13 / 302
13. 残念な大人
しおりを挟む
お茶か紅茶かコーヒー。もしくはミネラルウォーター。ウチで出せる飲料物だ。酒は買わないから一つも置いていない。買える年齢じゃないし、そもそも好きでもないし。
酒とかあった方がいいですか。瀬名さんに一度聞いてみた事がある。食事中でも食後でも、飲みたいなら俺に気を使う必要はないからと。
その時の瀬名さんからの答えはノー。基本的に飲まないらしい。飲めない訳ではないようだが、付き合いでもない限りは酒との縁が全く無いそう。煙草は吸うが酒はそうでもない。それが瀬名さんの嗜好だった。
「空き缶とかでよければ出します?」
「あ?」
「いえ、灰皿用に。吸いたいんじゃないですか?」
「……いや」
サラリーマンの日常なんて俺には分からない。けれど毎日煙草を吸うような人は一定間隔で吸いたくなっているようなイメージがある。だから訊ねてみたものの、瀬名さんはここでも首を左右に振った。
寝室に煙が漂ったところで特に気にしない。遠慮する事は何もないのに、しかしそう言えば瀬名さんが煙草を吸っている姿を俺は一度も見たことがなかった。
吸っている時の煙がゆらゆらと舞っているなと、ベランダに踏み出た時に気付いた事があっただけ。そしてそれでさえもすぐに消される。そんな事をふと振り返った。
「瀬名さんってなんで俺の前でタバコ吸わないの?」
これは単純な興味だ。スモーカーなのに俺にはその姿を見せない。
どうしてなのかと問いかけてみれば、瀬名さんは少し困った顔をした。
「最近の若い奴らは喫煙者を嫌うだろ」
「そうですか?」
「自分らが吸わねえからな」
言われてみれば確かにバイト先の先輩達にも喫煙者はいない気がする。
「お前は嫌じゃねえのか。横でタバコ吸ってるおっさんなんか鬱陶しいだけだろうよ」
「あなたは時々すっごい自虐的になりますよね」
「三十代のメンタルなめんな。ちょっとしたことですぐにズタボロだ」
こんなにも無駄に粘り強い人がそこまで脆弱なメンタルだとはとても思えない。
というか三十代なのかこの人。三十前後だろうとは思っていたが、ちゃんと年を聞いた事はなかった。
「正確にはいくつなんです?」
「三十二」
「なんだ、全然おっさんって年じゃないですよ」
「学生からしたら十分におっさんだろ。お前とは一回り以上も離れてる」
普通に計算して十四コ違い。新たに加わったこの人の情報だ。だがそれよりも。
「……気にしてたんだ」
「そりゃあな」
「意外かも」
「年寄りは若い奴に引け目を感じるもんなんだよ」
「年寄りって……」
三十二歳で年寄りになるなら本物のシニアはどうなるんだ。
「瀬名さんの見た目なら二十代でも全然通用すると思いますけど」
「若く見られてもそれはそれで男として微妙なところだ」
「なんなんですかめんどくせえな」
年寄りって卑下してみたり若く見られるのは嫌だと言ってみたり。
この大人は話せば話すほど最初の印象とは異なる顔を見せてくる。煙草の煙を気にしてくれる人であるのは分かっていた。だが俺と自分の年齢を比べて引け目に感じるとは知らなかった。
「瀬名さんはなんかちょっと、俺のイメージとは違う人だったかもしれません」
思ったより普通の人だった。瀬名さんは手にしていたマグカップをテーブルの上に戻して、興味のあるような目を向けてくる。
「どう違ったんだ」
「いえまあ、なんて言うか。最初はひたすらクソ腹立つ大人だなって感じだったんですけど」
「口悪いなお前」
「あんたも人のこと言えませんよ」
地方出身者同士その辺はお互い様だろう。
クソ腹立つ大人であるのは今だって変わらない。行動には隙がなくて捉えどころがないし、仕事が出来そうなお兄さんは驕る事を決してしないから逆にそれがイヤミだし。
人の話を聞かないようでいて実はよく聞いている。不真面目な口振りとは裏腹にその内側はどこまでも誠実。一言でまとめるなら良く分からない人だ。だから俺とは違う所で生きているような気がしていた。
