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11. 隣人とゴハンⅡ
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あの日を境に瀬名さんと一緒に夕食を取るのが恒例になった。この分なら貰った食材も駄目にしてしまう前に使い切れるだろう。
もうすぐ最後となるそれらの残量を目視した。今朝は普段よりも少しだけ早起きした。キッチンに立つために。
ここ数日の間で分かった事がある。一見すれば完璧な大人の数少ない欠点だ。
食生活が大変に悲惨。あの男は自分の食事にまるで関心のない人間だった。
仕事と生活に支障が出ない程度の体調管理ができていればいい。それくらいに思っている節がある。毎晩向かい合っているうちにそんな様子が伝わってきた。
それでも辛うじて好みというものはあるらしく、カップ麺の類はとりあえず好きじゃない。コンビニ弁当もあまり買う事はないそうだ。ファストフードを利用する機会でさえ滅多にないと。あれは悪魔の食い物だとまで言っていた。
ならば何を食って生きているのか。その答えは栄養補給系のゼリー飲料、もしくは携帯補助食。どこの軍人だ。
本人が言うには仕事がバタついている時に限っての事であって、普段は外食やら何やらもう少しまともな食生活をしているとのこと。どちらにせよ健康的であるとは言えないのだが。
あの人の事を知れば知るほど呆れ返った。そして同時に不安にもなった。うちのお隣さんは放っておくと栄養失調で死ぬかもしれない。見た目は至って健康そうだがこのままではいずれガタが来る。
大学に行く時刻を迎え、荷物と鍵を持って玄関に向かった。いつも大学へ持って行っているカバンが一つと、それから今日はもう一つ。手提げの付いた小さい紙袋。それをしっかり握りしめ、扉を開けると同時に左側へと顔が向く。
隣の部屋のドアもちょうど開いた。
「瀬名さん」
声をかければすぐに目が合う。相変わらずスーツには皺ひとつない。
「おはよう」
「おはようございます」
外に出てお互い戸締りをした後は、二人揃って目指すのが階段。今にも壊れそうなエレベーターならあるにはあるけど一台しかないし、朝は住人が忙しなく動き出す時間帯だ。三階からなら階段を使った方が断然早い。
瀬名さんの後ろについて階段を下りながら大きい背中をじっと見つめた。瀬名さんは高校時代に水泳をやっていたそうだ。脱いだら凄そうだと一瞬だけ想像しかけて、馬鹿な事を考えた自分に心底げっそりさせられた。
マンション前の道に出たあとは何食わぬ顔でこの人の隣を歩いた。持っている紙袋をちらりと見下ろす。ペラペラの取っ手を握り直し、瀬名さんの顔は極力見ない。前だけを見るようにした。
「あの俺、今日バイトでちょっと遅くなるんです」
「そうか。帰り気を付けろよ」
「……どうも」
この人はなんだってこう。女の子に言うようなセリフをサラリと。
こそばゆさに負けそうになるが、ここで負けたら早起きした意味がない。
「それで今夜は晩飯作れないんですけど……」
「ああ。俺のことは気にしなくていい」
「……代わりに昼メシ作りました」
「あ?」
ガサッと突きつけた紙袋。この人の足がそこで止まり、それに合わせて俺も止まった。
この中に入っているのは弁当だ。オーソドックスな二段重ねの弁当箱を、これまたオーソドックスな弁当包みで包んである。
定番の卵焼きは入れた。唐揚げだって朝から揚げた。野菜も入っている。彩りは悪くないはず。バランスも考えた。文句はないだろう。
「食ってください」
「…………」
「迷惑ですか」
「……とんでもない」
「ならどうぞ」
いくらか強引に受け取らせた。瀬名さんは困惑した様子で俺を見てくる。
「さすがに弁当まで作ってるとは思ってなかった」
「普段は作りませんよ。俺も昼は学食使ってます」
「……これは?」
「ただのお節介です。あんたの食生活知っちゃうと心配にしかならないんで」
瀬名さんの態度はいつもの通り冷静。それでも心なしか動揺した様子が表情に混じっているのも分かる。
「俺がやりたくて勝手にやってます」
「…………」
いつかこの人に言われたそれを、そっくりそのままお返ししてやった。緊張感が爽快感に変わる。落ち着かないような顔をしている時の少し珍しい瀬名さんは、割とそんなに嫌いじゃない。
「……若い奴の順応力ってもんは怖いな」
「そうですか。俺は今ちょっと気分がいいです」
「だろうよ」
微妙な顔をして瀬名さんは笑った。しかしそこはやはり相手が悪い。ただでは起きないのがこの人だ。
「遥希」
「はい?」
「ありがとう。会社で弁当見せびらかす」
「やめてください」
一瞬前までの戸惑いはどこへ。冗談なのか本気なのか分からない事を宣言してくる。弁当の中身は他人に見せびらかせる程の物ではない。恥ずかしいからそれだけはやめてほしい。
隣からぽんっと頭に手を置かれても拒まなかった。拒む必要が俺にはなかった。
軽く撫でられ、照れくさいから視線だけ下げる。時々される子ども扱いは果たしてどういうつもりなのか。
頭からはすぐに大きな手のひらが離れていった。ちらりと見上げたその顔に目が止まる。この人が無駄に男前なのはいつものことで、それがちょっとだけイラついた。
「じゃあな」
「……はい」
別れ道に差し掛かるまではいつもあっという間。歩く距離は変わらないのに、日に日に短くなっているような気がする。
