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第十章 誰彼時~たそがれとき~
第九十八話
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白いテンの姿をした陸が、薄暮時の住宅街をかけていく。途中散歩している犬に吠えられながら、カラスにちょっかいをかけられながらも、どうにかこうにかたどり着いた一軒家。軒先の茂みから息を潜めてうかがうと、一人の少女が、洗濯物を取り込んでいるのが見えた。
「ちえりー!それ終わったら、こっち手伝ってくれるか。」
室内から、少女を呼ぶ男性の声が聞こえた。開け放った窓からは、出汁のいい匂いがしている。室内で料理をしているようだった。
「はいはい、ちょっと待って…わっ」
突風が少女の取り込んでいた洗濯物を巻き上げる。思わず、陸は飛び出した。
舞い上がってしまったタオルを両手でキャッチ。そのままシャツの山へダイブ。突如庭から飛び出したその動物に、ちえりは息を呑んだ。
「えっあっ、ありがとう…!」
混乱しながら目をぱちくりさせつつも、こんな獣に礼を言う様子に、陸は安堵した。陰陽連が庇護してくれていると言ったのを疑ったわけではないものの、この目でその無事を確かめるまでは、あちこちで妖騒ぎが頻発しているので不安ではあった。
妖騒ぎにかぎらず、普通に人として過ごせているかどうかも、心配だったのだ。
「どうした?」
「あ、お父さん。なんかね、洗濯物が風で飛びそうだったんだけど、この子が間一髪でキャッチしてくれたの。」
「へえ、器用なやつもいたもんだな、犬か猫か?」
「ええ、よく分かんない。何これ?」
「んん?ハクビシンか…イタチか…?病気を持ってるかもしれないから、不用意に触らない方がいい。洗濯物ももう1回洗おうな。」
野生動物の出現に、男性…ちえりの父は、ほんの少し表情をしかめた。
「そっか。ごめんね、せっかく捕まえてくれたのに。でも、ありがとうね。」
ちえりは、じっとテンを見つめてくる。
物干し竿か何かで追い払われることも覚悟したが、ちえりは、そんなことはしなかった。
「お父さん、土曜と日曜はお休みだから、それ以外なら帰り遅いはず。またおいでよ。
…なーんて、ね。」
ちえりの囁いた声は、まるで友達とイタズラでもするかのようないたずらっぽい笑みを含んでいた。
陸はそのまま体を捻って庭の草陰へ逃げていく。記憶のことは分からなかったが、父と二人で普通に生きていることが分かってよかった。
夕闇が、夜闇に変わる前に、戻らなければと岐路を急ぐ。変に刺激して、思い出させてしまうその前に、早く。
またおいでという、未練を植えられて少し複雑な気持ちを抱えながら。
庭から白い獣の姿が見えなくなっても、ちえりはしばらくぼんやりしていた。
あの緑の瞳に、吸い込まれそうだった。あの淡い、木漏れ日のような優しい光の色をどこかで見たことがあるような気がしていたが、思い出そうとするとモヤがかかったようにわからなくなった。嫌な気はしなかった。
このへんに住み着いているのなら、また会えるかもしれない。イタチって何を食べるんだろう…と思案しながら、ちえりは洗濯物を再び洗濯機に放り込んだ。
目が覚めてから、ずっとぼんやりしていたのが段々と薄れてきた気がする。母が事故で亡くなって、そのショックで記憶が混濁しているんだと父や医者が言うからきっとそうなんだろう。
冬の、抜けるような青空を見て何か心がざわざわした。北風で揺れる木々の葉音に、思わず振り向いてしまう。理由は分からないけれど、何か…
あの緑の瞳を持つ白い獣に対しても同じ。なんだか言葉が通じる気がしてまた来て、なんて言ってしまったけれど。あの子に会えば、分かるのだろうか。
今夜は、父が晩御飯を作ってくれる。つん、とスパイスの香りがちえりの鼻腔をくすぐった。母の好物の、カレーだ。
*****
陰陽連内部の医療施設。
正堂親芳の元へ、悠河が足を運んでいた。当初は面会禁止だったが、颯稀同行の元、許可が下りた。向かう途中で颯稀が容態をかいつまんで説明する。
「知ってのとおり、記憶の大多数を失ってる。自分が誰で、陰陽師だってことはなんとなく分かるみたいだけど。
