んで、何もかもを奪った。修羅の道を歩ませて、その笑顔を奪った。
託された命だ。
これ以上、奪えない。
人の身でありながら、醜い姿になってもしぶとく生き延び、妖に懸想をし、あまつさえ…人並みに美しさを求めた。
凛を守りたかっただけなのに。守りたいものが増えて、望むことが増えて、逆に、今は全て取りこぼしそうになっている。
ほんの少しだけの、走馬灯のようなものだった。世羅の炎が煌々と、揺らめく。
「誰かのためにを、言い訳にする気はない。それが、僕の生き方だ。」
いつも、誰かに助けられ守られてきた。すべきことがあるからだと、思う。凛に生かされた、瀬莉に名をもらい、道雅に姿と心をもらった。結局、何も守れず何も返せず。結実から託されたたった一人の少年すら。
「僕、に、殺せるわけないだろう……!」
その姿はもう、変化を維持できずに、金の美しい髪が熱風に煽られて靡いていた。
思いが強さになるとか、都合のいい幻想だ、むしろ枷になっている。道雅が、犀破になっていったのだって仕方の無いことなのかもしれない。
妖堕ちしていないのなら、息の根を止める方法などいくらでもある。結界ごと燃やし尽くすことも、世羅自身の体躯ですり潰すことも。けれど、そのどれも実行できなかった。悠河たちや、和泉にやらせられないから、自分がやるしかないと言い聞かせたのに。
その迷いは、陽にも伝わる。手を抜かれている、殺されないと確信した動き。
周囲の障害物がなくなってきたそのタイミングで、ふと空を見上げた陽が何かを上空に掲げた。
握りしめていた何かを放り投げる。
それは、焦げかけた百足の身体…滋葵の本体だった。それがバラバラになると同時。
厄災が転移されてきた。世羅と同じ、美しい顔であるはずなのにその姿は、大きな蜘蛛の脚が八、その背中から剥き出している様は、いつもより一層悍ましいものだった。
かつて、二つの足すらままならなかった者が。
「なんでこっちに来た?お前はカンドリが抑えているはずだったけど。
…そんなに僕に会いたいわけ?」
「知れたこと。そこにいるからだよ、瀬莉が。」
犀破が指さした、世羅たちより後方の、まだ燃えていない茂みの影。紅音を颯稀に託して駆けつけた和泉と、悠河がそこに潜んでいた。
間髪入れずに糸がその茂みを強襲する。悠河が和泉ごと飛び退いたおかげで当たりはしなかった。しかし、悠河の足わずかに掠めた。
「っぶねえ、マジで殺す気じゃん、あの蜘蛛。」
初めて犀破を目の当たりにした悠河がその身を起こすも、ふくらはぎのあたりをざっくりいっている。これがあと少しずれていたら、体制が違っていたらと思うだけで、ぞっとする。そして、足を封じられたことに舌打ちする。
「水衛。穢れを寄せ付けぬ防壁と為せ」
和泉と、動けない悠河の周囲に、水の結界。小さい分、白斗の障壁状で展開される水護とはまた質が異なる。それは纏って動けない代わりに、全方位を囲って守る結界。和泉にもう穢れを治す力はない。絶対にこれ以上くらってはいけない。
「穢れ、そこまで酷くないけど、行で抑えたほうがいい。」
「悪ぃ。」
和泉が絶える間に、どうにか応急処置をする。患部を凍らせて穢れの伝播を抑える。
しかしその間も尚、張り巡らされる蜘蛛の糸。焼け落ち、炭と化した地獄のような光景の中、穢れた悪意の糸。 あおとたち含め、和泉の側にいる全員の動きが止まる。あの糸にも当たってはいけない。庇うように世羅が前へ出た。
「巻き込むから、あんまり戻りたくなかったけど。…自衛してね。」
世羅が踏み込むと同時、人の姿を打ち捨てる。金の毛並みを持つ巨大な妖狐が顕現した。その権限で、近くの糸は吹き飛んでいく。それでも、犀破から糸は出続けるし、その大きな脚の攻撃は刃のように鋭かった。そのリーチと重さから槍や薙刀に近い。地面が抉られ、土埃がまう。
「…ッ!」
陽はその様子を見て刀を握り直し、その姿勢を世羅へと向ける。その大きな体躯で、金の双眸が陽を見下ろした。
「睨んだって今更、怖くねえけど。」
「怖がらせる必要ないでしょ。反省はしてほしいけど。」
世羅が煽り終わらぬうちに、陽が踏み込み破敵剣を振り上げる。その横で、白斗、毘笈は犀破へ意識を向ける。
「さて、陰陽頭が直々に土蜘蛛退治するのは、何年ぶりかな。」
「数年前にちょっかいを出してきた連中がよく言う。」
白斗が懐から扇を出した。残り少なかったカンドリの依代たちのうちの一つ。さんざん意見は出たが、やはり長が持つべきものだと、陸と悠河は結論づいた。
鉄扇の硬い音が響く。
「水礫」
水が、ちいさな球体となって辺りに展開。張り巡らされた糸を切り落とし、炎のも消していく。そして瑞は、周囲に広がる穢れを洗い清めていく。
合間を縫って襲い来る犀破の脚は、玄蕃が仕込杖でもって迎撃する。この仕込杖もまた、依代である。
「土の行 岩礫」
固く鋭利な岩の欠片が犀破の本体にも、多数の脚にも勢いを持ってぶつかる。打ちきれなかった脚が2本、玄蕃の身体を貫かんと迫るが、仕込杖の持ち手左、剣部分を右に持ち、両手で防いだ。火花が散る。
「老体に応える…!」
「父上、まだ倒れては困る…!」
玄蕃は、自身の老いの悲しさと、押しつぶされる懸念は、子からのカバーで打ち消された。かつて己の命を狙った力は今、これ以上ないくらい頼もしい支えになっている。
「まだ終わらんよ。孫の顔を見ていないからな。」
「お言葉ですが、まだ相手がいないんですけど。
…人によってはセクハラになるので、そうゆうのはやめてください。」
軽口を叩いていた白斗が、唐突に嫌な気配を感じる。後ろ、世羅と陽は未だ炎を撃ち合っている。その最中、僅かな隙をついて陽の雰囲気が、変わる。
「臨める兵 闘う者」
真っ直ぐに上から下、左から右へと線を引くように印を結んだ指が動く。
それは、九字。
臨兵闘者皆陣烈在前。怪異を打ち払う、陰陽師の術。それは、人以外に有効である。
「距離を取れ、世羅!」
白斗がほとんど反射に近い形で動く。アレが当たれば世羅とてタダでは済まない。強ければ強い妖にこそ、効いてしまう。
そして、陽はそんな白斗の姿を見るやいなや、世羅から距離を取った。その炎を避け、そして黒い刃の切っ先が向かう先。九字で世羅を仕留めると思い、世羅を庇う形で前に出た白斗は、完全に虚をつかれていた。
斬撃の音。血と、肉が断たれる音。
九字は、ついぞ切り結ばれることはなかった。
「白斗さん…!!」
和泉の、悲鳴に近い声。黒い刀は真っ赤な血に染まる。けれどそれは、白斗のものではなかった。世羅を庇って前に出た白斗を、更に世羅が腕で受け止めた。完全に狙いがそれた陽が舌打ちをする。
「世羅!!」
「なんで…!」
その光景に、一番驚愕していたのは白斗だった。大きかった金狐の姿が、普通の狐と変わらぬ大きさへと小さくなる。破敵剣を引き抜いた反動で飛ばされたその獣の身体を、白斗が受け止めた。
「和泉ちゃんが…言ってた、陽はまだ、人だから。人の世に戻れるようにって。
…僕だったら、まだセーフだろ。」
「世羅…!」
和泉が、沈痛な声を漏らす。見えているのに、すぐそこに居るのに。そこに行けない自分がもどかしかった。今は、離れられない。
「で?これでもまだ信じるって?」
陽が刀についた血を払いながら言う。次は外さないと目で訴えてくる。同じく動けない悠河が声を荒らげた。
「陽…お前、世羅さんには、色々助けてもらってたんじゃないのかよ。それをお前、何とも思わねえってか!」
「順番が変わっただけとしか。」
「雑魚を片付けろ。」
張り巡らされた糸に、火がつく。一気に燃え広がり、それはまるで炎の檻。
玄蕃がその間を縫って、和泉と悠河の前に立つ。居合の構えのごとく、仕込杖に手をかけて下半身大きく踏み込む。
「やれやれ、老いた身とはいえ、雑魚呼ばわりはさすがに癇に障るというものですね。和泉さんは渡しませんよ。」
伊勢に籠っていた…否、籠らされていた瀬莉を連れ出すこと自体は簡単だった。濡れ羽色の瞳が、困惑に揺れていた。
「あの…、あなたたちは、誰なんですか?」
困惑だけならまだよかった。明らかに、拒絶、忌避するような視線。
後でわかった。当時の陰陽頭は、あえて瀬莉を奪わせたのだ。『お前の愛した女はもう何処にもいない、用があるのは器だけだから』と。狩衣をまとったあの陰陽頭は嗤ってのけた。この時は、周囲を術者に囲まれてどう逃げ延びたのか覚えていない。ただ、あの時の虚ろな道雅の瞳。以降はこの瞳しか見られなくなることを、僕はまだ知らなかった。
それから、何度瀬莉を取り戻しても、すぐに人間たちが奪い返しに来る。その度に、瀬莉は瀬莉でなくなっていた。事情を話しても…事情を話さずただ仲を育んでいっても。次に奪われ奪い返す頃には、すべて無に帰している。ともすれば、敵意すら向けてくることもあった。
ただ記憶を消されているだけでも、精神的に応えるものがあるのに、そこに加えて敵意に近いものが瀬莉に宿る。
何者にも穢されてはならない、清い存在である斎王が、妖に堕ちていった僕たちを忌避するのは自然なことだったのだろう。だとしても、到底受け入れられるものではなくて。瀬莉であって瀬莉でない言葉と表情は、確実に道雅を蝕んだ。
戦国の世で、道雅の兄の子孫を滋葵を堕とした。
幕末の世で、道雅と同じ守護の任に就いていた依織を堕とした。
他にも、ゴロツキや、魑魅魍魎や、人も異形問わず、とにかく有象無象を仲間にしたが、結局どれもこれも死んでいって、残るのは堕ちた者たちだけ。
道雅と瀬莉という名前。時が下る中で誰も呼ばなくなっても、ただ、殺戮が繰り返された。
「終わりは、あるのかしらね。」
酷い地震の後、凛が都…その時は首都というのか、街を燃やした。それはもう、壊滅的なまでに。街を燃やすのも、人を殺めるのも、慣れたものだった。いや、本当に慣れてしまったのなら終わりを求めたりしなかったのだろう。
僕の決定打は、凛の一言だったけれど、凛もまた何か、あったのだろう。あえて、聞きはしなかった。
何百年と変わらない行動に、もう、終わりを望み始めた。今さら、止めようといって止められるものではない。止めるためには、殺すしか、ない。
全てを終わらせるために、動いた僕は、やっぱり思う通りにいかなかった。
瀬莉にこれまで散々酷いことをしてきた人間たちのところに、身を寄せるつもりなんてさらさらなかった。どうせこいつらだって、力が欲しいに決まってる。瀬莉がどんな立場が分かれば、きっと今までのヤツらと同じ。そうなった時には、また暴れて、殺してやる。
助けられた恩があるから、せめて苦しまないように一思いにやってやろうとか思っていた。
そんなことを知ってか知らずか、結実は世羅にしょっちゅう構ってきた。挙句の果てには子供を産むかどうか悩んでいるというまさかの人生相談まで始まる始末。
「ほら、私たち忙しいから。なるべく、子供に寂しい思いさせたくないのよね。
妖怪退治を生業にしてる以上、きっと子供に辛い思いをさせるかもしれないと思ったら、ね…
だから、悩んでるんだ。」
まだ陰陽連に保護されて数日と経ってない。つまり、出会っていきなり妖相手にセンシティブな話をぶつけてきたのだ。
「嵩哉は…なんて言ってる。」
「嵩哉さんもねえ、迷ってるって。
欲しくないといえば嘘になるけど、やっぱり育てるなら幸せにしてあげたいって気持ちはよくわかるって言ってた。」
そんなの、好きにしたらいいと言ってしまえばそれで終わったのだろう。けれど。
「それでも、人は子を産んで育てていくんだろう。未曽有の災害が起こっても、どんな理不尽な目に遭っても、這ってでも生きてきたんだろう人は。
…それに、僕は当分ここから出してもらえないんだろう。1人くらいなら見てやれる。」
自分でも、なんでこんなことを言ったのか分からなかった。多分深くは考えてない。なんならその子供を人質にして瀬莉を奪還しようとすら考えていたかもしれない。
最低な手段を思いついた世羅に対して、結実はその大きな瞳をまん丸に見開いた後、笑みに変わる。
「そっか、世羅は、やっぱりやさしいんだねえ。」
結実がそう言って、世羅の頭を撫でる。小さな人間の、本気を出せばいとも容易く壊れそうな、女の手。
「わかった。
どんなに明るい太陽だって翳っちゃうときがあるだろうからさ、その時は世羅が助けてやってよ。
そのきれいな炎、くべてやって。」
綺麗なわけない、何人もの人を屠った炎だ。そんなこと、今更言えないのに。
また、約束を、増やしてしまった。
守れるかも、分からないのに。凛と、瀬莉を、守らないといけないのに。
ややもすると、今度こそ果たしたかったのかもしれない。
恩のある夫婦から託されたものを、今度こそ。
まだ、最初の約束が守れていないのに。
止めてやらなきゃいけないってわかってるのに、止められない。立ち止まってくれるんじゃないかと、希望がよぎってやまない。
自分たちの争いに陽の家族ごと巻き込んで、何もかもを奪った。修羅の道を歩ませて、その笑顔を奪った。
託された命だ。
これ以上、奪えない。
人の身でありながら、醜い姿になってもしぶとく生き延び、妖に懸想をし、あまつさえ…人並みに美しさを求めた。
凛を守りたかっただけなのに。守りたいものが増えて、望むことが増えて、逆に、今は全て取りこぼしそうになっている。
ほんの少しだけの、走馬灯のようなものだった。世羅の炎が煌々と、揺らめく。
「誰かのためにを、言い訳にする気はない。それが、僕の生き方だ。」
いつも、誰かに助けられ守られてきた。すべきことがあるからだと、思う。凛に生かされた、瀬莉に名をもらい、道雅に姿と心をもらった。結局、何も守れず何も返せず。結実から託されたたった一人の少年すら。
「僕、に、殺せるわけないだろう……!」
その姿はもう、変化を維持できずに、金の美しい髪が熱風に煽られて靡いていた。
思いが強さになるとか、都合のいい幻想だ、むしろ枷になっている。道雅が、犀破になっていったのだって仕方の無いことなのかもしれない。
妖堕ちしていないのなら、息の根を止める方法などいくらでもある。結界ごと燃やし尽くすことも、世羅自身の体躯ですり潰すことも。けれど、そのどれも実行できなかった。悠河たちや、和泉にやらせられないから、自分がやるしかないと言い聞かせたのに。
その迷いは、陽にも伝わる。手を抜かれている、殺されないと確信した動き。
周囲の障害物がなくなってきたそのタイミングで、ふと空を見上げた陽が何かを上空に掲げた。
握りしめていた何かを放り投げる。
それは、焦げかけた百足の身体…滋葵の本体だった。それがバラバラになると同時。
厄災が転移されてきた。世羅と同じ、美しい顔であるはずなのにその姿は、大きな蜘蛛の脚が八、その背中から剥き出している様は、いつもより一層悍ましいものだった。
かつて、二つの足すらままならなかった者が。
「なんでこっちに来た?お前はカンドリが抑えているはずだったけど。
…そんなに僕に会いたいわけ?」
「知れたこと。そこにいるからだよ、瀬莉が。」
犀破が指さした、世羅たちより後方の、まだ燃えていない茂みの影。紅音を颯稀に託して駆けつけた和泉と、悠河がそこに潜んでいた。
間髪入れずに糸がその茂みを強襲する。悠河が和泉ごと飛び退いたおかげで当たりはしなかった。しかし、悠河の足わずかに掠めた。
「っぶねえ、マジで殺す気じゃん、あの蜘蛛。」
初めて犀破を目の当たりにした悠河がその身を起こすも、ふくらはぎのあたりをざっくりいっている。これがあと少しずれていたら、体制が違っていたらと思うだけで、ぞっとする。そして、足を封じられたことに舌打ちする。
「水衛。穢れを寄せ付けぬ防壁と為せ」
和泉と、動けない悠河の周囲に、水の結界。小さい分、白斗の障壁状で展開される水護とはまた質が異なる。それは纏って動けない代わりに、全方位を囲って守る結界。和泉にもう穢れを治す力はない。絶対にこれ以上くらってはいけない。
「穢れ、そこまで酷くないけど、行で抑えたほうがいい。」
「悪ぃ。」
和泉が絶える間に、どうにか応急処置をする。患部を凍らせて穢れの伝播を抑える。
しかしその間も尚、張り巡らされる蜘蛛の糸。焼け落ち、炭と化した地獄のような光景の中、穢れた悪意の糸。 あおとたち含め、和泉の側にいる全員の動きが止まる。あの糸にも当たってはいけない。庇うように世羅が前へ出た。
「巻き込むから、あんまり戻りたくなかったけど。…自衛してね。」
世羅が踏み込むと同時、人の姿を打ち捨てる。金の毛並みを持つ巨大な妖狐が顕現した。その権限で、近くの糸は吹き飛んでいく。それでも、犀破から糸は出続けるし、その大きな脚の攻撃は刃のように鋭かった。そのリーチと重さから槍や薙刀に近い。地面が抉られ、土埃がまう。
「…ッ!」
陽はその様子を見て刀を握り直し、その姿勢を世羅へと向ける。その大きな体躯で、金の双眸が陽を見下ろした。
「睨んだって今更、怖くねえけど。」
「怖がらせる必要ないでしょ。反省はしてほしいけど。」
世羅が煽り終わらぬうちに、陽が踏み込み破敵剣を振り上げる。その横で、白斗、毘笈は犀破へ意識を向ける。
「さて、陰陽頭が直々に土蜘蛛退治するのは、何年ぶりかな。」
「数年前にちょっかいを出してきた連中がよく言う。」
白斗が懐から扇を出した。残り少なかったカンドリの依代たちのうちの一つ。さんざん意見は出たが、やはり長が持つべきものだと、陸と悠河は結論づいた。
鉄扇の硬い音が響く。
「水礫」
水が、ちいさな球体となって辺りに展開。張り巡らされた糸を切り落とし、炎のも消していく。そして瑞は、周囲に広がる穢れを洗い清めていく。
合間を縫って襲い来る犀破の脚は、玄蕃が仕込杖でもって迎撃する。この仕込杖もまた、依代である。
「土の行 岩礫」
固く鋭利な岩の欠片が犀破の本体にも、多数の脚にも勢いを持ってぶつかる。打ちきれなかった脚が2本、玄蕃の身体を貫かんと迫るが、仕込杖の持ち手左、剣部分を右に持ち、両手で防いだ。火花が散る。
「老体に応える…!」
「父上、まだ倒れては困る…!」
玄蕃は、自身の老いの悲しさと、押しつぶされる懸念は、子からのカバーで打ち消された。かつて己の命を狙った力は今、これ以上ないくらい頼もしい支えになっている。
「まだ終わらんよ。孫の顔を見ていないからな。」
「お言葉ですが、まだ相手がいないんですけど。
…人によってはセクハラになるので、そうゆうのはやめてください。」
軽口を叩いていた白斗が、唐突に嫌な気配を感じる。後ろ、世羅と陽は未だ炎を撃ち合っている。その最中、僅かな隙をついて陽の雰囲気が、変わる。
「臨める兵 闘う者」
真っ直ぐに上から下、左から右へと線を引くように印を結んだ指が動く。
それは、九字。
臨兵闘者皆陣烈在前。怪異を打ち払う、陰陽師の術。それは、人以外に有効である。
「距離を取れ、世羅!」
白斗がほとんど反射に近い形で動く。アレが当たれば世羅とてタダでは済まない。強ければ強い妖にこそ、効いてしまう。
そして、陽はそんな白斗の姿を見るやいなや、世羅から距離を取った。その炎を避け、そして黒い刃の切っ先が向かう先。九字で世羅を仕留めると思い、世羅を庇う形で前に出た白斗は、完全に虚をつかれていた。
斬撃の音。血と、肉が断たれる音。
九字は、ついぞ切り結ばれることはなかった。
「白斗さん…!!」
和泉の、悲鳴に近い声。黒い刀は真っ赤な血に染まる。けれどそれは、白斗のものではなかった。世羅を庇って前に出た白斗を、更に世羅が腕で受け止めた。完全に狙いがそれた陽が舌打ちをする。
「世羅!!」
「なんで…!」
その光景に、一番驚愕していたのは白斗だった。大きかった金狐の姿が、普通の狐と変わらぬ大きさへと小さくなる。破敵剣を引き抜いた反動で飛ばされたその獣の身体を、白斗が受け止めた。
「和泉ちゃんが…言ってた、陽はまだ、人だから。人の世に戻れるようにって。
…僕だったら、まだセーフだろ。」
「世羅…!」
和泉が、沈痛な声を漏らす。見えているのに、すぐそこに居るのに。そこに行けない自分がもどかしかった。今は、離れられない。
「で?これでもまだ信じるって?」
陽が刀についた血を払いながら言う。次は外さないと目で訴えてくる。同じく動けない悠河が声を荒らげた。
「陽…お前、世羅さんには、色々助けてもらってたんじゃないのかよ。それをお前、何とも思わねえってか!」
「順番が変わっただけとしか。」
「雑魚を片付けろ。」
張り巡らされた糸に、火がつく。一気に燃え広がり、それはまるで炎の檻。
玄蕃がその間を縫って、和泉と悠河の前に立つ。居合の構えのごとく、仕込杖に手をかけて下半身大きく踏み込む。
「やれやれ、老いた身とはいえ、雑魚呼ばわりはさすがに癇に障るというものですね。和泉さんは渡しませんよ。」
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「お話はもうよろしいかしら?」
王族や重臣たち、誰もが自分の思惑通りに動くと考えている中で、ルシアーナは静かに、己の存在感を突きつける。
※39話、約9万字で完結予定です。最後までお付き合いいただけると嬉しいですm(__)m
わたしにしか懐かない龍神の子供(?)を拾いました~可愛いんで育てたいと思います
あきた
ファンタジー
明治大正風味のファンタジー恋愛もの。
化物みたいな能力を持ったせいでいじめられていたキイロは、強引に知らない家へ嫁入りすることに。
所が嫁入り先は火事だし、なんか子供を拾ってしまうしで、友人宅へ一旦避難。
親もいなさそうだし子供は私が育てようかな、どうせすぐに離縁されるだろうし。
そう呑気に考えていたキイロ、ところが嫁ぎ先の夫はキイロが行方不明で発狂寸前。
実は夫になる『薄氷の君』と呼ばれる銀髪の軍人、やんごとなき御家柄のしかも軍でも出世頭。
おまけに超美形。その彼はキイロに夢中。どうやら過去になにかあったようなのだが。
そしてその彼は、怒ったらとんでもない存在になってしまって。
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