掌編・短編集

わこ

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18.盗んだバイクを走らせたい男の話

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「仕事に行きたくありません」

 昨日の夜から数えてこれで三十六回目。有給を三日挟んで会社のシフトに休みを組み込み、この男が夢の五連休だとはしゃいでいたのは今から百二十時間ほど前。
 五日前の夕食の時には浮かれて手が付けられず、次の日は朝早くから迷惑なほどテンションが高くて、その調子のままどこかしこへと遊びに出かけていたようだったが。

 連休最終日を迎えた今日。現在、午後八時三分。
 同居人が死んだ魚のような目をしてすっかり途方に暮れている。

「あー……終わった。俺はもう終わった。明日からはまた社畜と化して楽しい事なんて何一つもないような仕事に一日中奔走しながらハシタ金のために休憩時間さえ強奪されるサビ残上等の家畜以下の人権無しの最下層労働者として酷使される毎日が訪れるんだ……あぁ……終わった」
「……うるせえな」
「はぁッ? なにっ? 今うるさいって言ったッ!? はぁぁぁあっ? うそだろマジかよ信じらんねえよ、超イミ分かんないんですけどッ!」
「うるせえ」

 同居人は長めの休暇を本気で久々に勝ち取ったせいかヤバい方向へと転落中だ。おそらくこれはサザエさん症候群の一番酷いやつだろう。
 五日間飽きもせずに羽目を外して遊び回って、明日の仕事のことを否が応でも考えてしまう今のこの瞬間が一番つらいのは良く分かる。しかし重症患者と化したこいつは目の据わり方が尋常じゃない。
 ハイテンションのままスクッと立ち上がり、戦場にでも赴くかのごとき足取りで玄関へと向かった。

「つー訳でちょっと夜遊びしてくるな!」
「どういうこと。夜遊びってほど遅い時間でもないよ」
「盗んだバイクで走ってくる!」
「そう。気を付けてね」

 こりゃ駄目だ。マックスで頭がブッ飛んでいる。

 まあ、でもいい。あいつもたまにはバカな事の一つや二つくらいしてくればいいんだ。
 なんだかんだで俺達はかれこれ十年以上の付き合いだけど、中学時代に知り合った当初からあいつの優等生っぷりはちょっと引くくらい徹底していた。

 無遅刻無欠席は当たり前。成績優秀、運動もできる。学級委員長は半ば押し付けられる形でしぶしぶ引き受けていたけれど、結果的には常にクラスをリードして、三年の時には生徒会長に。
 いつでも頼れる存在として輝かしく真面目道を貫き通していたあいつは、いくつになっても堅物のままだ。

 酒は飲まない。煙草も吸わない。好みの女はヤマトナデシコと本気で言ってのけるような童貞野郎。
 遊び方を知らないこいつが連休中に何をしていたか聞けば、公園で鳩に餌をやってきただの、川で魚を眺めて来ただの。
 ジジイかてめえは。そう言ってやりたくなる内容ばかり列挙された。しかし今夜は間違った方にぶっ飛び、尾崎ゴッコをしてくるとの宣言。犯罪には手を染めないでほしいがあいつもたまにはハメを外せばいい。




 などと思っていた矢先。俺のあいつに対する認識はまだまだ浅かったと思い知った。
 奴が出て行ってから二時間少々。一人でのんびり風呂から上がって缶ビールを開けたところ、スマホに電話がかかってきた。表示には見知らぬ番号。

 はて。
 詐欺か何かかと警戒しつつも慎重に応じてみれば、スマホ越しに聞こえてきたのはやはり知らない男の声だ。

『あ、すみません。こちら草野さんのお電話番号ですか?』
「は? ああ、はい。そうですがどちら様で……?」
『警察の者です』

 はて。

 昨今いろんな手口があるからな。これが世に聞く劇場型か。
 そう思ったが、そうじゃなかった。

 事情説明に入っている警察と名乗る声の後ろ。何やらしゃくりあげている様子の、別の男の声が入ってくるからそっちが気になって仕方ない。
 いやもう、なんつーか。なんと言うのか、ホントにもう。

『という訳でこちらにお電話させてもらいまして。この人だいぶ酔っちゃってるみたいでさっきからずっと泣き止まないんですよ。できれば迎え来てもらえるとありがたいんですがね。こちらから送って行ければいいんですけど、住所聞くと自分は人生の迷子だと言って叫びだすので』
「……すみません。すぐ行きます」

 あのバカ野郎。

 かかってきた電話は詐欺でもなんでもない、正真正銘警察からだ。ウチの近くの交番からだった。
 電話相手の後ろでしゃくり上げていた声の正体はと言えば、それは紛れもなくウチの真面目な、尾崎を夢見る男だった。

 お巡りさんの話によればこう。あいつは尾崎ゴッコをするべく夜の街を徘徊していた。ところがまともに夜遊びなんてした事のない奴にとっては、一人で繁華街を歩くこと自体が滅多にないような異常事態。どうすればいいかキョロキョロと、迷ってでもいたのだろう。

 そんな奴の目に留まったのは飲み屋でも風俗でもなく、ゲーセンの裏でたむろしているちょっとガラの悪い若者たちだった。
 イキっがっちゃいるが明らか未成年。真面目でなおかつ正義感の塊みたいな野郎のこいつは、身に沁みついた優等生魂に要らんところで火を点けた。

 委員長モードでその集団の前に立ちはだかったバカ野郎。一言説教を垂てやろうと、ガラの悪い連中に口を出した。しかしそんなウザい男に若者が応じるはずもなく。
 オーソドックスなパターン通り、裏通りでリンチにもつれ込まれ……た、訳じゃなく。こいつはよっぽど運がいいのか、それともマヌケの星に生まれたのか、まあまあまあお兄さんと集団の一人にタラシ込まれて、一緒になってしゃがみ込んだ流れで缶チューハイをごちそうになったらしい。

 普段飲まない男はもちろん酒にとことん弱い。ジュースみたいな甘い酒一杯で早々に楽しくなってきて、集団に交じって仲良くぎゃあぎゃあ騒ぎ回っていたそうだ。
 そしてそこに訪れたのは、今度こそほんまもんの正義の味方。巡回中の警察官に当然ながら職質を受け、少年たちは補導を免れ家に帰るんだぞと窘められたものの、酔い潰れたあいつは情けない事に自分の名前を言うのもやっと。止む無く警察に保護された。


「未成年に酒なんて飲ませるのは言語道断ですけどね。実際はこの方、飲ませた大人ではなくて飲まされた大人ですから。我々としてもこれ以上どうこう言うつもりはありませんが、最低限の節度をもって常識を弁えた行動をしてほしいとそれだけは言わせていただきますよ。あなたに言っても仕方ありませんけど」
「申し訳ありません。どうもご迷惑を……」
「しかしまあ、あなたも大変だね。とにかく夜道に気を付けて帰って。なんならご自宅まで付いて行きましょうか? その人自分じゃまともに歩けないでしょう」
「いえ……。大丈夫です。スミマセン……」

 このアホ野郎。明日になったらシバキ倒す。

 人情が売りのラーメン屋のおやっさんみたいなお巡りさんで良かった。半笑いで呆れ混じりのお叱りを受け、引き渡された大馬鹿野郎を肩に担いで交番を出る。
 チラッと振り返るとおやっさんが交番の前にまだ立っていた。去りゆく俺達を見守っている。ペコッと頭を下げたところ、敬礼の代わりに軽くヒラヒラにこやかに手を振り返された。
 超いい人。今度このバカを連れて改めて謝りに来よう。

 ここからウチまでは徒歩十分とかからない。普段なら。自力で歩く気のないアホを肩に担いでいるせいで、平坦なはずの一直線もなかなかうまくは進まなかった。
 こいつの左腕を俺の首に回させて歩く。何が楽しいのかサッパリ分からないが男の腰をしっかり抱いて家までひたすら歩いていった。

 気を抜けばグースカ寝コケるこいつに、この数分間で何度頭突きをかましたことか分からない。両手が使えないとあっては正当な手段だろう。
 明日の朝のこいつの頭にこぶができていても俺に責任はない。むしろ俺だって痛いんだ。なんで俺がこんな事を。

「んんー」
「オラ、馬鹿。テメエで歩け。しゃんとしろ」
「永遠なる尾崎よぉお。俺が盗んだバイクは走り出しましぇーん!!」
「盗めてねえから安心しろ」

 駄目だ。これは駄目すぎる。

「そつぎょぉーぉおお」
「歌変わったぞいいのか」
「きしむベッドの上でぇ」
「一人で寝るんだろ」
「あいらぁぁああーびゅぅぅううー!」
「分かったごめんね」

 もうヤダこの酔っ払い。
 ガキと酒なんか飲んでいないで風俗にでも行けば良かったんだ。情緒不安定な万年童貞はめんどくさいことこの上ない。

 溜息が漏れる。暴れるこいつを宥めながら再び歩き出して少々、急におとなしくなったこいつは完全に俺へともたれ掛かった。担ぐ勢いでバカの体重を支えてやっている俺は、どうにかこうにかやっとの思いで歩いているような状態だ。
 仕事仕事で毎日キビキビ動いているこの男が、こうやって馬鹿を晒す姿なんて滅多なことでは拝めない。元々天然の気はあったけど、生真面目な性格がそれを打ち消し、常にしっかり足を立たせて一人で気張っているこいつがまさかこんなことになろうとは。

 二人で同居を始めて数年。ここ最近は俺にも気を許してきたと思っていた。一歩外に出てしまえば本当に真面目一本だけれど、家にいると不思議な言動を突如かましてくることもある。
 本人は決して認めないのだが可愛い物が大好きで、モフッとした小さいヒヨコのぬいぐるみを気紛れに買って帰ったら、冷静な言葉とは対照的に両目をキラッキラさせながら、ヒヨコを大事そうに抱えて自室に持って帰った事もあった。

 普段溜めこんでばかりいるから、発散させた途端にこうなる。遊びベタな同居人はこれからもきっと変わらないはず。お互いの休みが重なった時に、たまには俺がこいつの腕を引いてどこかへ連れ出してみるのもいいかも。

「んー。おざきぃー」
「どんだけ好きなんだ」

 バイクでも買うか。幸か不幸か大型二輪の免許なら持っている。
 こいつを後ろに乗せてやって、気分だけでも十五歳に浸らせてやるのも悪くない。それはそれでおそらくこいつは、文句を垂れてきそうだが。

「おいバカ。寝るな」
「んー。んん……」
「……しゃあねえな」

 遊びベタな真面目な男に、遊び尽くす方法を教えてやろう。
 いくつになっても所詮ガキなのは男の短所で、長所でもある。学生気分を振りかざしながらバカみたいにぎゃあぎゃあ騒げる。騒ぐ術を一つも持たずにここまで来てしまった男には、今こそ生真面目委員長から卒業させてやるべきだ。
 いい年こいて何してんだか。そう言って呆れかえるほど、バカな経験を俺がさせてやる。

「バイクは盗ませねえけどな」
「むぅ……」
「アホづら」

 人にすっかりもたれ掛かって耳聡く何かに反応したこいつ。むにゃむにゃ言っているバカ野郎の額を、ペチンと叩いたら小気味良い音が鳴った。
 長くて重い、けれど妙に、笑えてくるこの夜道。手の焼ける童貞を担ぎつつ、尾崎メドレーの鼻歌に合わせてゆっくりと家を目指した。
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