お前のものになりたいから

りふる

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4.壊れる

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 春休み。
『帰るとこ無ぇんだ』
そう言うリッキーに、僕も寮に残ると言ったらすごく喜んだ。
「ホントにいいのか?」
「ああ、家族は多いからね。1人くらい帰らなくったって大丈夫さ。世話焼く相手が減って大助かりだと思うよ」

 それは嘘じゃない。何せ大家族。義父、母、兄、弟、妹2人、祖父、祖母。兄は面倒くさいヤツで、弟は何するか分からないひねくれ者。妹は2人とも騒がしくて、いつも義父は辟易している。
「あら、帰れないの?」
 心なしか母さんの声ががっかりしていた。僕はさほど手間をかけずに育った母さんのお気に入り。『さほど』だ。


 僕に対する嫌がらせは頻度が高くなった。春休みだというのにヒマな連中が多い。
「俺、帰らねぇヤツばっかり相手にしてたんだよ」
 理由は分かる。帰る場所の無いリッキーは、寂しさを紛らわせるためにそういう相手を求めたんだ。それが今、仇になっている。

 リッキーはほとんど毎日傷を負って部屋に帰って来ていた。僕にちょっかいを出す連中とやり合っているんだ。相手構わず寝てきた彼は、[可愛さ余って憎さ百倍]という状態になっている。誘われるのを断固拒否しているからだ。
 僕は彼の知らない所で身の回りに起きることをほとんど言わなかった。腕には覚えがある。2、3人くらいの相手ならどうってことない。問題は卑怯な手を使ってくることだ。

​「頼むから家に帰ってくれ」
今回の休みは残るというシェリーに僕は頼み込んだ。僕らの仲のいいことはヤツらにバレている。
「私なんかに何もしないわよ」
跳ねっ返りのシェリーは言うことを聞かない。残っている女子は少ない。何かあっても助けられない。
「あんた、そんなに危ないのにまだ彼から離れないつもり?」
幾度となくリッキーから離れることを勧めたシェリーは、最近じゃもう諦めたみたいだ。
「シェリー、リッキーが悪いわけじゃないよ」
「そう? 彼、自業自得な気がするけれど」
健全(?)な彼女は、モラルの無い人間にはいつも辛辣だ。

「このことについては僕は譲る気はないんだ」
「あんたがそう言うんなら何言っても無駄ね。じゃ帰るわよ、どっちでも良かったから。あんたを困らせるわけにはいかないし。なんで私たちカップルにならなかったのかしらね。私にも謎よ」
 その気もないのに笑う彼女が僕は好きだ。
「君は男らしいからな、そこらの男じゃ太刀打ち出来ないくらいに。僕も含めてね」
「褒め言葉ととっておくわ」
シェリーは僕の頬に軽くキスした。
「邪魔者は消えるわ。気をつけなさいよ。無茶はしないこと。ロイに当たるのね、大概のことなら情報を持ってる。彼は計算高いから何でもお金で片付くし。ロジャーはだめよ、誰にでも情報もらすんだから。脅しに弱くって何でもペラペラ喋っちゃう。 じゃ、バイ」

 ホントに彼女は逞しくて男より男らしい。実は彼女とは結構古い付き合いなんだ。



 その夕方、いきなり後ろから殴られて昏倒した。暗いところに突き飛ばされて痛みでようやく気がついた。後ろ手に縛られている。
「ここまでやるとまずいんじゃないか?」
「あの野郎、思い知らせてやらなきゃ気が収まらない。こいつがどうなってもいいのか?って言や、すぐ引っかかるさ。メモ、部屋に置いてこい」
やっと視界が開けたけど相手が見えない。
「その声はテッドだな? リッキーに何するつもりだ!」
「目が覚めたか。何って、この前の続きだよ。満足させてやらないと可哀想だろ?」
腹を蹴られて呻いてる間にドアが閉まった。

 あいつの靴が上手い具合に僕の腹にめり込んでいった。お蔭で体に緊張感が生まれている。なんとか起き上がって縄と格闘した。昔の友だちが関節を外すんだとか言ってたけど僕はやらない。外れるクセが付くのはイヤだし、拳が弱くなる。
 しばらく手を動かしていたらだんだん縄が緩んできた。やっと縄が解けたけど、今度はドアが開かない。こうなれば力づくだ。何度か体当たりして開いたドアから勢い余って外に転がり出た。

 リッキーが呼び出された場所がどこか分からない。
『メモ、部屋に置いてこい』
その言葉を思い出し、とりあえず部屋に走った。そのメモは部屋の中に落ちていた。
『フェルが心配ならこの前の部屋に来い』
「チクショウ!!」
僕は走りに走った。あれから1時間近くは経っている。何が起きているのか分からないほどマヌケじゃない。

 ドアを開ける。静かだ。まさか他の所に連れて行かれたんじゃ……。その時小さな呻き声が聞こえた。部屋の隅にリッキーが倒れていた、素っ裸のままで。

「リッキー!」
「さわる……な! さ……わるな……」
手を振り回して抵抗しようと必死になってる彼を抱いた。
「リッキー、僕だ、フェルだ! もう大丈夫だから!」
腫れた目を微かに開けた。体から力が抜けていく。血だらけの口元に笑みがこぼれた。
「フェル…無事だったのか……」
ほっとした声。
「ああ、無事だ」

 笑った顔が歪んだ。ひくついた身体がくの字に曲がる。うげっ! と何かを吐き始めた。その口端から垂れたのは粘っこい液体……

 僕は床に座って彼の背中をさすった。
「おま……えがよごれ」
また吐く。
「気にするな。全部出しちまえよ」
薄い上着を脱いでリッキーの体にかけた。着ているTシャツを引っ張り上げて口を拭いてやる。
「それ……」
「分かってる、部屋に戻ったら捨てる」

 周りを見回してすぐそばに落ちている衣類を引き寄せた。
「立てそうか?」
首を横に振るのをそっと横たえて、ジーンズだけでも履かせようとした。ハッ! と体が逃げる。
「いたい」
その言葉に彼を膝の上でひっくり返した。
「見るな……」
「いいから」
腿に血が伝わっている。そして濁った白いものも。そっと上を向かせた。
「何人いたんだ?」
「4人……さすがに参っ……しばらくやれねぇな……おい、なにすんだよ……」
 僕はリッキーが喋ってるうちに彼の体に衣類を全部乗せた。アドレナリンのおかげで彼の体が楽に持ち上がる。
「帰るぞ、掴まれ」

 首に両手が回った。ドアノブを回して背中で押して出た。
――カシャッ
そう音が聞こえて振り向くと、テッドが携帯で僕に抱き上げられたリッキーの写真を撮っていた。その後ろに3人がいる。
「待ってて」
リッキーを脇にゆっくり下ろした。
「いい写真だぜ。さっきのお前がいい声出してた写真もここに入っ……」
 何も言わずにテッドに突進した。廊下の壁にそのまま叩き付ける。

 グループとケンカしちゃいけない。でもやるとなったらまずヘッドから叩き潰す。手段を選ばない、喋らないのが基本。ストリートファイトが身に付いてる僕の中のルールだ。
 落とした携帯を踏みにじって壊した。あぁ、久しぶりの解放感。ヘナチョコだろうがなんだろうが、力を出し惜しみせずに済む相手って有り難い。
 ケンカはスポーツじゃない。その目的は明確。相手を這いつくばらせること。他の3人が飛びかかってくるのを、目を突き、首から叩き落して急所を蹴った。

「まだやるか?」
「ひ、ひきょうだ……」
「何が卑怯だ、ふざけたマネしやがって。それにケンカってのは勝ったもん勝ちだろ? そっちのヤツ、目は潰れちゃいないはずだ。眼科にでも行くんだな」
テッドの首を持ち上げて拳を叩きつけた。いい手応え。多分歯が折れただろう。
「リッキーの分だ。それからもう一つ」
立ち上がって急所を蹴り飛ばした。悶絶するテッドに気分がいい。
「お前も医者に行け」

 塞がってない方の目でリッキーがじっと僕を見上げた。
「おまえって……分かんねぇヤツ」
「久しぶりだよ、ケンカなんて。さ、行くよ」
そっと抱き上げた彼は何だか小さかった。


 部屋に入ってまずシャツを脱ぎ捨てた。こんなもん、洗いたくもない。バスタブにぬるま湯を張る。立つのも危なっかしいリッキーが一人で自分の始末を出来るわけがない。ボクサー1枚になってバスルームまで支えようとした。
「いいって」
「1人じゃ無理だよ」
「何すんのか分かってんのか?」
頷いた僕にリッキーの方が驚いてる。
「掻き出すんだろ? 僕はノーマルだってだけで、何も知らないわけじゃないんだ。そういう友だちもいたからね。ヘルプは経験あるよ」

 それでも彼は嫌がった。めんどくさくなった僕は、また抱き抱えてバスルームに運んだ。
「そこに掴まって立ってられる?」
下ろされた体でふらふらとバスタブの縁に掴まった。

「俺、慣れてんだ。こんな目に遭ったのは初めてじゃねぇ。いっそ楽しんじまえば良かったんだけどな。気持ちいいし楽だし。でもつい抵抗しちまったんだ」
「足、広げて」
「フェル……」
「足。いいから広げて」
広げた足の間に つい と糸が垂れるように濁った雫が垂れてきた。
「指入れるよ。痛いだろうけど我慢して」
なるべくそっと入れたけど相当手荒にやられたらしい。呻くのを堪えて縁にしがみついている。自然腰が浮き上がる。
「もう少しだから」
 さっきより入りやすくて、僕は指を奥へと進めた。ずっと指先に粘ついた感触がある。リッキーは息を詰めて僕のするがままに任せてくれた。ボディソープをつけた手で体中を優しく撫でる。
 あちこちに付いてる傷痕に、また怒りが湧いてくる。低い温度のシャワーで泡を流した。
 あったことを無かったことには出来ないけど、何もかも泡に溶けて流れてしまえ。

 また抱き上げてバスタブに横たえた。どこからこんな力が出るんだか。
「湯の量は少なめだからきっと溺れないよ」
そう言うと イヤなヤツ と言って笑った。
「しばらく浸かってなよ。すぐ戻るからね」

 彼のベッドを寝やすくしてタオルを手に取った。
「自分で出られる」
そう言いながらも僕に支えられてゆっくり立ち上がった体をタオルで包んだ。
「うっ……うっ……」

 ゆっくり歩いてるうちに少しずつリッキーから嗚咽が漏れ始める。泣き虫リッキー。きっと知ってるのは僕だけだ。

「歩くの辛いか?」
「俺……抵抗したんだ……」
「分かってるよ」
「フェルに……迷惑かけてばっか……」
「いいよ、僕がそうしたかったんだから。リッキーと一緒にいることを選んだのは僕だよ」
「お前、普通のやつだったのに。俺なんかが好きになっちまったばっかりに」
「僕らはこうなる運命だったんだろ?」

 壊れかけてる体と心。いや、元々心は壊れてたんだ。だからセックスに溺れた。

​ ベッドに横たえて傷の手当てを始めた。口の中の血は止まっている。けど下半身はそうはいかない。
「医者に行くか?」
「イヤだ。こういうので行くと医者は俺をまるで物みたいに扱うんだ。治療だか拷問だか分かんねぇくらい」
「じゃ僕がやる。もう一度足、開けて」
「自分で薬塗るから」
「こじあけてもいいんだぞ」
 リッキーは頭まですっぽりとシーツを被って足を広げた。その両膝を立たせる。その周りは傷だらけだった。よほど抵抗したんだ。そこは腫れあがって、薬を塗るのもそっと触らなきゃならなかった。ピクリとする痛みに、それでも彼は声を殺した。

「はい、終わったよ」

 シーツで覆って、その上にブランケットをかけた。体がぶるぶる震えている。全身に負うケガは熱を呼ぶ。その反動で来るのは吐き気と悪寒だ。
 その傍に腰を下ろして何度も何度も黒髪を梳いた。なんて脆く見えるんだろう……。吐き気が込み上げてきたリッキーを抱きかかえて、用意していたビニールを入れたゴミ箱に吐かせた。水を渡して流れる涙を拭う。しばらくの間、胸に抱いて吐き気が治まるのを待った。

 このまま春休みを無事に過ごせるとは思えない。僕の名前を出されれば、何度だってリッキーは罠に嵌るだろう。腫れあがってる目に氷を入れた袋をタオルに包んで当てた。思わず顔をしかめるリッキーの顔を撫でる。

「痛いか? でもこうしといた方がいいんだ」
「大丈夫だ……俺さ、こんな風に手当てしてもらうの、初めてだよ。中のことまで……やってもらっちまってさ……悪かったな」
「気にしなくていい。いや、気にするだろうけど」

 痛み止めが効き始めたのか、少しずつ体も落ち着いてきた。

 ここに置いておきたくない。これ以上は壊れてしまう……。リッキーはタフなわけじゃない。表面に出さないだけで、心はひどく脆いんだ。
「なぁ、家に来ないか。大家族だって言ったろ? だからきっと一人増えたって分からないよ」
僕の言葉に小さく笑った。
「そんなわけねぇだろ。それに俺行ったって……居場所なんか無ぇよ、きっと」
「大丈夫さ。家はあんまりそういうことに頓着ないんだ」

大らか過ぎる僕の家族の中なら、もしかすると心が落ち着いてくるかもしれない。

「ケンカ……強いんだな」
「サウスブロンクス育ちだからね」
え? という顔が僕を見た。
「僕が14の時に母さんが今の父さんと再婚したんだ。それであそこを抜け出せたんだよ」
「そうだったのか……」
「リッキーが思うほど僕は清廉潔白じゃないよ。さっきの見てたろ? 相手の弱いとこ突いて叩きのめすのが僕らの流儀さ。喧嘩っ早かったからね、結構母さんを心配させたんだ。相当な悪さもやったしね。それが今じゃ大学生だ。だから大人しくしてたんだよ」

 リッキーの目が輝いて、顔がほんのり赤くなった。
「惚れ直しちまった……俺、マジでヤバいかも」



 2日もするとリッキーはかなり楽に動けるようになっていた。
「荷物はこれでいい?」
「まさか持ってやるなんて言わねぇよな」
トンッとバッグを床に置くと、満足したような顔で荷物を掴んだ。
「本当にいいんだな?」
心配するリッキーへの返事は後回しにして家に電話。
「友だち連れて帰る」
それだけ言って携帯を切った。
「いいって」
「お前、返事聞いてなかったじゃねぇか」
「そう?  あんなもんだよ、いつも」
「仲……悪いのか?」
「それだったら楽なんだけどね」
苦笑いする僕を不思議なものを見るような顔をした。



「俺、あそこからこんなに離れんの初めてだ!!」
レンタカーの中、呆れるほどのリッキーのはしゃぎっぷりはまるで子どものようだ。
「どこにも行ったことないのか?」
「そんなこと考えたことさえ無ぇ」
「だから不健康なんだよ。本当に僕と付き合うつもり?」
「ああ、絶対に口説き落とす」

その言葉に笑った。こういうことにかけちゃ自信たっぷりだよな。

「じゃ、僕の生活の仕方に合わせてもらう必要があるな」
「遅寝早起きか? あと走ったりバスケしたり。体に悪いよ、あれ」
しかめっ面している。
「そうだよ。テニスも泳ぎも一緒にやんないと。僕は今の生活スタイル変えるつもり無いからね」
「お前、ハッキリしてんな。ま、見てたから分かるけど」
そうだった、彼は5ヶ月間僕をじっと見続けたんだ。

「それから禁欲」
「え、それは」
「じゃやめよう。それが条件」
「干上がれってか?」
「そうだよ」
真剣に悩んで落ち込んでるリッキーに僕は爆笑した。
  
「家族のこと聞いていいか?」
「行ったら驚くよ。義父のジェフリーはそこそこの事業をやってたんだ。子どもがいなくってさ、でも今じゃ5人の子持ちだ」
「5人? 5人兄弟なのか?」
「ああ、僕はその次男坊。ジェフはあんまり欲がなくって、兄のアルが去年から実権を握っているんだ。イヤなヤツだけど気にしなくていいからな。後は捻くれもんの弟と妹2人。ジェフの両親のグランパとグランマ。全部で9人家族だ」

「9人……すげぇ……」
「アルと僕と弟のビリーはブロンクス時代をたっぷり経験してる。けどみんな性格が違うんだよ」
ある程度は言っておいた方がいい。そう思って続けた。
「特にアルは陰険だ。僕がニュージャージー大学に進まなかったことが気に入らない。メリーランドなんかに来ちゃったからね。経営学やマーケティングも取らなかった。アルには環境学なんか取ったのが理解出来ないのさ。ま、今日はいないと思うけどね」

 9人家族だっていうだけでリッキーは圧倒されたらしい。普通の反応することあるんだとこっちがびっくりだけど。

「事業がうまく行ってんならなんであんなにバイトすんだよ」
「言ったろ? アルは僕の進学先が気に入らなかった。だから援助は無しさ。学費だけはアルには内緒で渡してもらってるけど、それ以外は全部自分持ちだよ」
「ずいぶん厳しいんだな」
「まあね」

 リッキーには我が家のいいところだけを見てほしい。その中に浸ってほしい。呆れるほど平凡な時間の中に彼を連れていきたかった。



「もっと豪邸かと思った」
 ものすごく広いけど、それでも古びた感がする平屋建て。庭だけは無駄にだだっ広い。ここに引っ越した時は芝刈りが苦痛だった。たいがいその役目は、ビリーか僕だった。

「ジェフの家に引っ越したんだ。アルはこういうものに金をかけたがらないから昔のままになってるんだよ。ブロンクスから来たことを思えばこれで充分だしね。僕も今じゃこの家が好きだ」
 ジェフの両親が少しずつ増築していったんだ。『最初の家はこれだ』そう教えられた小さな建物は、今は離れになっている。


 気後れするリッキーを引っ張って玄関を開けた。バッグを落とす。拳を突き出してくる弟のビリーの脇腹に逆に拳を叩き込んだ。これは恒例の儀式だ。その後ろから妹のアナとマリーが飛びついてきた。
「ハイ! お母さん! フェルが来たよー!」
「お客様も一緒ー!」
 2人は双子で、ジェフと母さんとの子どもたち。妹たちが生まれてから二人は結婚した。母さんは別れるつもりだったけど、ジェフが説得したんだ。

「お前たち、いい加減にしろよ! リッキーがびっくりしてるだろ!」
「ごめん。お客さんいるの忘れてた……フェル、痛いよ!」
腹を抑えながらビリーが立ち上がった。手を差し出す。
「俺、ビリー」
「リッキーだ」
握手を交わしたまま手が離れない。
「ビリー!」
「負けた! 分かったよ、手を離してくれよ」
「悪いな、こいつ、こうやって相手を試すんだ」
「荒っぽい歓迎だな」
 けど初っ端がこれで良かったのかもしれない。リッキーの顔に笑顔が浮かんだんだから。

 ビリーが離れた途端にアナとマリーが手を出した。
「アナよ」
「マリーよ」
「アナ、マリー、初めまして。リチャード・マーティンです」

 順ににっこりと握手をするリッキーに今度は僕が驚いた。なんだ、ちゃんとマナーを知ってるじゃないか。振り返った2人が同時に叫んだ。

「私、この人好き!」
10歳の双子の方がよっぽど礼儀知らずだ。
「2人とも失礼だぞ!」
慌てて振り返ると、リッキーは笑っていた。
「リッキー、ごめんな。でも厄介なことになったな。この2人、最初に気に入らなかったらもう口も利かないんだ。でもその方がいいんだよ。どうやらアナもマリーも君が気に入っちゃったらしい」
ビリーが余計なことを言う。
「大丈夫だよ、その分アイツが無愛想だからさ」

 そのアイツが出て来た。我が家のトップだ。
「悪かったな、無愛想で。ビリー、後で部屋に来い」
ビリーが しまった! という顔をしている。

「アルバート・ハワードだ」
その手をにこりともせずにリッキーががっしり掴んだ。
「リチャード・マーティン。フェルの友人です」

 すぐに2人は手を離して、互いをじっと見た。背は同じくらいだけど、がっしり鍛えてるアルが虎だとしたら、リッキーはピューマといったところだ。

「お前にしちゃまともな友だちだな」
「度々悪いな、リッキー。我が家を牛耳っている長男だよ」
「お前も後で部屋に来い」
「お断りだ」

 冷気が漂うのを感じた3人が部屋を逃げ出そうとしていた。その冷気をサッと吹き掃ったのは他でもないリッキーだった。
「あんたもたいがい客に対して失礼だよな、背中向けるなんてさ。フェル、お前もだ。人のこと言えねぇ」
アルはゆっくりリッキーを振り返ると笑い始めた。
「君、いい度胸してるな。来いよ、ビールでも飲まないか?」

 こんな展開は読めてなかった。僕はリッキーがこの家でくつろげるかどうか、正直いって心配だったんだ。多分彼の今までの生活からかけ離れ過ぎてるだろうから。アルがいるとも思ってなかったし。さらに言うなら、まさかアルが気に入るなんて思ってもいなかった。



「まぁ、綺麗なboyね!」(スラング:Oh boy!→ 感嘆した時、興奮した時に使う。ちょっと困ったという意味もある)

もう! 

「母さん! スラング使うなよ!」
「あら、boy は悪い意味じゃないわ」
「褒めていただいて嬉しいです、Ms.ハワード」

 こういうのはさすが上手いね、このレディキラーめ。そう考えて、男もだったと思い直す。

「ゆっくりしてってちょうだいね。フェルが大学のお友だち連れて来たのは初めてなのよ」
母さんはすっかりはしゃいでいる。

「なんでみんな家にいるのさ」
「それは あなたが帰ってくるって言ったからよ」
「嘘だよ! ジェフの誕生日だから集まったんだ」
ビリーの言葉に(あ、そうか)と思った。
「今日だったっけ」
「そうよ、忘れてたの? でもきっと本人も忘れてるから、帰ってきたところを驚かすつもりなのよ」

それじゃアルもいるわけだ。ジェフは社長なんだから。

「で、どこに行ったの? 本人は」
「釣りだ。いつも通り」

 アルは怒っちゃいない。自分の腕を振るえる場を与えられたことにむしろ感謝している……はずだ。
「よくあんなのとお袋も結婚したな。それも恋愛結婚だなんて」
 母さんはまだ32、ジェフは44だった。散々ジェフをけなしていたアルは、今はジェフに任されて実質社長に収まっている。実力だ、そう言うけど、この兄が何もしないでこの状況を手に入れるわけが無い。ジェフは口を開けば 『いい息子に恵まれた』そう寛大に言っているけれど。
 でも僕はアルのことなんか信じちゃいない。間違ってもリッキーをアルに近づけたくない。
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