呉羽姉さんを手にかけたことも、紅音って娘がいたことすら、忘れてる。」
「ある意味、都合がいいのかも知んねえな。」
「都合のいいことだけ、蓋をしてるのかもしれないけどね。」
颯稀は皮肉っぽく言った。
紅音は、もういない。姿が見えなくなって、戻ってきた和泉と陽から、事の次第を聴いた。
かつての斎王瀬莉に身体と魂を乗っ取られていたこと。そして、最後の最後で、和泉たちを庇って消えていったこと。そんな話を、実の子でないと豪語した父親に出来るはずもない。
あの後、カンドリからの連絡で再度集落に出向いた。井戸の近くに、紅音の亡骸があった。まるで、かくれんぼをしていたかのようにひっそりと蹲って。今にも動き出しそうなその身体はすっかり冷えきって、二度と動くことはなかった。
穏やかに、まるでそのまま居眠りをしてしまっただけのような彼女の体は、玄蕃と同じく、荼毘に伏された。
若草色のピアス。片耳にだけ残っていたそれを、悠河は外した。もう片方は、戦っている時に落としてしまったのだろう。宝石でもガラスでもない、安いビーズの光は、ポケットにしまってある。
スライド式のドアを開けると、広い部屋の大きなベッドに親芳が、新聞を大きく広げていた。
入院着に顔の皺がいつもより深く見え、年齢を感じさせると悠河は思った。
そんな神妙な面持ちの悠河を見て、親芳は新聞を畳む。
「君は…私のことを知っているんだね。」
「ああ…ガキの頃から、世話んなった。」
「そうか。なら、よかった。」
「よかった?」
「ああ、あまり覚えてはいないのだが。夢見が悪くてな。色んな者たちが、私を責め立てるのだ。きっと私はロクな人間じゃなかったのだろう、記憶が無いのもそれを見たくないからなのかもしれない。
君が、世話になったと感謝してくれてるのならば、少しは人としてマシな一面もあったのかもしれんと思ってな。」
「…今度はマシな人間として生きられるといいな。
世話にはなった、けどそうじゃない奴を俺は知ってる。」
陽は、親芳について何も言わなかったし、聞かなかった。正直それどころでないというのもあるだろうが、まだ直接向き合うには時間がかかるのだろう。
「だろうな。
無理に聞きはせんよ。必要ならば、思い出すこともあるだろうて。
…見舞い感謝する。」
白斗の指示だったとしても、おそらく呉羽の不義と思い込んだことが拍車をかけていたのは間違いない。どこで、歯車が狂ってしまったのか、確かめる術は、今はない。
陸が、ちえりに『忘れたままでいい』と言ったように、親芳もまた、その方がいいのかもしれない。
悠河は一礼して部屋を出た。病室内で、一言も言葉を発しなかった颯稀もまた、一礼して出ていく。
もっと、怒りやら悲しみやら色んな感情が湧くと思ったが、その心はまるで凪の海のように穏やかだった。
帰ろう。
*****
「聴いた?道雅様と、瀬莉様の、こと。」
カンドリもとい、道反大神が教えてくれた。2人の決断。
俄には信じがたかったものの、和泉も陽も、間違いないと証言してくれたが故に信じざるを得なかった。
「僕も気づいてあげられたらよかった。
……冷静さを失ってた。」
紅音の中に、瀬莉がいた。世羅の行き場の無い感情は、奥歯を噛み締め、拳を握りしめるに留まる。
「犀破が…、道雅様が、あんなに近くに置いていても気づけなかったのよ。無理ないわ。」
この世で一番、瀬莉を求めていたはずの道雅でさえ。長い長い時の中、人であることも忘れてしまって、気づけなくなったのかもしれないが、それにしても。あんなにも愛し求めた存在をその魂の一欠片すら気づけなかったのだから、きっと誰も、気付けはしなかったのだろう。押しとどめてくれた紅音にここで感謝することになるとは、皮肉もいいところだった。
世羅は、それすらも言い訳にしかならないと悔いを残す。
「あんなに、あの子は苦しんでいたのに気づけなかった。それどころか、殺意までぶつけて…!僕らの、身勝手な願いの果てがこれか。」
紅音に対して、お前さえいなければと、何度も澱んだ感情が蠢いた。本気で、紅音の息の根を止める気でいた。その底にあるものを見出してやれなかった。さまよい果てた瀬莉の思いと、紅音の揺らぎが複雑に絡んで悲しい結果に終わってしまった事実は、深く重い。
そして、それを軽くする方法は、凛にも分からない。
「結果論ではあるけれど。良かったのよ。やっと終われたの。二人は一緒にいるんでしょ、だったら、望んだ形じゃない。二人が行き着く果てが、地獄じゃなくて、私嬉しいの。」
「そう、か…そうだね。」
凛の、細い手が世羅の頬に触れる。
「きっと私たちはそこには行けないから。もう、二人に逢えないから。
でも、元々私のせいだもの。私が終わりを望まなきゃよかった。」
「そんなことは…!」
世羅の、詰まる声。
凜が次に瞬きするときには、世羅の身体が、華奢な凜の体躯を包み込んでいた。世羅も、細身だがこうして抱きすくめられればその体格差が凜に伝わる。
「そんなこと、あるものか…全部、君が、くれたものだ。それが、悪いものなはずがない」
「…そう、それなら、良かった。
あなたにとって、私が悪女じゃないなら、それだけでいいわ。」
「悪女…?」
「陸には、知られた。
百年前の大火。あの子も馬鹿じゃないから、どうにかなってるけど。時間の問題な気は、するわ。
…また山にでも篭もる?」
陰陽師は、人に仇なす妖怪を討伐する。この後、どういった立ち位置をとるかは未知数であった。今は良くても、いずれ追われる立場に戻るかもしれない。
「それでも悪くはないけど、まだ、子守りをさせられるんじゃないかなぁと思う。」
世羅は、嫌じゃなければ、自分のことも陰陽部のやつらも、しごいてほしいと、陽に言われていたことを話す。
これまでの妖関連の事件が、すべて陰陽連の自演だったとしても、いつかまた未曾有の事件が起きないとも限らない。その時に、戦えるように。それは白斗もまた望んでいることだとも聞いた。
凜は、苦笑する。
「手間のかかる子達。」
「今度は、もう終わりが見えてる。尚更、幸せになってもらわないと困る。」
「…それは……そうね。じゃあ、まだ生きてみる?」
すべきことは、終わったはずなのに。
もう、いつだって黄泉路に旅立つのは構わない筈の二人は、まだ、見てやらないといけない二人を想う。
「君がいて、あの二人を一緒に見守れるなら、僕はそうしたい。」
いつもの、貼り付けた笑顔ではない世羅につられて、凛もまた微笑んだ。悲しみはあれど、穏やかな時が、ほんの僅かだとしても今はこれで。
「ちえりー!それ終わったら、こっち手伝ってくれるか。」
室内から、少女を呼ぶ男性の声が聞こえた。開け放った窓からは、出汁のいい匂いがしている。室内で料理をしているようだった。
「はいはい、ちょっと待って…わっ」
突風が少女の取り込んでいた洗濯物を巻き上げる。思わず、陸は飛び出した。
舞い上がってしまったタオルを両手でキャッチ。そのままシャツの山へダイブ。突如庭から飛び出したその動物に、ちえりは息を呑んだ。
「えっあっ、ありがとう…!」
混乱しながら目をぱちくりさせつつも、こんな獣に礼を言う様子に、陸は安堵した。陰陽連が庇護してくれていると言ったのを疑ったわけではないものの、この目でその無事を確かめるまでは、あちこちで妖騒ぎが頻発しているので不安ではあった。
妖騒ぎにかぎらず、普通に人として過ごせているかどうかも、心配だったのだ。
「どうした?」
「あ、お父さん。なんかね、洗濯物が風で飛びそうだったんだけど、この子が間一髪でキャッチしてくれたの。」
「へえ、器用なやつもいたもんだな、犬か猫か?」
「ええ、よく分かんない。何これ?」
「んん?ハクビシンか…イタチか…?病気を持ってるかもしれないから、不用意に触らない方がいい。洗濯物ももう1回洗おうな。」
野生動物の出現に、男性…ちえりの父は、ほんの少し表情をしかめた。
「そっか。ごめんね、せっかく捕まえてくれたのに。でも、ありがとうね。」
ちえりは、じっとテンを見つめてくる。
物干し竿か何かで追い払われることも覚悟したが、ちえりは、そんなことはしなかった。
「お父さん、土曜と日曜はお休みだから、それ以外なら帰り遅いはず。またおいでよ。
…なーんて、ね。」
ちえりの囁いた声は、まるで友達とイタズラでもするかのようないたずらっぽい笑みを含んでいた。
陸はそのまま体を捻って庭の草陰へ逃げていく。記憶のことは分からなかったが、父と二人で普通に生きていることが分かってよかった。
夕闇が、夜闇に変わる前に、戻らなければと岐路を急ぐ。変に刺激して、思い出させてしまうその前に、早く。
またおいでという、未練を植えられて少し複雑な気持ちを抱えながら。
庭から白い獣の姿が見えなくなっても、ちえりはしばらくぼんやりしていた。
あの緑の瞳に、吸い込まれそうだった。あの淡い、木漏れ日のような優しい光の色をどこかで見たことがあるような気がしていたが、思い出そうとするとモヤがかかったようにわからなくなった。嫌な気はしなかった。
このへんに住み着いているのなら、また会えるかもしれない。イタチって何を食べるんだろう…と思案しながら、ちえりは洗濯物を再び洗濯機に放り込んだ。
目が覚めてから、ずっとぼんやりしていたのが段々と薄れてきた気がする。母が事故で亡くなって、そのショックで記憶が混濁しているんだと父や医者が言うからきっとそうなんだろう。
冬の、抜けるような青空を見て何か心がざわざわした。北風で揺れる木々の葉音に、思わず振り向いてしまう。理由は分からないけれど、何か…
あの緑の瞳を持つ白い獣に対しても同じ。なんだか言葉が通じる気がしてまた来て、なんて言ってしまったけれど。あの子に会えば、分かるのだろうか。
今夜は、父が晩御飯を作ってくれる。つん、とスパイスの香りがちえりの鼻腔をくすぐった。母の好物の、カレーだ。
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陰陽連内部の医療施設。
正堂親芳の元へ、悠河が足を運んでいた。当初は面会禁止だったが、颯稀同行の元、許可が下りた。向かう途中で颯稀が容態をかいつまんで説明する。
「知ってのとおり、記憶の大多数を失ってる。自分が誰で、陰陽師だってことはなんとなく分かるみたいだけど。
呉羽姉さんを手にかけたことも、紅音って娘がいたことすら、忘れてる。」
「ある意味、都合がいいのかも知んねえな。」
「都合のいいことだけ、蓋をしてるのかもしれないけどね。」
颯稀は皮肉っぽく言った。
紅音は、もういない。姿が見えなくなって、戻ってきた和泉と陽から、事の次第を聴いた。
かつての斎王瀬莉に身体と魂を乗っ取られていたこと。そして、最後の最後で、和泉たちを庇って消えていったこと。そんな話を、実の子でないと豪語した父親に出来るはずもない。
あの後、カンドリからの連絡で再度集落に出向いた。井戸の近くに、紅音の亡骸があった。まるで、かくれんぼをしていたかのようにひっそりと蹲って。今にも動き出しそうなその身体はすっかり冷えきって、二度と動くことはなかった。
穏やかに、まるでそのまま居眠りをしてしまっただけのような彼女の体は、玄蕃と同じく、荼毘に伏された。
若草色のピアス。片耳にだけ残っていたそれを、悠河は外した。もう片方は、戦っている時に落としてしまったのだろう。宝石でもガラスでもない、安いビーズの光は、ポケットにしまってある。
スライド式のドアを開けると、広い部屋の大きなベッドに親芳が、新聞を大きく広げていた。
入院着に顔の皺がいつもより深く見え、年齢を感じさせると悠河は思った。
そんな神妙な面持ちの悠河を見て、親芳は新聞を畳む。
「君は…私のことを知っているんだね。」
「ああ…ガキの頃から、世話んなった。」
「そうか。なら、よかった。」
「よかった?」
「ああ、あまり覚えてはいないのだが。夢見が悪くてな。色んな者たちが、私を責め立てるのだ。きっと私はロクな人間じゃなかったのだろう、記憶が無いのもそれを見たくないからなのかもしれない。
君が、世話になったと感謝してくれてるのならば、少しは人としてマシな一面もあったのかもしれんと思ってな。」
「…今度はマシな人間として生きられるといいな。
世話にはなった、けどそうじゃない奴を俺は知ってる。」
陽は、親芳について何も言わなかったし、聞かなかった。正直それどころでないというのもあるだろうが、まだ直接向き合うには時間がかかるのだろう。
「だろうな。
無理に聞きはせんよ。必要ならば、思い出すこともあるだろうて。
…見舞い感謝する。」
白斗の指示だったとしても、おそらく呉羽の不義と思い込んだことが拍車をかけていたのは間違いない。どこで、歯車が狂ってしまったのか、確かめる術は、今はない。
陸が、ちえりに『忘れたままでいい』と言ったように、親芳もまた、その方がいいのかもしれない。
悠河は一礼して部屋を出た。病室内で、一言も言葉を発しなかった颯稀もまた、一礼して出ていく。
もっと、怒りやら悲しみやら色んな感情が湧くと思ったが、その心はまるで凪の海のように穏やかだった。
帰ろう。
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「聴いた?道雅様と、瀬莉様の、こと。」
カンドリもとい、道反大神が教えてくれた。2人の決断。
俄には信じがたかったものの、和泉も陽も、間違いないと証言してくれたが故に信じざるを得なかった。
「僕も気づいてあげられたらよかった。
……冷静さを失ってた。」
紅音の中に、瀬莉がいた。世羅の行き場の無い感情は、奥歯を噛み締め、拳を握りしめるに留まる。
「犀破が…、道雅様が、あんなに近くに置いていても気づけなかったのよ。無理ないわ。」
この世で一番、瀬莉を求めていたはずの道雅でさえ。長い長い時の中、人であることも忘れてしまって、気づけなくなったのかもしれないが、それにしても。あんなにも愛し求めた存在をその魂の一欠片すら気づけなかったのだから、きっと誰も、気付けはしなかったのだろう。押しとどめてくれた紅音にここで感謝することになるとは、皮肉もいいところだった。
世羅は、それすらも言い訳にしかならないと悔いを残す。
「あんなに、あの子は苦しんでいたのに気づけなかった。それどころか、殺意までぶつけて…!僕らの、身勝手な願いの果てがこれか。」
紅音に対して、お前さえいなければと、何度も澱んだ感情が蠢いた。本気で、紅音の息の根を止める気でいた。その底にあるものを見出してやれなかった。さまよい果てた瀬莉の思いと、紅音の揺らぎが複雑に絡んで悲しい結果に終わってしまった事実は、深く重い。
そして、それを軽くする方法は、凛にも分からない。
「結果論ではあるけれど。良かったのよ。やっと終われたの。二人は一緒にいるんでしょ、だったら、望んだ形じゃない。二人が行き着く果てが、地獄じゃなくて、私嬉しいの。」
「そう、か…そうだね。」
凛の、細い手が世羅の頬に触れる。
「きっと私たちはそこには行けないから。もう、二人に逢えないから。
でも、元々私のせいだもの。私が終わりを望まなきゃよかった。」
「そんなことは…!」
世羅の、詰まる声。
凜が次に瞬きするときには、世羅の身体が、華奢な凜の体躯を包み込んでいた。世羅も、細身だがこうして抱きすくめられればその体格差が凜に伝わる。
「そんなこと、あるものか…全部、君が、くれたものだ。それが、悪いものなはずがない」
「…そう、それなら、良かった。
あなたにとって、私が悪女じゃないなら、それだけでいいわ。」
「悪女…?」
「陸には、知られた。
百年前の大火。あの子も馬鹿じゃないから、どうにかなってるけど。時間の問題な気は、するわ。
…また山にでも篭もる?」
陰陽師は、人に仇なす妖怪を討伐する。この後、どういった立ち位置をとるかは未知数であった。今は良くても、いずれ追われる立場に戻るかもしれない。
「それでも悪くはないけど、まだ、子守りをさせられるんじゃないかなぁと思う。」
世羅は、嫌じゃなければ、自分のことも陰陽部のやつらも、しごいてほしいと、陽に言われていたことを話す。
これまでの妖関連の事件が、すべて陰陽連の自演だったとしても、いつかまた未曾有の事件が起きないとも限らない。その時に、戦えるように。それは白斗もまた望んでいることだとも聞いた。
凜は、苦笑する。
「手間のかかる子達。」
「今度は、もう終わりが見えてる。尚更、幸せになってもらわないと困る。」
「…それは……そうね。じゃあ、まだ生きてみる?」
すべきことは、終わったはずなのに。
もう、いつだって黄泉路に旅立つのは構わない筈の二人は、まだ、見てやらないといけない二人を想う。
「君がいて、あの二人を一緒に見守れるなら、僕はそうしたい。」
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