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第四章 金蘭の契~きんらんのちぎり~
第三十一話
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部屋を単身飛び出した和泉は、白鹿で走りながら屋敷を見渡す。動く柱や扉、梁。それらを注意深くつぶさに見ていく。
「どこに行ったって、わたくしの中にいるのには変わりませんのに。」
けして大きくないはずの滋葵の声がそこら中から響く。
「無策で飛び出したりしないよ。私があなたを止める。」
「おしゃべりの時間稼ぎには付き合いませんよ?」
「だって、屋敷になれるんだったら、わざわざ宣言なんかせずにあなたが全部黙ってやればいいじゃない。
私を捕まえることも、陽を捕まえることも。それをしないってことは、あなたができることは屋敷になっても、その構造を変えるだけ。私たちを捕まえる力はない。」
柱や床や壁、それらを動かすことは出来るが逆に言えばそれだけなのだ。柱や壁を変形させることまではできない。
「それがわかったからなんだというのです?」
「それだけわかれば充分。だって、あなたその状態じゃあ私を捕まえられないんでしょ?
なら全然怖くない。屋敷まるごと、あなたを浄化する。」
「……!?」
「犀破の目的は、私を捕まえること。ついでに、陽は殺しておきたい。そうじゃないの?」
全員分断してそれぞれを始末すればいいのにそうしなかった。
理由は一つ、紅音は陽がほしいから、もし彼が殺されるとなれば必ず邪魔をする。それを防ぎたい。
未だ世羅が、和泉から見て絶対に安全であると判然としないものの、その紅音の相手に世羅をあてがった以上、おそらく世羅はもう、信じて問題ないのだろう。何より陽は信じた。たとえ世羅が、犀破の術で生み出された存在だと知っても、陽は信頼をつなげた。その陽の判断を、和泉もまた信じる。
二つ、和泉と陽を分断しなかったのは、和泉が1人で動かれると都合が悪いから。
あのショッピングモールで、和泉がまるごとエリアを浄化したことは依織から受けているはず。滋葵が屋敷ごと妖怪の今、和泉に浄化を都合が悪いのだ。
全て推測の域を出ないものの、迷ってる時間は無い。犀破と滋葵の攻撃両方を捌くのは明らかに分が悪いと悟った以上、やるしかなかった。浄化すべき範囲は把握した、あとは自分が浄化しきれるだけの時間を稼ぐ方法を思案する必要がある。
思考で一瞬動くのが遅れた。和泉のちょうど真後ろの死角の太い柱に、紅の瞳が浮かび上がり、上半身だけの滋葵が現れる。和泉よりも先に、式の白鹿が気づいたものの、和泉の長い髪を捕まれる。
「……っ!?」
そのまま髪を引っ張り上げられ、白鹿から離され床にたたきつけられる。勝利を確信したような滋葵の顔が和泉に迫る。しかしその表情はすぐに驚愕に歪められた。
「何をしているの、あの陰陽師は!?」
青白い炎とそれを放つ姿。さっき別れたはずの凜の姿がそこにある。
「り、ん……!」
その紅い瞳と美しい銀の髪。青白い炎。しかし以前和泉を追っていた時のような、あの禍々しい蝶は飛んでいなかった。
「人間は、可能な限り避難させたわよ。もう死んでるのはさすがにどうにもできないけれど。」
「あ、ありがとう……。」
まだ身体が少し強ばる。それでも今、和泉を助ける形で合流したこと、本当に犀破の側なら今ここでそんな行動を起こすはずがないと言い聞かせて、凛を見据える。
「陽は、犀破を抑えてくれてる。その間に、私が滋葵をなんとかする。」
