ときはの代 陰陽師守護紀

naccchi

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第六章 鏡花水月~きょうかすいげつ~

第五十二話

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 翌朝。

 目が覚めた和泉が洗面所へ向かうと、既に顔を洗い終えた陽と鉢合わせた。

「あ、おは、よ、う。」

 朝起きて言うこと、だと結実ゆいに教わった挨拶。まだおぼつかない挨拶が狭い洗面所に響く。挨拶を投げかけられた陽は一瞬虚をつかれた表情をするが、すぐに不機嫌な顔に戻る。
 陽から同じ挨拶が返ってくることはなく、そのまま洗面所を出ていく動きは、不意に止まる。

「隠れんぼなら、できんのかよ。」
「う、うん……できた、と思う。」
「ふーん。」

 聞いておいて、陽は生返事をしたまま洗面所を出ていく。和泉はなんで聞かれたのか分からないまま、今日は陽が怒らないといいな、なんて思いながら顔を洗う。
 後追いで目が覚めた紅音たちがなだれ込むように洗面にやって来たのは、その直後である。もみくちゃになりながら顔を洗う子供たちが一斉に寿子ひさこにドヤされるのが、長い休みの恒例の光景であった。

 *****

 早々と朝食を終えた子供5人は例のごとく、神社の境内へ繰り出す。
 そのまま秘密基地に向かおうとする陽をみて、悠河はぎょっとした表情を見せた。このまま行けば、皆連れ立って秘密基地に向かうことになる。鬼ごっこすらまともに出来ない余所者を。そう感じた悠河が信じられないという表情で、陽の肩に手を置く。

「ちょ、陽!今から隠れんぼやるんじゃねえの。」
「別に、秘密基地あっちついてからでもいいだろ。それは。」
「え……?」

 悠河が何か言いかけるより前に、紅音が陽の頭をバシバシと叩く。

「え~!?なぁによ、それ~!和泉ちゃんとも遊びたいんだったら最初から素直にそういえばいいのに!」
「良かったね、和泉ちゃん。みんなで遊べるよ。」

 和泉は、何が良かったなのかよく分からなかった。でも、陽は朝みたいな怒った顔はしていないし、紅音や陸は笑顔だ。悠河だけが、イマイチ納得いってなさそうだが。それでも、良いのだろう。みんなで遊べるようにしてくれたのは、紅音と陸だ。その行為に対して、なんて言えばいいのか、少し悩んだのちに、思い至る。こんな時に言えばいい言葉を、結実ゆいはちゃんと教えてくれていた。

「ありがとう。」

 あったかい、ほわほわした気持ちが和泉の表情に乗る。つられて陸も笑顔になる。

「ほら、ぼさっとしてねえでさっさと行くぞ。」

 陽が再び先頭にたって歩き出す。境内から外れた、楫取神社の敷地内の森の中。一応敷地内とはいえ、秘密基地までの道のりは、足元は葉や小枝が散乱して、初めて来る和泉にとっては不安定なことこの上なかった。転ばないように下を見ながら慎重に、先頭を行く陽の後をついていく。
 その後ろにいた悠河からしたら、慣れた道だから焦れったいことこの上ない。

「……っ、さっさと歩けよ。」

 思わず、手で押しのけるように先を行こうとする。後ろからの急な予期せぬ押し込みに、和泉の身体が傾く。そのまま足が縺れた先は、傾斜がある。

「……っ!」
「和泉!?」

 思わず目をつむった和泉に、衝撃はこなかった。陽が抱え込むような体制になったから。
 咄嗟に出た陽の手は、小柄な和泉をすっぽり包む。そのまま地面に倒れこんでいったのは陽の身体で、和泉の方には衝撃はほとんど感じなかった。
 悠河としては、ちょっと転ばせてやろうくらいの、ほんの軽い気持ちだった。まさか陽が庇うことになると思わず、呆然としている。

「……てぇ。」
「あ……ごめん。あの。」
「悪い、どいてくれる?」

 陽の上に乗ったままだった和泉は慌てて降りる。
 何ともない、という風にすぐに立ちあがる陽だが、その表情が歪む。その痛みに顔をしかめたのを、和泉は見逃さなかった。

「痛いの?」
「はぁ?痛くねえしこれくらい。」

 口では虚勢をはっていたのが丸わかりだった。折れてはいないものの、左足をひねったように見える。

「痛いんでしょ。貸して。」
「お前だって、脚怪我してんじゃん。」

 転んだときに地面で擦りむいたであろう傷が、和泉の足にもあった。ほんの小さな擦り傷だが、それでも血が出ている。しかし和泉はそんなことも意に介さず、陽の左足首に触る。その周囲だけほんのり白く光り出すが、それは一瞬だった。光が消えると陽はその左足首をぐるぐると回せるようになる。

「痛く、ない。」
「良かった。」

 自分が怪我をした訳ではないのに、安堵の表情を浮かべる和泉。陽は思わず視線を逸らしたが、反対に紅音はわっと飛びつく。

「和泉ちゃんすごい。怪我が治せるの!?」
「すごいね……!陰陽連のお兄さんやお姉さんたちみたいだ!君も、そうなの?」
「え、あの、よくわかんないけど。でも、陰陽連、にはいたよ。」
「そっか!じゃあ和泉ちゃんも、そのうち僕らと訓練することがあるかもね!」

 陸が、紅音が、目をキラキラさせている。なぜそれが嬉しいのか和泉は分からないまま、目を見開いている。

「怪我、ありがとな。」
「え……。」

 普段大きな陽の声が、聞き取れないくらいかぼそい。思わず聞き返してしまった和泉に、返す陽の声はいつも通りの大きなものになる。

「だから!ありがとうって言ってんの!
 夏休み始まったばっかなのに怪我で遊べねえとかとんでもなく退屈になるとこだったから!!」
「ありがとうって、そんなに怒りながら言うことなの?」
「うっせえな、怒って……ねえよ。」
「怒ってないの?ほんと?
 ずっと……昨日も、怒ってない?」

 和泉の顔が、ぐいっと陽に近づく。急に詰められて陽は思わず無言で頷くしか無かった。怒っていない、それを認識した和泉はまた表情を綻ばせる。

「よかった!」

 無表情で、無反応に近かった小さな和泉は、まるで日だまりのような笑顔を見せる。その視線を逸らした陽の耳がほんのり染まっていることは、その場にいる誰も気づいていなかった。ただ一人、姿を消して見守る世羅だけが思わず吹き出しそうになる。

「お前は、怪我してねえの。」
「うん、平気。私は、すぐ治るから。」

 陽が、和泉の膝を指さす。地面にこすった時に怪我をしたのだろう。少し血が出ているし、枯葉や泥がついている。一方で、少し後ずさって顔を真っ青にしていた悠河が恐る恐る口を開く。

「あ、の……悪い、陽。俺そんなつもりじゃ」
「オレじゃなくて、こいつに謝れ。」

 悠河の顔が強張る。陽は「ん。」と言って和泉を見やった。そもそもお前が突き飛ばすからこうなったんだろう、と。謝る相手が違うことを、目で訴える。悠河は少し困惑するものの、和泉の方に向き直る。

「……っ、…………ごめん。」
「えと、うん、じゃなくて……えっと、いいよ?
 あの、私、みんなと違って、変なのわかってるから。だから……なにか、間違ってたら教えて。」
「わ、かったよ……。」

 沈んでいた悠河の深い灰色の瞳が少し、揺れる。なんでお前に謝らなきゃいけないんだと、よくない感情が渦巻く。陽が急に連れてきた、遊び方も知らないようなよくわかんない奴。でもきっと今その態度を出しちゃいけないんだと、悠河は心の奥底にぐっと押し込んだ。

「とりあえず神社の井戸使おうぜ。怪我、ほっとくとよくねーだろ。」

 怪我をしたらバイ菌がはいってよくないと、母が言っていたことを思い出し、陽は境内の横にある井戸に和泉を連れていく。なぜか普通に使えるのでたまに遊び場にもなっているのだが、今日はその綺麗な水を使わせてもらう。横にかけてあったバケツを下ろし、滑車の先についたロープを引く。上がってきたバケツは水をたっぷり湛えて上がってきた。その水を使って、和泉の足についた血を洗い流す。
 しょっちゅう怪我する陽は、よくこうして結実に洗われる。その時かなりの激痛のはずなのだが、ほとんどリアクションをとらない和泉を見て不審に思い、気づいた。血と泥が落ちたその足に、怪我はなかった。

「どうしたの?」
「あ、いや。」

 いくら小さな擦り傷でも、こんな一瞬で治るなどありえないことは、子供でも分かる。何かを言いかけた言葉にかぶさったのは、待ちくたびれた紅音の甲高い声だった。

「陽ー!和泉ちゃーん!早く行くよぅ!」
「わぁってるって!……行くぞ。」

 和泉の手を引く。怪我をしていないんなら、いい。見間違いだと言い聞かせ、バケツに残った水を井戸へ戻して、二人はみんなと合流する。

 結局5人連れ立って向かった秘密基地。大きな木の根元には、別の木かはたまたその木のものか、大きなカーブを描いた根がせり出している。そこに何本もの大きな枝が立てかけられ、ぽっかりと大きな空間を形成している。テーブル代わりの大きな石には、ビー玉やらシールやら、消しゴムなんかが乱雑に放り出されている。自然の中にところどころある人工物が、子供の遊び場であることを物語る。
 そして木の上には、足場が組んであり、ロフトのようになっている。下と上の二階層、立派な秘密基地だ。その光景をみた和泉の瞳は大きく開いている。

