60 / 68
60
しおりを挟む
漆黒の柔らかい毛並が、風にそよぐ。
それはまるで、アクヤの体を包み込むように、纏わり付いてきた。
アクヤは今、ランデンブルグ辺境伯邸へと漆黒狼を駆けさせていた。
腕の中ではボスモフが、苦しそうに肩で息をしている。
「ボスクロ、急いでちょうだい。このままでは、ボスモフが危ない」
(……たっぷり息を吸い込んで胸を膨らませ、しっかりと捕まっていて下さい)
そう言うとボスクロ、木立の影に飛び込んだ。お兄様が後ろから、そっと、抱きしめてくれる。
ざっぷん、ざっぷん、ざっぷん!
三度の浮上で、豪華な邸の玄関口に行きあたった。
ボスクロが止まる。
「アンっ!! 」
「きゃっ!? 」
箒を持って清掃していた侍女が、驚きの余り、尻餅をついた。見る見るうちに、その目が見開かれる。
お兄様がさっと飛び降り、アクヤをエスコートしてくれた。
「アン、 ボスモフの治療の手配を。聖女の魔法攻撃で傷を負っているから……」
アンにボスモフを託す。
「おっ、お嬢様っ!?
わっ、分かりました、直ぐに紅復薬のご手配をいたします。
おっ、奥様っ、旦那様っ! お嬢様がお戻りですっ! 」
ボスモフの状態を確認したアンが、声を裏返しながら、邸の中へと駆けて行った。
「相変わらず、アンは優秀だな」
お兄様が、ボソリと呟いた。
「アクヤっ! 本当に、本当にアクヤなの ?」
お母様が、飛び出してきた。頬に手が添えられる。
「光の柱が天を貫いたあと、アンがアクヤの声聞いたというは、やはり、本当だったのね」
アクヤを抱き締める。その目には涙が浮かんでいた。
「ううっ、よかった。無事でいてくれて、本当によかった、うううっ」
さらに、お母様を包み込むようにお父様に抱擁される。既に頬は濡れ、目は真っ赤に腫れ上がっていた。
「あらっ!? 貴方、ゼフ? ぜフリードなの? 」
取り乱すお父様を尻目に、落ち着きを取り戻したお母様が、再び、叫んだ。
「なっ、なんだとっ!? 」
釣られるように、お父様も顔を上げる。
「今までどこに居たの? 元気にしていたの? 怪我はない? 」
お母様の指が、お兄様の体の隅々を撫で回し始めた。
「ご心配をお掛けして、申し訳ありません。クレイ公爵夫人」
「ええ本当に、どれほど心配……えっ、今、なんと? 」
擽ったそうにか答えたお兄様の顔に、緊張が走る。
お母様の目が、見る見るうちに吊り上がり、険しくなってゆく。宛ら、魔女のソレだった。
「ゼフ、今、貴方なんと? 」
「ごしんぱい」
お兄様が即座に答える
「違うわ、その後よっ!
この私のことを何と呼んだっ? 何時から私は貴方の公爵夫人になったの? 貴方が居なくなって、この十年間私はずっーっと、貴方のことを思っていた。それは、母としてよ。少なくとも、私は貴方のことを、実の息子だと思っていた。
それなのに、それなのにっ、貴方の中で私はタダの公爵夫人で、だから、こんなにも長い間、手紙の一つも寄越さなかったのねっ!! 」
「お母様、落ち着いて。お兄様にもお立場が……」
「そうよね。私にも、母である前に公爵夫人という立場があるわ。だから、ゼフリードも手紙を……えっ……」
「すまんっ!!」
母口撃を遮るように、お父様が地面に頭を擦り付けた。
「ゼフリード。本当にすまない」
「貴方、何を……」
「ゼフが消息をたったとき、私は秘密裏に刺客を放った。公爵家随一の切れ者だった。少し探れば、ゼフはハワード侯爵領へと向かったことが分かった。
ハワード侯爵は強かな奴だ。悪い予感しかしなかった。そして、その予感は見事に的中した。いや、悪すぎて外したと言った方がいいか。
優秀な刺客は、爪と成り果てて戻ってきた。それも、王家の封蝋に閉じ込められた状態で……。
私は、怖気付いてしまった。あの時、もしあの時、私にほんの少しばかりの勇気があれば……」
「クレイ公爵閣下、どうか、お顔をお上げください。こうして、僕は元気に戻ってこれたのですから」
「あ、あなた、今まで何処にいたの? 」
お母様が掠れた声で、言った。
「……アルマニア大迷宮に」
「まぁっ」
お母様が息を呑む。
お兄様が侯爵邸で告げられたことを聞き、もう、言葉も発せられない様子だった。
「あぁ、ゼフ。ごめんなさい。私は、何て酷いことを。貴方の状況も考えず、一方的に罵って。
あんなに国王陛下に忠誠を尽くしていた貴方に……。
その仕打ちは、あんまりだわ」
とうとうお母様まで、泣き出してしまった。お兄様が、その肩をそっと抱きしめる。
「僕には、こんなにも深く愛して、再び温かく迎え入れてくれるお二人がいます。僕は、十分、幸せものです」
お兄様が、言葉を噛み締めるように、静かにそう言った。
先代の国王陛下の──いや、先々代と言うべきか──不遇の子として産まれ落ちたお兄様を、2人は実の子の様に可愛がっていた。
お兄様の実母は、お兄様が幼い頃に亡くなっており、その身分も決して高くなかったという。
後ろ盾のいないお兄様を、実質的に、支えていたのがクレイ公爵家だというわけだ。
「そこに、私は入らないのですか? 」
思わず、口を挟んでしまう。
「アクヤ別格だよ。なんて言ったって、僕を救い出してくれたんだから」
「はっ!? 」
今度こそ、お母様の息が止まった。
お兄様が、『しまった』という顔をする。
「あっ、あくやはっ、いまままままで、どこにいたのです? その、白いふわふわのお洋服は、どこぞの村のみんみん族衣装なのでしょう? 」
お母様が、声をうわずらせながら言う。
ここまで、口が滑ったのだ。今更、嘘を言っても火に油を注ぐだけだ。
「アクヤ・クレイ嬢は、地下迷宮に捨てられまして……よ」
「ひぃっ!?」
「「おっ、お母様っ!! 」」
とうとうお母様は、卒倒した。
咄嗟に、お兄様が受け止めてくださる。
心の準備はできていただろうに……。いや、卒倒する心の準備ができていただけなのかもしれない。
「アン、サクヤを部屋に連れて行ってくれ。アクヤがいなくなって以来、夜も寝られていない有り様だった。少し、ゆっくり、休ませてあげてくれ」
「承知しました」
アンが、今度はお母様を連れていく。
「それで、ゼフがアクヤを救い出してくれたのか? 」
お父様が、お兄様の先程の言葉を聞こえなかったかのように、聞く。いや、聞こえたくなかったのだ、きっと。
「いいえ。その逆です。
アクヤが、僕を救い出してくれました」
「……サクヤが居なくてよかった。危うく、もう1回、卒倒させてしまう所だ」
「ちっ、違います。私がお兄様に救われたのです。お兄様との思い出がなければ、あの迷宮は攻略できませんでした」
「なっ、なにっ!? お前は、アルマニア大迷宮を攻略してのかっ!? 」
もう、この際、やけくそだ。
「晴れて、冥王様に選ばれました。以後、お見知り置きを」
「そんな娘を、何処に嫁にやったらいいのだ? 」
優雅に淑女の礼をとるアクヤを見て、お父様は頭を抱えこむ。
「さぞお疲れでしょう。応接室にお食事のご用意をさせました。
……こんな時分ですから、堅パンぐらいしかお出しできませんが。
辺境伯も、もう時期戻るでしょう。アクヤ様と、ゼフ様の冒険話を、お聞きかせいただきたいですわ」
辺境伯夫人が、目元を拭う。そして、にっこりと微笑みながら、そう言った。
それはまるで、アクヤの体を包み込むように、纏わり付いてきた。
アクヤは今、ランデンブルグ辺境伯邸へと漆黒狼を駆けさせていた。
腕の中ではボスモフが、苦しそうに肩で息をしている。
「ボスクロ、急いでちょうだい。このままでは、ボスモフが危ない」
(……たっぷり息を吸い込んで胸を膨らませ、しっかりと捕まっていて下さい)
そう言うとボスクロ、木立の影に飛び込んだ。お兄様が後ろから、そっと、抱きしめてくれる。
ざっぷん、ざっぷん、ざっぷん!
三度の浮上で、豪華な邸の玄関口に行きあたった。
ボスクロが止まる。
「アンっ!! 」
「きゃっ!? 」
箒を持って清掃していた侍女が、驚きの余り、尻餅をついた。見る見るうちに、その目が見開かれる。
お兄様がさっと飛び降り、アクヤをエスコートしてくれた。
「アン、 ボスモフの治療の手配を。聖女の魔法攻撃で傷を負っているから……」
アンにボスモフを託す。
「おっ、お嬢様っ!?
わっ、分かりました、直ぐに紅復薬のご手配をいたします。
おっ、奥様っ、旦那様っ! お嬢様がお戻りですっ! 」
ボスモフの状態を確認したアンが、声を裏返しながら、邸の中へと駆けて行った。
「相変わらず、アンは優秀だな」
お兄様が、ボソリと呟いた。
「アクヤっ! 本当に、本当にアクヤなの ?」
お母様が、飛び出してきた。頬に手が添えられる。
「光の柱が天を貫いたあと、アンがアクヤの声聞いたというは、やはり、本当だったのね」
アクヤを抱き締める。その目には涙が浮かんでいた。
「ううっ、よかった。無事でいてくれて、本当によかった、うううっ」
さらに、お母様を包み込むようにお父様に抱擁される。既に頬は濡れ、目は真っ赤に腫れ上がっていた。
「あらっ!? 貴方、ゼフ? ぜフリードなの? 」
取り乱すお父様を尻目に、落ち着きを取り戻したお母様が、再び、叫んだ。
「なっ、なんだとっ!? 」
釣られるように、お父様も顔を上げる。
「今までどこに居たの? 元気にしていたの? 怪我はない? 」
お母様の指が、お兄様の体の隅々を撫で回し始めた。
「ご心配をお掛けして、申し訳ありません。クレイ公爵夫人」
「ええ本当に、どれほど心配……えっ、今、なんと? 」
擽ったそうにか答えたお兄様の顔に、緊張が走る。
お母様の目が、見る見るうちに吊り上がり、険しくなってゆく。宛ら、魔女のソレだった。
「ゼフ、今、貴方なんと? 」
「ごしんぱい」
お兄様が即座に答える
「違うわ、その後よっ!
この私のことを何と呼んだっ? 何時から私は貴方の公爵夫人になったの? 貴方が居なくなって、この十年間私はずっーっと、貴方のことを思っていた。それは、母としてよ。少なくとも、私は貴方のことを、実の息子だと思っていた。
それなのに、それなのにっ、貴方の中で私はタダの公爵夫人で、だから、こんなにも長い間、手紙の一つも寄越さなかったのねっ!! 」
「お母様、落ち着いて。お兄様にもお立場が……」
「そうよね。私にも、母である前に公爵夫人という立場があるわ。だから、ゼフリードも手紙を……えっ……」
「すまんっ!!」
母口撃を遮るように、お父様が地面に頭を擦り付けた。
「ゼフリード。本当にすまない」
「貴方、何を……」
「ゼフが消息をたったとき、私は秘密裏に刺客を放った。公爵家随一の切れ者だった。少し探れば、ゼフはハワード侯爵領へと向かったことが分かった。
ハワード侯爵は強かな奴だ。悪い予感しかしなかった。そして、その予感は見事に的中した。いや、悪すぎて外したと言った方がいいか。
優秀な刺客は、爪と成り果てて戻ってきた。それも、王家の封蝋に閉じ込められた状態で……。
私は、怖気付いてしまった。あの時、もしあの時、私にほんの少しばかりの勇気があれば……」
「クレイ公爵閣下、どうか、お顔をお上げください。こうして、僕は元気に戻ってこれたのですから」
「あ、あなた、今まで何処にいたの? 」
お母様が掠れた声で、言った。
「……アルマニア大迷宮に」
「まぁっ」
お母様が息を呑む。
お兄様が侯爵邸で告げられたことを聞き、もう、言葉も発せられない様子だった。
「あぁ、ゼフ。ごめんなさい。私は、何て酷いことを。貴方の状況も考えず、一方的に罵って。
あんなに国王陛下に忠誠を尽くしていた貴方に……。
その仕打ちは、あんまりだわ」
とうとうお母様まで、泣き出してしまった。お兄様が、その肩をそっと抱きしめる。
「僕には、こんなにも深く愛して、再び温かく迎え入れてくれるお二人がいます。僕は、十分、幸せものです」
お兄様が、言葉を噛み締めるように、静かにそう言った。
先代の国王陛下の──いや、先々代と言うべきか──不遇の子として産まれ落ちたお兄様を、2人は実の子の様に可愛がっていた。
お兄様の実母は、お兄様が幼い頃に亡くなっており、その身分も決して高くなかったという。
後ろ盾のいないお兄様を、実質的に、支えていたのがクレイ公爵家だというわけだ。
「そこに、私は入らないのですか? 」
思わず、口を挟んでしまう。
「アクヤ別格だよ。なんて言ったって、僕を救い出してくれたんだから」
「はっ!? 」
今度こそ、お母様の息が止まった。
お兄様が、『しまった』という顔をする。
「あっ、あくやはっ、いまままままで、どこにいたのです? その、白いふわふわのお洋服は、どこぞの村のみんみん族衣装なのでしょう? 」
お母様が、声をうわずらせながら言う。
ここまで、口が滑ったのだ。今更、嘘を言っても火に油を注ぐだけだ。
「アクヤ・クレイ嬢は、地下迷宮に捨てられまして……よ」
「ひぃっ!?」
「「おっ、お母様っ!! 」」
とうとうお母様は、卒倒した。
咄嗟に、お兄様が受け止めてくださる。
心の準備はできていただろうに……。いや、卒倒する心の準備ができていただけなのかもしれない。
「アン、サクヤを部屋に連れて行ってくれ。アクヤがいなくなって以来、夜も寝られていない有り様だった。少し、ゆっくり、休ませてあげてくれ」
「承知しました」
アンが、今度はお母様を連れていく。
「それで、ゼフがアクヤを救い出してくれたのか? 」
お父様が、お兄様の先程の言葉を聞こえなかったかのように、聞く。いや、聞こえたくなかったのだ、きっと。
「いいえ。その逆です。
アクヤが、僕を救い出してくれました」
「……サクヤが居なくてよかった。危うく、もう1回、卒倒させてしまう所だ」
「ちっ、違います。私がお兄様に救われたのです。お兄様との思い出がなければ、あの迷宮は攻略できませんでした」
「なっ、なにっ!? お前は、アルマニア大迷宮を攻略してのかっ!? 」
もう、この際、やけくそだ。
「晴れて、冥王様に選ばれました。以後、お見知り置きを」
「そんな娘を、何処に嫁にやったらいいのだ? 」
優雅に淑女の礼をとるアクヤを見て、お父様は頭を抱えこむ。
「さぞお疲れでしょう。応接室にお食事のご用意をさせました。
……こんな時分ですから、堅パンぐらいしかお出しできませんが。
辺境伯も、もう時期戻るでしょう。アクヤ様と、ゼフ様の冒険話を、お聞きかせいただきたいですわ」
辺境伯夫人が、目元を拭う。そして、にっこりと微笑みながら、そう言った。
応援ありがとうございます!
0
お気に入りに追加
139
1 / 5
この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる