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神は僕と彼女に祝福を与えた
僕は彼女をロンドンに迎えに行った
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・・゜・
・゜・゜・
゜・ ・゜・・゜・ ・
゜ ・゜゜・ ゜・・゜・゜
゜・゜・゜゜・゜・
麻愛のことは、一日も忘れたことがない。
それがこの場合の正解な回答だと思うけど、僕の場合はそうは言い切れない部分が多い。
僕は麻愛と離れてから、毎日を必死に勉強をしていた。自分の能力の限界なんて、とっくに超えていたのだ。
だけど、もし麻愛から同じ言葉を返されたら、僕はめちゃくちゃ傷付くと思う。
だから、このことは……
僕の胸のうちだけに秘めておくことにした。
・
・・゜・
・゜・゜・
゜・ ・゜・・゜・ ・
゜ ・゜゜・ ゜・・゜・゜
゜・゜・゜゜・゜・
選りに選って、何で僕のフライトを選ぶかな……
僕は英語しか聞こえてこない異空間で、見知らぬ土地を慎重に歩いていた。
やっぱり航空券をケチらないで、直行便にしておいた方が、急なアクシデントがあっても多少はリスクヘッジが出来たかもしれない。後の祭りという単語が僕の脳裏を掠めていたけど、もう終わってしまったことだから、あまり深く考えるのは止しておくことにした。
僕は二十年ちょっとの人生の中で、初体験の真っ只中にいた。
初めて日本を飛び出して、英国のヒースロー空港へと降り立っていたのだ。
ただここに来るまでの間には、色々と受難が続いていた。成田を飛び立つときに、機材のタイヤがパンクしたとかで急遽交換をすることになり、僕はドバイでのトランジットに失敗した。僕は接続ミスでドバイからイギリスに向かう飛行機に置いていかれる羽目になったのだが、振り替え便の手配やら、その後も慣れない土地で英語だけのやり取りに四苦八苦をすることになった。
外国に降り立つのも初めて、もちろん長距離の飛行機に乗るのも未経験だったから、想像以上に身体は疲弊している。それにこの二年間くらいは、殆どの時間を大学の法学対策室で過ごしていたから、身体はだいぶ鈍っているといっても過言ではない。
僕は何とか入国審査とか諸々を潜り抜けると、とにかくイグジットの文字だけ目指して歩いていた。
何十時間も見知らぬ場所にいたから、とにかく心細くてしかたがなかったのだ。
僕はフェンスに並ぶ出迎えの人々の中から、東洋人の黒髪を探していた。その人には一度しかあったことはないけど、顔の印象はハッキリと覚えている。
「あっ…… 」
「おっ、恒星くん? 」
「逆瀬川さん、すみません。フライトが何回もキャンセルしちゃって 」
「まあ、国際線では珍しくないから、あんまり気にしなくていいよ。ところで、恒星くん、少し背が伸びたかい? 」
「ええ、まあちょっとだけですけど。すみません、お忙しい中、わざわざ迎えに来ていただいて 」
逆瀬川さんは、麻愛が帰国したのを期に、イギリスにも拠点を置いて活動をしている。一年の半分くらいは一緒に暮らしているらしく、今回は僕の迎えを買って出てくれた。
「どうせ俺は暇人みたいなものだから。迎えがマーガレットでないのは、申し訳ないけど 」
「いや、そんなことはないです。助かりました、僕一人じゃとてもじゃないけど、ロンドンまでは行けないんで 」
「マーガレットもな、書面上は退職はしたんだけど、引き継ぎが完了しないみたいで、まだ毎日のように病院に通ってるんだよ。本当は空港で五年ぶりの再会で感動のハグアンドキスって展開だったのにな。ちょっと残念だったな 」
「いや、そんなことは…… 」
逆に麻愛が迎えに来なくて、ちょうど良かったかも知れない。もし麻愛がこの場にいたら、再会の喜びよりも一人旅の心細さから解放された別の感情で、号泣することになっていただろうから。
◆◆◆
麻愛がイギリスに帰国してからは、僕らはビデオ通話やメールをやり取りして、頻繁に連絡を取っていた。
と言っても、英国と日本では時差が八時間から九時間あるから、どうしても甘い話は盛り上がらず、近況の話とかライトな内容が大半だった。特に僕が進学の都合で東京に出てきてからは、隣の部屋に匡輔がいるというリスクもあって、それに追い討ちがかかった感も否めない。
僕としては匡輔とは進学した大学も違うし、ルームシェアは全く気が乗らなかった。だけど金銭的な面と、互いに他の女子を連れ込めないから監視をし合えて一石二鳥ということで、匡輔に無理やり押しきられた。
でも匡輔は数ヵ月に一回、上京してきた椿と外泊したり、繁忙期には下呂に頻繁に帰っているから、この条件は僕に得な要素はあまりない共同生活になっている気がしていた。匡輔は四年になってからは、下呂に拠点を戻して旅館の仕事に従事している。週に一回ゼミの日だけ夜行バスで上京してくるけど、いなければいないで寂しいと思うこともあるものだ。
麻愛が帰国してから暫くして、僕らは互いの親に自分たちの交際を報告をした。
僕は、父さんに小一時間叱られて、嫁にはやらないと意味不明な嫉妬を向けられた。そして母さんからは、あの晩に手を出していないか、彼女に傷をつけていないかと貞操を疑われ、とにかく四方から散々な目に遭った。
一方で逆瀬川さんは、麻愛が僕の話をしたら、とても祝福をしてくれたらしい。それが僕にとっては何よりもの救いで、唯一安堵出来ることだった。
「そういえば恒星くん。試験は全日程が終わったんだって? 」
「ええ、はい。ただ受かってるかどうかは、際どいラインではあるんですけど…… もし駄目だったら麻愛には申し訳ないんですが、来年またチャレンジさせて貰おうかと 」
「いやいや。法律の勉強を始めて二年で予備試験に合格して、本試験の二次まで進めたら大したもんだろ。凄いな、めちゃくちゃ頑張ってるじゃないか。もっと誇っていいと思うぞ 」
「……ありがとうございます 」
僕は都内の大学で法律を専攻するために上京して、三年生であった昨年に司法予備試験に合格することができた。
そして現在は司法試験の二次試験の結果待ちという身分で、何年か振りにペンを持たない日々を過ごしている。
麻愛はイギリスに戻ってからの五年弱を、ロンドンにある病院の心臓外科医として勤務をしていた。まだ成人をしていない医者ということで、周囲の対応には当初はめげることもあったと言っていたけど、今は関係各所から慰留をされて、退職が決まるまでには一悶着があったらしい。
麻愛はこの度、二重国籍を放棄して日本国籍を選ぶことになった。
苦渋の選択ではあったけれど、医師国家試験受験資格認定を利用して、来年の春を目処に、麻愛は日本で医者として働くことを目標としている。
残念ながら僕は英語に特別長けているわけでもないし、海外での生活力は皆無に等しい。だから僕のために麻愛が母国を離れるようなことになったのは申し訳ない気持ちでいっぱいだったけど、彼女はイギリスには恩返しをしたから気にしなくていいと、前向きなことを言ってくれていた。
「恒星くん、あっちに見えるのが、エリザベスタワー。所謂、ビッグベンってやつだね。この脇を流れてるのがテムズ川。君の故郷にある飛騨川と比べると、見た目の流れは穏やかかな 」
「…… 」
「まあ、暫くはこちらに滞在するんだから、夏休みだと思ってゆっくりしていくといいよ 」
「はい 」
僕は逆瀬川さんとタクシーに乗り込み、ロンドンにある麻愛の自宅を目指していた。十数時間、飛行機に揺られ続けた長旅の疲れと時差ボケが酷くて、取り敢えずは身体を休めたいと思っていた。
僕は昔、シャーロック・ホームズに夢中だったことがあるのだけど、ロンドンの街は まさにあの物語の世界が広がっている。赤茶色の煉瓦の建物と近代的なビルが入り交じり、石畳の道路にはカラフルな車が走っている。ここは霧の都というくらいだから、どんよりした空模様を想像していたけど、今日はとても清々しいお天気に恵まれていた。
「恒星くんは、イギリスでどこか行きたいところはないのかい? 」
「えっ? 」
