【完結】ニュートンの忘れ物

高城蓉理

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アルキメデスと嘘の当事者

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 学校の先生は、尊い存在だと思っていた。
 常に真面目で、曲がったことなど言語道断。まさに大人の理想みたいな人生を送っていて、清廉潔白な生活をしているのだと信じていた。

 だから私は高校生になったとき、担任には少しばかり幻滅した。
 院卒一年目とは聞いていたけど、教育に対して情熱的な部分はまるでない。授業はともかく、その他のクラスにまつわることは学級委員に丸投げで、私は一学期の間、担任には翻弄させられてばかりだった。

 そう……
 私は担任のことが得意でない。
 むしろ少し距離を置きたいくらいだった。
 それなのに……
 気付いたときには、林檎が地面に吸い込まれるように、私は大人が魅せる気まぐれな優しさに、あっさりと陥落していたのだ。
 




◆◆◆◆◆



 うわっ、何でこんなところに先生がいるのっッ。
 ……っていうか、寝てるよね?
 
 お盆を過ぎ、夏休みの残りを数えては悲壮感が漂う、昼下がりのことだった。
 私は登校日の雑用で、学校の屋上に来ていた。
 だがしかし、何故かその入り口のドアの前には担任がいて、階段に座って昼寝をしている。

 いくら苦手だといっても、さすがに起こしてしまうのは忍びないし、どちらかと言えば、必要以上に関わりたくはない。
 私は致し方なく、恐る恐る先生の様子を覗いてみた。
 大人の男性の寝顔なんて、父親以外に見たことなどない。端正な顔立ちは、少しだけゴツゴツとしていて、肩幅も同級生の男子たちよりも一回りは がっちりとしている。鬱蒼とした前髪から、ちらりと覗いた睫毛は、思いの外 長く感じられた。

 不覚にも私は……
 普段、絶対的に見ることなどない、大人の無防備な姿に、少しだけドキドキしていた。


「…… 」

「あっ…… 」

 先生が動いたような気配がして、私は慌てて右手を引っ込める。でも両腕に抱えていた荷物は空気を読んではくれなくて、私の慌てた動作につられて、ガラガラと大きな音を立てていた。

「……んっ? 荒巻? 」

「えっと、その…… 」

「あのさ、近いんだけど? 」

「すっ、すみませんっ 」

 私は咄嗟に謝りながら、先生から距離を取ると、本来の目的である屋上の入り口へと身体を向けていた。
 自分でも、何故手を伸ばしてしまったのかは わからない。よりによって、大人の寝顔に興味を抱いてしまうなんて、どうかしているさえ思えた。


「あの…… 何で先生が、こんな場所にいるんですか? 」

「昼寝だよ 」

「昼寝? 」

「ああ。夏休みで生徒もいないのに、毎日律儀に学校に来たって、やることがないんだよ。職員室じゃ、堂々とサボれないし、物理科は準備室もないからな。つーか、誰にもチクるなよ? 」

「……もし、私が誰かに告げ口をしたらどうしますか? 」

「大人を からかうんじゃない 」

「本気だって、言ったら? 」

「お前さんは、俺なんかよりもよっぽど大人だろ? 」

「…… 」

 大人ならば、寝ている人間に対して手を伸ばしたりなどしない。だから先生は、まるで私のことなど分かっていないと思った。
 でも先生は、私が触ろうとしていたことには、どうやら気が付いていないようだから、こうなったらもう否定も肯定もしたくはなかった。

「……先生こそ、こんな風通しの悪いところにいたら、熱中症になりますよ? 」

「それは、こっちの台詞だよ。つーか、お前さんは、こんな暑い日に、両手いっぱいに何を抱えてるんだ? 」

「……流木です 」

「流木? 」

「ええ。文化祭のときに校門に配置するアーチを、廃材で作るんです。毎年この学校はエコをテーマに文化祭をしているそうなので、この前 都内の祖父母の家に里帰りしたときに、浜辺で拾ってきました 」

