貢がせて、ハニー!

わこ

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244.美味しいドレッシングの作り方

「食のことを何も知らずに生きてきた自分が恥ずかしい」
「人生の三分の一くらいで気づけて良かったじゃないですか」
「これを機に食材についてもっと勉強することにした」
「なんでだよもう何もすんなよ懲りろよ」
「遥希の健康は俺が守る」
「自分でどうにかするんで俺のことは放っといてください」

 カッテージチーズとクコの実をたっぷり散らしたサラダをつつきながら丁重にお断りする。この男に俺の健康を守らせようとしたらウチは健康食材まみれになってしまう。

「そんなんじゃ商売人たちのいいカモですよ」
「お前のためならカモにでもなれる」
「なんでそんな誇らしそうなの」
「お前のお母さんに遥希をよろしくと頼まれたからな」
「あれに深い意味はありません」
「いいや、あれは命を守れという指令だった」
「母さんの言葉を曲解しないでもらえますか」
「どうせお前には親心なんて分からない」
「あんただって分かってねえだろ」

 実家に自分の部屋ないくせに。

 ムシャムシャと植物を食す。さっきからサラダに伸びる手が止まらない。上にかけてある乳白色のドレッシングはとびきり上出来だったと思う。
 これは決して自画自賛ではなく、なぜなら瀬名さんもさっきからずっとパクパクとレタスを食っている。舌の肥えたこの男は食いっぷりが非常に素直だが、かと言って食事にこだわってきたわけでもない。今でもそれは変わらないだろう。自分一人なら食材に興味は持たなかったはず。

「瀬名さんは好き嫌いが激しいだけで食事なんかどうでもいいと思ってたんでしょ」
「どうでもいいと思って適当にしてきたことを後悔してる。俺には食の良し悪しについて判断する材料が何もない」
「家庭科の教科書レベルの知識くらいあれば十分健康に暮らせますって」
「栄養マイスターにならずして恋人の生命を守れるもんか」
「人間何事もいきすぎると矛盾してくるもんですよ。ていうか栄養マイスターって何」
「健康を極めた人間にだけ与えられる称号だ」
「変な称号を勝手に作るな。極めすぎたせいで生き物として逆にマズいことになっちゃってる健康オタクみたいになりますよ」

 体にいいマニアの中には割かし不健康そうなのが多い。整形もやりすぎるとおかしなことになっちゃうのと同じだろうか。最終的には奇跡の水とかに辿り着いてしまうかもしれない。
 奇跡の水には頼りたくないので、目の前の植物とタンパク質を口に運んだ。やっぱりこのドレッシングうまい。

「季節ごとに旬のものを色々食わせてもらいながら育ってきた俺が申し上げますが」
「待ってくれ、メモを取る」
「取らなくていいです。そんな大したこと言いません」

 マジメか。

 サラダに続いてパクリと口に放り込んだメインらしき何か。高野豆腐とトリ肉とインゲンと人参で作ったごちゃ混ぜすぎる炒め物。作ったというより家にある物を適当にフライパンに投げ込んだだけだが、瀬名さんがどっかから買ってきた謎の旨い調味ソースがいい感じにパンチを利かせている。

「丈夫な体っていうのは特定の何かを食えば手に入るようなもんではないですからね。個体差デカいし生きてる環境にも左右されますし。これはあなたの方が詳しいでしょ」
「腸内細菌のこと言ってるか?」
「ええ」


 先日のことだ。ウチのポストに絵ハガキが届いた。
 瀬名さん宛だったからメッセージの内容は見ないようにしたものの、おそらく海外から発送されたと思しきそれにはサバンナっぽい大自然の風景が写っているのをチラリと目にした。

 今どきなんて風情のあるご友人をお持ちなのだろう。ポストカードを送ってくれる人なんて昨今なかなかお目にかかれない。
 と思っていたら。

「叔父からだ」

 帰って来た瀬名さんに報告してみればそんな答えを返された。

「テオさん?」
「じゃない方。親父の弟。ここの住所も親父が教えたんだろ」
「あぁ」
「すまん。言っとく」
「いいですよ、あなたの家族なら」

 かつて瀬名さんの就職祝いに万年筆をくれた人だ。瀬名さんと一緒に夜通しゲームやっててマユちゃんさんに怒られた人でもある。瀬名さんのお父さんの弟さんなら間違いなく瀬名家の血の人だ。

「叔父さんも海外に?」
「ああ。微生物の研究してる」

 もう何を聞いても俺は驚かない。

 その時はそれで終わったが、翌日の夜。絶妙のタイミングでマユちゃんさんとお父さんから連絡がきた。
 キキココがニャコニャコ遊んでいる姿を一通り見せてくれたあとにまた話し込む少々。なんとはなしに昨日瀬名さんに届いた絵はがきのことを話題に乗せた。

『恭吾にとってのあいつは叔父であると同時に兄でもあり目標でもあり憧れでありメンターだ。僕がやりたかった役割は見事に全部取られたよ』

 マユちゃんさんの肩を抱きながら、ハハハハと明るく軽快に笑ってお父さんはそう語った。長男の部屋の跡地もそうだし息子に憧れられる役もそうだが何かと取られてばっかりだ。
 後ろではココがニャアニャア言っているのが声だけ聞こえてくる。書斎の夢を無情にも取り上げた二匹のうちの一匹だ。





「さっきあなたのご両親から電話来ましたよ」
「その報告に驚かなくなってる自分が怖い」

 それから少しして瀬名さんも帰ってきた。ご両親からの定期連絡は食卓を囲みながら伝えた。
 ついでに送ってもらったキキココ最新動画はあとで共有する事にして、ひとまずは、なんか気になる叔父さんの話だ。

「今はアメリカの研究所にいるがじっとしてられる人じゃねえ。しょっちゅうフィールドワークばっかりやってる」
「ああ、だからあの絵ハガキ」
「研究サンプル回収のためならジャングルの奥地だろうと不毛の砂漠だろうとすっ飛んでって土を採取してくる」
「帽子がトレードマークの考古学者みたい」
「それの生物学者バージョンだと思ってくれていい」

 あの音楽が頭の中で流れた。鞭とかブン回したりするのかな。

「一番のお気に入りはクマムシな」
「煮ても焼いても窒息させても放射線当てても死なないという?」
「それだ」
「クマムシ捕まえて何に使うんですか?」
「医療分野の応用研究に役立つ。ワクチンの鮮度保つのにクマムシの細胞を保護してるタンパク質が使えるとかなんとか」
「すげえ。クマムシは人類を救うのか」
「宇宙探索や農業やなんかにも色々と活用できるそうだ。詳しい事は知らねえが、地球の微生物には無限の可能性があると叔父はしょっちゅう語ってる」
「もしかして叔父さんハダカデバネズミ好きだったりする?」
「よく分かったな」

 やっぱりな。生物として強いヤツが好きなんだ。ハダカデバネズミは哺乳類だが、なんとあいつら不老らしいからアンチエイジングに日夜励んでいる哀れな人類の希望の星だ。

「瀬名さんとこはお父さんもパワフルな人ですけど叔父さんもすごいんですね」
「あの叔父は普通じゃない」
「あなたの叔父さんなんだからそりゃそうでしょ」
「お前は俺をなんだと思ってる」

 エイリアンだと思ってる。いつ触角生えてくるかなって実はこっそり観察してる。

「あの人はおかしいのレベルが違ぇんだよ。限度ってもんを知らねえ」
「たとえば?」
「子どもが親からもらう最初のプレゼントはなんだと思う」
「え……名前?」
「それが世の中の模範解答だ。でも俺は叔父からそんな素敵な話を教わらなかった。子供が最初に親からもらうのは母親の腸内にいる微生物群だと五歳児相手に本気で解説してくるようなイカレた男なんだよ」
「微生物群……?」
「今後もしあいつに会う事があってもそうやって興味のある素振りは見せるな。腸内細菌の組成に関する講義がその場で始まって朝まで続く」