「せっかく遥々、こんな遠くまで来たんだし、見たいところはないのかい? 」
「ええ、まあ、あるにはあるんですけど…… 麻愛に相談して連れて行って貰おうかと 」
僕が今回、イギリスに来たのには訳がある。
一つは麻愛が引き上げる前に、彼女の故郷であるこの国を知っておきたいと思った。
そしてもう一つは、恵倫子さんの墓前に一度頭を下げておきたいと考えていた。
「そういえば…… あっちの角を曲がったところのアパートが、アルバート君たちの家だけど。在宅かはわからないけど、一応寄っていこうか? 」
「あっ、いや、大丈夫です。佳央理はこの前 里帰りしたときに会いましたし、アルバートには会う理由もないんで 」
「アハハ、まあそれもそうか 」
僕は逆瀬川さんの申し出をやんわりと断ると、またロンドンの街へと視線を移した。
佳央理は何年か前に、待望の看護留学を果たして、麻愛とは違うロンドンの病院で看護師として働いている。佳央理はいつの間にかアルバートと非常に仲良くなっていたようで、気付いたときには一緒に暮らすようになっていた。
麻愛は双方から馴れ初めを聞いているらしい。だけど僕は敢えてそれを耳に入れないようにしているから、詳しい事情は関知はしていない。アルバートとは そのうち顔を会わせるだろうから、現段階ではパスしておくのが懸命だと思っていた。
「恒星くん。もうすぐ、マーガレットのアパートに着くよ。引越の準備をしてるから、かなりスッカラカンで殺風景な風景だけど。眺望はいいから、ゆっくりするといい 」
「はい、ありがとうございます 」
逆瀬川さんは、麻愛がイギリスから日本に移住するのを機に、再び世界を放浪しながらフォトグラファーとしての活動をするのだそうだ。
麻愛は大人同然に働いてはいるけれど、あくまでもまだ二十二歳の若者だ。だから麻愛が落ち着くまでは、距離を詰めて見守りたいと、英国に滞在する時間を長く取っていたのかなと、僕は勝手に推察していた。
「恒星くん、マーガレットのこと、宜しくな 」
「はい。ただ、いつも僕の方が麻愛には支えられてるんで…… 」
「そんなことも、ないみたいだけどな 」
「えっ? 」
「いや、何でもない。詳しくはマーガレットに聞いてみてくれ。それに僕も君には感謝しているんだ 」
「はあ……? 」
そういえば、麻愛は僕の何がいいんだろう……
聞いてみたことはないし、明言されたこともないから、考えたことがなかった。
今更、恥ずかしくて聞くに聞けないけど、これからはずっと一緒だ。だから今晩ゆっくり語り合うのも、悪くはないかもしれない。
「本当にマーガレットを選んでくれて、ありがとう。俺も色々考えることはあったけど、恵倫子と家族になって、マーガレットという存在が生まれて、心から良かったと思えるようになったんだ。それに君は、あの二人と僕を家族にしてくれる。こんなふうに、人は歴史を繋いでいくんだよな。俺が一人では絶対に描けなかった未来をくれて、君には感謝しかないんだよ 」
「……父さんと母さんも、僕と麻愛のことも応援してくれてるんで。出来るだけの努力をします 」
「まあ、そんなに構えなくても大丈夫だよ。僕は君のことは、昔から信頼してるから 」
逆瀬川さんの横顔は、どことなく麻愛の面影ある。
当たり前か。親子なんだから……
逆瀬川さんの感慨は、僕の両親は知るよしはない。だけど、父さんも母さんもこの縁が結ばれることは、誰よりも喜んでくれていると思っていた。
逆瀬川さんと会うのは二回目なはずなのに、車中では話が尽きなかった。
空港からはけっこうな時間をタクシーで揺られたハズなのに、あっという間に過ぎた気がする。
目的地に到着し、スーツケースをタクシーから下ろすと、僕は一気に現実に引き戻される。麻愛のアパートは五階建てで、エレベーターなど有りはしない。自力で運ばなければならないのなら、もう少し荷物は控えめにしておけば良かったと、僕はめちゃくちゃ後悔することになっていた。
「娘のこと、宜しく頼むよ。あと、これは念のため 」
「えっ? 」
逆瀬川さんはそう言うと、部屋のスペアーキーと小さな紙袋を僕に手渡した。
この形状、この軽さ……
何だか、とてつもなく嫌な予感がする。
僕は恐る恐る、その小包の中身を確認すると、再び無言で驚愕した。およそ五年振りに目にしたそれは、万国共通で異質なオーラを放っている。
「あれ? もしかして、初めてじゃない? 」
「いや、それはその…… 」
僕のリアクションは、顔に出ていたのかもしれない。
逆瀬川さんは、うちの両親同様に鋭い指摘を繰り出した。でも、彼女の実の父に向かって「はい、そうです」と肯定するわけにもいかず、僕はその場でお茶を濁すしかなかったのだ。
「あはは。あんときは、まだ高校生だもんな。そりゃ、若い二人がいて、何年も離ればなれになるってシチュエーションじゃ。そうもなるわ 」
「すみません…… 」
僕は、もう謝るしかなかった。
いや、あのときのアレをカウントしていいのかは、かなり怪しいところではあるんだけど、もうとにかく謝るしかない。
最悪だ。
これから逆瀬川さんとも長い付き合いになるのに、前途多難過ぎるだろ……
「まあ、親としては複雑だけど。でも男と女は遅かれ早かれそうなるんだから。仕方ないよな 」
「へっ? 怒らないんですか? 」
「別に、怒らないよ。それなら、こんなものを君に渡したりしないだろ? 」
「それは、確かに…… 」
「ちゃんと、然るべきように頼むよ。マーガレットも自分の意思でそうしたんだろうし 」
「……ありがとうございます 」
逆瀬川さんのオープン具合に、僕は一瞬怯みかけたけど、つまりは公認するよというメッセージらしい。
まあ、日本に帰ったら週に一回は匡輔が夜行バスで上京してきて乱入はしてくるけど、麻愛は僕と同居するわけだし、きちんとしておきなさいということなのだと思う。
僕が紙袋をポケットにしまっていたときだった。向こうの駐車場の方から、こちらへと歩いてくるシルエットが見えた。その髪は風に揺られ、シャツとスカートもふわりふわりと空気を纏う。
そしてその姿は僕らのことを認識すると、
「コーセー パパ? 」
と声を上げ、そのまま小走りでこちらまで近付いて、思いっきり僕の胸の中へと飛び付いてきた。
「麻愛っ? 」
「いらっしゃい、コーセー 」
「……ごめん。待たせたね 」
「ううん…… 」
麻愛の声は震えていて、その吐息と涙を感じるまでに、そうは時間は掛からなかった。
麻愛の髪の毛からは、微かに消毒液のような鼻をツンとつく匂いがする。彼女の亜麻色の髪の毛は健在で、紺碧の瞳の艶やかもいつも通りだったけど、最後に抱き締めたときよりも、彼女は少しだけ華奢になっているように感じた。
「麻愛、仕事は大丈夫だったの? 」
「うん。今日はコーセーが日本から来るからって言って、無理矢理帰ってきちゃった 」
「……そう 」
麻愛は僕の背中に腕を回していて、その手を離してくれそうにもない。さすがに逆瀬川さんの目の前で、僕はちょっとだけ恥ずかしくなっていた。
「じゃあ、俺は今日は宿を取ってるから 」
「えっ、いや、是非ともご一緒に 」
「まあ、二人は久し振りに積もる話もあるだろうし、今晩はゆっくりするといいよ。新居とかも考えなきゃならないだろ? じゃあな 」
「はあ…… 」
逆瀬川さんは、そう言うと麻愛が乗っていた自家用車で、そそくさとどこかへと行ってしまった。いくら五年振りの再会とは言え、僕は逆瀬川さんには申し訳ない気持ちで一杯になっていた。
「ねえ、コーセー 」
「んっ? 」
「パパから、何を貰ったの? 」
「えっ? もしかして見えてたの? それは…… 内緒。後で教えてあげる 」
「……変なの 」
いくら日本語がわかる人間がこの場に殆どいないとはいえ、紙袋の中身を麻愛に伝えるのは時期尚早だと思った。
今宵は匡輔と椿が正式に婚約したとか、久し振りに語り合いたい懐かしい話題がたくさんある。
でも、夜中に彼女がベッドの中で紙袋の中身を知って怒ったのは、言わずもがな。
・・゜・
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゜・ ・゜・・゜・ ・
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麻愛のことは、一日も忘れたことがない。
それがこの場合の正解な回答だと思うけど、僕の場合はそうは言い切れない部分が多い。
僕は麻愛と離れてから、毎日を必死に勉強をしていた。自分の能力の限界なんて、とっくに超えていたのだ。
だけど、もし麻愛から同じ言葉を返されたら、僕はめちゃくちゃ傷付くと思う。
だから、このことは……
僕の胸のうちだけに秘めておくことにした。
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選りに選って、何で僕のフライトを選ぶかな……
僕は英語しか聞こえてこない異空間で、見知らぬ土地を慎重に歩いていた。
やっぱり航空券をケチらないで、直行便にしておいた方が、急なアクシデントがあっても多少はリスクヘッジが出来たかもしれない。後の祭りという単語が僕の脳裏を掠めていたけど、もう終わってしまったことだから、あまり深く考えるのは止しておくことにした。
僕は二十年ちょっとの人生の中で、初体験の真っ只中にいた。
初めて日本を飛び出して、英国のヒースロー空港へと降り立っていたのだ。
ただここに来るまでの間には、色々と受難が続いていた。成田を飛び立つときに、機材のタイヤがパンクしたとかで急遽交換をすることになり、僕はドバイでのトランジットに失敗した。僕は接続ミスでドバイからイギリスに向かう飛行機に置いていかれる羽目になったのだが、振り替え便の手配やら、その後も慣れない土地で英語だけのやり取りに四苦八苦をすることになった。
外国に降り立つのも初めて、もちろん長距離の飛行機に乗るのも未経験だったから、想像以上に身体は疲弊している。それにこの二年間くらいは、殆どの時間を大学の法学対策室で過ごしていたから、身体はだいぶ鈍っているといっても過言ではない。
僕は何とか入国審査とか諸々を潜り抜けると、とにかくイグジットの文字だけ目指して歩いていた。
何十時間も見知らぬ場所にいたから、とにかく心細くてしかたがなかったのだ。
僕はフェンスに並ぶ出迎えの人々の中から、東洋人の黒髪を探していた。その人には一度しかあったことはないけど、顔の印象はハッキリと覚えている。
「あっ…… 」
「おっ、恒星くん? 」
「逆瀬川さん、すみません。フライトが何回もキャンセルしちゃって 」
「まあ、国際線では珍しくないから、あんまり気にしなくていいよ。ところで、恒星くん、少し背が伸びたかい? 」
「ええ、まあちょっとだけですけど。すみません、お忙しい中、わざわざ迎えに来ていただいて 」
逆瀬川さんは、麻愛が帰国したのを期に、イギリスにも拠点を置いて活動をしている。一年の半分くらいは一緒に暮らしているらしく、今回は僕の迎えを買って出てくれた。
「どうせ俺は暇人みたいなものだから。迎えがマーガレットでないのは、申し訳ないけど 」
「いや、そんなことはないです。助かりました、僕一人じゃとてもじゃないけど、ロンドンまでは行けないんで 」
「マーガレットもな、書面上は退職はしたんだけど、引き継ぎが完了しないみたいで、まだ毎日のように病院に通ってるんだよ。本当は空港で五年ぶりの再会で感動のハグアンドキスって展開だったのにな。ちょっと残念だったな 」
「いや、そんなことは…… 」
逆に麻愛が迎えに来なくて、ちょうど良かったかも知れない。もし麻愛がこの場にいたら、再会の喜びよりも一人旅の心細さから解放された別の感情で、号泣することになっていただろうから。
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麻愛がイギリスに帰国してからは、僕らはビデオ通話やメールをやり取りして、頻繁に連絡を取っていた。