「それが何で、屋上になるんだ? 」

「乾かすんですよ。湿気があると、加工がしづらいので。暫くは雨の予報も無さそうなので、導線の邪魔にならない場所で干しておこうと思って 」

 私は端的にそう答えると、流木を左手に集約する。すると先生はその様子を汲んでくれたのか、スクリとその場を立つと、私の代わりに扉を開けてくれた。

「あっ、ありがとうございます 」

「どういたしまして 」

 私は段差に気を付けつつ、流木を抱えたまま、屋外へと繰り出した。年季の入ったコンクリートを擁する屋上は、日差しを照り返していて、異様な暑さを放っている。そして何故か、先生は私の後ろをくっついて歩いていて、私の様子を観察しているような視線を感じた。

「……荒巻ってさ、いつも真っ直ぐだよな 」

「えっ? 」

「そんなに常に頑張ってて、疲れたりはしないのか?
 少しは緩急をつけて、手を抜くことを覚えたらどうだ 」

「……嫌ですよ 」

「へっ? 」

「一生懸命に何かをして報われるのって、学生時代の特権ですから。私は全力でやらせてもらいます。だから先生は、私の努力は認めてくださいね 」

「あはは。そうだな。学生って、自分の意思で何でも決められるから いいよな 」

「はあ……? 先生は、何か悩みでもあるんですか? 」

「まあな。大人は色々あるんだよ。毎晩、アルキメデス並みに、風呂のなかでは考え事でいっぱいだな 」

「……大人って、大変ですね 」

「まあな。ただ俺の悩みは、現時点では解決できる手立てもないんだけどさ 」

「あの、私には事情はわかりませんけど、報われるといいですね 」

「そりゃ、ご親切に。労いをどうも 」


 私は片手間に先生と喋りながら、携えてきた流木を屋上へと並べていた。

 汗が地面に滴るくらいには、屋上は残暑が厳しい。
 そもそも、この流木たちは、一体どこからやってきたのだろうか。大海原を旅することが出来るのは、空気をたくさん含む種類の木だけの特権だ。でもまさか、最終到着地が岐阜の温泉街になろうとは、思ってもなかっただろう。


 何だか、急に身体が軽くなった気がする。
 浮力のことなど、考えていたからだろうか……
 
 そもそも、アルキメデスが浮力の原理を発見した経緯は、嘘を見抜くためだった。
 王様から王冠が純金でできているのか、それともほかの金属が混じっているのかを調べるよう命じられて、アルキメデスは相当に困っていた。そして解決方法を悩みながら入浴していたとき、浴槽につかった自分の身体と同じ体積の水が溢れて、体が軽く感じられるのに気づいた。そこにヒントを得たアルキメデスは、王冠と同じ重さの金を沈めて、その容器に残った水の量を計測した。二つの重量は同じはずなのに、残った水の量は異なった。
 その結果、王冠には銀の混ぜ物がされていたことが判明し、職人が無断で金をすくねていたいたことが分かったのだそうだ。

 浮力が論理的に説明されるようになった過程は、嘘を見抜くための歴史であり、物事を偽ることは出来ないという正義の発見でもある。だけど嘘を見抜くなんて、実際にはそう容易なことではない。
 私は、何も暴かれたくない。
 それならば、最初から嘘や偽りなどしなければいい。だから私は、いつも真っ直ぐでいたかったのだ。


 遠くの方で、聞き慣じみのある声が、私の名前を呼んでいた。
 でも、何故だろう……
 身体が、思うように動かない。
 プツリと真っ暗に途切れた記憶は、上下左右に揺れていて、まるで雲の上を歩きながら、海に浮かんでいるような心地よさだった。

 火照った身体が、ひんやりとする。
 そして何か柔らかいものが私を捉え、乾きを潤すように喉元に水が注がれると、その冷たさが妙に気持ちが良かった。

 そっか……
 私はいま、夢を見ている……
 でも、それにしては、妙に生々しい温もりがあった。
 何だか、ずっとこうしていたい。
 私を包むその腕は、何故かとても逞しくて、つい安心してしまうような優しさが含まれている気がしていた。


「……んっ 」

「……鞠子? 」

「えっ、先生? 」

「目ぇ、覚めた? 」 

「……あの、ここは? 」

「保健室だよ。お前さんさ、屋上でぶっ倒れたの、覚えてないの? 」

「えっ? 」

「養護教諭は、軽い熱中症だって言ってたけどさぁ。俺は生きた心地がしなかったぞ? 」

「……ご迷惑とご心配をかけて、すみません 」

 こちらを見下ろす先生の視線が痛くて、私は思わず布団を被った。何だか胸元はびしょびしょしていて、余程汗をかいたらしい。そう言えば、今日は一日中、風通しが悪い教室やら、炎天下の屋外にいたから、脱水症状になっていたのかもしれない。

「あの…… 」

「なに? 」

「私、ここ保健室までどうやって来たんですか? 」

「……お姫様だっこ 」

「へっ? 」

「冗談だよ。俺が肩を貸してやったら、自力で歩行してたけどな。覚えてないのか? 」

「あの、すみません…… 」

 どうやら私は、盛大に先生に迷惑をかけてしまったようだった。先生がたまたま屋上で休息中でなかったら、私は危なかったかもしれない。そう思うと、先生の素行の悪さに、今だけは感謝だった。

「……じゃあ、俺は三十分後に また迎えに来るから 」

「えっ? 」

「悪いけど、まだ残務があるんだよ。だからちょっと待ってて 」

「いや、そういうことではなくて…… 迎えって? 」

「今日はお前さんの家まで、俺が車で送ってく 」

「えっ? いや、私はもう大丈夫です。もう動けますし、一人で帰れますから。それにこれ以上、先生に迷惑を掛けるわけにもいかないので…… 」

「別に迷惑なんかじゃない。親御さんも仕事があるから抜け出せないだろうし、それに家に帰りつくまで俺が心配なんだよ 」

「…… 」

 不良教師で、適当教師だと思っていた。
 それなのに今は踵を返したように先生が優しくて、私は呆気に取られていた。

「あの…… 」

「何だよ 」

「さっき、もしかして私のことを名前で呼びましたか? 」

「…… 」

「否定はしないんですね…… 」

「アホ。そんなことを言っている余裕があったら、ちゃんと水分補給しとけよ。そこに水があるから 」

「ちょっと、はぐらかさないで下さいよっッ。ねえってば! 」

「……俺の行く末も大概だな 」

「はあ? それ、どういう意味ですか? 」

「お前さんはさ、いつも真っ直ぐで、危なっかしいんだよ。少しは自分の胸に手を添えて、心当たりを考えろ 」

「……? 」

 私には、先生の言っていることの見当が、まるで付かなかった。
 私は先生の挙動に納得は出来なかったけれど、仕方なくテーブルに置かれたペットボトルを確認する。
 水の中身は、定量よりも少し減っているようだった。記憶にはないけど、水を自力で飲めたのなら、やっぱり重症ではないのかもしれない。
 
 先生は義務で、私を助けてくれたのだろう。
 でも、あんな言葉を掛けられたら……
 気にしない方が、私には無理だったのだ。






 そう。
 あの夏の、あの日……
 私は、恋をしてはいけない相手に恋をした。
 
 屋上になど、行かなければよかった……
 それなら、こんな思いはしなくて済んだのだ。
 
 私の純金の冠には、銀が混ざってしまった。
 決してバレてはいけないし、水に浮かんでしまうことも許されない。
 私の絶対的な秘め事は、子供が大人に抱いてはいけない、口外は出来ない感情で、あの日の先生が優しかったのがいけないのだ。



 あの頃の私は……
 先生が仕組んだ狡い嘘に、気付く余地などまるでなかった。
 私がこの日の真実を知るのは、私と先生の間に、元教え子という肩書きがついた頃の、夏の昼下がりのことになる。







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