 瀬名家はやっぱりヤベエと分かった。

 微生物と言えばミキちゃんが今まさにハマっている。浩太が春休み前に言っていた。
 なんでもその頃のミキちゃんは体重をいたく気にしていたそうで、傍から見れば言うまでもなく気にする必要など欠片もないのだが、本人からすれば改善の余地が大幅にあるらしい。
 ダイエットを決意したミキちゃんが参考として選んだのは、インフルエンサーの妙ちくりんなオススメでも嘘ばっかついてるネット記事でもトレンド依存型のキラキラ雑誌でもなく、一体なぜそうなるのだか、腸内微生物の専門書。

「微生物?」

 春休みを目前に控えていた頃。大学のカフェテリアだった。次の試験の待ち時間に真面目ぶって勉強しているのが段々と飽きてきた辺り。
 何気なく上ったのはそんな話題だ。俺らの腹の中に百兆個はいると噂の腸内細菌。聞き返すと浩太はコクコクうなづいた。

「星の数ほど生まれては消えていくなんちゃらダイエットとかいう流行は人間社会の害悪とまで断じてたよ」
「リンゴばっか食うとか炭水化物抜くとか昼飯だけ置き換えてみるとか?」
「カロリーだけ無駄に気にしてる人がボディメイクできたのを一度たりとも見た事ねえってさ」

 ミキちゃんは残酷なことをサラッと言う人だ。

「やみくもに偏った手法取るより最適なマイクロバイオータを形成する事こそが心身の根幹だとか言いだして」
「ミキちゃんはとことん理系だよ」
「しかも興味の幅がこれまた広い。来期は微生物学履修するんだって」
「またコアなとこ行ったな」
「なんかもうダイエット云々より学問として楽しくなってきちゃったみたいなんだよね。でも確かに面白そうっちゃその通りだから俺も一緒に受講することにした」
「お前絶対あの子と別れるなよ」
「捨てられない限り別れねえよ。他にどこ探せばあんなのがいるんだ」

 ミキちゃんは瀬名家と気が合いそうだ。何やらせてもちょっと斜め上を行く。



 そんな事もまああったのだが、俺らの身体を支えている微生物群は実際に優秀らしい。食ったもので構成されるのが地球上の生き物だけれど、その構成を手助けするのが生き物との共生を選んだ細菌類。

 カッテージチーズと一緒に新鮮な葉っぱをモグモグしながら、何を出しても美味いと言ってくれる男の様子を盗み見る。
 この大人の精神面は脆弱だけれど体の方は頑丈そうだから、微生物たちが頑張っているんだろうな。瀬名さんの手持ち細菌はきっとみんなイケメンだ。

 ゴハンは誰かと一緒に食べた方が美味しいんだよ。などというキラキラした都市伝説を俺は信じていなかった。
 実家じゃ常に誰かしらいたから逆に実感が湧かなかったし、かと言って上京してから数ヵ月間していた孤食にこれといって不満はなかったし。

 好きなもの作れば普通にウマい。特売品で見栄えのいい晩飯を仕上げられると気分が上がる。なんだよ別に一人で食ったってウマいもんはウマいじゃないか。これだから根アカの言う事は嫌いなんだよ。
 そう思っていた。瀬名さんとこうなるまでは。

 誰かと一緒に食うのが大事なんじゃない。いいもの食うのが重要なんじゃない。
 この人と一緒に食うと美味いなって思える相手と出会えた事がただ、幸運だった。

「ところでこのドレッシング死ぬほどウマいな」
「よかった」
「サラダがすすむ。これを編み出した遥希は天才だ」
「これ二条さんに作り方教わったんです」
「…………」

 瀬名さんの顔がスンッと無になった。食事中にこんな面白い顔を見られる相手はなかなかいない。二条さんのゴハンが大好きであると認めちゃえば楽になるのに。

 死ぬほどウマいドレッシングのかかったトマトをフォークにサクッとぶっ刺して、瀬名さんの口元に突き付けてやる。この人は渋々パクリと食った。顔はシブいけど美味さには負けるようだ。
 笑ってメシ食えるこの環境が、きっと一番の栄養だ。
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