「なんとかって?」
「屋敷ごと浄化する。犀破にも、妖になっちゃった紅音さんにも少しは効くと思う。」
(まだ、凛が犀破の側なら、当然凛にも効く。)
そして、まだ凛が犀破の側についているのであれば、この浄化は当然凜にも効くはず。だまし討ちのようだが、現状で信じるに値するか篩にかけられる方法。和泉は、断るだろうか、と凛の様子を注意深く見ていたが、その意図を察したらしい凛は、炎を増やした。
「時間を稼げればいいのね?」
その表情と声色は、やはり和泉がこれまで見てきた凛とは明らかに似て非なるものだった。今、凛は和泉を守るために行動をしている。
「おや、共闘ですか。できるんですか?ついぞこないだまで、貴方が和泉様を追っていましたのに。」
「奴の言うことは全部無視してあなたは集中なさい。」
屋敷の柱や扉のみならず、調度品やタンスなど屋敷にある色んなものが和泉と凛を推し潰そうと飛んでくる。凛は涼しい表情のままそれらをいなしていた。
燃えるものは燃やし、燃えないものは目に見えない力でねじまげている。
一度何かの力が加わると、それらはもう動かなくなるのが分かった。
白鹿から降りて、大きく息を吸う。要領は同じだと、和泉は自分に言い聞かせる。
ゆっくり大きく、落ち着いて、と。
和泉の手に、白く光る刀が舞い降りる。相変わらず意味は分からずとも、こう動くべきなのだと身体が言うように、和泉は動く。やっぱり、陽の金の行とは、何かが違うと思う。
和泉自身の力を固めたようなこの刀に、陽の持つ獲物とは違う何かを感じながらも和泉はその刀を手に、その場で剣舞する。さっきまでの犀破の言葉に、ぐちゃぐちゃになりかけていた和泉の感情も一緒に少しづつ解れていく。
屋敷に変化した滋葵は、何かの危機を察したのか、屋敷全体が大きくわななき、室内のものが雑多に暴れ回るような動きをする。
しかしそれらは全て、凛の力で無力化していく。近くに控える白鹿も蹴りで和泉を守るかのような動きをする。やがて忙しなく動いていた屋敷が、調度品たちが、みるみる大人しくなっていく。少しずつ、和泉の力が効いている。
一方で凛は、特に反応していないようで、彼女には悪影響でないことがわかった。凛が味方だと証明できたようで和泉は安堵する。
驚くほど静まり返った屋敷の中。ぱちぱちと僅かに燃え残る火が爆ぜる音だけがする。そして、広い廊下にぽつんと、何かが横たわっているのが見えた。
和泉が恐る恐る近づいてみればそれは、大きな猫に見える。毛足が長く、体躯も大きい、ごく普通の猫というよりは山猫に近い。その猫の体とは別に、何か得体の知れない黒いものがざわざわと蠢いている。
「滋葵の本体よ。」
「えっ……!」
言うが早いか、凛はもうぴくりとも動かないその大きな猫に炎を浴びせた。
「犀破の蟲がかなり侵食してる、もう手遅れだからせめて早く逝かせる。」
「蟲って…じゃあ、滋葵も元はただの……」
犀破が言っていた。世羅が元はただの狐だったこと、犀破が力を与えて妖怪にしてやったと。実験体だと、悍ましい言葉を口にしていた。
「そう、私や世羅と同じ。彼もまた、本来はあなたを守るはずだった霊獣。」
無機質な凛の声に、和泉はほんの僅か揺らぎを感じる。世羅が斎の守と呼んでいた。犀破の話といい、斎王を守る為に一体どれほどの犠牲を払っているのかと胸が苦しくなる。
「思ったよりも決断が早くて助かったわ。あなたには散々酷いことをしたから、そう簡単には信じて貰えないと思ってた。」
「あ、いや……本当に犀破の側のままだったら、一緒に浄化しちゃえるかなって。」
「あら。結構打算的じゃない、ますます感心するわ。」
てっきり怒られるかするかと思った和泉は、少し笑う凜に拍子抜けした。
「今までの、凛と雰囲気が違ったから感覚では大丈夫かもって思ったけど。確信持ちたかった、ごめんなさい。
それに、私、陽も世羅も守りたい。死なせたくないから。」
和泉の決意の言葉に、凛は一瞬虚をつかれるがすぐに穏やかな表情になる。世羅と、同じ何かを慈しむようなそれでいてほんのわずかに悲しいが混ざる瞳。
しかし、突如和泉の耳に、何かが壊れた音が聞こえた。凛の反応からして、和泉にしか聴こえていないことがわかる。和泉は嫌な予感に苛まれる。結界が、壊れた音ではないだろうか、と。的中していると言わんばかりに、白鹿が今来た方向を見やる。その視線はひどく不安そうだった。
その不安は凛も汲み取ったようだった。
「世羅は、大丈夫よ。あんな小娘に遅れ取らないから。早く行きなさい、滋葵が消えて屋敷の火がまた広がってくる。煙に巻かれないうちに出たほうがいい。私が世羅に合流する。あなたは早く戻りなさい。」
「凛、ありがとう。」
和泉は、逸る気持ちを抑え、白鹿につかまる。白鹿はきちんと自身の背に和泉が跨ったことを確認して地面を蹴った。
誰もいなくなったはずのそこに、滓動かなくなった滋葵の燃え滓。そこから小さな百足が這い出たかと思うと、燃え滓はぼろぼろと崩れて跡形もなくなった。
*****
大広間。柱や調度品が動かされた結果、天井にかかっていたシャンデリアも落ちて散々な荒れようになっている。
陽は、和泉の張ってくれた結界と、陽自身の結界、それらを二重にかけて膝をついた状態でとどまっている。和泉の結界は穢れを防ぎ、陽の結界は物理攻撃を防いでいる状態だった。
きっとこの部屋の中は穢れで満たされているだろう。生身の体など一溜りもないほどに。
当然、陽への攻撃はやむ気配がない。突如、地を這うように蜘蛛の糸が迫り出す。
「下かよ……!?」
この光景は、依織を捕らえた陽の攻撃と似ていた。あのガキ、チクったなと舌打ちをする。
動けば死角が常に変わる、できればこのまま一箇所でとどまって耐久していたかった所だがそうも言ってられない状況へと変わる。明らかに格上、戦い慣れた犀破相手に隙はなかった。
ある程度は攻撃をいなすしかないと判断して、陽が立ち上がった時、屋敷が妙な揺れ方をする。まるで弾けるように、蜘蛛の糸が散り散りに消えていく。和泉が、滋葵を仕留めたことを察知する。
室内に充満していた穢れも霧散した。今が好機と判断し、犀破の元へ肉迫する。
しかし犀破がその手にもつ獲物…一振の刀が、結界を貫いた。
「……!?」
完全な不意打ち。まさか接近戦に武器を持っているとは想定していなかった。犀破の持つその獲物は、刀身が錆びきっているように見えるが、結界を打ち砕くには充分なようだ。
よく世羅に叱られたことを想い返す、間合い詰める時は気をつけろと。しかし、今は糸はない。仕留めるなら今だった。
「荊棘」
言霊で、その手に持つ金の行の強度を上げ、握り直す。もとは木の行の言霊を、金に適用する。薔薇の棘のような鋭利さを付与した。
金属と金属がぶつかり合う音が響く。犀破の持つ刀は錆びて見えるのに、陽の持つ金の行を押し崩していく。ガシャンガシャンと、音を立てて脆く崩れていく。たった今強化したはずの当然脆くはない行は、まるで腐った金属のようにあっけなく崩れていった。
「……っ、馬鹿力が。」
次の金の行を出しても、結果は同じだった。上、下、横、間髪入れずに繰り出される斬撃がいともたやすく打ち崩していく。
そしてまさにそのタイミングで、白鹿で翔ける和泉が合流する。
陽と、犀破が鍔競り合っている状態、手数が多いのも押しているのも、どう見ても犀破だった。
和泉の目には、まるで、スローモーションのように映る。大広間にひとつだけ、蜘蛛の糸が束のようになったそれは、明確な殺意を持って弧を描く。完全に陽の背後、死角から。
「陽……!!」
殺意の糸束は、嫌な音を立てて貫通した。陽の身体ではなく、華奢な和泉の身体に。
「和泉!?」
「お前が陽を庇うことは分かってた。」
糸が、和泉の身体を貫いたまま、するすると犀破の元へ戻る。柔らかいように見えて、それは人体を貫通する。わき腹が貫通したままのぐったりとした和泉を犀破が抱える。ぼたぼたと、血が落ちる。
「滋葵がやられたからここも長くは持たんか。お前も来るか?紅音がお待ちかねだと思うが。」
「誰が!?離せ!」
和泉が連れていかれる、それよりも前に。あの出血量はまずいと脳が警鐘を鳴らす。死という文字が頭をよぎった陽を前に、犀破は勝ち誇ったような笑みを浮かべる。
「ああ、これしきでは死なないから安心しろ。なんせ陰陽師様のご立派な不老不死の術がちゃあんと効いてる。」
「ぐっ……」
一方の和泉は、痛いとかそういうレベルではない苦痛が身体を駆け巡っていた。腹と言うよりは脇腹を貫かれている。強烈な悪寒が和泉の全身をかけぬけていく。手も足も痺れたような感覚でよくわからない。なのに、意識は薄れていかない。
今、犀破の肩に担ぎあげられる形で抱えられているこの状態。顔と手はちょうど犀破の背中で、犀破からは見えていない。今、和泉が動けるとは思っていないだろう、機会を逃す手はない。かろうじて動いた右手で取り出したのは、真っ黒なお札。
祈るような気持ちで黒い札を放つと、瞬時に、漆黒の丸い何か、それが、和泉の身体を包んだ。そしてその黒く丸いものは、和泉を抱えていた犀破の部分ごと抉るように現れた。
何かあった時の【奥の手】で渡したあの黒い札。霊力だろうと穢れだろうと一切を寄せ付けない結界。解除できるのは陽だけ。使うタイミングとしてはまさしくベストとしか言いようがない。
しかし、使った本人は腕を動かすので精一杯な上、意識があるのすらギリギリのところだ。不老不死だから大丈夫と犀破は豪語するが、助けないわけにはいかない。
一方で一瞬で四肢の四分の一を失った犀破は後退し、悶絶する。和泉にそんな力があるとは当然認識しておらず、陽が何かしたに違いないと瞬時に理解する。
「小賢しい……真似を……!」
初めて、犀破の表情から余裕が消えた、蜘蛛の糸の攻撃も来ない。今ならやれると陽は判断する。
「掛けまくも 畏き カグツチ、
諸々の禍事・罪・穢有らば、
祓え給え清め給えと白すことを聞こし食せと、
恐み恐み 白す。」
「どこに行ったって、わたくしの中にいるのには変わりませんのに。」
けして大きくないはずの滋葵の声がそこら中から響く。
「無策で飛び出したりしないよ。私があなたを止める。」
「おしゃべりの時間稼ぎには付き合いませんよ?」
「だって、屋敷になれるんだったら、わざわざ宣言なんかせずにあなたが全部黙ってやればいいじゃない。
私を捕まえることも、陽を捕まえることも。それをしないってことは、あなたができることは屋敷になっても、その構造を変えるだけ。私たちを捕まえる力はない。」
柱や床や壁、それらを動かすことは出来るが逆に言えばそれだけなのだ。柱や壁を変形させることまではできない。
「それがわかったからなんだというのです?」
「それだけわかれば充分。だって、あなたその状態じゃあ私を捕まえられないんでしょ?
なら全然怖くない。屋敷まるごと、あなたを浄化する。」
「……!?」
「犀破の目的は、私を捕まえること。ついでに、陽は殺しておきたい。そうじゃないの?」
全員分断してそれぞれを始末すればいいのにそうしなかった。
理由は一つ、紅音は陽がほしいから、もし彼が殺されるとなれば必ず邪魔をする。それを防ぎたい。
未だ世羅が、和泉から見て絶対に安全であると判然としないものの、その紅音の相手に世羅をあてがった以上、おそらく世羅はもう、信じて問題ないのだろう。何より陽は信じた。たとえ世羅が、犀破の術で生み出された存在だと知っても、陽は信頼をつなげた。その陽の判断を、和泉もまた信じる。
二つ、和泉と陽を分断しなかったのは、和泉が1人で動かれると都合が悪いから。
あのショッピングモールで、和泉がまるごとエリアを浄化したことは依織から受けているはず。滋葵が屋敷ごと妖怪の今、和泉に浄化を都合が悪いのだ。
全て推測の域を出ないものの、迷ってる時間は無い。犀破と滋葵の攻撃両方を捌くのは明らかに分が悪いと悟った以上、やるしかなかった。浄化すべき範囲は把握した、あとは自分が浄化しきれるだけの時間を稼ぐ方法を思案する必要がある。
思考で一瞬動くのが遅れた。和泉のちょうど真後ろの死角の太い柱に、紅の瞳が浮かび上がり、上半身だけの滋葵が現れる。和泉よりも先に、式の白鹿が気づいたものの、和泉の長い髪を捕まれる。
「……っ!?」
そのまま髪を引っ張り上げられ、白鹿から離され床にたたきつけられる。勝利を確信したような滋葵の顔が和泉に迫る。しかしその表情はすぐに驚愕に歪められた。
「何をしているの、あの陰陽師は!?」
青白い炎とそれを放つ姿。さっき別れたはずの凜の姿がそこにある。
「り、ん……!」
その紅い瞳と美しい銀の髪。青白い炎。しかし以前和泉を追っていた時のような、あの禍々しい蝶は飛んでいなかった。
「人間は、可能な限り避難させたわよ。もう死んでるのはさすがにどうにもできないけれど。」
「あ、ありがとう……。」
まだ身体が少し強ばる。それでも今、和泉を助ける形で合流したこと、本当に犀破の側なら今ここでそんな行動を起こすはずがないと言い聞かせて、凛を見据える。
「陽は、犀破を抑えてくれてる。その間に、私が滋葵をなんとかする。」
「なんとかって?」
「屋敷ごと浄化する。犀破にも、妖になっちゃった紅音さんにも少しは効くと思う。」
(まだ、凛が犀破の側なら、当然凛にも効く。)
そして、まだ凛が犀破の側についているのであれば、この浄化は当然凜にも効くはず。だまし討ちのようだが、現状で信じるに値するか篩にかけられる方法。和泉は、断るだろうか、と凛の様子を注意深く見ていたが、その意図を察したらしい凛は、炎を増やした。
「時間を稼げればいいのね?」
その表情と声色は、やはり和泉がこれまで見てきた凛とは明らかに似て非なるものだった。今、凛は和泉を守るために行動をしている。
「おや、共闘ですか。できるんですか?ついぞこないだまで、貴方が和泉様を追っていましたのに。」
「奴の言うことは全部無視してあなたは集中なさい。」
屋敷の柱や扉のみならず、調度品やタンスなど屋敷にある色んなものが和泉と凛を推し潰そうと飛んでくる。凛は涼しい表情のままそれらをいなしていた。
燃えるものは燃やし、燃えないものは目に見えない力でねじまげている。
一度何かの力が加わると、それらはもう動かなくなるのが分かった。
白鹿から降りて、大きく息を吸う。要領は同じだと、和泉は自分に言い聞かせる。
ゆっくり大きく、落ち着いて、と。
和泉の手に、白く光る刀が舞い降りる。相変わらず意味は分からずとも、こう動くべきなのだと身体が言うように、和泉は動く。やっぱり、陽の金の行とは、何かが違うと思う。
和泉自身の力を固めたようなこの刀に、陽の持つ獲物とは違う何かを感じながらも和泉はその刀を手に、その場で剣舞する。さっきまでの犀破の言葉に、ぐちゃぐちゃになりかけていた和泉の感情も一緒に少しづつ解れていく。
屋敷に変化した滋葵は、何かの危機を察したのか、屋敷全体が大きくわななき、室内のものが雑多に暴れ回るような動きをする。
しかしそれらは全て、凛の力で無力化していく。近くに控える白鹿も蹴りで和泉を守るかのような動きをする。やがて忙しなく動いていた屋敷が、調度品たちが、みるみる大人しくなっていく。少しずつ、和泉の力が効いている。
一方で凛は、特に反応していないようで、彼女には悪影響でないことがわかった。凛が味方だと証明できたようで和泉は安堵する。
驚くほど静まり返った屋敷の中。ぱちぱちと僅かに燃え残る火が爆ぜる音だけがする。そして、広い廊下にぽつんと、何かが横たわっているのが見えた。
和泉が恐る恐る近づいてみればそれは、大きな猫に見える。毛足が長く、体躯も大きい、ごく普通の猫というよりは山猫に近い。その猫の体とは別に、何か得体の知れない黒いものがざわざわと蠢いている。
「滋葵の本体よ。」
「えっ……!」
言うが早いか、凛はもうぴくりとも動かないその大きな猫に炎を浴びせた。
「犀破の蟲がかなり侵食してる、もう手遅れだからせめて早く逝かせる。」
「蟲って…じゃあ、滋葵も元はただの……」
犀破が言っていた。世羅が元はただの狐だったこと、犀破が力を与えて妖怪にしてやったと。実験体だと、悍ましい言葉を口にしていた。
「そう、私や世羅と同じ。彼もまた、本来はあなたを守るはずだった霊獣。」
無機質な凛の声に、和泉はほんの僅か揺らぎを感じる。世羅が斎の守と呼んでいた。犀破の話といい、斎王を守る為に一体どれほどの犠牲を払っているのかと胸が苦しくなる。
「思ったよりも決断が早くて助かったわ。あなたには散々酷いことをしたから、そう簡単には信じて貰えないと思ってた。」
「あ、いや……本当に犀破の側のままだったら、一緒に浄化しちゃえるかなって。」
「あら。結構打算的じゃない、ますます感心するわ。」
てっきり怒られるかするかと思った和泉は、少し笑う凜に拍子抜けした。
「今までの、凛と雰囲気が違ったから感覚では大丈夫かもって思ったけど。確信持ちたかった、ごめんなさい。
それに、私、陽も世羅も守りたい。死なせたくないから。」
和泉の決意の言葉に、凛は一瞬虚をつかれるがすぐに穏やかな表情になる。世羅と、同じ何かを慈しむようなそれでいてほんのわずかに悲しいが混ざる瞳。
しかし、突如和泉の耳に、何かが壊れた音が聞こえた。凛の反応からして、和泉にしか聴こえていないことがわかる。和泉は嫌な予感に苛まれる。結界が、壊れた音ではないだろうか、と。的中していると言わんばかりに、白鹿が今来た方向を見やる。その視線はひどく不安そうだった。
その不安は凛も汲み取ったようだった。
「世羅は、大丈夫よ。あんな小娘に遅れ取らないから。早く行きなさい、滋葵が消えて屋敷の火がまた広がってくる。煙に巻かれないうちに出たほうがいい。私が世羅に合流する。あなたは早く戻りなさい。」
「凛、ありがとう。」
和泉は、逸る気持ちを抑え、白鹿につかまる。白鹿はきちんと自身の背に和泉が跨ったことを確認して地面を蹴った。
誰もいなくなったはずのそこに、滓動かなくなった滋葵の燃え滓。そこから小さな百足が這い出たかと思うと、燃え滓はぼろぼろと崩れて跡形もなくなった。
*****
大広間。柱や調度品が動かされた結果、天井にかかっていたシャンデリアも落ちて散々な荒れようになっている。
陽は、和泉の張ってくれた結界と、陽自身の結界、それらを二重にかけて膝をついた状態でとどまっている。和泉の結界は穢れを防ぎ、陽の結界は物理攻撃を防いでいる状態だった。
きっとこの部屋の中は穢れで満たされているだろう。生身の体など一溜りもないほどに。
当然、陽への攻撃はやむ気配がない。突如、地を這うように蜘蛛の糸が迫り出す。
「下かよ……!?」
この光景は、依織を捕らえた陽の攻撃と似ていた。あのガキ、チクったなと舌打ちをする。
動けば死角が常に変わる、できればこのまま一箇所でとどまって耐久していたかった所だがそうも言ってられない状況へと変わる。明らかに格上、戦い慣れた犀破相手に隙はなかった。
ある程度は攻撃をいなすしかないと判断して、陽が立ち上がった時、屋敷が妙な揺れ方をする。まるで弾けるように、蜘蛛の糸が散り散りに消えていく。和泉が、滋葵を仕留めたことを察知する。
室内に充満していた穢れも霧散した。今が好機と判断し、犀破の元へ肉迫する。
しかし犀破がその手にもつ獲物…一振の刀が、結界を貫いた。
「……!?」
完全な不意打ち。まさか接近戦に武器を持っているとは想定していなかった。犀破の持つその獲物は、刀身が錆びきっているように見えるが、結界を打ち砕くには充分なようだ。
よく世羅に叱られたことを想い返す、間合い詰める時は気をつけろと。しかし、今は糸はない。仕留めるなら今だった。
「荊棘」
言霊で、その手に持つ金の行の強度を上げ、握り直す。もとは木の行の言霊を、金に適用する。薔薇の棘のような鋭利さを付与した。
金属と金属がぶつかり合う音が響く。犀破の持つ刀は錆びて見えるのに、陽の持つ金の行を押し崩していく。ガシャンガシャンと、音を立てて脆く崩れていく。たった今強化したはずの当然脆くはない行は、まるで腐った金属のようにあっけなく崩れていった。
「……っ、馬鹿力が。」
次の金の行を出しても、結果は同じだった。上、下、横、間髪入れずに繰り出される斬撃がいともたやすく打ち崩していく。
そしてまさにそのタイミングで、白鹿で翔ける和泉が合流する。
陽と、犀破が鍔競り合っている状態、手数が多いのも押しているのも、どう見ても犀破だった。
和泉の目には、まるで、スローモーションのように映る。大広間にひとつだけ、蜘蛛の糸が束のようになったそれは、明確な殺意を持って弧を描く。完全に陽の背後、死角から。
「陽……!!」
殺意の糸束は、嫌な音を立てて貫通した。陽の身体ではなく、華奢な和泉の身体に。
「和泉!?」
「お前が陽を庇うことは分かってた。」
糸が、和泉の身体を貫いたまま、するすると犀破の元へ戻る。柔らかいように見えて、それは人体を貫通する。わき腹が貫通したままのぐったりとした和泉を犀破が抱える。ぼたぼたと、血が落ちる。
「滋葵がやられたからここも長くは持たんか。お前も来るか?紅音がお待ちかねだと思うが。」
「誰が!?離せ!」
和泉が連れていかれる、それよりも前に。あの出血量はまずいと脳が警鐘を鳴らす。死という文字が頭をよぎった陽を前に、犀破は勝ち誇ったような笑みを浮かべる。
「ああ、これしきでは死なないから安心しろ。なんせ陰陽師様のご立派な不老不死の術がちゃあんと効いてる。」
「ぐっ……」
一方の和泉は、痛いとかそういうレベルではない苦痛が身体を駆け巡っていた。腹と言うよりは脇腹を貫かれている。強烈な悪寒が和泉の全身をかけぬけていく。手も足も痺れたような感覚でよくわからない。なのに、意識は薄れていかない。
今、犀破の肩に担ぎあげられる形で抱えられているこの状態。顔と手はちょうど犀破の背中で、犀破からは見えていない。今、和泉が動けるとは思っていないだろう、機会を逃す手はない。かろうじて動いた右手で取り出したのは、真っ黒なお札。
祈るような気持ちで黒い札を放つと、瞬時に、漆黒の丸い何か、それが、和泉の身体を包んだ。そしてその黒く丸いものは、和泉を抱えていた犀破の部分ごと抉るように現れた。
何かあった時の【奥の手】で渡したあの黒い札。霊力だろうと穢れだろうと一切を寄せ付けない結界。解除できるのは陽だけ。使うタイミングとしてはまさしくベストとしか言いようがない。
しかし、使った本人は腕を動かすので精一杯な上、意識があるのすらギリギリのところだ。不老不死だから大丈夫と犀破は豪語するが、助けないわけにはいかない。
一方で一瞬で四肢の四分の一を失った犀破は後退し、悶絶する。和泉にそんな力があるとは当然認識しておらず、陽が何かしたに違いないと瞬時に理解する。
「小賢しい……真似を……!」
初めて、犀破の表情から余裕が消えた、蜘蛛の糸の攻撃も来ない。今ならやれると陽は判断する。
「掛けまくも 畏き カグツチ、
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