と言っても、英国と日本では時差が八時間から九時間あるから、どうしても甘い話は盛り上がらず、近況の話とかライトな内容が大半だった。特に僕が進学の都合で東京に出てきてからは、隣の部屋に匡輔がいるというリスクもあって、それに追い討ちがかかった感も否めない。
僕としては匡輔とは進学した大学も違うし、ルームシェアは全く気が乗らなかった。だけど金銭的な面と、互いに他の女子を連れ込めないから監視をし合えて一石二鳥ということで、匡輔に無理やり押しきられた。
でも匡輔は数ヵ月に一回、上京してきた椿と外泊したり、繁忙期には下呂に頻繁に帰っているから、この条件は僕に得な要素はあまりない共同生活になっている気がしていた。匡輔は四年になってからは、下呂に拠点を戻して旅館の仕事に従事している。週に一回ゼミの日だけ夜行バスで上京してくるけど、いなければいないで寂しいと思うこともあるものだ。
麻愛が帰国してから暫くして、僕らは互いの親に自分たちの交際を報告をした。
僕は、父さんに小一時間叱られて、嫁にはやらないと意味不明な嫉妬を向けられた。そして母さんからは、あの晩に手を出していないか、彼女に傷をつけていないかと貞操を疑われ、とにかく四方から散々な目に遭った。
一方で逆瀬川さんは、麻愛が僕の話をしたら、とても祝福をしてくれたらしい。それが僕にとっては何よりもの救いで、唯一安堵出来ることだった。
「そういえば恒星くん。試験は全日程が終わったんだって? 」
「ええ、はい。ただ受かってるかどうかは、際どいラインではあるんですけど…… もし駄目だったら麻愛には申し訳ないんですが、来年またチャレンジさせて貰おうかと 」
「いやいや。法律の勉強を始めて二年で予備試験に合格して、本試験の二次まで進めたら大したもんだろ。凄いな、めちゃくちゃ頑張ってるじゃないか。もっと誇っていいと思うぞ 」
「……ありがとうございます 」
僕は都内の大学で法律を専攻するために上京して、三年生であった昨年に司法予備試験に合格することができた。
そして現在は司法試験の二次試験の結果待ちという身分で、何年か振りにペンを持たない日々を過ごしている。
麻愛はイギリスに戻ってからの五年弱を、ロンドンにある病院の心臓外科医として勤務をしていた。まだ成人をしていない医者ということで、周囲の対応には当初はめげることもあったと言っていたけど、今は関係各所から慰留をされて、退職が決まるまでには一悶着があったらしい。
麻愛はこの度、二重国籍を放棄して日本国籍を選ぶことになった。
苦渋の選択ではあったけれど、医師国家試験受験資格認定を利用して、来年の春を目処に、麻愛は日本で医者として働くことを目標としている。
残念ながら僕は英語に特別長けているわけでもないし、海外での生活力は皆無に等しい。だから僕のために麻愛が母国を離れるようなことになったのは申し訳ない気持ちでいっぱいだったけど、彼女はイギリスには恩返しをしたから気にしなくていいと、前向きなことを言ってくれていた。
「恒星くん、あっちに見えるのが、エリザベスタワー。所謂、ビッグベンってやつだね。この脇を流れてるのがテムズ川。君の故郷にある飛騨川と比べると、見た目の流れは穏やかかな 」
「…… 」
「まあ、暫くはこちらに滞在するんだから、夏休みだと思ってゆっくりしていくといいよ 」
「はい 」
僕は逆瀬川さんとタクシーに乗り込み、ロンドンにある麻愛の自宅を目指していた。十数時間、飛行機に揺られ続けた長旅の疲れと時差ボケが酷くて、取り敢えずは身体を休めたいと思っていた。
僕は昔、シャーロック・ホームズに夢中だったことがあるのだけど、ロンドンの街は まさにあの物語の世界が広がっている。赤茶色の煉瓦の建物と近代的なビルが入り交じり、石畳の道路にはカラフルな車が走っている。ここは霧の都というくらいだから、どんよりした空模様を想像していたけど、今日はとても清々しいお天気に恵まれていた。
「恒星くんは、イギリスでどこか行きたいところはないのかい? 」
「えっ? 」
「せっかく遥々、こんな遠くまで来たんだし、見たいところはないのかい? 」
「ええ、まあ、あるにはあるんですけど…… 麻愛に相談して連れて行って貰おうかと 」
僕が今回、イギリスに来たのには訳がある。
一つは麻愛が引き上げる前に、彼女の故郷であるこの国を知っておきたいと思った。
そしてもう一つは、恵倫子さんの墓前に一度頭を下げておきたいと考えていた。
「そういえば…… あっちの角を曲がったところのアパートが、アルバート君たちの家だけど。在宅かはわからないけど、一応寄っていこうか? 」
「あっ、いや、大丈夫です。佳央理はこの前 里帰りしたときに会いましたし、アルバートには会う理由もないんで 」
「アハハ、まあそれもそうか 」
僕は逆瀬川さんの申し出をやんわりと断ると、またロンドンの街へと視線を移した。
佳央理は何年か前に、待望の看護留学を果たして、麻愛とは違うロンドンの病院で看護師として働いている。佳央理はいつの間にかアルバートと非常に仲良くなっていたようで、気付いたときには一緒に暮らすようになっていた。
麻愛は双方から馴れ初めを聞いているらしい。だけど僕は敢えてそれを耳に入れないようにしているから、詳しい事情は関知はしていない。アルバートとは そのうち顔を会わせるだろうから、現段階ではパスしておくのが懸命だと思っていた。
「恒星くん。もうすぐ、マーガレットのアパートに着くよ。引越の準備をしてるから、かなりスッカラカンで殺風景な風景だけど。眺望はいいから、ゆっくりするといい 」
「はい、ありがとうございます 」
逆瀬川さんは、麻愛がイギリスから日本に移住するのを機に、再び世界を放浪しながらフォトグラファーとしての活動をするのだそうだ。
麻愛は大人同然に働いてはいるけれど、あくまでもまだ二十二歳の若者だ。だから麻愛が落ち着くまでは、距離を詰めて見守りたいと、英国に滞在する時間を長く取っていたのかなと、僕は勝手に推察していた。
「恒星くん、マーガレットのこと、宜しくな 」
「はい。ただ、いつも僕の方が麻愛には支えられてるんで…… 」
「そんなことも、ないみたいだけどな 」
「えっ? 」
「いや、何でもない。詳しくはマーガレットに聞いてみてくれ。それに僕も君には感謝しているんだ 」
「はあ……? 」
そういえば、麻愛は僕の何がいいんだろう……
聞いてみたことはないし、明言されたこともないから、考えたことがなかった。
今更、恥ずかしくて聞くに聞けないけど、これからはずっと一緒だ。だから今晩ゆっくり語り合うのも、悪くはないかもしれない。
「本当にマーガレットを選んでくれて、ありがとう。俺も色々考えることはあったけど、恵倫子と家族になって、マーガレットという存在が生まれて、心から良かったと思えるようになったんだ。それに君は、あの二人と僕を家族にしてくれる。こんなふうに、人は歴史を繋いでいくんだよな。俺が一人では絶対に描けなかった未来をくれて、君には感謝しかないんだよ 」
「……父さんと母さんも、僕と麻愛のことも応援してくれてるんで。出来るだけの努力をします 」
「まあ、そんなに構えなくても大丈夫だよ。僕は君のことは、昔から信頼してるから 」
逆瀬川さんの横顔は、どことなく麻愛の面影ある。
当たり前か。親子なんだから……
逆瀬川さんの感慨は、僕の両親は知るよしはない。だけど、父さんも母さんもこの縁が結ばれることは、誰よりも喜んでくれていると思っていた。
逆瀬川さんと会うのは二回目なはずなのに、車中では話が尽きなかった。
空港からはけっこうな時間をタクシーで揺られたハズなのに、あっという間に過ぎた気がする。
目的地に到着し、スーツケースをタクシーから下ろすと、僕は一気に現実に引き戻される。麻愛のアパートは五階建てで、エレベーターなど有りはしない。自力で運ばなければならないのなら、もう少し荷物は控えめにしておけば良かったと、僕はめちゃくちゃ後悔することになっていた。
「娘のこと、宜しく頼むよ。あと、これは念のため 」
「えっ? 」
逆瀬川さんはそう言うと、部屋のスペアーキーと小さな紙袋を僕に手渡した。
この形状、この軽さ……
何だか、とてつもなく嫌な予感がする。
僕は恐る恐る、その小包の中身を確認すると、再び無言で驚愕した。およそ五年振りに目にしたそれは、万国共通で異質なオーラを放っている。
「あれ? もしかして、初めてじゃない? 」
「いや、それはその…… 」
僕のリアクションは、顔に出ていたのかもしれない。
逆瀬川さんは、うちの両親同様に鋭い指摘を繰り出した。でも、彼女の実の父に向かって「はい、そうです」と肯定するわけにもいかず、僕はその場でお茶を濁すしかなかったのだ。
「あはは。あんときは、まだ高校生だもんな。そりゃ、若い二人がいて、何年も離ればなれになるってシチュエーションじゃ。そうもなるわ 」
「すみません…… 」
僕は、もう謝るしかなかった。
いや、あのときのアレをカウントしていいのかは、かなり怪しいところではあるんだけど、もうとにかく謝るしかない。
最悪だ。
これから逆瀬川さんとも長い付き合いになるのに、前途多難過ぎるだろ……
「まあ、親としては複雑だけど。でも男と女は遅かれ早かれそうなるんだから。仕方ないよな 」
「へっ? 怒らないんですか? 」
「別に、怒らないよ。それなら、こんなものを君に渡したりしないだろ? 」
「それは、確かに…… 」
「ちゃんと、然るべきように頼むよ。マーガレットも自分の意思でそうしたんだろうし 」
「……ありがとうございます 」
逆瀬川さんのオープン具合に、僕は一瞬怯みかけたけど、つまりは公認するよというメッセージらしい。
まあ、日本に帰ったら週に一回は匡輔が夜行バスで上京してきて乱入はしてくるけど、麻愛は僕と同居するわけだし、きちんとしておきなさいということなのだと思う。
僕が紙袋をポケットにしまっていたときだった。向こうの駐車場の方から、こちらへと歩いてくるシルエットが見えた。その髪は風に揺られ、シャツとスカートもふわりふわりと空気を纏う。
そしてその姿は僕らのことを認識すると、
「コーセー パパ? 」
と声を上げ、そのまま小走りでこちらまで近付いて、思いっきり僕の胸の中へと飛び付いてきた。
「麻愛っ? 」
「いらっしゃい、コーセー 」
「……ごめん。待たせたね 」
「ううん…… 」
麻愛の声は震えていて、その吐息と涙を感じるまでに、そうは時間は掛からなかった。
麻愛の髪の毛からは、微かに消毒液のような鼻をツンとつく匂いがする。彼女の亜麻色の髪の毛は健在で、紺碧の瞳の艶やかもいつも通りだったけど、最後に抱き締めたときよりも、彼女は少しだけ華奢になっているように感じた。
「麻愛、仕事は大丈夫だったの? 」
「うん。今日はコーセーが日本から来るからって言って、無理矢理帰ってきちゃった 」
「……そう 」
麻愛は僕の背中に腕を回していて、その手を離してくれそうにもない。さすがに逆瀬川さんの目の前で、僕はちょっとだけ恥ずかしくなっていた。
「じゃあ、俺は今日は宿を取ってるから 」
「えっ、いや、是非ともご一緒に 」
「まあ、二人は久し振りに積もる話もあるだろうし、今晩はゆっくりするといいよ。新居とかも考えなきゃならないだろ? じゃあな 」
「はあ…… 」
逆瀬川さんは、そう言うと麻愛が乗っていた自家用車で、そそくさとどこかへと行ってしまった。いくら五年振りの再会とは言え、僕は逆瀬川さんには申し訳ない気持ちで一杯になっていた。
「ねえ、コーセー 」
「んっ? 」
「パパから、何を貰ったの? 」
「えっ? もしかして見えてたの? それは…… 内緒。後で教えてあげる 」
「……変なの 」
いくら日本語がわかる人間がこの場に殆どいないとはいえ、紙袋の中身を麻愛に伝えるのは時期尚早だと思った。
今宵は匡輔と椿が正式に婚約したとか、久し振りに語り合いたい懐かしい話題がたくさんある。
でも、夜中に彼女がベッドの中で紙袋の中身を知って怒ったのは、言わずもがな。
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