お前のものになりたいから

SODA HANA

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23.愛しいリッキー (語り:フェル)

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「ただいま!」
玄関を開けて大声で怒鳴った。脇にいるリッキーに「ほら」と促す。
「……ただいま……」
「小さいよ、声。頑張れ、もう一回」
顔を上に上げて息を吸い込む。
「ただ!……」
そうだ、いい調子!
「……ぃま……」
ああ、もう……

​「お帰りなさい、フェル、リッキー。ね、リッキー、気のせいかな? 『ただ』しか聞こえなかったんだけど」
クスッと笑うのに気づかないで慌ててリッキーが言った。
「た、ただ、ただいま」
やっと言えてもう疲れ果てている。
「練習……してきたんだ……」
母さんがリッキーの頬にキスをした。
「そうだったの、ありがとう。少しずつ慣れていきましょうね。私とジェフにはゆっくりでいいわ。でもグランマの前じゃ頑張らなきゃだめよ」
「うん……」
ずいぶん頑張ってると思うよ、リッキー。僕も助けるからな。



『新婚旅行』っていう言葉に僕は脅かされ続けた。

「資金、貯まったかな!」
「おい、まだ給料もらったの、1回だろ?」

「フェル! いつ頃にする?」
「おい、次の給料までまだ10日あるぞ」


 リッキーの見つけて来るバイトには碌なのが無かった。講義で一緒の連中に『金になるぞ』と言われて最初に行ったのがホストクラブ。もちろんリッキーは知らなかったし、面接の段階で過去最高の給料を出すという店長に文字通り椅子を蹴り飛ばして帰って来た。
『ホストクラブだった』 そこだけを聞いた時には危なく僕はリッキーを怒鳴りつけるところだった。けどその先を聞いて、代わりに『よく断って来たな』と誉めたら、『当り前だろっ!』と逆に怒鳴られてしまった。

 次に見つけたのが死体安置所の夜間警備。これもかなりの金になるけどリッキーは一日で音を上げた。よく見つけたもんだ、こんなのを。死体になら襲われないから僕は安心なんだけど、それを言ったらまた怒鳴られるだろう。

 その次がビルの解体作業。これは4日続いた。やめたのは手を出してきた現場監督を殴り倒したから。

 ビルの窓の清掃。高所恐怖症じゃないリッキーが夢でうなされ始めたから僕はすぐにやめさせた。ビルの外側で22階の窓ガラスを磨き上げる。下手をすると『血塗られたアルバイト』になり兼ねない。

 最後に『普通の建設現場だ』と言ったから、僕はマスターに頭を下げてカフェのバイトをやめた。『普通』ってなんだよ…… リッキーが勤めた時点で、『普通』は『普通』じゃなくなるだろう? マスターは『いつ戻って来てもいいからね』と言ってくれたから有り難い。

「僕も一緒に働く」
 単純に喜んだリッキー。僕はリッキーを死守するために同じ作業服を着た。守りきるために全力を尽くす。指輪を見せ回って、リッキーを『浮気』に誘う連中を冷めた目で見下ろした。背が高くて良かった! 今はそこで勉強には支障ないように気をつけながら、汗水垂らして二人で働いている。

 美しすぎる妻を持つ夫は、みんなこんな思いしてるんだろうか。リッキーが男だったことに、心から感謝だ。少しずつだけど、生活が楽になっていった。

 たわし事件から1ヶ月ほど経って、きれいな黒髪が少しずつ戻り始めている。伸びたのは3センチほどだけど。僕が好きだから、と髪を伸ばすのに一生懸命なリッキー。ワカメがいいと聞いて、嫌いな海藻を一生懸命食べている。そんなリッキーは女の子だ。現場で僕を小突いた "先輩" に掴みかかっていったリッキーは立派な男だった。
 男と女の子の間をくるくる行ったり来たりするリッキーが愛しくてたまらない。僕はどんどんアホになりつつある。


「旅行さ!」
「リッキー……まだ無理だって……」
途端にリッキーの顔がしょげてしまった。
「パーティー、全部断る」
「リッキー……」
「食事は全部作る。材料、特売で買ってくる」
「リッキー……」
「夜は早く電気消す」
「リッキー……」
「靴下、穴空いてるけど買わない」
もう涙声になっていた。
「リッキー……」
「それから、それから……」
「リッキー、分かった、貯金崩そう。予定入れていいよ」
「それじゃ負けた気分だ……ちゃんと稼いで資金作ろうって約束したのに……」
完全に泣いてる。そろそろ、しゃくり上げるだろう。
「リッキー、今回は家に行かないか? ドライブするから少しは気分転換になるだろう?」
パッ!とリッキーの顔が輝いた。
「行く! ドライブだ、行く!!」

 結局、リッキーがしたかったのは旅行めいたことだったのだと遅まきながら僕は知った。ほとんど旅行をしたことのないリッキーにとって場所はどこでも良かったんだ、なんとなく新婚旅行っぽければ。



「リッキー! 時間かかったね、来ないのかと思った!」
ビリーは手を広げた僕の脇をすり抜けてリッキーをハグした。いいけどね。僕は心広い兄だから。
「途中で買い物したりしたから。ほら、これ」
ビリーに大好きなスナックを山ほど渡す。
「わ! サンキュー、リッキー!」
いや、金払ったの、僕だから。でも細かいことは言うまい。兄としての威厳がある。
「そうだ、俺、大学の編入試験に受かったんだ!」
そうか、そんなの受けてたのか。
「ジェフに約束したからね、勉強もっと真面目にやるって」
いいことだ。兄としちゃ嬉しい限りだ。

「で、どこに入るんだ?」
「MIT」
「ふーん…… どこだって?」
「だから、MIT」

 MIT  MIT  
 MITってなんだっけ?
『もっと いいとこ つれてって』……?

「すごいな、ビリー! 試験大変だったろう?」
「うん、結構大変だった。教授とずいぶん話し合ってさ、推薦状も書いてもらったんだ」
「あそこは私立だし、ずい分かかるだろう? 確か6万ドルくらいだよな」
「奨学金、受かったから」
「すげぇ! で、専攻は?」

 なんか、リッキーと話、弾んでる……
「建築。俺、すごく興味あってさ、資料読み漁ってるうちにすっかり嵌っちまって」
『資料読み漁って』そんなところ見たことあったっけ?
「ビリー、それいつ頃だ?」
「小学校の終わりっ頃」
ビリーはMITの建築を専攻し、兄の僕は建設現場でバイトしてる……
「お前……頭良かったのか……」
吹き出したのは母さんとジェフ。思わず頭を撫でてくれたのはリッキー。

​「フェルのおかげなんだ」
「僕の?」
「しょっちゅう図書館に連れてってくれたろ? あの頃からだよ、資料読んでたの。俺、ホントにフェルに感謝してんだぜ。あん時によく図書館にほったらかされて、それで本読んでるうちに腹減ったのも忘れて夢中になったんだ。それからは時間あったり……いやなことあったりすると図書館に籠ってさ。で、教授に言われて考えてみたんだよ。取りあえず受けてみようかなって」

『取りあえず』で受かるもんなのか?

「ありがとう、フェル!」
「……ほったらかして良かったよ……」

 なぜかビリーと僕以外は大爆笑していた。だから今日は兄の威厳を引っ込めておくことにした……


「結婚式ん時さ、リッキーはフェルばっかり見て俺たちのこと、すっかり忘れてたろ?」

 そうだ、あの時はリッキーはただ震えて、泣いて、僕にしがみついていた。何度も何度も『大丈夫だから』って背中に手をやったっけ。僕のタキシードの背中をギュッと握って離さないリッキーを何とかリラックスさせようとして、何度もその頬にキスをした。

「アルが来てたの、覚えてる?」
ビリーの言葉にキョトンとしてる。
「覚えてないの? アルのこと、張っ倒してたじゃないか」
「俺が? だいたい何でアルが来てたんだよ」
「私がアルと話をするつもりだったんだがね、シェリーに先を越されてしまった」

ジェフが苦笑している。そう言えばどうしてアルが来る気になったのかは聞いてなかった。

「シェリー、どんな魔法を使ったんだろう」
「簡単な事だよ。『親族の結婚式に出ることを拒否するのは、対外的にマイナスじゃないのか?』ってね。正攻法だった。シェリーは人の弱いところを突くのが上手いね」

 ジェフはまだシェリーのことを姪っ子だと思っている。母さんはどうするつもりなんだろう。僕はそれを結構心配してるんだけど。

「リッキーがアルをぶっ飛ばしてたのはダンスの時だよ。思い出した?」
「覚えてねぇよ……」
「リッキーはフェルのことしか見てなかったものね」
 母さんがからかうようにリッキーの顔を覗いた。


 最初のダンスで僕は、リッキーが震えるどころじゃない、真っ青になっているのを見てシェリーに話して休憩に連れ出したんだ。

「大丈夫か? パーティー、中止しようか?」
「お おれ、幸せすぎて…… ちが…… わかんねぇ、ふぇる、おれ、分かんねぇんだ、今、けっこん したんだよな? おれ、ここにいる?」

すっかり混乱してるのが分かった。夢か現実か区別ついてないんだ。

「リッキー、これは夢じゃない。僕らはついさっき結婚したんだよ。夫婦になったんだ。夫婦だよ、もう僕らは」

 震えるその青い唇に口づけた。動かない、反応しないリッキーの舌。これはまずい……そう思った。下手をするとリッキーは今日という一日を全部夢にしてしまうだろう。心と脳は、時に恐ろしいことをしてしまう。僕のあの事件での記憶やファントムペインのように。

 ガタガタと震え続ける体を強く抱いて、深く舌を差し込んだ。たくさんの刺激を与え続ける、口に体に。
――お前を失いたくないんだ、リッキー
 必死だった、リッキーが心を失うんじゃないかと怖くて。固く冷えた体。浅い呼吸。震え。どれもが悪い兆候にしか見えない。

「リッキー、僕の言うことは聞こえてるの?」
見開いた目のまま、大きく頷いた。
「本当のことに思えないの? 結婚したこと」
それにも大きく頷き返す。
「愛してるんだ、リッキー。僕だけのものになってほしいんだ。だから結婚を申し込んで、Yes と言ってもらった。それは分かるよね?」
「分かる わかるよ、ふぇる。でもそれっていつだっけ……おれ、ふぇるの奥さんになれそう? なれるのかな……」
「『配偶者』って思ってたけど、リッキーは "奥さん" になりたいんだね?」
「だめなのか!? おれ、奥さんになれねぇのか!?」
「違うよ、リッキー。そうじゃなくて、それなら僕が夫でリッキーが妻でいいんだね?」
「ふぇるがいいなら……なれんのかなぁ……おれたち、けっこんできそう?」

もう一度強く抱きしめた。

「リッキー、ちゃんと結婚したよ。僕らはもう夫婦で、リッキーは奥さん。僕はその夫だ。お前と結婚出来て嬉しい。ありがとう、僕としてくれて。僕の妻になってくれて」
「おれ、ふぇるの奥さん……もうけっこんした……けっこん……結婚したんだ、おれたち結婚したんだ、フェル、俺、フェルのものになったんだ!」
「そうだよ、お前は僕のものだ。僕もお前のもの」
その後ちゃんとしたキスが出来て、ぽーっとしたリッキーを連れて会場に戻った。

 会場に戻った僕らを見て、シェリーがホッとした顔をしたのが分かった。母さんがそばに来てリッキーをハグしてくれた。
「リッキー、大丈夫? 疲れちゃったんでしょう」
「かあさん……本当に『ジーナかあさん』になったんだよね?」
「そうよ、リッキー。夢みたいね。あなたを息子に出来て嬉しいわ」
母さんの言葉も良かったんだろう、少しずつリッキーは現実世界に戻ってきた。 

 アルは、リッキーがまだ上の空の時にダンスを申し込んだ。そしてリッキーを引き寄せて後ろに手を回していった…… アルが僕と目を合わせたままニヤリと笑ったから危なくぶん殴りに行くところだったけど、リッキーの反応は早くって「どこ触ってんだよっ!」って怒鳴ったんだ。だからそれは覚えてるかと思っていた。


「ダンス、したんだ……俺、フェルと踊った!?」
「もちろんさ。お前、アルと踊った後シェリーと踊ったんだぞ。その後はずっと僕にひっついてたけどね」

 シェリーがリッキーから引き剥がすためにアルを後ろからハイヒールで蹴ったのは黙っといた方がいいだろうか…… アルにそんなことが出来るのはきっとシェリーだけだろう。

 アルは母さんだけじゃない、シェリーにも余計なことは言っていない。ジェフの言う通り、人は悪いままではいられないのかもしれない。



 夕食の後、風邪を引いてると聞いて僕らはグランマを見舞いに行った。

「あら、ここに来ちゃだめよ、リッキー。風邪が移っちゃうから」

 そう言えば母さんはリッキーには消化のいいものを出してくれた。みんな胃潰瘍だったリッキーを労わってくれてる。すごく有り難かった。

「もう、お腹の調子はいいの?」
「お前、お腹って……」
「だって胃潰瘍はお腹の病気でしょ?」
「グランマ、もう心配無いで……無いんで、心配しないで」

リッキー、さすがにそれは苦しいよ。

「まだ本調子じゃ無さそうね」

グランマがニヤッと笑って、僕はこれ以上リッキーが墓穴を掘らないうちにと助け船を出した。

「グランパ、リッキーと話し合ったんだ」
「離れもらうの、やめたいんで……やめたいんだ、俺たちには分不相応だから」
「こうやって帰ってきた時だけ使わせてくれる? 片付けはするから」
「それでいいのか?」
「いいで……いいんだ、それで。もっとお金貯めて考えたいんで……んだ」

酷く顔をしかめたから、今きっと舌を噛んだんだろう。

「そうか……譲渡の手続きはまだ終わってなかったな。好きにするといいよ、あのままにしておくから。遺言書にはお前たちの名前を入れておくからな」
「グランパ、死んじゃイヤだ!!」
「まだ死なん。殺すな、ワシを」

それでもグランパは嬉しそうな顔で、飛びついたリッキーをハグしてくれた。

「グランパ、離れに行くよ。リッキーをそろそろ寝せたいんだ。今日は羽目を外しちゃったからね」
「そうね。私も調子悪いし。お腹が治ったらまたウェディングケーキを作ってあげるわね」
「お前、結婚式は終わったんだからもうただのパイだろう」
「ただの、パイ?」
 雲行きが怪しくなってきたから「お休み!」と叫んでリッキーの手を引っ張った。
「大人しく寝なさいね。いい? 体操はお腹が良くなってからね」

「グランマには負ける……」
リッキーが照れている。
「体操だって! これで明日の朝、寝坊したらえらい目にあいそうだな」
「え? じゃ、無しってこと?」
「なんて顔するんだよ。新婚旅行の初日だからね。無しは、無し。僕だって我慢出来ない」
「ま、待って! フェルが我慢出来ないって、俺、死ぬ!」
「そんなにしないよ」
「少ないのもヤだ」
「じゃ、何回ならいい?」
「……3……2回」
「分かった、2回。ちゃんと数えてられるくらい理性が働いたら努力するよ」

 そして、僕の理性はどこかに消えた。3回は越えたかもしれない。だって、リッキーの『やめて』は、やっぱり『もっと』に聞こえたから。
 僕の上で揺れるリッキーは、髪が短くてもきれいだった。僕の上で女の子になってたリッキー。今は くたん と僕の腕の中で眠っている、僕の胸に耳を当てて。



 リッキーは自分のお母さんの話を僕とシェリーにして、あれきり暗い会話も暗い顔もしなくなった。相変わらずつまんないことでシェリーの所に駆け込むから、『タオル代、出しなさいよ!』と僕は怒鳴られた。今じゃ5枚になってるんだ。

 隣のニールとタイラーはすっかり先輩気取りで僕のアドバイザーになっている。二人いわく。
「甘やかすとつけ上がる。甘やかさないと大泣きする」
じゃ、どうすりゃいいんだよ! こんなの、アドバイスでもなんでもない、単なる二人の経験談じゃないか!

 それでも、リッキーと過ごす時間が幸せで堪らない。胸にいるリッキーの寝顔にもう一度キスをする。
「ありがとう、僕と結婚してくれて」
こんなに可愛くて愛しくて。お前が僕に相応しくなろうと努力するように、僕もお前に相応しくなるように努力するよ。でも、努力って言葉に引きずり回されないように気をつけような。

「愛してる」
もう一度そっとキスをした。
「ふぇる」
そうリッキーが寝言を呟いた。
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