時間が過ぎるのが早い。そう思うのはどういうときか。
事態は悪化の一途をたどるばかり。この状況はかなりまずい。
もうすぐ最後となるそれらの残量を目視した。今朝は普段よりも少しだけ早起きした。キッチンに立つために。
ここ数日の間で分かった事がある。一見すれば完璧な大人の数少ない欠点だ。
食生活が大変に悲惨。あの男は自分の食事にまるで関心のない人間だった。
仕事と生活に支障が出ない程度の体調管理ができていればいい。それくらいに思っている節がある。毎晩向かい合っているうちにそんな様子が伝わってきた。
それでも辛うじて好みというものはあるらしく、カップ麺の類はとりあえず好きじゃない。コンビニ弁当もあまり買う事はないそうだ。ファストフードを利用する機会でさえ滅多にないと。あれは悪魔の食い物だとまで言っていた。
ならば何を食って生きているのか。その答えは栄養補給系のゼリー飲料、もしくは携帯補助食。どこの軍人だ。
本人が言うには仕事がバタついている時に限っての事であって、普段は外食やら何やらもう少しまともな食生活をしているとのこと。どちらにせよ健康的であるとは言えないのだが。
あの人の事を知れば知るほど呆れ返った。そして同時に不安にもなった。うちのお隣さんは放っておくと栄養失調で死ぬかもしれない。見た目は至って健康そうだがこのままではいずれガタが来る。
大学に行く時刻を迎え、荷物と鍵を持って玄関に向かった。いつも大学へ持って行っているカバンが一つと、それから今日はもう一つ。手提げの付いた小さい紙袋。それをしっかり握りしめ、扉を開けると同時に左側へと顔が向く。
隣の部屋のドアもちょうど開いた。
「瀬名さん」
声をかければすぐに目が合う。相変わらずスーツには皺ひとつない。
「おはよう」
「おはようございます」
外に出てお互い戸締りをした後は、二人揃って目指すのが階段。今にも壊れそうなエレベーターならあるにはあるけど一台しかないし、朝は住人が忙しなく動き出す時間帯だ。三階からなら階段を使った方が断然早い。
瀬名さんの後ろについて階段を下りながら大きい背中をじっと見つめた。瀬名さんは高校時代に水泳をやっていたそうだ。脱いだら凄そうだと一瞬だけ想像しかけて、馬鹿な事を考えた自分に心底げっそりさせられた。
マンション前の道に出たあとは何食わぬ顔でこの人の隣を歩いた。持っている紙袋をちらりと見下ろす。ペラペラの取っ手を握り直し、瀬名さんの顔は極力見ない。前だけを見るようにした。
「あの俺、今日バイトでちょっと遅くなるんです」
「そうか。帰り気を付けろよ」
「……どうも」
この人はなんだってこう。女の子に言うようなセリフをサラリと。
こそばゆさに負けそうになるが、ここで負けたら早起きした意味がない。
「それで今夜は晩飯作れないんですけど……」
「ああ。俺のことは気にしなくていい」
「……代わりに昼メシ作りました」
「あ?」
ガサッと突きつけた紙袋。この人の足がそこで止まり、それに合わせて俺も止まった。
この中に入っているのは弁当だ。オーソドックスな二段重ねの弁当箱を、これまたオーソドックスな弁当包みで包んである。
定番の卵焼きは入れた。唐揚げだって朝から揚げた。野菜も入っている。彩りは悪くないはず。バランスも考えた。文句はないだろう。
「食ってください」
「…………」
「迷惑ですか」
「……とんでもない」
「ならどうぞ」
いくらか強引に受け取らせた。瀬名さんは困惑した様子で俺を見てくる。
「さすがに弁当まで作ってるとは思ってなかった」
「普段は作りませんよ。俺も昼は学食使ってます」
「……これは?」
「ただのお節介です。あんたの食生活知っちゃうと心配にしかならないんで」
瀬名さんの態度はいつもの通り冷静。それでも心なしか動揺した様子が表情に混じっているのも分かる。
「俺がやりたくて勝手にやってます」
「…………」
いつかこの人に言われたそれを、そっくりそのままお返ししてやった。緊張感が爽快感に変わる。落ち着かないような顔をしている時の少し珍しい瀬名さんは、割とそんなに嫌いじゃない。
「……若い奴の順応力ってもんは怖いな」
「そうですか。俺は今ちょっと気分がいいです」
「だろうよ」
微妙な顔をして瀬名さんは笑った。しかしそこはやはり相手が悪い。ただでは起きないのがこの人だ。
「遥希」
「はい?」
「ありがとう。会社で弁当見せびらかす」
「やめてください」
一瞬前までの戸惑いはどこへ。冗談なのか本気なのか分からない事を宣言してくる。弁当の中身は他人に見せびらかせる程の物ではない。恥ずかしいからそれだけはやめてほしい。
隣からぽんっと頭に手を置かれても拒まなかった。拒む必要が俺にはなかった。
軽く撫でられ、照れくさいから視線だけ下げる。時々される子ども扱いは果たしてどういうつもりなのか。
頭からはすぐに大きな手のひらが離れていった。ちらりと見上げたその顔に目が止まる。この人が無駄に男前なのはいつものことで、それがちょっとだけイラついた。
「じゃあな」
「……はい」
別れ道に差し掛かるまではいつもあっという間。歩く距離は変わらないのに、日に日に短くなっているような気がする。
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事態は悪化の一途をたどるばかり。この状況はかなりまずい。
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