「ここが、ひみつきち?」
「そう!これが秘密基地!すごいでしょ???」
「おめーだけの秘密基地じゃねえだろ紅音。片付けろよ。」

 陽が石に置かれたきらきらしたシールを紅音に押し付ける。

「わかってますよーだ、みんなの秘密基地だよ。陽だって消しゴム出しっぱなしじゃん。バトルが終わったなら片付けなよ。」

 お返しとばかりに、紅音は消しゴムを陽へ手渡す。色も大小さまざま、いろんな消しゴム。どうやらこれで何か戦うらしい。

「今日から和泉ちゃんも一緒だよ。」
「すごい、すごいね。これ、みんながつくったの?」

 秘密基地に思わず目を輝かせる和泉に陸も笑う。

「あはは、まあ、ヒサばあちゃんとか、世羅さんにも手伝ってもらったけど。あと紅音ちゃんのお父さんとか。さすがに僕らだけじゃ難しかったよね……。」
「ほんとは一人一部屋ほしいよなー。」
「陽ってば、無茶言わないでよ。」
「なんで。5人いたらやれそうじゃね?」
「そっか、みんなで陰陽術がちゃんと使えるようになったら、できるかもね!」

 もう少し大きくなったら、もう少し強くなったら。自分たちはなんでもできる。
 そんな展望に満ちた明るい声が、秘密基地を包む。仲間が増えたことを歓迎するかのように、秘密基地の中心の木々は風でさわさわと心地いい音を立てていた。

 *****

 その日の夜。夕食は手伝いをするんだと意気込んだ紅音が包丁で指を切るだの大騒ぎだった。紅音が泣きながら動いたせいで、包丁が和泉にもあたりあわや大惨事。

 そんなはちゃめちゃの夕食を終えて、寿子ひさこの家の屋上。紅音の指は消毒して絆創膏でふさぎ、和泉は消毒しているうちに治ったのを世羅が確認した。そういうものだと、寿子ひさこも当然認識している。なぜか陽がそれを凝視していたので、先に風呂にはいれと追いやったところだった。
 そうして喧騒から離れ、さっき寿子が淹れてくれた緑茶を飲んでいた世羅の下に、一枚の紙が舞い降りる。手に取るとそれは、結実ゆいからの式神だった。陰陽師たちの通信手段である。

「あの子ら、まあどうにかうまくやってるよ。」
「それならよかった。まあ、一悶着くらいは覚悟してたんだけど。」
「なんだかんだで、陽がちゃんと面倒見てる。僕が釘を刺したのもあるけど、わけでもなさそうだしね。」

 式の向こうの結実ゆいが笑っているようで、式がふよふよと揺れる。

「盆には一度そっちにも行くけど、何かあったら遠慮なく呼んでね。母さんも頼っていいから。じゃあ、よろしく~。」

 話したいことを話したいだけ言って終わるのはいつも通りの結実ゆいだ。変わらない彼女の様子に苦笑しつつ、世羅もそろそろ寝るかと階下に降りていく。ちなみに子供たちは順番にお風呂に入っているようで、お風呂場からきゃあきゃあと騒ぐ声が聞こえてきていた。あれだけ険悪に見えた雰囲気はたった数日ですっかり払しょくされたようだ。

 その頃、陰陽連。

 世羅に様子を聞いていた結実ゆいもまた、仕事が一区切り着いたのでそろそろ帰路に着こうかと荷物をまとめる。今日はある神社の例祭準備出来朝から駆り出されてくたくただった。
 式をしまい、帰ろうと廊下に出たその時後ろから背中をポンと、叩かれる。

 振り返れば結実ゆいの同僚でもあり友人の、正堂呉羽くれはがそこにいた。お洒落に気を使う彼女らしい明るい杏色の髪、そのシニヨンスタイルが今日もばっちり決まっている。右手にはすぐ近くの自販機で買った甘いカフェオレを持っている。

「お疲れ様。今帰り?」
「うん、呉羽くれははまだ仕事?」
「あたしは終わったんだけど、上から呼び出し。なんかしたかなぁ、心当たりないけど。
 それより!いつもごめんね、うちの紅音も預かってもらっちゃって。」

 呉羽くれはの夫、親芳ちかよしが陰陽部所属のこともあり、正堂家とは家族ぐるみの付き合いだ。たまに陽も預かってもらうことがあり、持ちつ持たれつであるのは事実。それでも、親しき中にも礼儀ありの認識は、結実ゆい呉羽くれはも忘れることはない。

「いいのいいの、こっちこそいつもウチのと遊んでくれてありがとうね。またごはんいこ。」
「そうね、お互い忙しいし、ランチくらいならすぐいけるかも。」
「わかった、じゃあ、お先に。」
「お疲れ様~。」

 和泉も陽たちとどうにか仲良くできていそうだし、世羅も落ち着いている。いつもとは違う夏休みだけれど、大丈夫。結実ゆいは自分を鼓舞するように言い聞かせて、未だ明かりが灯る陰陽連を後にして、帰路についたのだった。
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