「それで、今は?」
でも今は。今の、この人に対する印象は。
時々変なところで弱腰になる人。学生の俺を見下すどころか、自分の年を気にするような人。そういう人を前にして、俺がひとつ思うことは。
「……あれですね。黙ってりゃイケメン」
はっ、と瀬名さんがおかしげに笑った。
これで間違いないだろう。黙ってさえいれば文句なしにカッコイイ。黙れない人だから何かと残念だ。
「あなたは色々もったいないと思う」
「黙ってたら惚れてくれるのか」
「惚れねえし。そういうトコですよ」
呆れ気味に俺が返しても瀬名さんは挫けない。この男のどこにメンタルの弱い要素があるのか教えてほしい。
「どうしても惚れねえか」
「どうしても惚れません」
「どうすれば惚れるんだ」
「俺に聞かれても分かりません。ケーキもらったところで惚れないのは確実ですけど」
今はもう瀬名さんがくれる物なら何であっても遠慮なくもらっている。しかしこうやって話しているのは、貢ぎ物が理由ではない。
「相変わらず手強いな」
「あなたは相変わらず諦めが悪すぎます」
「俺の長所だろ」
「短所じゃないんですか」
黙ってりゃイケメンな男はやっぱりここでも黙らなかった。諦めずにグイグイ来る。短所であろうと長所であろうと俺にとっては迷惑な話だ。
「ケーキが駄目ならマカロンで総攻撃かけてみるか」
「やめてホント」
うんざりと吐き捨てても瀬名さんは満足そうなままだから、ついついこっちまでそれにつられる。並んで座るこの空間には二人分の笑い声がクスクスと混ざっていった。
瀬名さんのマグカップの中身が底をつくのはもうすぐ。完全になくなってしまえばこの人は腰を上げる。だからそうなってしまう前に、もう一杯を俺が勧める。そうやって引き止めているのだって、貢ぎ物のせいじゃない。
「おかわりいります?」
「……ああ。頼む」
黙らないこの人と、もう少しだけ話していたい。
酒とかあった方がいいですか。瀬名さんに一度聞いてみた事がある。食事中でも食後でも、飲みたいなら俺に気を使う必要はないからと。
その時の瀬名さんからの答えはノー。基本的に飲まないらしい。飲めない訳ではないようだが、付き合いでもない限りは酒との縁が全く無いそう。煙草は吸うが酒はそうでもない。それが瀬名さんの嗜好だった。
「空き缶とかでよければ出します?」
「あ?」
「いえ、灰皿用に。吸いたいんじゃないですか?」
「……いや」
サラリーマンの日常なんて俺には分からない。けれど毎日煙草を吸うような人は一定間隔で吸いたくなっているようなイメージがある。だから訊ねてみたものの、瀬名さんはここでも首を左右に振った。
寝室に煙が漂ったところで特に気にしない。遠慮する事は何もないのに、しかしそう言えば瀬名さんが煙草を吸っている姿を俺は一度も見たことがなかった。
吸っている時の煙がゆらゆらと舞っているなと、ベランダに踏み出た時に気付いた事があっただけ。そしてそれでさえもすぐに消される。そんな事をふと振り返った。
「瀬名さんってなんで俺の前でタバコ吸わないの?」
これは単純な興味だ。スモーカーなのに俺にはその姿を見せない。
どうしてなのかと問いかけてみれば、瀬名さんは少し困った顔をした。
「最近の若い奴らは喫煙者を嫌うだろ」
「そうですか?」
「自分らが吸わねえからな」
言われてみれば確かにバイト先の先輩達にも喫煙者はいない気がする。
「お前は嫌じゃねえのか。横でタバコ吸ってるおっさんなんか鬱陶しいだけだろうよ」
「あなたは時々すっごい自虐的になりますよね」
「三十代のメンタルなめんな。ちょっとしたことですぐにズタボロだ」
こんなにも無駄に粘り強い人がそこまで脆弱なメンタルだとはとても思えない。
というか三十代なのかこの人。三十前後だろうとは思っていたが、ちゃんと年を聞いた事はなかった。
「正確にはいくつなんです?」
「三十二」
「なんだ、全然おっさんって年じゃないですよ」
「学生からしたら十分におっさんだろ。お前とは一回り以上も離れてる」
普通に計算して十四コ違い。新たに加わったこの人の情報だ。だがそれよりも。
「……気にしてたんだ」
「そりゃあな」
「意外かも」
「年寄りは若い奴に引け目を感じるもんなんだよ」
「年寄りって……」
三十二歳で年寄りになるなら本物のシニアはどうなるんだ。
「瀬名さんの見た目なら二十代でも全然通用すると思いますけど」
「若く見られてもそれはそれで男として微妙なところだ」
「なんなんですかめんどくせえな」
年寄りって卑下してみたり若く見られるのは嫌だと言ってみたり。
この大人は話せば話すほど最初の印象とは異なる顔を見せてくる。煙草の煙を気にしてくれる人であるのは分かっていた。だが俺と自分の年齢を比べて引け目に感じるとは知らなかった。
「瀬名さんはなんかちょっと、俺のイメージとは違う人だったかもしれません」
思ったより普通の人だった。瀬名さんは手にしていたマグカップをテーブルの上に戻して、興味のあるような目を向けてくる。
「どう違ったんだ」
「いえまあ、なんて言うか。最初はひたすらクソ腹立つ大人だなって感じだったんですけど」
「口悪いなお前」
「あんたも人のこと言えませんよ」
地方出身者同士その辺はお互い様だろう。
クソ腹立つ大人であるのは今だって変わらない。行動には隙がなくて捉えどころがないし、仕事が出来そうなお兄さんは驕る事を決してしないから逆にそれがイヤミだし。
人の話を聞かないようでいて実はよく聞いている。不真面目な口振りとは裏腹にその内側はどこまでも誠実。一言でまとめるなら良く分からない人だ。だから俺とは違う所で生きているような気がしていた。
「それで、今は?」
でも今は。今の、この人に対する印象は。
時々変なところで弱腰になる人。学生の俺を見下すどころか、自分の年を気にするような人。そういう人を前にして、俺がひとつ思うことは。
「……あれですね。黙ってりゃイケメン」
はっ、と瀬名さんがおかしげに笑った。
これで間違いないだろう。黙ってさえいれば文句なしにカッコイイ。黙れない人だから何かと残念だ。
「あなたは色々もったいないと思う」
「黙ってたら惚れてくれるのか」
「惚れねえし。そういうトコですよ」
呆れ気味に俺が返しても瀬名さんは挫けない。この男のどこにメンタルの弱い要素があるのか教えてほしい。
「どうしても惚れねえか」
「どうしても惚れません」
「どうすれば惚れるんだ」
「俺に聞かれても分かりません。ケーキもらったところで惚れないのは確実ですけど」
今はもう瀬名さんがくれる物なら何であっても遠慮なくもらっている。しかしこうやって話しているのは、貢ぎ物が理由ではない。
「相変わらず手強いな」
「あなたは相変わらず諦めが悪すぎます」
「俺の長所だろ」
「短所じゃないんですか」
黙ってりゃイケメンな男はやっぱりここでも黙らなかった。諦めずにグイグイ来る。短所であろうと長所であろうと俺にとっては迷惑な話だ。
「ケーキが駄目ならマカロンで総攻撃かけてみるか」
「やめてホント」
うんざりと吐き捨てても瀬名さんは満足そうなままだから、ついついこっちまでそれにつられる。並んで座るこの空間には二人分の笑い声がクスクスと混ざっていった。
瀬名さんのマグカップの中身が底をつくのはもうすぐ。完全になくなってしまえばこの人は腰を上げる。だからそうなってしまう前に、もう一杯を俺が勧める。そうやって引き止めているのだって、貢ぎ物のせいじゃない。
「おかわりいります?」
「……ああ。頼む」
黙らないこの人と、もう少しだけ話していたい。
114
あなたにおすすめの小説
入社1ヶ月のワンコ系男子が、知らずのうちに射止めたのはイケメン社長!?
monteri
BL
CM制作会社の新入社員、藤白純太は入社1ヶ月で教育係の先輩が過労で倒れたため、特別なクライアントの担当を引き継ぐことになる。
そのクライアントは、女子禁制ミーハー厳禁の芸能事務所だった。
主人公の無知で純なところに、翻弄されたり、骨抜きにされるイケメン社長と、何も知らない純太がドキドキするお話です。
※今回の表紙はAI生成です
夜が明けなければいいのに(洋風)
万里
BL
大国の第三皇子・ルシアンは、幼い頃から「王位には縁のない皇子」として育てられてきた。輝く金髪と碧眼を持つその美貌は、まるで人形のように完璧だが、どこか冷ややかで近寄りがたい。
しかしその裏には、誰よりも繊細で、愛されたいと願う幼い心が隠されている。
そんなルシアンに、ある日突然、国の命運を背負う役目が降りかかる。
長年対立してきた隣国との和平の証として、敵国の大公令嬢への婿入り――実質的な“人質”としての政略結婚が正式に決まったのだ。
「名誉ある生贄」。
それが自分に与えられた役割だと、ルシアンは理解していた。
部屋に戻ると、いつものように従者のカイルが静かに迎える。
黒髪の護衛騎士――幼い頃からずっと傍にいてくれた唯一の存在。
本当は、別れが怖くてたまらない。
けれど、その弱さを見せることができない。
「やっとこの退屈な城から出られる。せいせいする」
心にもない言葉を吐き捨てる。
カイルが引き止めてくれることを、どこかで期待しながら。
だがカイルは、いつもと変わらぬ落ち着いた声で告げる。
「……おめでとうございます、殿下」
恭しく頭を下げるその姿は、あまりにも遠い。
その淡々とした態度が、ルシアンの胸に鋭く突き刺さる。
――おめでとうなんて、言わないでほしかった。
――本当は、行きたくなんてないのに。
和風と洋風はどちらも大筋は同じようにしようかと。ところどころ違うかもしれませんが。
お楽しみいただければ幸いです。
夜が明けなければいいのに(和風)
万里
BL
時は泰平の世。華やかな御所の奥で、第三皇子・透月は政の渦に巻き込まれていた。隣国――かつて刃を交えた国との和睦の証として、姫のもとへ婿入りすることが決まったのだ。
表向きは「良縁」と囁かれ、朝廷は祝賀の空気に包まれる。しかし、透月の胸中は穏やかではない。鋭い眼差しと冷ややかな物腰で「冷徹の皇子」と噂される彼だが、その実、心は誰よりも臆病で、幼い頃から傍に仕えてきた従者・玄にだけは甘えたいという弱さを抱えていた。
だが、その弱さを悟られるのが怖い。
透月は苛立ちを隠すように、玄へ無茶な命を次々と下す。
「お前の顔など見たくない」
突き放すような言葉を投げつけても、玄はただ静かに頭を垂れ、淡々と従うだけ。
その背が遠ざかっていく瞬間、透月は思わず目を伏せる。
婿入りが迫る中、二人の距離は近いようでいて、決して触れられない。
なんか昔こんなのあったよなあと思いつつ、私が読みたいから書く…!
そして、和風と洋風も書いてみます。どっちバージョンもいいなあと思いまして。
バツイチ上司が、地味な僕を特別扱いしてくる
衣草 薫
BL
理性的でクールなバツイチ上司・桐原恒一は、過去の失敗から、もう誰も必要としないと決めて生きてきた。
男が好きだという事実を隠し、「期待しなければ傷つかない」と思い込んできた部下・葉山直。
すれ違いと誤解の果てに、直が職場を去ろうとしたとき、恒一は初めて“追いかける”ことを選ぶ。
選ばれないと信じてきた直と、逃げないと決めた恒一。
二人の距離が近づくことで、直は「ここにいていい」と思える場所を見つけていく。
元ノンケ上司×自己肯定感低め部下の社会人BL。※ハッピーエンド保証。
病弱の花
雨水林檎
BL
痩せた身体の病弱な青年遠野空音は資産家の男、藤篠清月に望まれて単身東京に向かうことになる。清月は彼をぜひ跡継ぎにしたいのだと言う。明らかに怪しい話に乗ったのは空音が引き取られた遠縁の家に住んでいたからだった。できそこないとも言えるほど、寝込んでばかりいる空音を彼らは厄介払いしたのだ。そして空音は清月の家で同居生活を始めることになる。そんな空音の願いは一つ、誰よりも痩せていることだった。誰もが眉をひそめるようなそんな願いを、清月は何故か肯定する……。
発情期のタイムリミット
なの
BL
期末試験を目前に控えた高校2年のΩ・陸。
抑制剤の効きが弱い体質のせいで、発情期が試験と重なりそうになり大パニック!
「絶対に赤点は取れない!」
「発情期なんて気合で乗り越える!」
そう強がる陸を、幼なじみでクラスメイトのα・大輝が心配する。
だが、勉強に必死な陸の周りには、ほんのり漂う甘いフェロモン……。
「俺に頼れって言ってんのに」
「頼ったら……勉強どころじゃなくなるから!」
試験か、発情期か。
ギリギリのタイムリミットの中で、二人の関係は一気に動き出していく――!
ドタバタと胸きゅんが交錯する、青春オメガバース・ラブコメディ。
*一般的なオメガバースは、発情期中はアルファとオメガを隔離したり、抑制剤や隔離部屋が管理されていたりしていますが、この物語は、日常ラブコメにオメガバース要素を混ぜた世界観になってます。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる