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 漆黒の柔らかい毛並が、風にそよぐ。
 それはまるで、アクヤの体を包み込むように、纏わり付いてきた。

 アクヤは今、ランデンブルグ辺境伯邸へと漆黒狼を駆けさせていた。

 腕の中ではボスモフが、苦しそうに肩で息をしている。

「ボスクロ、急いでちょうだい。このままでは、ボスモフが危ない」

(……たっぷり息を吸い込んで胸を膨らませ、しっかりと捕まっていて下さい)

 そう言うとボスクロ、木立の影に飛び込んだ。お兄様が後ろから、そっと、抱きしめてくれる。




 ざっぷん、ざっぷん、ざっぷん!

 三度の浮上で、豪華な邸の玄関口エントランスに行きあたった。
 ボスクロが止まる。




「アンっ!!  」

「きゃっ!?  」

 箒を持って清掃していた侍女が、驚きの余り、尻餅をついた。見る見るうちに、その目が見開かれる。

 お兄様がさっと飛び降り、アクヤをエスコートしてくれた。

「アン、  ボスモフこの子の治療の手配を。聖女の魔法攻撃で傷を負っているから……」

 アンにボスモフを託す。

「おっ、お嬢様っ!?
 わっ、分かりました、直ぐに紅復薬マナポーションのご手配をいたします。
 おっ、奥様っ、旦那様っ!  お嬢様がお戻りですっ!   」

 ボスモフの状態を確認したアンが、声を裏返しながら、邸の中へと駆けて行った。

「相変わらず、アンは優秀だな」

 お兄様が、ボソリと呟いた。



「アクヤっ!  本当に、本当にアクヤなの ?」

 お母様が、飛び出してきた。頬に手が添えられる。

「光の柱が天を貫いたあと、アンがアクヤの声聞いたというは、やはり、本当だったのね」

 アクヤを抱き締める。その目には涙が浮かんでいた。

「ううっ、よかった。無事でいてくれて、本当によかった、うううっ」

 さらに、お母様を包み込むようにお父様に抱擁される。既に頬は濡れ、目は真っ赤に腫れ上がっていた。




「あらっ!?  貴方、ゼフ?  ぜフリードなの?  」

 取り乱すお父様を尻目に、落ち着きを取り戻したお母様が、再び、叫んだ。

「なっ、なんだとっ!?  」

 釣られるように、お父様も顔を上げる。

「今までどこに居たの?  元気にしていたの?  怪我はない?  」

 お母様の指が、お兄様の体の隅々を撫で回し始めた。

「ご心配をお掛けして、申し訳ありません。クレイ公爵夫人」

「ええ本当に、どれほど心配……えっ、今、なんと?  」

 擽ったそうにか答えたお兄様の顔に、緊張が走る。

 お母様の目が、見る見るうちに吊り上がり、険しくなってゆく。宛ら、魔女のソレだった。

「ゼフ、今、貴方なんと?  」

「ごしんぱい」

 お兄様が即座に答える

「違うわ、その後よっ!  
 この私のことを何と呼んだっ?  何時から私は貴方の公爵夫人になったの?  貴方が居なくなって、この十年間私はずっーっと、貴方のことを思っていた。それは、母としてよ。少なくとも、私は貴方のことを、実の息子だと思っていた。
 それなのに、それなのにっ、貴方の中で私はタダの公爵夫人で、だから、こんなにも長い間、手紙の一つも寄越さなかったのねっ!!  」

「お母様、落ち着いて。お兄様にもお立場が……」

「そうよね。私にも、母である前に公爵夫人という立場があるわ。だから、ゼフリードも手紙を……えっ……」

「すまんっ!!」

 母口撃マママシンガンを遮るように、お父様が地面に頭を擦り付けた。




「ゼフリード。本当にすまない」

「貴方、何を……」

「ゼフが消息をたったとき、私は秘密裏に刺客を放った。公爵家随一の切れ者だった。少し探れば、ゼフはハワード侯爵領へと向かったことが分かった。
 ハワード侯爵アイツは強かな奴だ。悪い予感しかしなかった。そして、その予感は見事に的中した。いや、悪すぎて外したと言った方がいいか。
 優秀な刺客は、爪と成り果てて戻ってきた。それも、王家の封蝋に閉じ込められた状態で……。
 私は、怖気付いてしまった。あの時、もしあの時、私にほんの少しばかりの勇気があれば……」

「クレイ公爵閣下、どうか、お顔をお上げください。こうして、僕は元気に戻ってこれたのですから」

「あ、あなた、今まで何処にいたの?  」

 お母様が掠れた声で、言った。

「……アルマニア大迷宮に」

「まぁっ」

 お母様が息を呑む。

 お兄様が侯爵邸で告げられたことを聞き、もう、言葉も発せられない様子だった。

「あぁ、ゼフ。ごめんなさい。私は、何て酷いことを。貴方の状況も考えず、一方的に罵って。
 あんなに国王陛下に忠誠を尽くしていた貴方に……。
 その仕打ちは、あんまりだわ」

 とうとうお母様まで、泣き出してしまった。お兄様が、その肩をそっと抱きしめる。
 
「僕には、こんなにも深く愛して、再び温かく迎え入れてくれるお二人がいます。僕は、十分、幸せものです」

 お兄様が、言葉を噛み締めるように、静かにそう言った。

 先代の国王陛下の──いや、先々代と言うべきか──不遇の子として産まれ落ちたお兄様を、2人は実の子の様に可愛がっていた。
 お兄様の実母は、お兄様が幼い頃に亡くなっており、その身分も決して高くなかったという。
 後ろ盾のいないお兄様を、実質的に、支えていたのがクレイ公爵家だというわけだ。

「そこに、私は入らないのですか?  」

 思わず、口を挟んでしまう。

「アクヤ別格だよ。なんて言ったって、僕を救い出してくれたんだから」

「はっ!? 」

 今度こそ、お母様の息が止まった。
 お兄様が、『しまった』という顔をする。

「あっ、あくやはっ、いまままままで、どこにいたのです?  その、白いふわふわのお洋服は、どこぞの村のみんみん族衣装なのでしょう?  」

 お母様が、声をうわずらせながら言う。

 ここまで、口が滑ったのだ。今更、嘘を言っても火に油を注ぐだけだ。

「アクヤ・クレイ嬢は、地下迷宮に捨てられまして……よ」

「ひぃっ!?」

「「おっ、お母様っ!!  」」

 とうとうお母様は、卒倒した。
 咄嗟に、お兄様が受け止めてくださる。

 心の準備はできていただろうに……。いや、卒倒する心の準備ができていただけなのかもしれない。

「アン、サクヤを部屋に連れて行ってくれ。アクヤがいなくなって以来、夜も寝られていない有り様だった。少し、ゆっくり、休ませてあげてくれ」

「承知しました」

 アンが、今度はお母様を連れていく。

「それで、ゼフがアクヤを救い出してくれたのか?  」

お父様が、お兄様の先程の言葉を聞こえなかったかのように、聞く。いや、聞こえたくなかったのだ、きっと。

「いいえ。その逆です。
 アクヤが、僕を救い出してくれました」

「……サクヤが居なくてよかった。危うく、もう1回、卒倒させてしまう所だ」

「ちっ、違います。私がお兄様に救われたのです。お兄様との思い出がなければ、あの迷宮は攻略できませんでした」

「なっ、なにっ!?  お前は、アルマニア大迷宮を攻略してのかっ!?  」

 もう、この際、やけくそだ。

「晴れて、冥王様に選ばれました。以後、お見知り置きを」

「そんな娘を、何処に嫁にやったらいいのだ?  」

 優雅に淑女の礼をとるアクヤを見て、お父様は頭を抱えこむ。




「さぞお疲れでしょう。応接室にお食事のご用意をさせました。
 ……こんな時分ですから、堅パンぐらいしかお出しできませんが。
 辺境伯主人も、もう時期戻るでしょう。アクヤ様と、ゼフ様の冒険話を、お聞きかせいただきたいですわ」

 辺境伯夫人が、目元を拭う。そして、にっこりと微笑みながら、そう言った。
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