ときはの代 陰陽師守護紀

naccchi

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第八章︎‌ ‌厭離穢土〜おんりえど〜

第七十話

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 陽は神社の境内前から階段を下る。一段飛ばして降り、最後の数段はまとめてショートカット。着地した両足がじんわり少し痺れても構わない。そのまま寿子の家の2階を駆け上がる。いくら体力があっても、急に走り出したせいで息があがっていた。

「和泉!」

 部屋に入るなり向けた和泉のぼんやりした表情に、息を飲んだ。一瞬宙を泳いだ空色の瞳に、一気に不安が増幅する。

「陽……。」

 淡い空色の大きな瞳の、焦点が合う。か細い声。でもはっきりと、名前を呼んだことで陽の不安は杞憂に消える。

 忘れてない。

 消されていなかった。……覚えてて、くれている。

 手が伸びて、そこから和泉が抱きしめられるのは早かった。腕は背中に周りすっぽり収まるくらい。和泉に、少し早い陽の心臓の音が聞こえてくる。

 怒るでもなく、問い詰めるでもない、陽の動きに和泉は虚をつかれた。手だけじゃなくて、あたたかい全身に痛いくらい包まれる。

「……っ!?」
「覚えてて、安心した。」

 抱きしめられた和泉の頭上から降ってくる震えた声は、本心から安堵したものだった。助けに来てくれたのも、本気で心配してくれたのも分かった。

「覚えて、て……なんで……」
「忘れてたら、謝っても意味ねぇだろ。
 勝手に自分の言いたいことだけ言って、困らせて、その返事が思ってたのと違ったからって逃げて。………ごめん。」

 間を置いて告げられる、陽からの謝罪の言葉。和泉が、拒絶したあの時の事を言っているのだとわかる。
 和泉に、一層罪悪感が募る。酷いことを言っておいて、迷惑かけて、こんなに、大切にされる価値なんてないのだと、苦しい気持ちがこみ上げる。

「ちが……私が、悪いの。思ってもないこと言って、勝手に傷つけたくせに、後悔して……ごめんは、全部、私の方で。」
「んなの全部分かってる。分かってたくせに、意地張ってたオレが悪い。……陸にも、悠河にも、怒られた。」
「それに、その事だけじゃない……私、取り返しの、つかないことした。」

 ちゃんと言わなければと、その腕から顔を上げた和泉は一瞬躊躇った。気を失う前の、血みどろの手がフラッシュバックする。とっくについていないはずの返り血が、映像としてこびりついている。この様子じゃ、たぶん陽はまだ知らないのだ。
 けれど、寿子ひさこをその手にかけてしまったと言えば、また、傷つけるかもしれないと。
 今度こそ、嘘も何も無く、事実として本当に傷つけてしまう。

「どうした、何かされたのか。」
「そうじゃ、なくて。」

 されたんじゃない。してしまったこと。
 その躊躇いをずっと後悔することになるとも知らずに言い淀んでしまう。

「陽に、触らないで。」

 その気配に、まるで気づかなかった。部屋の入口に立つ、紅音の姿。
 その声を聞いて、ほとんど反射で、陽が前へ出た。その様子を見て、紅音は戦うつもりはないという意思表示か両手を上げる。そして、侮蔑の視線を和泉にぶつける。

「あなた、おばあちゃんを殺したくせに、よくそんな態度でいられるわよね。」
「……っ!」
「何の、話してんだ、紅音…」

 紅音の発言に青ざめる和泉に対して、陽はその意味が分からなかった。

「あたし見たんだから。
 首を斬ったところ。よりによって、彼女の使ってた武器で。……ありえない。
 で、その後は遺体は、ご丁寧にあの妖狐が燃やしてたわよね。あなたのやった証拠でも隠すためかしら?」
「……っ!」

 そこまで紅音が言って、陽はやっと後ろにいる和泉を見た。震える和泉の姿は、紅音の言葉を是としている。紅音はけらけらと笑っている。

「紅音の言ってること、本当に……?」
「自分が記憶なくすの嫌だからって、手にかけたんでしょ。
 斎王さいおう様は、お綺麗でいなきゃいけないんでしょ?穢れを嫌うんだって聞いたわ。それを逆手にとって、死の穢れでその責務を放り出そうとしたのね?
 そんなあなたが、なんでまだ陽に縋れるのよ。陽の両親が死んだのだってそう、全部あなたのせいじゃない。」
「和泉……。」
「ごめ……なさい。私、止められなかった。」

 陽の声もまた、震えていた。
 否定を出来たらどんなによかっただろうか。溢れた涙のせいで喉に言葉がつっかえる。ごめんすらまともに言えないくらいに。

「ごめん……ごめん、なさい……!」

 どうにか絞り出した声は、苦しい息を孕んだ。
 私がやった、殺してしまった。助けなきゃ、いけなかったのに。心が、押しつぶされそうなくらい苦しい。そして、なんでやった自分がこんな苦しいのかと、苦しむ資格はあるのかと罪悪感もまたそこに乗ってくる。

「やめなよ、紅音ちゃん。」

 緑の浮遊する光が、和泉の前でその羽を羽ばたかせる。部屋に入ってきた異質な陸の姿を見ても、紅音は一切動じなかった。和泉を睨むその視線がより、鋭くなるだけ。

「あ~あ。陸もそんな姿になっちゃって。」
「……何しに来たの、紅音ちゃん?」

 蝶の姿で凄んでも、紅音には響いてない。

「陸がそんなになっちゃったのも、やっぱりあなたのせいね?」
「紅音ちゃん!」
「紅音、お前がなに怒ってるのか知らねえけど。俺ら、陰陽連に利用されてただけなんだよ。お前の記憶だって消されてたんだ。」

 陸に続いて、悠河も入ってくる。紅音は結実ゆいの記憶を知らないだろうと思っての、説得のつもりだったが、紅音はそんな悠河の思惑を見透かしたように笑って吐き捨てる。

「知ってるわよ、全部思い出したんだから。……むしろ、悠河は知らなかったわけ?」
「じゃあ知っててやってんのか、紅音!」
「だから余計に許せないんじゃない。
 みんな、思ったんじゃない?……あれ?結局誰が悪いのって。」

 陽が息を飲んだのを、和泉は感じる。渦中にいつも、和泉がいる現実を紅音が容赦なく突きつける。鼓動が早くなるのに、何も言葉が出てこなかった。

「どうすればこんなことが終わるかだって、みんな分かってるでしょ?」

 煽る紅音の声。突如、陽は紅音の右腕を強く握る。それは明らかに人体にそぐわない、ぐしゃりとした紙のような音を立てる。その音で、目の前にいる紅音が式であることがその場にいる全員に分かる。

 陽の方を振り向き、にこりと笑う紅音…の式は、その表情を一気に崩し、しまいにははらりと落ちた人形ひとがたのみになった。

「陽、あのさ……。」
「悪い、ちょっと疲れたからさすがに休むわ。」

 陽に近寄ろうとした陸はそれ以上何も言えなかった。振り向き、和泉を見るがすぐに視線は外される。そのまま陽は1人で部屋を出ていった。

「んだよ、陽が、一番心配してたくせに。」
「私、心配される道理なんか、ないよ。だって、紅音ちゃんの言ってること、本当、だから。」

 すんでのところを助けてくれた寿子ひさこに、自死を強要されたことを話す。その死の穢れで、今はおそらく斎王としての資格を失っているであろうことも。それが、たとえ寿子の意思だったとしても、あそこで止められるのは自分しかいなかった。

 陽の唯一の家族をこの手で殺した。その事実はどう足掻いても変わらない。後悔しても、しきれない。

「だから、紅音ちゃんを人間に戻すことも出来ない。……きっと、もう自分で、まともに戦うことも、できない………!」
「ヒサばあちゃんの選んだ最期なんだろ、それ。アンタが責められることじゃない。
 ばあちゃん、優しい口調で頑固だから、俺らが騒いだところで止められねえんだよな、昔っから。」

 悠河が部屋に合ったティッシュを、涙でぐしゃぐしゃの和泉へ手渡した。バツが悪そうに頭をかいている。

「ったく、長ぇ喧嘩だよなほんとに。勘弁しろっての。」
「悠河もこれで、ちゃんと心配してるから。
 和泉ちゃん、体の方は、大丈夫?どこか痛いとか、辛いとか、ない?」
「……大丈夫。ちょっと体が重い気はするけど、怪我とかはしてないから。ありがとう、陸、悠河。」

 悠河が背中をさすってくれるうちに、しゃくり上げるほどの昂りは少しずつ治まってきた。同じく和泉に寄り添ってくれていた陸が、ふわりと飛び立つ。

「僕、ちょっと陽探してくるよ。陽のあの様子は、少し心配だし。悠河は?」
「飯の準備する。誰かやんなきゃだろ。カレーはまだあったからサラダくらい用意する。」
「へえ、マメじゃん悠河。」
「うるせえ。本当はお前も手伝えって言いたいけど、そんな身体じゃなんもできねえからな。仕方ないからやってやる。」

 一人と一匹が、ぎゃいぎゃい言いながら部屋を後にする。和泉はそんなやりとりを見て、少し不器用に笑うしか、できなかった。


 *****


 一方で、一人飛び出した陽は、行くあてもないまま、神社の森にまるで逃げるように来てしまった。
 混乱する思考を、深呼吸してゆっくり落ち着けていく。安堵の気持ちから一転、脳内はいろんな感情が交錯する。ぐちゃぐちゃで、わけがわからなくなりそうだった。
 
 左手には、紅音の式。

 くしゃくしゃになったそれを開けば、鼻腔をくすぐるようなあまったるい香りが立ち上る。書かれているのは紅音の書いた、癖のある丸文字。それは、甘言か、讒言か、それとも。


 ーーー準備ができたら、いつでも呼んで。迎えにくるから。
 あたしは、あなたがいればそれでいいから。


 周囲を見渡し、誰もいないことを確認する。紅音の式は、また陽の掌が握りつぶしていた。
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